25. 怒る婚約者
ヴィクトルがヴァロワ侯爵家を去った翌日、ティエリーの婚約者のシャルレーヌが見舞いに訪れた。
カリーヌが言うには、ティエリーが倒れたと聞いて毎日のように屋敷に見舞いに押しかけていたのを、ヴィクトルがずっと追い返していたらしい。
意識が無いのに側で騒がれても邪魔だのと身も蓋もないヴィクトルの物言いに、傍で見ていた者たちは肝を冷やしたとカリーヌが笑いながらロザリンに教えてくれた。
「ティエリー! 心配したのよ!」
部屋に入って来るなりシャルレーヌは、ティエリーの胸に手を当ててもたれかかった。そして甘えるように婚約者の顔を見上げる。
そのシャルレーヌの様子を横で見ていたロザリンは、ちくりと胸の痛むのを感た。
シャルレーヌは周囲を気にすることなく、ただティエリーだけを見ていた。
貴族同士の愛の無い婚約などではない。シャルレーヌが本当にティエリーを愛しているのだと、それが彼女の眼差しや口調などから伝わって来た。
「シャルレーヌ、心配をかけてすまなかった。何度も見舞いに来てくれたそうだね」
「ねえ、ティエリー。早く結婚しましょう? 結婚して、ノアイユ家で一緒に暮らしましょう? そうすれば、わたくしはずっとあなたの側にいられる。わたくしが、きっとあなたを元気な体にしてみせるわ」
無邪気に自分に甘えるシャルレーヌに、ティエリーは一瞬躊躇う様子を見せたが、やがて意を決したようにその口を開いた。
「シャルレーヌ、私の方からノアイユ家に伺って御父上に話をするつもりだったのだが、……君との婚約を解消したい。私は君とは結婚できない」
ティエリーの胸にもたれていたシャルレーヌが顔を上げて、まるで熱でも測るように彼の額に触れた。
「……どういうこと? ……そんなに体の具合が良くないの?」
「そうじゃない。私には他に愛する女性がいる」
ティエリーがシャルレーヌから離れて、傍らに立っていたロザリンの手を取った。躊躇うロザリンに微笑みかけたティエリーは、彼女の肩を抱いてシャルレーヌに向き直る。
「私はこのロザリンを心から愛している。私は彼女と結婚する」
シャルレーヌがティエリーの言葉に、きょとんとした表情で首を傾げた。
「この女はあなたの侍女でしょう? 気に入っているのなら側女にすればいいだけよ。わたくし達が結婚する支障にはならないわ」
「私の妻はロザリンだけだ。彼女以外の女性を妻にするつもりはない」
首を振りながら、はっきりと自分の言葉を拒絶するティエリーの態度に、シャルレーヌはやっとその意図を理解して愕然とした。
「あなたは自分が何を言っているか分かっているの? あなたはヴァロワ侯爵家の嫡男。そんな卑しい侍女なんかがあなたの妻になれるわけがない。身分が違うわ」
「身分が違うとロザリンとの結婚を認めてもらえないのなら、私は爵位は継がない。弟のヴィクトルに譲る。私はロザリンさえいてくれれば、それでいい」
シャルレーヌが息を呑んで、がくがくと震える両手で口元を覆った。
「君は瀕死の重傷を負っていた私を助けてくれた恩人だ。心から感謝している。けれど君への気持ちは愛ではない。どうか理解して欲しい。シャルレーヌ、私は君とは結婚できない」
「……都中の貴族がわたくし達の婚約を知っているのよ? 今更、婚約解消なんて出来るわけがないでしょう。そんな侍女の為にこのわたくしに恥をかかせる気なの?」
「君に許してもらう為なら、どんな償いでもするつもりだ」
「……嫌よ、わたくしは認めないわ。……それに、お父様が絶対にお許しにならないわ」
顔を強張らせたシャルレーヌが、ふるふると頭を震わせている。
「……あなたは正気じゃないわ。……こんな卑しい女の為にノアイユ公爵家を敵に回すつもりなの? ……ティエリー、あなたはこの女に騙されているのよ」
シャルレーヌはティエリーの腕の中にいたロザリンの腕を引っ張ると、その白い手でロザリンの頬を平手打ちにした。ぱあんっという乾いた音が部屋に響き、叩かれたロザリンが床に倒れる。
「正直におっしゃい! 何が狙いなの? あなただって身分違いは分かっているはずよ。ヴァロワ家の財産目当てなの!? お金なら欲しいだけあげるわ!」
ロザリンは頬を赤くしたまま、倒れていた体を起こして立ち上がった。そしてシャルレーヌの正面に立ち、真っ直ぐに彼女を見据えた。
「お金なんていりません。ティエリーをわたしに返してください」
目をかっと見開いたシャルレーヌが、再び手を振り上げてロザリンの頬を叩く。
「たかが侍女の分際で、このわたくしと張り合おうなんて生意気よ! 身分をわきまえなさい!」
ロザリンは両足を強く踏ん張って、今度は倒れなかった。二度も叩かれて真っ赤になった頬をそのままに、怒りに震えるシャルレーヌを見返していた。
「……その目は何なの? このわたくしに逆らう気なの? 無礼な!」
もう一度手を振り上げるシャルレーヌを、ティエリーが後ろから羽交い絞めにして止める。
「もうやめろ、シャルレーヌ! 殴るなら私を殴れ! 悪いのは君の気持ちに応えられない私だ! ロザリンじゃない!」
シャルレーヌはそのままティエリーに部屋から連れ出されて行った。
一人で部屋に残されたロザリンはじんじんと痛む頬に手を当てながら、険しくなるであろう今後のことを考えていた。
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