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1. 都からの馬車

 風が吹き抜ける小高い丘に、少女が一人立っている。

 明るい栗色の長い髪が風になびき、(はしばみ)色の大きな瞳はきらきらと輝いていた。


「ロザリン!」


 背後からの自分を呼ぶ声に、少女は大きく手を振りながら答えた。


「ここよ、ティエリー!」


 すらりと背の高い金髪の青年が、自分に向かって背伸びをしながら手を振るロザリンに笑顔で返す。丘を駆け足で登ってきた青年ティエリーは、丘の上から何かを見下ろしているロザリンを後ろから抱きしめながら声をかけた。


「何か面白いものでも見えるの?」


 親し気に頬を寄せるティエリーにいつものように頬ずりを返しながら、ロザリンはそこから見える我が家を指差した。


「ほら、見て。うちの前に馬車が停まっているの。あんな立派な馬車、見たこと無い。きっと都から来たのよ。……でも、うちに何の用かしらね?」

「本当だ。……あれ、馬車から降りてきた人、貴族みたいに見えるけど」

「ええっ? お貴族様が我が家に何の用!?」


 ティエリーの腕の中に収まったまま、ロザリンは身を乗り出すようにして眼下の光景に目を凝らした。

 

 古びた我が家の前に、不釣り合いな立派な二頭立ての馬車が停まっている。そして、その横で祖父と貴族らしき男性が話し込んでいるのが見える。しかも、その立派な身なりの男性が祖父に向かって頭を下げているようだ。


「……どういうこと?」

「さあ?」


 自分が見ている光景が理解出来ないロザリンが、困惑した表情でティエリーを見上げる。自分に聞かれてもと言わんばかりに、ティエリーが肩を竦めた。 


「ティエリー、急いで帰るわよ!」


 ロザリンはティエリーの手を取って、一気に丘を駆け下りていった。





 山間の小さな村の古びた小さな家。

 そこにロザリンは祖父と二人で暮らしていた。 

 生まれてすぐに流行り病で両親を亡くしたロザリンを不憫に思った祖父は、惜しみなく愛情を注いで彼女を育てた。


 あれはロザリンが一歳になったばかりの頃だった。

 山に猟に行った祖父が、幼い子供を抱いて帰って来た。

 山道で気を失って倒れていたというその子供は、酷く恐ろしい目に遭ったらしく記憶を失くしていた。覚えているのは、自分の名前と歳だけ。

 哀れに思った祖父は、その子供を親が探しに来るまでの間だけ預かって育てることにした。

 そして、誰もその子を探しに来ないまま十三年が過ぎた。


 その子がティエリー。

 四歳だったティエリーは十七歳になり、いつしか共に育ったロザリンと愛し合うようになっていた。二人は祖父の許しを得て、来年の春にロザリンが十五歳になったら結婚する約束をしていた。



 ロザリンとティエリーが丘から帰って来た時には、家の前に停まっていた立派な馬車はすでに去った後だった。

 地面に残った(わだち)を見ながら、ロザリンはつまらなさそうに口を尖らせた。


「あんな立派な馬車、こんな田舎じゃ滅多に見られないから、一目近くで見てみたかったわ。……ねえ、おじいちゃん、うちに何の用だったの?」


 祖父は古びた玄関戸を開けて、ロザリンとティエリーに家の中へ入るよう促した。


「こんな貧しい家に用なんてあるわけないだろう。ちょっと道を尋ねられただけだよ」

「わざわざ馬車から降りて? ご丁寧な人ねえ」

「……そんなことより、ロザリン。今度の日曜の昼にアンヌおばさんの所へ行って来てくれないか? お前の手が借りたいって頼まれていたのを忘れていたよ」

「それなら、ティエリーも一緒に行ってもいい? 手が借りたいなら、私一人よりもティエリーと二人の方がきっとアンヌおばさんも助かるでしょ?」

「ティエリーはダメだ!」


 突然声を張り上げた祖父に驚いたロザリンは、横にいるティエリーと思わず顔を見合わせた。

 

「……どうして?」

「……あ、ティエリーは、わしの手伝いをしてもらわなきゃいかんからな。アンヌおばさんの所へは、お前一人で行って来てくれ」


 アンヌおばさんの家は村のはずれにあり、この家からは少し遠かった。

 ティエリーと話をしながら行けばすぐの距離も、自分一人ではちょっと遠い。そう思いながらも、普段から何かと世話を焼いてくれるアンヌおばさんの頼みなら仕方ないと、ロザリンは一人でそこに行くことにした。


