22. 衝撃の夜
その後、ロザリンはヴィクトルと共に調理場へ行った。
翌日の仕込みを終えた料理人達は、すでに片づけを始めていた。突然現れたヴィクトルに驚いた彼等は、失礼のないようにと急いで身なりを整えるとヴィクトルの前に並んだ。
「これは、ヴィクトル坊ちゃま。こんな所までわざわざお越しとは、何かお食事に問題でもございましたでしょうか?」
自分一人の時とはあからさまに違うその態度に、ロザリンは呆気に取られた。それを仕方ないと諦めながらも、やはりヴィクトルが一緒に来てくれたことは心強かった。
「ロザリンが、兄上のスープに入れた覚えの無い食材が入っていると言っているのだが、それに関して何か知っている者はいるか?」
料理人達が顔を見合わせるようにして首をふるふると振っているその一番後ろに、青ざめた表情の副料理長がいた。
「……あの、ヴィクトル坊ちゃま。それは、私が入れました」
その場にいた料理人達が一斉に後ろを振り返った。副料理長は気まずそうにその視線から目を逸らして、前掛けをぎゅっと握りしめている。
「何を入れた?」
「……茸です。若様のお体のための特別なものだから必ず食べて頂くようにと、主治医のアルベール先生に命じられて……」
「何という茸だ? どんな薬効があるとアルベール先生は言っていた?」
「……存じません。それを私が知る必要は無いと言われて……」
ヴィクトルの問いに答えながら、副料理長がその大きな体を居心地が悪そうに縮めた。
「いつから兄上の食事に入れているんだ?」
「一年前に若様がお屋敷に戻られた時からです。事故で大怪我をされた若様のために取り寄せた高価な茸だから、必ず召し上がって頂くようにと命じられました。けれど、若様が口に合わないと言って食事をなさらないので、なかなか入れられませんでした」
「そこにロザリンが現れて、ロザリンの作った物なら兄上が食べると思って、勝手に混ぜ込んだのか」
「……申し訳ありませんっ。アルベール先生に若様のお体の為と言われれば、私は逆らえませんっ」
その大きな体を小さくした副料理長は、許しを求めるように両手を合わせてヴィクトルを見ている。
「その茸は、まだ残っているのか?」
「今はありません。アルベール先生から非常に高価なものだからと言われて、必要な分をその都度届けて頂いています」
「どんな茸だ?」
「白くて、卵位の大きさです。とても珍しいものらしくて、私も初めて見ました」
ヴィクトルのお陰で料理人達への確認が終わり、二人はそのまま調理場を後にした。
長い廊下を並んで歩きながら、ヴィクトルがちらりとロザリンを見る。
「副料理長が無断で茸を入れていたのは事実だが、一年も前からなら、特に体に害のあるものではないんじゃないか? 兄上は元からあまり丈夫ではないようだったし。ロザリン、お前の気にし過ぎじゃないのか?」
ロザリンはじっと前を見つめながら首を振った。
「……そんなはずはないわ。ティエリーはずっと風邪一つ引いたことが無かったのよ。それなのに、こっちでは不自然なほど体が弱ってる。きっと何かあるはずよ」
「何故、お前がそんなことを知っているんだ?」
ヴィクトルの問いにロザリンは口をつぐむ。
「お前はどうして兄上の為にここまでするんだ? 一人で調理場に乗り込んだのもそうだが、自ら敵を作っているようなものじゃないか」
「……わたしは、ただティエリーを守りたいだけよ」
眩しそうに目を細めながらヴィクトルがロザリンを見つめる。
「……お前は兄上のことばっかりだな。……出会ったのは俺の方が先なのに、俺と兄上とでは何が違うんだ?」
一瞬ヴィクトルを見たロザリンが、躊躇いがちに目を伏せる。
「……違うわ。……出会ったのは、ティエリーが先よ」
ロザリンがぽつりと零した言葉にヴィクトルが首を傾げる。
「兄上の方が先? ……でも、俺と出会った時はお前は村から出てきたばかりで。……もしかして、兄上と同じ村にいたのか? もしかして、ここに来る前から兄上を知っていたのか?」
それには答えずに、ロザリンはヴィクトルの上着を掴んで、目の前の黒い瞳をすがるように見た。
「ティエリーを助けたいの。絶対に何かあるはずよ。このままじゃ彼が死んでしまう! ヴィクトル、お願い。ティエリーを助けて!」
ロザリンのその剣幕に圧倒されたヴィクトルは、諦めたように溜息を吐いた。
「仕方ない。遅い時間だが、アルベール先生の家へ行こう」
主治医のアルベール先生の家はヴァロワ侯爵家からそれほど遠くない所にあった。
ヴィクトルが訪ねてきたと使用人から知らされたアルベール先生は、夜分に何事かと慌てて表に出てきた。
「これは、ヴィクトル様。こんな時間に来られるとは、もしやティエリー様に何かございましたか?」
「いや、兄上に異変があったわけではない。アルベール先生に急ぎ尋ねたいことがあってこちらまで出向いた」
「私に、尋ねたいこととは何でしょう?」
腰を低くし揉み手をしながらヴィクトルを見上げるアルベール先生に、大したことでは無いという素振りでヴィクトルが話し出す。
「アルベール先生が、兄上の食事に入れるように指示した茸のことだ」
その瞬間に、明らかにアルベール先生の顔色が変わったのをヴィクトルは見逃さなかった。問い質すような厳しい目でヴィクトルがアルベール先生を見る。
「何を隠している?」
「ひいっ、わ、私は何もっ。私はただ、……ぐはっ」
どすっという鈍い音がしたかと思うと、アルベール先生が苦しそうに顔を歪めながらその場に膝をつき、そしてそのままドサッと前のめりに倒れた。その背中にはナイフが深々と刺さっていた。
「危ないっ!」
ヴィクトルは、目の前で人が絶命した衝撃に固まっているロザリンの腕を強く引いて自分の後ろに匿った。そして腰に下げていた剣を抜いて、こちらへ向かって飛んできたナイフを叩き落した。
カキンッという高い金属音を響かせナイフが地面に落ちた。すぐに次のナイフが飛んできて、ヴィクトルが手にした剣でそれも叩き落した。
「誰だっ!」
暗闇に乗じて建物の影からナイフを投げていた人物が逃げ去る足音が聞こえてきた。
ヴィクトルはそれを追いかけることはせずに、後ろで一人恐怖に震えているロザリンの元へ行き、そっと声をかけた。
「もう大丈夫だ。怪我はないか?」
人が殺されるのを見るのは初めてだった。もしかしたら自分も殺されていたかもしれないという恐怖で、ロザリンはガタガタと震えていた。目は焦点が合わず、歯はガチガチと音を立てている。
そんなロザリンをヴィクトルが躊躇いがちにそっと抱きしめた。
「お前のことは俺が必ず守る。誰にも傷つけさせない」
ロザリンは恐怖で震えながらヴィクトルにしがみついた。
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