再戦のヒーロー
初めて書いた異世界系の小説なんで、わかんない事だらけで大変でしたが、楽しかったんでオールオッケーです。
幼い頃に夢見たスーパーヒーロー。悪者をやっつける格好いいスーパーヒーローに、おれは成らざるを得なくなってしまった。
私立星海高校2年、藤崎拓也。今日も授業を受けて飯を食って部活をやって帰るだけのつまらない学校生活を送るだけのただの冴えない高校生だ。そんなおれでも一つくらい楽しみはある。
「たっくん!今日もかーえろっ」
「んあぁ、三咲か。急に話しかけられるとびっくりするじゃん」
「えへへ、ごめんごめん」
高梨三咲。同じく星海高校2年の幼馴染だ。家が近いこともあって小学校から高校まで一緒に帰っている。ラブコメ系の小説や漫画だったら、こういう幼馴染に恋をする主人公は最終的に結ばれるのだろうが、残念ながらここは現実だ。おれが三咲を好いてもきっと結ばれることはない。はぁ、そういう世界の主人公に生まれてたらなぁ。
「どうしたの?わたしと帰るの嫌?」
「いやっ、そうじゃないよ。ただ、なんか漫画とかアニメの世界に生まれてたらいいのになって思っただけ」
「ふふっ、たっくんは馬鹿だなぁ。そしたら――」
三咲が言葉を最後まで言う前に、突如として後ろでとんでもない爆撃音が鳴り響いた。おれと三咲は予想すらできない出来事に後ろを振り返ると、そこには煙幕にうつる人型のシルエットがあった。
「人が……う、浮いてる……」
そう、明らかにその人影の両足は地面についていない。
呆気にとられていると徐々に煙幕が晴れ、遂には姿を現した。それは、赤い肌に黒い幾何学的な入れ墨のような模様、立派な二本のツノに威圧的な金色の眼、それは人型ではあるものの、人間と定義するには明らかにかけ離れている悪魔のような体躯の生物だった。
「あっやべ、バレちった」
悪魔はおれの方を見てそう呟く。刹那、おれは物凄い衝撃に吹き飛ばされた。
「ぐぁぁあああああ!!がふっ!!」
壁に強打。骨と壁が砕ける音とともに鈍い衝撃が背中から全身に伝い、おれはその場に頽れる。視界が眩む中、悪魔の声が近づいてくる。
「なんだよ、ちっと軽く殴っただけなのによぉ」
(おれ、今軽く殴られただけなのか……?)
「まぁ、ここで死んでもらわないと、後々困るんだよね」
おれは必死に言葉を探す。
「お……ねがい、たす……けて……くれ」
あぁ、情けない。スーパーヒーローに憧れたって結局、死に際に立たされた人間は命乞いをする。死にたくないから。怖いから。苦しいから。
「まぁお前、動けなそうだし、先にあっちの女殺しておくか」
「……え?」
あっちの女……三咲!それだけは嫌だ。三咲が死ぬのだけは嫌だ。でも、痛くて動けない。誰か、誰か助けてくれ。スーパーヒーローでも、神様でもなんでもいいから、どうかおれらを助けてくれ!
「やめて!」
「抵抗すんなよ、急所を外したら苦しむだけだぞ?」
おれはただ必死に抵抗する三咲を眺めていることしかできなかった。
「助けて!お願い!たっくん!!」
その時おれの中に稲妻が走った。
「おれ、馬鹿かよ。」
失意の微笑。今ここでスーパーヒーローなんか望んだって都合よく来る訳ない。おれが……おれが助けるしかないんだ!でも、足が痛みと竦みで思うように動かない。頼む、立てよ、立ってくれよ!
「うおぉぉぉおおおおうりゃぁあああああ!!!」
おれが走り出したのと同時に、三咲は悪魔に突き飛ばされた。
「やめろぉぉおおお!!!」
おれは全力で走った。体育の短距離走なんか比にならないくらい速いスピードで。そしてそのままその勢いと怒りを込めた全力パンチを、悪魔の背中に叩き込んだ。
か細い息切れ。もうこれ以上なにもできない程に困憊していた。
「なにそれ、お前の全力?しょぼ。」
そう、おれには力がなかった。それと度胸もなかった。全力とは名ばかりの情けのパンチ。仮に全力だったとしても、軟弱でブレっブレなパンチ。この悪魔に、おれは何もかも及ばなかった。
次の瞬間、おれは悪魔に腕を掴まれ、まるでボールを投げるかのように三咲の方向へ投げ飛ばれた。
恐らく十数メートル飛んだだろう、悪魔との距離はだいぶあった。
「ぐっ……」
完全に折れてる。もう腕がおかしな方向を向いて感覚がない。そんなおれの腕を見て三咲が言う。
「たっくん、大丈夫?」
そう心配する三咲も血塗れ、もうおれらに勝機なんて残されていなかった。
「だい、じょうぶだ……けど、もう……終わりみたいだな」
足音のしない悪魔はもう既におれたちの目の前にいた。終わりだ、それを実感するとなぜだか少し笑えてきた。
「弱いくせにしぶとく生き残りやがってよ。めんどくせぇ」
悪魔がおれたちに手をかざした。
「あばよ」
その一言でおれの視界は闇に包まれた。
*
限りなく静寂、絶え間なく感じる光、おれは、死んだのだろうか。なら三咲も、三咲も死んでしまったのだろうか?嫌だ、それだけは嫌だ、お願いします神様、どうか三咲だけは――
「う、うぅ。」
「隊長、目が覚めました」
「……え?」
ぼやける視界に白色の天井、ここ病院か?
