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26. 血の海

「ロザリン、あなたの知り合いだっていう人が使いを寄こしているわ。大事な話があるから外に出てきて欲しいそうよ」


 ロザリンがお茶の準備をするために廊下を歩いていると、他の侍女から声をかけられた。


 都に知り合いはいないし、ヴァロワ家で働いていることは村の人には知らせていない。一体誰だろうと不思議に思いながらロザリンは屋敷を出た。

 門の外の角の所に停めている馬車の中で待っているとの言伝のとおりに、そこにはひっそりと馬車が停めてあった。

 ロザリンは馬車の前方へ回り、座っている御者に声をかけた。


「あの、わたしに話があると言伝を聞いたのだけれど、誰ですか? ……アンヌおばさん?」


 ロザリンの声を聞きつけたらしく、馬車の中から黒衣に身を包んだ数人の男達が降りてきた。男達は驚くロザリンの頭から大きな袋を被せて、そのまま彼女を抱きかかえて馬車に乗り込んだ。

 男達が乗り込んだことを確認した御者が、馬に鞭を打って馬車を走らせる。


「何をするのっ!? 誰か助けてっ!」


 馬車の中で、ロザリンは動けないように袋の上から紐で縛られた。

 助けを求めて必死に声を上げるが、馬車が全速力で駆けるガチャガチャという大きな音でかき消されて外には届かない。

 この黒衣の男達が何者なのか、自分がどこに連れて行かれるのか分からないまま、ロザリンは真っ暗な袋の中でがたがたと恐怖に震えていた。




 やがて馬車はどこかへ着いたらしく、ロザリンは袋の上から縛られたまま馬車から降ろされ、黒衣の男達に担がれてどこかへ運ばれた。

 しばらくして袋に入ったまま投げ出されて、そして体を縛っていた紐がやっと解かれた。

 ロザリンはもがくようにして、その大きな袋の中から這い出た。


「……ここは、どこなの?」


 ロザリンは鮮やかな文様の豪華な絨毯の上にいた。

 顔を上げて周囲を見回すと、壁から天井にかけて施されたモザイク画には宝石が埋め込まれて輝いている。大理石の柱の上下には金の装飾が施され、天井からは金のシャンデリアが下がっている。光を受けて輝く宝石や金が眩しく、思わず悪趣味という言葉が出てきそうな程に豪勢な屋敷だった。 


「――お前がロザリンとか言う侍女か?」


 訪れた者に権勢を見せびらかすような絢爛豪華な様にロザリンが圧倒されていると、正面にある大きな椅子に腰をかけた人物がおもむろに口を開いた。

 床に広がる程の長さの白貂のマントをつけ長い顎髭を指で撫でながら、その人物はロザリンを見下ろしていた。


「ティエリーがシャルレーヌとの婚約を解消したいと言い出すほど懸想している女というから、どれほど妖艶な美女かと思えば、……まだ子供ではないか。つまらん。こんな子供では連れて来させた甲斐が無いわ」


 その言葉を聞いた横に控えていた使用人が、ロザリンに向かって小袋を投げつけた。かなりの枚数の硬貨が入っているらしく、その小袋はロザリンの体に当たって床に落ちると重たそうな音を立てた。


「その金を持って、さっさと消え失せろ。二度とティエリーの前に現れるな」


 ロザリンはその言葉や態度から、目の前にいるのがシャルレーヌの父、ノアイユ公爵だと察した。


「お金なんか要りません」


 その場にすっと立って、ロザリンはノアイユ公爵を真っ直ぐに見た。そんなロザリンを小馬鹿にするように、ノアイユ公爵が見下して鼻で笑う。


「お前が金を受け取らぬと言うなら、それはそれで構わぬ。ならば、お前に選ばせてやろう。ロザリンとやら、お前は死ぬのと死ぬよりつらい思いをするのとでは、どちらが良いか?」

「……どういう意味ですか?」


 ノアイユ公爵の言葉の意味が分からずにロザリンは、怪訝そうに首を傾げて尋ねた。


「黙って金を持って去るなら見逃してやるが、それをお前が断るのなら、こちらにも考えがある。お前をひと思いに殺して捨てるか、それともティエリーの側にはいられぬ体にするかだ」


