霊媒術士のよからぬ噂 〜婚約破棄された令嬢は第一王子に愛される〜
「メラリウム令嬢、貴方との婚約を破棄させてもらう!」
声高らかにに宣言した彼はデルローズ・エドアルド。この国の第三王子、その人だ。
(さいですか)
私は心中でどこか他人事のように呟く。冷めているのではなく、突然の出来事に焦りが一周回って謎の境地に至っているのだ。
「ニーナ、こっちに来い!」
そう呼ばれた”ニーナ”とやらは人混みをかき分け、デルローズ様の元へと駆け込む。胸にしなだれかかる彼女の肩を抱き寄せ、デルローズ様は更に声を張り上げた。
「父上、メラリウム令嬢との婚約破棄、そしてニーナとの婚約をここで認めてほしい!」
彼がニーナという愛称で呼んだ女性には見覚えがあった。黄金色をしたセミロングの髪に大きな瞳、雪のように白い肌。可愛らしい女の子の代名詞のような容姿をしている彼女の名前はフェメニーナ。平民から異例の成り上がりを見せ、当代の聖女に選ばれた人物だ。
(よりにもよって、今言うことではないだろうに)
今日は私とデルローズ様の婚約披露宴だ。
たった今運命的な一目惚れをしたのであれば分からんこともないが、そうでもないだろう。せめて前日にでも言ってくれればと思わざるを得ない。
「デルローズ……? 突然どうした……」
泰然自若と名高い国王様であっても、流石に予想外のことのようだ。動揺を隠せない様子で尋ねる。
「俺は真実の愛を見つけたのです! ブルーサファイアのように美しく、どこまでも続く海原のような深い瞳に、永遠の愛を誓ったのです!」
身振りと手振りを交え、大仰に語る様はさながら舞台演劇のよう。昔からどこか影響されやすい方だとは思っていたが、少し変なスイッチが入ってしまってるのではないか。
「時と場所と自らの立場を考えて、先の発言を撤回しろ」
「いいえ、しませんとも! 第一、俺はずっと反対していたはずです。霊媒術士などという訳の分からない一族との婚約など!」
訳の分からない呼ばわりされた霊媒術士の一族とは、何を隠そう私のことである。この国には特別貴族と呼ばれる二つの家系があるのだ。
霊媒術士の一族と、精霊術師の一族。
特別貴族と他の貴族階級との違いは、王族という明確な後ろ盾があること。領土を持たない上、広いコネクションもない特別貴族が永く繁栄できているのは、王族という絶対的な庇護者がいるからに他ならない。
「……フェメニーナ聖女。これはどういうことか、貴方の口からも教えてほしい」
「父上! ニーナには関係がないこと、これは全て俺の独断です!」
「お前一人の問題に留まらんから言っている」
「何をおっしゃいますか! ニーナも今となっては我が国の象徴たる聖女になりました、格としても申し分ない筈です!」
「そういう問題ではないのだ……」
「では、どういう問題なんですか!?」
国王様とデルローズ様がヒートアップして口論に発展する中、ついぞ私は口を開く機会を失ってしまう。借りてきた猫のように縮こまるが、それは周りも同じことだった。皆唖然としながらも、王族たる二人の会話に割り入ることのできる人間はこの場にいない。
「ローズ様、ありがとうございます。でも、私の口からも是非言わせてください」
フェメニーナ聖女は鈴の鳴るような声で言った。
(随分仲睦まじいことで)
私とは最後まで他人行儀な会話しかしてこなかった彼も、聖女様とは愛称で呼び合う関係だったらしい。
「私も突然のことで戸惑っておりますが……」
聖女様はそう前置きして話し始めた。この状況は彼女にとっても不測の事態で、本当にデルローズ様の独断だったのかと納得しかける。しかし、「え!?」という目で聖女様を二度見した彼の様子を見ると、そうでもないのかもしれない。
「しかし、いい機会ですので恐れながら申し上げます。私とローズは深く愛し合っております。このような場面での告白となったことについては大変申し訳なく思いますが、どうか私たちの関係を認めていただけないでしょうか」
「そ、そうだ! 父上、私たちは深く愛し合っているのだ!」
「うぅむ……。メラリウム令嬢、何か言いたいことはあるか」
(おい、ここで私に振るな)
キラーパスにも程があるではないか。私の立場としては、デルローズ様との婚約が破棄されることは何としてでも避けたいところなのだ。しかし、道理を説いて説得させるにはあらゆるものが不足している。第一、私たちの関係に愛など微塵もない。一点の曇りなき政略結婚である。
考えている間にも時間は過ぎる。沈黙と周囲の視線に耐えられなくなった私は、何を血迷ったのかあらぬ言葉を口に出していた。
