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14. 夢のような提案

 食事が来ることを伝えてあったのか、すでにティエリーはベッドの上に体を起こしていた。真っ青な顔をして、力のない笑顔を浮かべている。


 村にいた時には見たことの無いティエリーのその弱った様子に、ロザリンの胸は締め付けられそうだった。一緒に丘の上から家まで走って帰った、あの時のティエリーの面影はそこには無かった。


「兄上、スープだ。食べられそうか? 俺が体を支えていようか?」


 ヴィクトルが差し出すスープを青白い顔で受け取ったティエリーは、それをスプーンで少しだけすくって口に入れた。そして一口だけ食べて目を閉じ、そのまま動かなかった。

 なかなか次を口にする気配のないティエリーに、その場にいた侯爵夫人と主治医のアルベール先生がやはりダメだったかと顔を見合わせた。


 ロザリンが祈るように胸の前で手を合わせていると、ゆっくりと目を開けたティエリーがぽつりと呟いた。


「――――優しい味だね。……美味しい」


 手に持ったスプーンでまた一口、また一口と口にするティエリーにヴィクトルが自慢気に話しかける。


「これは、ロザリンが兄上の為に作ったんだ」

「……君が作ってくれたの? ありがとう。とても美味しくて、……どこか懐かしい味だね」


 そう言って自分に微笑むティエリーに、ロザリンは泣き出してしまいそうだった。記憶を失くして自分のことを忘れてしまっていても、自分の作ったスープの味をティエリーが覚えていてくれたことが嬉しかった。


「お替わりをしてもいいかな?」


 ヴァロワ侯爵家の料理人の作るどんな料理も口に合わなかったティエリーが、ロザリンの作ったスープを完食したのを見て、侯爵夫人が奥様が笑いながら侍女にすぐに持ってくるようにと言いつけた。


 ティエリーが食べ終えたのを嬉しそうに見ていたヴィクトルが、ロザリンの元へ来て尋ねた。


「ロザリン、どうして兄上の好みが分かったんだ?」

「えっ? あ、えっと、その、お顔立ちで? 何となく、お好きかなと思って」


 ずっと一緒に暮らしていたから知っているとは言えずに、ロザリンは言葉を濁した。その適当な言葉を鵜吞みにしたヴィクトルが、目を輝かせてロザリンを見る。


「じゃあ、俺は? 俺の顔立ちだと、何が好きそうなんだ?」

「ヴィクトルは、えっと、肉、かな?」

「当たりだ! 俺にも何か作ってくれないか。俺もお前が作った料理が食べてみたい」


 まるで子供のようにはしゃぐヴィクトルにロザリンが困り果てていると、やがて侍女がロザリンの作ったスープのお替わりを持って来た。


 それを受け取ったティエリーがスプーンで少しずつ口にしていく。ゆっくりと噛み締めるように食べるティエリーを見ながら、ロザリンは昔を思い出していた。


 祖父がまだ元気だった頃、裕福ではなかったけれど、毎日三人でいろんな話をしながら食事をしていた。その日採れた野菜の話、明日の天気の話、今日はどこで誰と会ってどんなことがあって。そんな些細なこと話しながら、笑いながら三人で食事をしていたあの日が懐かしい。


 今はもう身分が違うことは分かっているけど、それでもティエリーの側にいたい。ティエリーを支えたい。何か自分に出来ることは無いだろうか。

 そんなことを考えながら、ロザリンはじっとティエリーを見ていた。


「ごちそうさま」


 お替わりのスープを食べ終えたティエリーの頬に、ほんの少しだけ赤みが差して見えた。


「こんなに食べる兄上は初めて見た」

「……本当にそうね」


 嬉しそうにティエリーを見るヴィクトルの言葉に侯爵夫人が頷いた。そして、しばらくティエリーを見ていた侯爵夫人は、その視線をロザリンに移すと軽く首を傾けて尋ねた。


「――どうかしら。あなた、ティエリー付きの侍女にならない?」


 思いがけない侯爵夫人のその言葉にロザリンは息を呑んだ。


「今まで、顔立ちを見ただけでティエリーの食の好みが分かる人なんていなかったし、あなたのようなよく気がつく娘がティエリーの側にいてくれたら、わたくしも安心だわ」


 ……ティエリー付きの侍女! ずっとティエリーの側にいられる!

 その夢のような侯爵夫人の提案にロザリンが目を輝かせていると、ヴィクトルが慌てた様子で話に割って入って来て、ロザリンを抱きしめた。


「ロザリンが兄上の侍女なんてダメだ! 俺は認めない。侍女になるなら、兄上じゃなくて俺の侍女になればいい」


 ぎゅっとまるで囲い込むようにロザリンを抱きしめるヴィクトルの様子に、ティエリーと侯爵夫人が呆れたように顔を見合わせる。

 ティエリーの前でいきなり抱きしめられたロザリンは、慌ててヴィクトルの腕の中から逃げ出した。ティエリーにどう思われただろうかと心配しながら見ると、彼が微笑まし気に自分とヴィクトルを見ているのが、ちくりとロザリンの胸に刺さる。


「あなたは出歩いてばかりで、屋敷にほとんどいないじゃないの。あなたより、ティエリーの方がこの娘を必要としていると思うわ」


 侯爵夫人が呆れながら諭す言葉を無視して、ヴィクトルは強い視線でティエリーを見る。


「それでもダメだ。いくら兄上でもロザリンは渡さない。……何かあったらどうするんだ」

「心配しなくても、お前の大事な人にそんなことはしないよ」


 どうやらティエリーは、ロザリンがヴィクトルの恋人だと思っているようだった。

 にこやかにヴィクトルに笑いかけるティエリーを見たロザリンは、我慢できずにティエリーの前に駆け寄った。


「違います! ヴィクトルとは何でもありません! 誤解しないで下さい!」


 ティエリーのベッド横に膝をつき、まるですがるようにロザリンは声を上げた。


「――――決まりのようね」


 ちらりと横目で侯爵夫人がヴィクトルを見る。ヴィクトルはそれに気づかずに呆然としてロザリンを見ていた。

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