「分かった。今度の日曜の昼ね、行ってくるわ」


 ロザリンの返事を聞いた祖父はほっと胸を撫でおろした。

 可愛い孫娘が傷ついて泣く姿を見たくは無かったのだ。





 そして迎えた日曜日。

 ロザリンは祖父に言われたとおりに、村はずれのアンヌおばさんの家に来ていた。

 アンヌおばさんはロザリンの祖母の友人で、祖母が亡くなった後も、何かと祖父とロザリンのことを気にかけてくれる面倒見のいい女性だった。


「――それでね、ハンスったら働きもしないで毎日出歩いて遊んでばかりで、本当に困った子なのよ。昨日もね……」


 手が借りたいと頼まれて来たはずなのにと、ロザリンはお茶を飲みながらちらりとアンヌおばさんの顔を見た。訪ねてきたロザリンを快く迎え入れてお茶を勧めてくれた後は、アンヌおばさんはずっと出来の悪い息子の愚痴を話し続けている。

 こんな話がいつまで続くのか。とうとう痺れを切らしたロザリンが口を開いた。


「あの、アンヌおばさん。何か手が足りなくて困っていることがあるんでしょう? わたし、おじいちゃんに言われてお手伝いに来たの」

「いいのいいの。そんなことより、ちょっと聞いてよ。あ、お茶のお替わりはどう?」


 のん気に笑いながらお茶のお替わりを勧めてくるアンヌおばさんに、ロザリンは困り果ててしまった。

 用事があるから呼ばれたはずなのに、いつまでものんびりお茶など飲んでいては帰りが遅くなってしまう。さっさと用を終わらせて帰りたいのに。


「そうだ、ロザリン。晩御飯を食べていきなさいな。その方がゆっくり話も出来るし」


 アンヌおばさんが自分に用を頼む気が無いことをやっと察したロザリンは、ぐいっとお茶を飲み干した。


「アンヌおばさん、用が無いなら、わたし帰るわ。おじいちゃんが待ってるから」

「あら、こんなに早くに帰ったら、おじいさんに怒られるわよ」


 アンヌおばさんはお茶のお替わりを用意しながら、何気なくロザリンに言葉を返した。すぐに、あっと小さく口を開けて気まずそうにロザリンを見たアンヌおばさんは、席を立ちかけた彼女が怪訝そうな顔をしているのに気づくと、慌てて視線を逸らした。


「……どういうこと?」


 いつもと違うアンヌおばさんのその様子に、ロザリンは胸騒ぎを感じた。


「えっと、その、わたしは何も知らないわよ」

「アンヌおばさん!」

「……ああもう、分かったわよ、白状するわよ! ……おじいさんに頼まれたのよ。あなたを足止めして、どうにか時間を稼いで欲しいって」

「どうして、そんなことを?」

「……ティエリーの身元が分かったそうよ。今日の昼に、都から親御さんの使いが迎えに来るらしいの。それで、……」


 アンヌおばさんの話を聞き終わらないうちに、ロザリンは通りに駆け出していた。




 ……ティエリーの身元が分かった!? ティエリーがここを出て都へ行く? どうしておじいちゃんはわたしに話してくれなかったの? ティエリー、わたしを置いていかないで! ティエリー! 


 数日前に我が家の前に停まっていたあの立派な馬車は、ティエリーの親からの使いだったに違いない。道を聞かれただけなんて言って、祖父が誤魔化したあの馬車は、ティエリーをこの村から連れて行くための物だったのか。

 ロザリンは、今頃気づいた自分が歯痒かった。


 都へ行くには山を抜けなければならない。村から山までは一本道だった。ロザリンはその道を目指して一心に走る。

 やがて山へと続く一本道が見えてきた。ロザリンが無我夢中で駆けていると、見覚えのある馬車が目の前を通り過ぎる。


「ティエリー! ティエリー!」


 恋人の名を呼びながら、ロザリンは懸命にその馬車を追いかけた。けれどティエリーを乗せた馬車は停まる様子もなく、土埃を巻き上げながら走っていく。


「ティエリー! ティエリー!」

「ロザリン!」


 土埃にまみれながら必死にロザリンが追いかけていると、馬車の窓が開いた。そこから身を乗り出したティエリーが、ロザリンに向かって大声で叫ぶ。


「必ず迎えに来る! それまで待っていて!」

「ティエリー、行かないで!」


 どんどん遠ざかる馬車をロザリンはひたすらに追いかけていた。ずっと全力で走り続けていた足にはいつしか限界が来ていて、道の凹凸に足を取られたロザリンは、そのままつんのめるように転んでしまった。そして、ロザリンが土で汚れた顔を上げた時には、ティエリーを乗せた馬車は遥か遠くで小さくなっていた。


 土埃にまみれ土で汚れたロザリンの頬を涙が流れる。

 泣きながら立ち上がったロザリンは、どこまでも続くその道の先を見据えながら一人でその場に立ち尽くしていた。

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