「あの、おれ、生きてます?」
「はい、奇跡的に。あんな攻撃を至近距離で受けて生きてた人間は多分あなたが初めてですよ」
看護師のような女性がおれにそう言う。
「おれが……初めて?」
初めて。その言葉を聞いておれは青ざめた。
「……っ!?おれが初めてって、三咲は!?おれと一緒にいた女の子は、無事なんですか!?がぁ、痛ってぇ!」
「そんなに急に体を起こせば、痛いのも当然ですよ。その女の子は――」
「いや、俺に代われ。この話は俺にさせてくれ」
「隊長……了解です」
隊長と呼ばれる人がおれのベッドの前に座る。
「俺は魔族討伐班一番隊隊長のネクだ。別に名前は覚えなくていい」
「……その、三咲は無事なんですか?」
「そのことに関しては、すまない。我々の失態だ」
「……え?」
「間に合わなかった、申し訳ない。」
おれは頭が真っ白になった。三咲が死んだ。信じられなかったし、信じたくなかった。
「でも君は幸運だったな」
「……幸運?」
「あぁ、その女の子が君の前に出て君を庇わなかったら、2人とも死んでいた」
「三咲が、おれを……?」
その時おれは思い知った。ヒーローはおれなんかじゃない。三咲の方がよっぽどヒーローだ。おれはあの時、死を待ち侘びることしかできなかった。三咲を心配することすらできなかった。
「そんな、おれ、おれ……」
悔しさでいっぱいだった。守れなかった。助けられなかった。好きだと伝えられなかった。そんな想いが涙となって溢れる。それでも収まらない。おれは数え切れない後悔と悲しみと怒りを込めた握り拳を思いっきりベッドの隣にあった棚に打ち付けた。
ドォォオオン
その瞬間、凄まじい衝撃音が部屋中に響いた。隊長は驚いていた。それ以上に、おれが驚いていた。
「……君、一体なにを……?」
「……おれにも、わかりません……」
「隊長さんよ。ちょっと席を代わってくれはしないかい?」
「マリナ……」
「隊長さん、ほれ、邪魔邪魔」
「お前勝手に……ちっ、分かったよ」
「へへへ、ありがとう」
そう言って次におれの前に座ったのは、白衣を着た緑髪のマリナと呼ばれる女性。丸眼鏡の奥には黒い三日月がぶら下がっている。
「君さ、元はこんな能力なかったの?」
「は、はい……」
おれはマリナさんから感じる謎の圧力に狼狽えていた。
「そっかぁ。能力ってね、絵みたいなものなんだ」
「絵?」
「そう、絵。例えば元の君は真っ白いキャンバスだ」
そう言うとマリナさんはポケットから小さなキャンバスを取り出し、焼け焦げてほぼ原型がない棚の上にそれを置いた。
「そこに例えば赤色の絵の具を垂らすとどうなると思う?」
「……垂れた場所が赤くなる」
「そう、正解!偉いねぇ。つまりそんな感じ」
「……え?」
「君の世界の人間はみーんな能力なしの真っ白いキャンバスってこと。でも君はあの攻撃を受けてちょろっとだけそのキャンバスに色がついたの、どう、分かった?」
「は、はい」
理屈はわかった。でも信じられない。
「まぁ、それを使いこなすのは面倒臭いからさ、僕の研究所で能力剥がしてあげよっか?」
「……え?そんなことできるんですか?」
「もちろんできるよ。本当は捕まえた悪い子にお仕置きをするようなんだけどね。あぁ、大丈夫痛いから」
「何が大丈夫なんですか……」
「兎に角、その怪我が治ったらおいでよ」
言い終わるとマリナさんはじゃあねと軽くおれに手を振って立ち去ろうとした。
「あ、待ってください!」
「ん?つまらなかったら殺すよ?」
呼び止められたことが気に食わなかったらしく、マリナさんはおれを睨んだ。
「その、おれ、この能力であの悪魔をぶっ殺したいです」
最初は驚いた顔をしていたマリナさんだったが、口元に笑みを浮かべ、最後には吹き出した。
「えぇ!なにそれちょー面白いんだけど!そんなしょぼっちぃ能力でどうやってぶっ殺すの?」
「でもおれ、本気っす」
「そうかそうか、君は可愛い子だね。じゃあいいよ、僕が精一杯特訓してあげる」
「あ、ありがとうございま……痛ってぇ!!」
おれが頭を下げようとする前に、おれはマリナさんに抱きつかれていた。
「って、マリナさん痛いですって!」
「そうだったそうだった、君は怪我人だったね、ごめんごめん」
そう言うと彼女は悪戯に笑った。
「それじゃあ、僕から隊長さんに話は通しておくから。あぁ安心して、僕、偉いらしいからさ」
「そ、そうなんですね、ありがとうございます」
「怪我が治ったらその怪我の5倍ぐらい痛い訓練が待ってるから楽しみにしててね」
「……はい」
そう言うとマリナさんは部屋から出ていった。
