第4話
來美の助けによって朝のアタックを何とかかわすことが出来た三嶋梨律。
そのあともアタックは続いていた。
トイレに立てば後ろから気配が近寄ってきたり、席にいても周りの席の人がどこかに行っている時に、こっそりとやってくる女子たち。
何人かは廊下で出会い頭に唐突にチョコを差し出されたりと、常に意識を強くもって警戒していないとうっかりチョコを受け取ってしまいそうになる。
考えていたお断りのセリフで、どうにかチョコを受け取らないことには辛うじて成功していた。
しかし……。
しかしだ…………。
トイレから戻りざまに見えたのは、さっきチョコを手渡そうとしてきた佳山さんだ。
少し遠かったのと、顔を伏せていたので表情はわからなかった。
が、間違いなく彼女だった。
それも、荷物を持ってエレベーターへ向かっているようにみえた。
あたしがオフィスに戻ってきた瞬間、部長の席から大声が聞こえてきた。
「おい三嶋!
お前またか!」
チョコを断ることには、たしかに成功した。
でも、佳山さんのように誰かを傷つけてしまうのは、どうしようもない罪悪感で胸を締め付けてくる。
もしあたしが佳山さんだったなら、誰かを想って用意したチョコレートを受け取って貰えないとなった時。
おそらく自分も仕事を続けられる精神状態ではいられないと思う。
「三嶋ぁ!
貴様聞こえてるんだろう!なあ!?」
あたしがリアクションしないのを尻目に、剛腕で知られる畠山部長の声はさらに大きくなった。
もちろん声は聞こえている。
そして、畠山部長が何に対してあたしに怒っているのかも、何となくわかる……と思う。
あたしはオフィスに戻ってくるのと同じくらい重たい足取りで、部長席に向かって歩いていく。
「おい、三嶋!
こっちに来っうお!!?」
自分でも暗い顔をしていると思う。
どうしたら良かったのか。
もっといい方法があったのだろうか。
佳山さんだけではない。
その前に断った子も、その前の子も、決して報われたという顔はしていなかった。
毎年のように来る者拒まずでたくさんのチョコを受け取ってきた。
断らないということを噂されていたのかもしれない。
そんなあたしが、まさか断るとは思っていなかったのだろう。
申し訳ないという表情を貼り付けて断り文句を告げるあたしの様子を、目を見開いて、信じられないといった表情で見つめ返してくる。
中には、そのままみるみる涙が溢れてきて、その場に泣き崩れてしまう子もいた。
あたしが……泣かせたのだ…………。
泣きたいのはあたしも同じだった。
みんな悪い子ではない。
普段から廊下ですれ違うと挨拶や日常会話をする仲だし、仕事や悩みの相談に乗ることもある。
みんな美容や健康に並々ならない時間と神経を使い、服装や髪型、発声にいたるまで、家庭の事情や自身の女としての体の特徴とも向き合って、苦労しながらも高めていく努力を日々重ねている。
普段から彼女たちの頑張る姿勢をみているから、あたしは彼女たちへのリスペクトを忘れず、それを言葉にしてできうる限り届けようと心に決めている。
女は見られて綺麗になっていくし、綺麗になるモチベーションを維持するためにも、誰かに褒めてもらいたい。
頑張る自分に気づいて、それを応援してもらえていると実感できなければ、維持できないくらい頑張り続けているからだ。
チョコを渡そうとしてきた子たちがどんな子で、どこに席があるのかは把握している。
戻ってきたオフィスからは、いつの間にか女子が数人減っていて、それもあたしにチョコを渡そうとした子たちがいないことにもすぐに気がついてしまった。
「畠山部長……。
三嶋、ただいま参りました……」
「お?おう、おっお前、三嶋コノヤロウ。
なんつう顔してやがる!?
お、お前もなのか!?
お前も体調が優れないとかで、早退するんじゃあないよな!?おい!?」
「部長……あたし……」
「いいや、言うな!俺は聞きたくない!
断じて否だ!
ちょっと待て、いや、休憩に行ってこい。
そうだ、山咲ぃ!
ちょっとこいつを連れ出してやれ!
いいな!任せたぞ!」
声のでかい畠山部長は、あたしの暗い顔をみて何を思ったのか。
叱りつけるのをやめて、山咲來美を呼びつけた。
そうだ、朝あたしを助けてくれたのが、畠山部長の言う山咲その人だ。
あたしと來美は仲が良いのを、畠山部長は知っている。
剛腕で知られていて、実績がありその活躍から昇進した畠山部長だけど、決して部下に無理強いはしない。
そして何より、部下のことをよく見ており、社内での立ち居振る舞いもだいたいは把握している。
だからこそ、男女問わず彼に相談に来る人も多く、決断早く明快だから頼られている。
「海斗、ちょっとうるさいんだけど!
今資料まとめてるとこだから、あと10分待っててって言って」
海斗とは、畠山部長の下の名前である。
來美と畠山部長は、高校が同じだったらしく、先輩後輩の関係で以前からの知り合いだったらしい。
入社当初は來美は畠山先輩と呼んでいたが、いつの間にか下の名前で呼ぶようになっていた。
「山咲貴様!
俺に向かって敬称も役職もつけないとはいい度胸だな!
しかも、待たせるなら、直接本人に言ってやれ!
なんで俺がお前らの連絡役などするものか!」
「海斗の声がデカすぎて、ここにいる全員が海斗が連れ出せって言ってるだけで、梨律本人が行きたいとか言ってないのは分かってるんだよ!
あんたが言い出したんだから10分くらい静かに待ってなさい!」
「くっ……!」
何も言い返せない畠山部長。
他の面々にはこんなにすんなりやり込まれることはないが、來美には今日も頭が上がらないようだ。
「仕方ない。
おい、三嶋。
ちょっとそこの会議室に引っ込んでいろ。
そんな顔では仕事なんて手につかんだろう。
10分待っても山咲が行けそうに無ければ、仕方ないから俺がお前を飯にでも連れて行ってやる」
「……はい……」
なんだか分からないけど、畠山部長もあたしの事を心配してくれているようだ。
今は大人しく言われた会議室に行って、來美を待とう。
重い足取りのまま会議室に引きこもって、何をするでもなく、とりあえず椅子に座った。
誰もいない会議室。
いつもここに来る時は誰かが一緒にいた。
社内プレゼンやお客様への説明会などで席が埋まっていると、窮屈に感じていたのだが、今はガランとしていて静かだ。
無意識に握りしめた掌に、爪が少し食い込んでいた。