18. 傷つけ合い
その日ティエリーとロザリンは、二人で庭を散歩していた。
ロザリンが食事を作るようになってから、ティエリーは毎食きちんと食べるようになった。顔色も良く、体重も少しずつだが増えてきているようだった。
「でも、お替りはしなくなりましたね。もしかして若様のお口に合いませんか?」
最初の頃は当たり前のようにしていたお替わりがなくなったことを少し残念に思いながら、ロザリンがティエリーに尋ねた。
「……ロザリンが作ってくれているんだよね?」
「はい、勿論です。若様が口にする物は、すべてわたしが作っています。……何かお気に触ることでもありましたか?」
一瞬何かを言いかけて開いた口を、ティエリーは何も言わずにそのまま閉じた。そして、にこやかにロザリンに微笑みかける。
「いや、何も問題ないよ。いつもありがとう」
そうは言っても、お替わりをしてもらえないのはちょっと寂しい。ロザリンは今日の夕食はティエリーの好物を作ろうと、あれにしようか、これにしようかと頭を悩ませていた。
すると前を歩いていたティエリーが、急にその場にしゃがみこんだ。
もしや気分でも悪くなったのかと、ロザリンが慌てて前に回り込むと、ティエリーはその手に生まれたばかりの雛を乗せていた。
「……鳥の雛?」
ゆっくりと立ち上がったティエリーは周囲の木を見上げて、何かを探しているようだった。やがて何かを見つけたらしいティエリーが、胸のポケットから取り出したハンカチに大事そうにその雛を乗せると、そっとロザリンに手渡した。
「少しの間、持っていて」
ロザリンがその小さな雛を落とさないように両手で支えていると、腕まくりをしたティエリーがすぐ横にある木に登り始めた。
はらはらしながらロザリンが下から見ていると、枝に足をかけたティエリーが雛を渡すようにと手を伸ばしてきた。
精一杯背伸びをしたロザリンが両手で高く掲げた雛を受け取ったティエリーが、そっとその上の枝にあった巣に雛を戻した。
そして、ゆっくりと木から降りてきたティエリーは、心配そうに自分の元へ駆け寄って来たロザリンに笑いかけた。
「これくらい、心配しなくても大丈夫だよ」
村にいる時も、ティエリーはいつも怪我した動物を放っておけずに、家に連れて帰って世話をしていた。家が動物だらけになって祖父が呆れても、自分の分の食事を動物たちに与えてまで面倒を見ていた。
……記憶を失くしていても、こういう所はそのままなのね。
ヴァロワ侯爵家の子息になっても変わらない優しいティエリーに、嬉しくなったロザリンは微笑みながらその青灰色の瞳を見上げた。
「ティエリー」
ふいに聞こえてきた澄んだ高い声にロザリンが振り向くと、白金色の長い巻き髪の女性がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「シャルレーヌ」
身なりや立ち居振る舞いから、その女性が明らかに高位貴族だと察したロザリンは、ティエリーの後ろに下がって頭を下げた。
そんなロザリンがまったく視界に入っていない様子のシャルレーヌと呼ばれた美しい女性は、親し気にティエリーに話しかける。
「最近はずっと体調がいいと聞いていたけれど、本当のようね。こんな健やかなあなたを見るのは久しぶりだわ」
「シャルレーヌ」
さも当然のようにティエリーの腕に自分の腕を絡ませるシャルレーヌを、ティエリーは戸惑いながら見ている。
「あら、久しぶりに会う婚約者にキスもしてくれないの?」
……婚約者?
出し抜けに耳に入って来たその言葉に、ロザリンが思わず下げていた頭を上げるのと、ティエリーがロザリンを気にするようにちらりと見たのが同時だった。
驚愕の表情で自分を見るロザリンにどこか後ろめたさを感じつつ、ティエリーは躊躇いがちに婚約者のシャルレーヌの頬にキスをした。
嬉しそうにティエリーのキスを受けたシャルレーヌは、ティエリーの両手を取って満面の笑みで話を続ける。
「あなたの体調が良くなるまでと延期していた結婚式も、そろそろ出来そうね。お父様も楽しみにしているのよ」
「……君と御父上のノアイユ公爵には感謝している。事故で大怪我を負った私を助けて看病してくれた。こうして私が生きていられるのはあなた方のお陰だ。あの時の恩は決して忘れない」
「そう思うなら早く元気になって、婿としてお父様を支えてちょうだい」
シャルレーヌがティエリーの手を引いて、屋敷の方へと連れて行った。
何度もロザリンを気にするように振り返るティエリーを呆然と見送ったロザリンは、やがてその場にしゃがみ込み、膝を抱えて泣き出した。
必ず迎えに来ると言ったティエリーを一年待った。帰って来ない彼を探して都に出てきてみれば、彼は事故で記憶を失い、自分のことも忘れていた。
例えティエリーが自分のことを忘れてしまっても、側にいられるならそれでいいと思っていた。――それなのに、ティエリーには婚約者がいたなんて。
彼の記憶が戻るのを待つつもりでいたのに、結婚式? 婿?
初めて知った事実にロザリンは打ちのめされて、一人で声を殺して泣いていた。
「――ロザリン」
ふいに誰かが横に座って自分を抱きしめるのを感じたロザリンが、膝を抱えたまま顔を上げると、そこにはヴィクトルの顔があった。
「一人で泣くな」
「……知っていたのね。……婚約者がいるって」
ロザリンはヴィクトルの腕から逃れるように立ち上がって、泣いて赤くなった目でヴィクトルを睨みつけた。
「お前が傷つくだけだ。やめておけ」
「……わたしのことは放っておいてって言ったでしょ」
ゆっくりと立ち上がったヴィクトルは、自分を睨みつけるロザリンをそっと抱きしめた。
「俺にしろ。――お前が好きだ」
ロザリンは両手でヴィクトルの体を押しやり、その腕の中から抜け出ると、頬に残る涙を手の甲で拭った。
「からかわないで。あなたとわたしじゃ身分が違い過ぎる」
そのロザリンの言葉に、信じられないとばかりに頭を左右に振ったヴィクトルは、やがて自嘲するようにぽつりと零した。
「俺はダメでも兄上ならいいのか? ――玉の輿でも狙っているのか? ……どうせ俺は次男だからな」
「馬鹿にしないで!」
「兄上の婚約者はノアイユ公爵家の一人娘だ。お前が逆立ちしたって勝てるわけがない。側女にしかなれないぞ。……それとも最初から側女狙いか」
顔を歪めて侮蔑の言葉を吐くヴィクトルを、ロザリンは目にいっぱいの涙を溜めて睨みつけた。
「あなたには関係ない。わたしのことは放っておいて。もう構わないで!」
そう叫び終えるや否や、そこから走り去ったロザリンを、深い後悔の表情を浮かべながらヴィクトルは見ていた。
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