あの悪魔をぶっ殺す。それがおれがスーパーヒーローになる最後のチャンスだと思った。もう後には引けない、でも怖くて仕方ない。今にでも逃げ出したいけど、そうしたら三咲に顔向けできない。
幼い頃に夢見たスーパーヒーロー。悪者をやっつける格好いいスーパーヒーローに、おれは成らざるを得なくなってしまった。
*
あの日から1ヶ月後、特殊すぎる治療で完治したおれは、初めてこの建物から出た。
「な、なんだここぉぉおお!!」
出た先にあったのは、明らかにおれがいた世界ではない街並みが限りなく続いく世界だった。今どきオレンジレンガの家に住んでるやつなんていないし、籠に入った果物売り場なんて見たことなかった。ここがマリナさんが暮らす町『マーツハータウン』だ。
「驚いた?君の世界と全然違うでしょ?」
「こんなの漫画とかアニメとかでしか見たことないっす……」
「あはっ、なにそれ、面白いこと言うねぇ。まぁ今日までは楽しんできなよ。明日から体ボロボロにしてあげるからさ」
「その言い方やめてくださいよ……」
悪戯に笑うマリナさんは、初日同様、恐ろしかった。
街を歩いてるといろんな店があった。怪しい液体を扱う店、大型の爬虫類がいる店、銃や剣がぶら下がってる店と、実に様々。
「いろんな店があるんすね」
「まぁ、まず君の世界じゃ見ないものばかりだね」
おれはなんとなくさっきの店の剣を手に取ってみた。
「カッケェ……」
「あはっ、それを使うのは魔術とかそういうのを使えない子だけ。君はしょぼっちぃけど使えるから別に必要ないよ。あとその値段のものはいざという時に役に立たない狩用だし」
その値札には5万リコと書かれていた。
「これってどれくらいの値段なんですか?」
「んー、若干の違いはあるけど円と同じくらいだよ」
「五万円の剣……」
「そんなに欲しいなら買ってあげるよ」
「え?」
「僕の金じゃないし、そんぐらいなら経費から降りるし、勝手に使ってもバレないから」
「そんなもんなんですね……」
マリナはなんともないように硬貨のようなものを店主に渡して剣を持ってきた。
「ほら、あげる。まぁ実戦じゃおもちゃと同等の剣だから、あんまり信用しないようにね」
「こんなに尖ってんのに、おもちゃ……」
「そりゃぁ、君を殺そうとしたやつにこれで戦おうっちゃ無理があるだろ?」
「確かにっす……」
あっさり言いくるめられてしまって気が沈む。
「それじゃあ、好きに見てきなよ。僕は帰って寝てるからさっ」
「え、あ、はい」
そう言った時、マリナの姿は無く、既に人混みの中へ消えていた。
賑わう街。おれの知ってる都会とはかけ離れた都会が、おれの前に広がっている。
「すげぇなぁ……」
雑な舗装が施された石の道をただ歩いて行く。見慣れない果実や野菜、料理なんかが並んでいて、まるでお祭みたいだった。
「にしても、腹減ったなぁ」
お腹がグゥっと間抜けな音を立てて鳴く。でも辺りを見渡しても自分が、というか人間が食べられそうな食べ物がない。
(何か、ないか?)
色々探してると、見慣れた姿の食べ物がそこにはあった。
「手羽先?」
そう、そこには完全に手羽先唐揚げの形をした鳥肉が幾つも吊り下げられていた。いやでも、もしかしたら似た何かかもしれない。そう思ったおれは店主さんに聞いてみることにした。
「あの……すいません」
「あい、いらっしゃい!うちは珍しい肉を取り扱ってるよぉ!」
「珍しい、肉ですか?」
「そうそう、これはどことは言わないけど別世界でしか取れない鳥、クックルーバードの肉なのさっ!」
「くっくるーばーど?」
「そう、こいつさ!」
店主の女性が堂々と店の奥を指を指す、そこにいたのは鉄の檻に詰められた鶏だった。これならおれでも食べられる。安心しておれは一つ買おうとした……が、おれは一リコも持っていなかった。マリナさん、楽しんでなんて言って一文なしで空腹な男を一人にしないでくださいよ……。
「すいませ〜ん、これ二つくださ〜い」
「あれまぁマリナさんじゃないですか!いつもお疲れ様です」
「え?マリナさん?」
後ろを振り向くとそこには、何か食べかけの饅頭のようなものを片手に持ったマリナさんがいた。
店主にお金を渡し、おれの方を向く時、マリナさんの顔が一変した。
「ごめん、楽しんでって言ったけど状況が変わった。今すぐ帰るよ」
食べかけの饅頭を持ちながらだが、マリナさんの表情は真剣だった。
「一体どうしたんです?」
「戦況が、悪化した」
『隊長』とか、さっき買った剣とか、ここが平和な場所じゃないことは勘づいてた。けど……
「君には今すぐ戦場に出てほしい」
「はい?」
最初、何を言われてるのは全くわからなかった。訓練もなしにもう戦場?え?