 ロザリンを攫ってきた黒衣の男達が、いつの間にか彼女を囲んでいた。

 やっとノアイユ公爵の意図を理解したロザリンが恐怖に身を固くしていると、薄ら笑いを浮かべた男達がじりじりと近寄って来る。


「選ぶのはお前だ。私はどちらでも構わぬ」

「……い、嫌よ。わたしはティエリーを愛しているの。ただ側にいたいだけなのに、それがどうしていけないの?」

「それがお前の答えか? ならば、好きにしろ」


 ノアイユ公爵がくいっと顎をあげたのを合図に、黒衣の男達がロザリンに襲い掛かって来た。ロザリンの悲鳴が広間に響き渡る。


 そこへ一人の使用人が慌てた様子で小走りで駆けてきて、ノアイユ公爵に耳打ちした。それを聞いたノアイユ公爵が、ちらりとロザリンに視線をやり、面白そうににやりと笑う。


「構わん。通せ」


 ノアイユ公爵がそう言い終わるや否や、引き留めようとするノアイユ公爵家の使用人達を振り払いながら、ティエリーが息を切らして広間に走って来た。


「ロザリン!」


 ティエリーは、広間の真ん中で黒衣の男達に襲われて必死に抵抗しているロザリンを見つけた。そしてロザリンの上に馬乗りになっている黒衣の男を力ずくで引きはがし、周りにいる他の男達を蹴り飛ばして、そこから彼女を助け出した。


「ロザリン! 大丈夫か!」

「ティエリー!」


 ロザリンが、恐怖で泣きながらティエリーにしがみついた。


「遅くなってごめん」


 泣きじゃくるロザリンをティエリーは自分の腕の中にかくまう。


「よくここだと分かったな」


 謝罪の言葉も無いまま平然と話すノアイユ公爵を、ティエリーは睨みつけた。


「シャルレーヌに婚約解消の話をしてすぐにロザリンが攫われたとなれば、ここしかないでしょう。いくらあなたと言えど、こんな無体が許されるわけがない!」

「私にこんなことをさせる原因を作ったのはお前だろう、ティエリー。シャルレーヌから受けた恩も忘れて、婚約解消などとよくもそんな勝手なことが言えたものだ」


 肘掛けに肘をついて不愉快そうに言葉を吐くノアイユ公爵に、申し訳なさそうにティエリーが目線を下に向けた。


「……命を救って頂いたことは感謝しています。受けた恩は決して忘れません。しかし、それと結婚は別です。私はシャルレーヌを愛していない」

「それ以上、娘を侮辱するのは許さん!」


 ノアイユ公爵が腕を上げて指示を出したのを見て、黒衣の男達がティエリーを取り囲んだ。ロザリンをその腕の中に匿いながら、ティエリーは男達と対峙する。


「やめて、お父様! ティエリーに手を出さないで!」


 ティエリーが来たと聞きつけたシャルレーヌが広間に飛び込んできた。そして黒衣の男達と向かい合うティエリーの元へ駆け寄ると、ロザリンから引き離して、その胸にすがりついた。


「婚約解消なんてしないわ! あなたを愛しているの! あなたの妻になるのはわたくしよ!」


 ティエリーは宥めるようにシャルレーヌを見て口を開いた。


「私が愛しているのはロザリンだ」

「あんな女なんか側女にすればいいのよ! お願いだからそうして! ティエリー!」

「私が望むのはロザリンだけだ」


 ティエリーは、シャルレーヌの手を取ると自分の体からそっと離した。絶望したように両目を見開いたシャルレーヌが金切り声で叫ぶ。


「お父様、その女を殺して! その女が生きている限り、ティエリーはわたくしを愛さない! 殺して!」


 シャルレーヌの叫びを聞いたノアイユ公爵の合図で、黒衣の男達が一斉に剣を抜いてロザリンに襲いかかった。


「やめろっ!」


 ロザリンに襲いかかる男達の前に飛び出したティエリーが、突然血を吐いた。

 ぶはっとティエリーの口から吐き出された大量の血が、床に敷かれた絨毯を真っ赤に染める。


「きゃあああっ! ティエリー!」


 シャルレーヌの悲鳴が響く。

 何が起きたのか分からず困惑した表情でティエリーがその場に倒れた。

 血の海の中に倒れたティエリーに、悲鳴を上げながらロザリンとシャルレーヌが駆け寄る。


「ティエリー! しっかりして! 誰か医者を! 早く!」


 自分の正面にしゃがんでティエリーを覗き込むロザリンに気づいたシャルレーヌは、怒りに震えながら彼女の頬を引っ叩いた。いきなり叩かれたロザリンが床に引っ繰り返る。


「お前ね!? お前がティエリーに毒を飲ませたのね!? よくも!」


 血に染まったティエリーを抱きかかえながらシャルレーヌが叫んだ。


「この女を捕らえなさい! 地下牢に繋ぐのよ!」

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