16. その瞳に映すのは
その日ロザリンは、侯爵夫人の命令で広間でティエリーとダンスの練習をしていた。
ヴァロワ侯爵家の長男であるにも関わらず、ティエリーは長く田舎にいたために貴族として必須のダンスが踊れなかった。
体調が回復次第、少しずつ社交に慣れていかねばならないのに踊れないのは致命的だと、侯爵夫人の命令でティエリーはロザリンを相手に毎日ダンスの練習をしていた。
とは言っても、ただの村娘のロザリンが貴族のダンスなど踊れるはずもなく、踊れない者同士がぎくしゃくとぎこちない動きで広間を動き回っていた。
「何ですか、そのみっともない踊りは。もっと近づいて。ティエリー、あなたが先んじて動くのですよ」
侯爵夫人の厳しい声に、ティエリーとロザリンは困ったように顔を見合わせた。
急かすような侯爵夫人の視線に押されて、ティエリーは遠慮がちにロザリンの腰に手を回した。そしてその体を自分の方に引き寄せようとすると、ロザリンは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。
そのロザリンの反応にティエリーもつい躊躇ってしまって、妙に離れた位置で二人は向き合って踊っていた。侯爵夫人の指導を受けて、どうにか頑張って体を密接させると、今度はティエリーの鼓動が早まっているのがロザリンに伝わる。
お互いに意識し過ぎて、下手な動きがさらにぎこちなくなってしまっていた。
「あっ」
ふいにティエリーがロザリンのドレスの裾を踏んでしまった。それに気づかずに動いていたロザリンがティエリーを巻き込んで床に倒れる。
咄嗟にティエリーが庇うようにロザリンを抱えて、ティエリーの体の上にロザリンが圧し掛かるような体勢で二人は床に倒れた。
「ごめんなさいっ」
慌てて起き上がろうとするロザリンを、ティエリーが制する。
「――待って。……少しの間、このままで。……どこかで、こんなことが、……あったような気がする」
何かを思い出そうとしてぼんやりと宙を見ていたティエリーが、やがて視線を自分の体の上にいるロザリンに向けた。
心配そうに自分の顔を覗き込むこの榛色の瞳を、ティエリーはどこかで見たような気がした。
あれは、どこだったか。……あれは、誰だったのか。
「……若様?」
「……ロザリン、……私は、君と、……どこかで、会った?」
ロザリンを抱きかかえるティエリーの腕に力が入る。ぐっとロザリンを強い力で抱き寄せて、その瞳を覗き込む。ロザリンはティエリーの胸に手を置いて、真っ直ぐに自分を見つめる青灰色の瞳を見つめ返していた。
「……ロザリン」
自分の名を呼ぶティエリーの鼓動が手を通して伝わってきて、それに呼応するようにロザリンの胸の鼓動も早くなっていった。
「……ティエリー」
目に涙を浮かべ、唇を震わせて自分の名を呼ぶロザリンに、ティエリーの胸はまるで射貫かれたように震えた。ティエリーが思わずロザリンの後頭部に手を添えて自分の方へ引き寄せようとした瞬間、大きな声が広間に響き渡る。
「何をしているっ!」
ヴィクトルだった。
広間の入り口で、顔を真っ赤にして身を震わせながらティエリーとロザリンを見ていたヴィクトルが、カツカツッと靴音を立てて二人に近づいてくる。そしてティエリーの上に圧し掛かっているロザリンの腕を強く引いて立たせた。
驚くロザリンを強くその腕に抱きしめたヴィクトルは、絞り出すように声を上げた。
「……兄上でも絶対に渡さないっ。お前は俺のものだっ」
思いの限りをぶつけるように、ぎゅううっと力を込めて自分を抱き締めるヴィクトルに、たまらずにロザリンは声を漏らした。
「く、るしい……」
その時、ぱんぱんぱんっと手を叩く音が広間に鳴り響いた。
「そこまでよ、ヴィクトル。練習の邪魔をするのはよしてちょうだい。時間が無いの」
ロザリンを離すように促す侯爵夫人に、ヴィクトルが恨めしそうにちらりと視線をやる。
「ロザリンの練習相手なら俺がやる。ロザリンには俺が教える」
「何を言っているの。練習が必要なのはロザリンではなく、ティエリーの方よ。それとも、あなたがティエリーの相手を務めるとでも言うの?」
「うっ。……ロザリンが兄上の相手をするくらいなら、俺がやる」
一瞬言葉に詰まったヴィクトルが、自分の腕の中にいるロザリンに視線を落とした。そして意を決して顔を上げたヴィクトルに、侯爵夫人がにっこりと微笑む。
「いい覚悟ね。それなら早く着替えていらっしゃい」
「え?」
「あなたも見ていたでしょう? ティエリーはドレスの裾を踏む癖があるのよ。それを修正するためには、相手役がドレスを着ていないと練習にならないの。さっ、早くドレスに着替えていらっしゃい」
「うっ……」
これにはさすがにヴィクトルも返事に困って唇を噛んだ。
「待って、ヴィクトル。わたしなら大丈夫だから。今度こそ失敗しないようにちゃんとやるから。……わたし、あなたのドレス姿は見たくないわ」
自分の腕の中で、困惑したような笑うのを我慢しているような微妙な表情のロザリンを見て、ヴィクトルはその腕の力を緩めた。そしてロザリンの両肩を掴んで、その目を覗き込んだ。
「ロザリン、決して兄上を見ないと約束してくれ。お前のこの瞳に映すのは俺だけだと言ってくれ」
「……何を言っているのよ。見ないと練習にならないでしょ」
ヴィクトルの無茶な言葉に呆れながらロザリンが答える。
「俺のことを思い浮かべればいい」
「わたしにそんな器用なことが出来るわけないでしょ」
まるで逃げるようにロザリンが体を翻して、粘るヴィクトルのその腕からすり抜けた。
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