「あ、あの、訓練は?」
「訓練?あぁ、まぁいらないっしょ。うちの隊はろくに訓練も受けてない精鋭部隊だから」
「ちょっとよく分かんないです」
「実戦が一番の訓練ってこと!つべこべ言わず受け入れろ!もしくはここで死ぬか?」
マリナさんは机に積まれていた大量の書類を右手で思いっきり振り払った。会った時から思ってたけど、この人やっぱ情緒不安定だろ……。
「い、いや、行きます……」
まぁ、ここで死ぬのも嫌だし、おれは渋々承諾。
「そんな後ろ向きじゃ、庇ってくれた女の子に失礼だぞ?」
「……っ」
それを言われちゃ何も言えない。
「それじゃ、行くよ!」
おれはマリナさんに強引に手を引かれ、マリナさんの車のようなものに乗せられた。
車で数時間、さっきまでの街並みが嘘だったかのように荒れ果てた地、クレーターのように凸凹した地形、焦げた土のにおいが、おれの感覚に『ここは危険』と語りかけてくる。
「ここは?」
「今日の戦場」
「せ、戦場!?どうしてここってわかったんですか?」
「僕達の技術を舐めるなよ?」
「あ、はい、すいません……」
マリナさんの睨む顔は、毎度怖すぎる。
戦場に来たからということもあって、マリナさんはいつもより真面目な顔をしていた。笑ってないといつもより一層隈が目立つ。
「君はとりあえず僕の後をついてきてよ。君のその目で見て、敵が何か、殺し方、立ち回りを理解してくれ」
「わ、わかりました」
情けないことに、おれの声と体は震えている。
「あと注意、ろくに使えもしない力を過信しないこと、背中の剣を頼りにしないこと、いいね?」
「は、はい」
「返事は了解、そろそろ来るよ」
「は……了解」
快晴。そんな天気に似合わないような地表の茶色。1秒が何倍にも感じられて気が狂いそうだ。でも、そんな落ち着きのない人間はおれしかいない。周りのみんなは身震いひとつせず待っている。なんなら読書している者までいる。
「……来る」
マリナさんがそう呟いた。「何がですか?」と聞き返す前に、大量の呻き声のようなものが辺り一面に響き渡った。
「っ!?」
最初は何が何だかわからなかったが、すぐにそれが何かを理解することになる。四足歩行の黒い何か、動物とも似つかない煙のような、或いは炎のような何かが、大量にこちらに押し寄せてくる。
「向かい打てぇぇえええ!!」
隊長の馬鹿でかい声がその呻き声をねじ伏せるかのように響く。刹那、一斉に反撃。昔見た戦争映画とかけ離れたアニメのような魔法戦場に気を取られていると、右頬に鋭い平手打ち食らった。
「馬鹿!呆気に取られてる場合じゃないよ!?今回は多いんだ、しっかり着いてきな!」
そう言うとマリナさんは敵陣の中へ走っていった。しかもえげつないほど速い。
「待ってください!おれ、そんなに速く走れないっす!」
必死に後を追うが、マリナさんとおれの距離は離れていく一方だ。これじゃいつまで経っても追いつけない。その時、おれの数メートル前に一匹の化け物が立ち憚った。
「頼む!退いてくれ!」
おれは失速なしに思いっきりそいつの顔面をぶん殴った。でも、ぶっ飛ぶどころか怯みすらしない。寧ろおれが負傷をする始末。
「痛ってぇ!!」
焼けた拳の痛みを我慢して、おれは背中の剣を握った。化け物の雄叫びと高温の唾を浴びながら、おれは力の限りそいつに剣を振り降ろした。
キーンという高音が鳴り響き、呆気なくおれの剣の刃が宙を舞った。でも化け物には傷ひとつない。
「なんなんだよお前ら!?」
おれの問いかけを長い爪の斬撃で返答。意識の白み、胸元に3本線の赤色。激痛を感じる前に、おれは化け物の前足のようなものに薙ぎ払われた。地面に叩きつけられ無様に転がる。絶体絶命とはこういうことだろう。刃のない剣とろくに操れない能力しか持ってないおれに、反撃の余地はなかった。いや待てよ?ろくに操れない能力、でも使えないわけじゃない。
「頼むよ、頼むよ……」
もはや神頼みの一撃。この一撃で決まらないと、おれが死んだ時三咲に顔向けできないんだ。死んだ三咲のためにあいつを殺すって決めてるんだ。
「三咲のためなんだよ!!」
閃光。爆音。右手がなくなったかと思うような衝撃を食らった化け物は、顔面“だけ”を失くしその場に頽れていた。
「おれ、勝ったんだ……」
雑魚一匹とて、おれにはそれが勝利だった。それが、嬉しかった。でも戦闘は終わらない。このままじゃ直ぐに次の化け物に襲われる。逃げなきゃ、もしくはマリナさんに追い着かなきゃ。でも、体が動かない。全身が痛い。這うことすらままならない。這ったままのおれの頭上が翳る。荒い息、熱風、間違いなく二匹目がもうそこにいた。でも、本当に何もできなかった。次の瞬間、太陽の光が頭上を照らした。
「馬鹿野郎!!だから俺は反対だったんだ!」
「悪かったって、今回は僕が全部悪いから!」
隊長とマリナさんだった。
「マリナ!お前はこいつを回収して撤退しろ!」
