20. 異変
祭りの夜からしばらく雨が続いた。
土砂降りの雨の中をずぶ濡れになって帰ったせいか、ティエリーはここ数日少し熱っぽく、食欲も無かった。それを心配したロザリンがスープを作って持って来た。
青ざめた顔でロザリンを待っていたティエリーは、部屋に入って来た彼女を見るとほっとしたように頬を緩めた。その力の無い様子にどこか不安を感じながら、ロザリンは作って来たスープをティエリーに勧める。
「食欲が無いなら、せめてスープだけでも飲んで下さい」
「ありがとう」
テーブルの上の自分の前に置かれたスープを、ティエリーがスプーンで一口二口と口に入れる。それを横から気遣うようにロザリンが見ていると、突然ティエリーの手が震え出した。手に持ったスプーンが皿に当たってカチャカチャと音を立て、そしてティエリーの手を離れたスプーンがカチャンッと皿の中に落ちた。
「……若様?」
目線をロザリンに向けたティエリーの体がふらっと揺れたかと思うと、そのまま崩れるように椅子から落ちた。
「ティエリー!」
慌ててロザリンが駆け寄ってティエリーの体を抱え起こすが、すでにその意識は無く、体はぐにゃりと重たかった。
「誰か! 誰か、主治医のアルベール先生を呼んで!」
ロザリンは青ざめて意識の無いティエリーの体を抱えて叫んでいた。
「――ちゃんと食べているはずなのに、どうしてティエリーはこんなに弱っているの?」
ロザリンは訳が分からずに頭を抱えていた。
ティエリーが倒れたのは栄養不足が原因だと、アルベール先生に言われたのだ。
若様の食事作りを任せて欲しいと自分から言い出したのだから、きちんと責務を果たすようにと厳しく注意されてしまった。
けれど、料理人の作った物が口に合わないと言って食べられなかった時ならいざ知らず、今はティエリーの好みを熟知している自分が料理して、毎食きちんと食べている。野菜だけでなく、ちゃんと肉も出している。それでどうして栄養不足になるのか。
ロザリンは不思議で仕方なかった。
「……あ、そういえば」
ロザリンは、ティエリーがお替わりをしなくなったことをふと思い出した。最初の頃は、美味しい美味しいと毎回お替わりをしていたのに、最近は出されたものは食べるけれど、それ以上お替りして食べることは無くなっていた。
「ティエリーの好みに合わせているつもりなんだけど、美味しくないのかな」
テーブルの上にあるティエリーの食べ残しのスープを、スプーンですくって一口味見したロザリンの手が止まった。
自分が入れた覚えのない食材の味がしたのだ。
「……何、これ? 何の味?」
わずかに舌に残る癖のある味。それは本当に微かに感じる程度の物だった。けれど、敏感なティエリーは気づいたはず。
一体これは何なのだろうと、ロザリンが皿に残ったスープの具材に目を凝らすと、分からないように小さく刻まれた白い物が入っていた。ロザリンはそんな物を入れた覚えは無い。
それをスプーンですくって口にしてみると、妙な癖のある味が舌の上に広がった。
「……これ、何なの? わたしはこんな物、入れてないわ。……誰が入れたの? 何の為に?」
『ロザリン、君が作っているんだよね?』
ロザリンの頭の中にティエリーの声が響く。――――だからかと、ロザリンはあの時のティエリーの言葉の意味をやっと理解した。
ティエリーは途中から味付けが変わったことに気づいていた。それなのに、ロザリンが自分の為にわざわざ作った物だと思って、あえて何も言わずに食べていたのだ。
いつからティエリーはお替わりをしなくなっただろう。あれだけ味覚の敏感な人が、どれだけ苦痛だったろうと、ロザリンはずっと気づかなかった自分の迂闊さを責めた。
目の前で意識の無いまま眠っているティエリーの顔色は青白く、今にも消え入りそうなほど儚げに見える。
彼を支えたいと、助けたいと思って彼付きの侍女になったはずなのに。側にいられることに自分は浮かれてしまっていた。
もっと早く異変に気づくべきだった。
ティエリーに対する申し訳なさで、ロザリンは唇を噛んだ。
――誰が、こんな物をわたしの知らないうちにティエリーの食事に混ぜたの?
ちゃんと食べていたのにも関わらずティエリーが栄養不足で倒れた理由が、この白い食材にあるような気がした。そしてロザリンはそれを調べるために調理場へ向かった。
「――田舎者が若様の食事を作るなんて、やっぱり無理だったんだよな。あんな偉そうに顔を見れば好みが分かるとか言って、栄養不足で倒れてりゃ世話ないぜ」
調理場へ入って来たロザリンの顔を見るなり、料理人が大きな声を上げた。
ティエリーが栄養不足で倒れたことが調理場にまで伝わっているらしく、皆が一斉に非難するような目をロザリンに向けて来る。
その強い視線にロザリンは一瞬ひるみながらも、ここで負けるわけにはいかないと気を強く持って料理人に尋ねた。
「……あの、若様の料理の中に、白い物が入っていたのですが、それが何かご存知ですか?」
「ああ? 何だ、お前。若様が倒れたのを俺達のせいにする気か?」
「いいえっ、違います。わたしはただ、あれが何なのか知りたいだけです」
体格の大きな料理人達がロザリンの周りを威圧するように囲んで、そのうち彼女を無遠慮に小突きだした。
「生意気なんだよ、お前は。料理人でもないくせに出しゃばるな」
「人の仕事をかっさらいやがって。目障りだ」
「用が無いなら、さっさと出ていけ。仕事の邪魔だ」
ティエリーのスープの中に入っていた白い物が何なのか、誰がそれを入れたのか調べることが出来ないまま、ロザリンは調理場を追い出されてしまった。
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