その言葉が最後、おれの意識は闇に消えた。
目を覚ますと、前と同じ光景がそこにはあった。
「おう、目ぇ覚めたか」
聞き覚えのあるバスボイス。隊長だ。
「あぁいい、喋るな。俺が話す」
そう言って、おれが横になっているベッドの横に座った。そして、おれの方を見ずに一言。
「もうお前、元の世界帰れや」
何も言えないおれに、隊長は続ける。
「お前に何ができるってんだ。雑魚一匹ろくに倒せないような足手纏い、俺の部隊には不必要なんだ。マリナはお前の何を気に入ったのか、俺には全く理解できない。」
そんな言葉を吐き捨て、隊長はおれの部屋を後にした。
*
病室に取り残されてから数分後。マリナさんがおれの部屋に来た。
「ごめん、その……置いてっちゃって」
きまり悪くマリナさんにおれは言う。
「いや、大丈夫です。おれにスーパーヒーローになる資格はないっていうこと、思い知りましたから」
もうおれの中にある『格好いいスーパーヒーローになる』という夢は粉々に砕かれていた。
「いつも後ろの方に構えてる『頭』を潰せば、あいつら必ず引き返すんだ」
「頭……ですか」
「そう、リーダーみたいなもの。それを一番に潰せば今回の戦闘は君に奴らの姿を見せて終われると思ったんだ。でも、潰すことだけに意識が行っちゃって君を置き去りにしちゃった。ろくに戦えもしないくせに」
最後の言葉が、もろにおれの心を抉る。ムカつくとかじゃなく、申し訳なさで。
「その、おれ、非力なのに復讐したいなんて言っちゃってすいません。さっき隊長に言われました。足手纏いは不必要だって」
自分で言ってて涙が出る。情けない、申し訳ない、やるせない。もう、諦めるしかない。
「おれ、帰ります。この能力も消してください。それで帰って、三咲のことちゃんと送ってあげます」
マリナさんは笑った。いつもの悪戯な嗤いじゃなく、微笑みを見せた。
「君は優しい子だね。帰るって言うなら誰も止めないよ、きっと」
「まぁ……そうですよね」
「僕以外はね」
「え?」
マリナさんは優しく語る。
「僕はね、君のその情熱に心を打たれて誘ったの。君がクソ雑魚で無力で役立たずだってことは最初から知ってた。でもね、僕もそうだったの、最初」
翡翠色の瞳が悲しみの雫を纏う。
「でもね、隊長は僕を拾ってくれたの。家族も家も戦火に攫われて何もなくなった僕を隊に入れてくれたの。生き残り方も、生き物の殺め方も何も知らない僕をだよ?その時の隊長、なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったんですか?」
「“俺が精一杯特訓してやる”って言ってくれたんだ。それがさ、嬉しくてね。こう見えて僕、あの人を尊敬してんだよ」
そう語るマリナさんの瞳には既に悲しみはなく、懐かしさと優しさを湛える光が灯っていた。
「君ならまだやれると思うよ。根拠なんてないけど、僕の直感がそう言ってんだ」
まぁ諦めるならいいけど、と付け足して、マリナさんは口を噤ぐんだ。数秒の沈黙、おれはやっと口を開いた。
「……じゃあもうちょい頑張ってみます。流石に次はちゃんと訓練積んでからじゃないと嫌ですけど」
「へへへ、君ならそう言ってくれると思ってたよ。次はちゃんと君を育てて、奴らの頭を潰せるレベルまでにはするよ。そうだねぇ、それこそ君が憧れてる“スーパーヒーロー”が悪をやっつけるみたいにさ」
その言葉が、おれの弱い心にとどめを刺した。おれは、スーパーヒーローにならなきゃいけない。三咲のために、ならざるを得ないんだ。じゃないと、顔向けできないから。
「はい、おれ、今度こそ絶対にあいつをぶっ殺します」
「おっしゃ、待っとるで」
そう言ってマリナさんは拳を前に突き出した。おれはその拳に自分の傷だらけの拳を打ちつけた。その時微かに、線香花火のような火花が散った。
*
1ヶ月弱後に退院し、おれは広大な訓練場のクソデカい扉の前で隊長を待った。三十分後、ついに現した巨大な体躯。
「なんだお前、戻ってくるな。足手纏いは不要だと言っただろうが」
隊長がおれに力強く言った。でもおれは怯むどころか、真剣な眼差しで言い返した。
「おれ、絶対強くなって、あいつらをぶっ殺します。マリナさんがあんだけ強くなれたみたいに、おれも強くなって、おれを殺そうとした悪魔に土下座させられるようなヒーローになります」
「……はぁ……もういい、好きにしろ」
呆れた表情と共に、隊長はおれの方を見ずにそう吐き捨て訓練場の中へと入って行った。正直ものすごく怖かったけど、これでいいんだと思った。今ので怯えてたら、それこそおれに戦場へ行く資格なんてないから。
「やっと戻って来たんだね」
マリナさんが嬉しそうに微笑む。
「はい、色々大変でしたよ」
「そんなこと言うなって、大変なのは今からだからさ」
完治早々きつい試練なんでしょうねきっと。
「まぁその前にさ、うちの隊のみんなに挨拶してったら?」
「確かに、そうします」
「はーいみんなー!集合!」
マリナさんの掛け声で、数人がこちらに走ってくる。どうやら小隊らしく十人もいない。
「はーい、今日は新入生の紹介でーす!ほらほらぁ、恥ずかしがらずに〜」
「あ、えと、今日からお世話になります、藤崎拓也です。よ、よろしくお願いします!」
数人が「よろしく」と返してくれた。特に煙たがられてる様子はなさそうだ。
「しつもーん、フジサキくんの能力はどういうのなの?」
数人の中から声がして、その方向を見ると、空色の長髪が美しいおっとりした女性がいた。
「あ、おれの能力?はその、まだいまいち使いこなせなくて……その……」
「お前キョドりすぎじゃね?もっとさぁ、リラックスしろよ」
「何この子!?ちょー可愛いんですけど!?ねぇ何歳?彼女は?ねぇねぇ!」
隊のみんなの興味がおれに向いた。それでも隊長は見向きもしない。
「こらこら静かに!これで僕らのメンバーは今日から7人!今日も訓練張り切ってこー!」
みんなが「おー!」と張り切るところを見て、おれもワンテンポ遅れて「おー」と控えめに言う。馴染めるかわからない不安と恐怖がいっぱいだけど、これからに少しの楽しみが芽生えた。
「とりあえず今日はみんなの訓練の様子を見るところから始めよっか」
そう言って最初にマリナさんに案内されたところはさっきの空色の髪の女性のところだった。
「オリビアちゃーん!さっきの子に見学させてあげてー」
「はーい!アイちゃんいるけどいい?」
「むしろそっちの方がありがたい、オリビアちゃんとアイリスちゃんのバトル形式でお願い」
空色の長髪のオリビア、茜色のツインテールのアイリスの魔法バトル。やばい、めっちゃ気になる。二人は一体どんな能力なんだろう、厨二病が再発しそうだ。
二人の距離は数メートル。広大な荒地に可憐な美女が二人なんて、似合わないにも程がある。
「二人とも準備はいい?」
「もっちろん!」
「いつでもいいわよ」
マリナさんの問いかけに余裕で返答。二人のスタンバイを確認したマリナさんは戦闘開始の合図を出した。
「レディ、ファイト!」
マリナさんの手が振り上がった瞬間、一本線上の青色の糸がおれの目の前を通過する。刹那、それは眩い光と熱風の中へと消えていった。
「何が、起こったんだ……?」
「凄いでしょ?オリビアちゃんの水の能力、アイリスちゃんの炎の能力、こんな見応えあるバトル、君の世界じゃ見れないだろ?」
巨大な炎の剣を振り下ろすアイリスの攻撃を水のシールドで防ぐオリビア。一瞬の隙もない反撃。無数の水の矢がアイリスに襲いかかる。そのを華麗に避けつつ炎を左手に溜めて球体を作る。次第に大きくなっていく球体は、最終的には直径10m程の太陽になった。次の瞬間、その巨大な球体を30cm程に圧縮。
「おりゃぁあ!くぅぅうらえぇぇええ!!」
空高く跳び上がって、それを思いっきりオリビアに向かって投げた。放物線ではなく直線の軌道を描く太陽がオリビアに向かって突進していく。
「アイちゃん!それはずるい!!」
細い目が一瞬にして見開かれる。焦りつつすぐさま分厚い水の壁を形成。その防御も虚しく、その壁の中心を炎の球体は突き抜けた。刹那、轟音と共に訓練場は炎の海に包まれた。
「……おい、嘘だろ……」
目の前の出来事に脳が追いつかない。耳鳴りがおさまらない。
「どう?君の能力は派手にかます系の能力だから、これくらいできなきゃだぞ?」
爆風でずれたメガネを直すマリナさんの声が、さっきの爆音のせいで起こった耳鳴りのせいで少しノイズがかかっていた。
この異次元すぎる戦闘を見た後のおれの答えは一つしかなかった。
「やってみせます」
こんなド派手に戦えたらカッコ良すぎるだろ……。まぁ、あと、これくらいできなきゃ向こうで三咲と顔を合わせられないから。
「やる気だねぇ。でも心配しなくて大丈夫、彼女たちも最初はコップ一杯の水と焚き火程度しかできなかったから」
「そうなんですか……ってかオリビアさん大丈夫ですか!?」
流石に死んだとは思ってないけど、あんな爆炎に曝されっぱなしじゃ心配になる。
「へへ、うちの隊を舐めるなよ?」
そう自慢げに指を指した方から、オリビアとアイリスが談笑しながら歩いてきた。
「流石に圧縮されちゃ、受け止めきれないよ」
「あれがうちの必殺技だからっ!」
「お疲れ二人とも!今回もド派手にやってくれたねぇ、片付けが大変そうだよ」
「これ後始末はシエルちゃんの訓練にもなるからいいんでしょ?」
アイリスがそう言うと、シエルと呼ばれる白髪の女性がどこからともなく姿を現した。
「もぅ、最近みんなの成長スピードが異常で追いつけないんです!」
みんながわいわい盛り上がるのを遠目に見ていると、マリナさんの声が耳元で聞こえた。
「じゃあ、君も練習してみよっか」
「……了解」
俯き加減はもうやめた。おれのためにも、三咲のためにも。
*
「まずは君が思うようにやってみてよ」
さっきの訓練場から少し奥に行ったところにあるもう使われていない小さな倉庫。それが今のおれの訓練場になった。
「あの時一回発動したんだろ?そん時どんな気持ちだった?何を考えてた?何を感じて、どこに力を入れたんだ?」
「えぇっと、あんま覚えてません、必死だったので。あっ、でも三咲のこと考えてました。ここで死んだら顔向けできないなって」
「そっか……いいかい?」
そう言うとマリナさんは古びたデスクチェアに勢いよく腰掛けた。
「僕らの能力は常に気持ちに左右されるんだ。例えばアイリスちゃん。あの子戦闘中のテンションが異常なほどに高かっただろ?」
「いや、まぁ、確かに」
「そりゃ、普通に楽しんでるってのもあるんだけど、あの子の“トリガー”は『楽しい』みたいな高揚的な感情なんだ」
「は、はぁ」
「あんま分かってないね?感情とマッチすることで自分の能力を倍増させることができるってこと!今回の戦闘ならアイリスちゃんは『楽しさ』オリビアちゃんは『穏やかさ』……かな?あんま言語化しないから言い方分かんないやっ」
そう言って、てへっと自分の頭を軽く叩いた。
「マリナさんは?」
「僕も一応『楽しさ』の部類なのかなぁ。兎に角ね、僕らの能力は心情がすごく関係する。故にトリガーが何かを知ることは君の能力を格段に上げる近道の一つでもあると言うことだ」
「近道……」
「そう近道。君はその三咲ちゃん?のことを考えてたんだよね?その時何を思ったの?その子に対してでも、顔向けのことに対してでも」
おれは少し悩んだ。三咲に対してなんて思っているのか、自分でも見当がつかなかったから。
「分かりません。その時の心情は死への恐怖が大きくて、他は何も思い出せません……」
「そっかぁ……三咲ちゃんがトリガーになるのか、恐怖がトリガーになるのか、はたまた全く違う何かなのか……今からの訓練でそれを見つけていくとしようか」
「具体的に何をするんですか?」
そう言うとマリナさんは不気味な笑みを湛えた。
「そりゃぁ、もちろん僕とバトルだよ」
「え?」
前回の戦闘を見て分かった。この人は強さは尋常じゃない。あのスピード、あの体で傷一つないのが何よりの証拠だ。そんなマリナさんと……おれ!?
「君は手加減なしで来ていいよ。どうせ喧嘩もろくにして来なかったんだろ?」
「っ!?」
悪戯に言うマリナさん、確かに事実だけど怒りが収まらない。
「おっしゃ、じゃあ全力で行かしてもらいます!」
「ただし」
構えようとした時、マリナさんの言葉がそれを止める。
「今回の目的はトリガーが何かを知ること。怒りに任せてがむしゃらに殴るんじゃなくて、しっかり思い出すこと」
「了解」
「それじゃあ、いつでもかかって来な」
そう言うとマリナさんは拳を軽く握り込んで前に構えた。おれは正面から思いっきり右ストレートを打った。ドンッという鈍い音がマリナさんの左腕から響く。
「いいパンチだ。でも――」
次の瞬間、おれの腹部に重い衝撃が走る。
「軽すぎるんだよ」
女性とは思えない程重い一撃に、おれはその場に頽れる。
「おいおい、これで終わりかぁ少年?男の子として恥だぞ?」
挑発。それがおれの闘志に火をつける。
「くっそがぁぁあ!」
すぐさま立ち上がってアッパーを打ち込む。その攻撃も軽々受け止められる。
「トリガーはどうした?これじゃあただの喧嘩だぞ?」
側頭部に蹴りを食らう。その衝撃を受け止めきれずに、おれは蹴りの軌道上をなぞるように飛ばされる。
「がはぁっ!!くっそぉぉおお!」
おれの必死の猛攻。次から次へ拳を繰り出していく。でも、その反撃も軽々といなされていく。
「君は怒りに身を任せ過ぎてる、平常心を保て、そして三咲ちゃんのことを考えてみろ」
右ストレートを回避、そのままおれは右腕を掴まれ投げ飛ばされた。あの時同様の衝撃が全身を駆け巡り、古びた書類棚が崩壊した。
「マリナ……さん……おれもう……動けないっす……」
世界が逆さまに見える。あの人どこにそんな力隠してんだよ……。
「君はバトルをなんだと思ってるんだ?がむしゃらに殴ったって当たる訳がないだろ?それはどうしてか分かるかい?」
「予想……され……てるから」
痛みでうまく声が出ない。出血がおさまらない。意識が途絶えるよりこっち方が死んでしまいそうで怖い。
「そう、だからその予想も読まなきゃ。バトルは心理戦なんだからさ」
「心理……戦……」
「まぁ頭悪そうな君にはもう一つの選択肢があるよ」
「っ!?なんだと!?」
必死の一撃……を掌で受け止められる。勝ち目がないことを悟って大人しく話を聞くことにした。
「もう一つの選択肢、それはね、能力でねじ伏せる」
「能力で……ねじ伏せる、ですか?」
「脳筋戦法だね。君の能力は爆撃系だからさ、相手のガードをぶち抜けるほど強い一撃を放てるようにさえなれば、多少なりとも楽に戦えるはずだよ。まぁどっちにしろワンパンじゃなきゃそっから持久戦だから分かっても訓練はするんだけどねっ」
「おれに足りないものって、具体的になんですか?」
「足りないものかぁ……」
マリナさんはさっきのデスクチェアに深く腰掛け、煙草を蒸した。
「担当直入に言うと、戦略、力、トリガーかなぁ」
「それって全部じゃないですか……」
「あはっ、確かに!」
笑いと同時に口から出た白い煙が空気を染める。
「でも最初の訓練なんてそんなもんだよ。最初から文字を書けるやつがいないように、君も練習して、覚えて、やっと戦えるようになるってもんさ」
「まぁ、そう簡単にはいかないっすよね……」
うんうんと頷くマリナさんの後ろ、錆びたドアが開いた。
「やっと終わりましたよぉ……それで、用ってなんですか?」
「おうシエルちゃん!ちょうどいい時に来てくれた!えぇっとね、この子の怪我を治し続けてほしいの」
「えぇぇぇええ!?さっきあの訓練場直して来たばっかなんですよ!?」
「訓練場に比べればちっちゃくて簡単だろ?」
「えぇ……わかりましたよ……」
肩をガックリと落としながらおれの方に来て、そっと手を肩に乗せた。
「いきますよ?」
紅色の瞳が微かに光った。次の瞬間、おれの体の傷痕も光始める。
「うわぁ!何が起こってるんだ!!」
「今治してますから!大人しくしてください!」
確かにみるみるうちに傷痕と血が消えていき、30秒もしないうちに、傷は全て消えた。
「綺麗になったじゃん〜」
「はい、もうどこも痛くないです!」
痛くないって素晴らしい……最高の気分だ。
「それじゃあ訓練を再開しよっか」
「え?」
「え?じゃないよぉ、能力を引き出すどころかトリガーがなんなのかすら分かってないじゃないか」
その時、おれは今まで忘れていた絶望を思い出した。そんな、嘘だと言ってくれよ……。
「ほら、かかって来いよ」
挑発的に人差し指で手招きをしている。
「時間は限られてるんだ。僕を待たせるんじゃない」
その時のマリナさんの目は本気だった。笑みはどこにもない。
おい、やるって決めたんだから、やるしかないだろ。馬鹿かおれは。
「それじゃあ、行きます」
深呼吸の後、おれは拳を前に構えた。
「何がトリガーかを探る訓練だ、僕に勝つのは目的じゃない。大事なのは二つ、どの心情がトリガーに近いか見つけることと、その心情を戦闘中常に保つこと」
おれは頷く。
「よし、殺すつもりで来い」
その言葉が合図。おれは思いっきり右フックをマリナさんの顔面めがけて振りかぶる。
(三咲のことを考えろ。あの時と同じ、三咲、三咲、三咲!)
右腕にあっさりとガードされる。すぐさま次の攻撃。それでまた次の攻撃、また次の攻撃と、何度もパンチを打ち込んでいく。でも、能力の手応えはない。
「思い出せ!一度できたことだ!不可能じゃない!」
パンチの間をすり抜けられ、腹部にストレートを打たれる。
「ぐはっ!」
一瞬世界が暗転、そのまま何もわからないまま左頬にハンマーのような重い一撃を打ち込まれ、おれは地面に転がった。
(本気で殺しにきてんのか!?)
「怒りに身を任せるんじゃない。ほら、死んだ女の子が悲しむぞ?」
「三咲を馬鹿にすんじゃねぇ!」
その時、おれの中でブワッと何かの光が灯った気がした。蝋燭の火みたいに小さい灯り、でも確かにそこで煌めく灯りが、全身を駆け巡っていく。
「おりゃぁぁああ!!」
翡翠色の瞳に向かって思いっきり左の拳を打ち込む。それを軽々と右腕でガード、と思った次の瞬間、爆煙と共にけたたましい破裂音が倉庫の中に響き渡る。
「やりゃできるじゃん」
焦げて黒ずんだ右の裾を手で払いながらマリナさんが言う。
「それで、何を考えたの?」
「三咲のことです。でも何か違ったんです」
「違う?」
「はい、三咲だけじゃないんだと思います、トリガーは」
「そっかぁ、こりゃ大変になるぞぉ」
やれやれと小声で言ったこと、おれは聞き逃さなかった。
「面倒臭くなりそうだから、諦めるなら諦めてもいいよ?」
答えは一つに決まってる。
「いや、おれはあの悪魔をぶっ殺すって決めてるんで」
「あはっ、そうこなくっちゃ」
おれとマリナさんのハイタッチ。そのハイタッチが、一歩進めたこと肯定してくれたみたいで、嬉しかった。
「それじゃあシエルちゃん、この子の傷、治してあげてっ」
「え?なんて言いました?」
「傷、治してあげて〜」
「え?なんも聞こえないですって!マリナさんからかってます?」
「聞こえてないっぽいですね」
「うん、多分君の爆音せいだと思う」
さっきの爆音、金属製の倉庫、鼓膜が破れるには十分すぎる条件だった。
「はい、すいませんでした」
「謝ることないよ、シエルちゃんは自分で治せるし」
その後、シエルさんがおれの傷と鼓膜を治して、今日の訓練は終了した。
飽き性なんで気まぐれに。