「私は側室でも構わないので、このまま婚約披露宴を続けることは出来ないでしょうか……」
「俺はニーナ、ただ一人を愛すると決めたんだ。それを言うに事欠いて側室だと? やはりこんな女は俺に相応しくない!」
何も私だって好きでこんな男の側室になりたいわけじゃない。しかし、この状況はとてもよろしくないのだ。
前述したとおり、特別貴族は王族との関係があるからこそ永らえている。そしてデルローズ様との婚約破棄は、その関係が途絶えることになりかねない。
割とマジで、一族存続の危機なのだ。
いよいよ場の収集がつかないと判断したのだろう。国王様を大きな咳払いをした後、威厳のある声で言った。
「一旦この場は解散とする。双方よく話し合った上で、私の元へ報告に来るように」
国王様の言うことは絶対だ。反対意見を唱える人物がいるわけもなく、その言葉通りに婚約披露宴はお開きとなった。
◆◆◆
「すみません」
「貴方が謝る必要がどこにありますか!」
「そうだ。王族とはいえ、いくらなんでも横暴が過ぎる」
馬車の中で両親に謝る。父と母は私のために腹を立ててくれているが……。
「すみません……」
状況は私が思っている以上に深刻だろう。両親は子宝に恵まれなかったために、一族の跡継ぎとなるのは私のみだ。小さい頃に霊媒術士の家族史を見た経験がある。その時はよくこんなにも綱渡りのように一族の血を絶やさなかったなと関心したものだが、とうとう私の代で綱がプツリと切れてしまうことになりかねない。
「貴方はまだ十六です。今回は縁がなかっただけで、次の機会はいくらでもあるんですから!」
「メラリウムの思慮深いところは立派な長所だが、短所でもあるよ。一族のためとかそういうの関係なくさ、もっと気楽にいればいいんだよ」
母と父の言葉につい涙腺が緩みそうになる。同時に、少し気恥ずかしくもなった私は目線から逃げるように馬車の外を見やる。目に入ってくるのは同じ特別貴族である精霊術士が乗る馬車だ。幾何学模様に黄金色の翼を持った精霊が描かれている家紋からは燦爛たる印象を受ける。
対する我らが霊媒術士一族の家紋は、黒塗りの骸骨。霊媒術士という言葉の響きにこの家紋も相まって、謂れもない偏見に晒されることが多々ある。これを作ったご先祖さまを小一時間ほど問い詰めたい気分だ。
「先方との協議は私たちに任せておいて、メラリウムは少し休みなさい」
仕事の方も少し休暇に入るといいと提案されたが、それについては断った。宮廷魔術師でも少し特殊な立場にいる私の業務はあまり替えのきくものではない。職場に負担を強いることになれば申し訳が立たないからだ。
◆◆◆
私は宮廷内を忙しなく歩いていた。私の手に積み上がった書類がゆらゆらと揺れている。婚約破棄の件があったのはつい昨日のことで、今日から私は早速仕事に励んでいた。案の定噂は広まっているらしく、私の方を見てヒソヒソと会話をする人たちは後を絶たないが、そんなこといちいち気にしてもいられない。
早歩きのまま通路の角を曲がると──ちょうど同じタイミングで曲がってきた殿方とぶつかってしまった。私の手元にあった大量の書類が床に散らばってしまう。
「わっ、申し訳ない。怪我はないかい?」
「え……」
私が驚いたのはぶつかったからでも、書類が床にぶちまけられたからでもなく、その顔に強く見覚えがあったからだ。
顔は女性のような印象を受けるほどに中性的だが、その長身と少しガッチリとした体格から男性だと分かる。金髪碧眼の美丈夫であり、この国の第一王子、カルロス・エドアルド殿下に違いない。
「い、いえ、膝を折り曲げにならないでください。私が拾いますので」
「二人でやった方が早いだろうに」
地面に膝をつけて私の書類を拾うのを手伝ってくれる素振りを見せたものだから慌てて大丈夫ですと告げる。しかし、笑いながらそう返されてしまってはこれ以上言うことは出来ない。せめて少しでもお手を煩わせないようにと私はシュババッ! と高速で手を動かして書類を拾い集めた。
「ありがとうございました」
「うん、こっちこそごめんね。本当に怪我はない? 何かあったら遠慮なく僕のところへ来るように」
そう言い残して彼は去っていった。お姿を拝見することはあってもこうして話したのは初めてだ。王族とは思えないほどにフランクな方だったな。しかし、その後ろ姿にはどこか焦燥感に駆られているような印象も同時に受けた。
それから私は気を取り直して仕事に戻った。退屈なデスクワークを終えると、外回りに出るため上司に許可を取りに行く。ここからが霊媒術士としての本業なのだ。
精霊術師の仕事と言えば、精霊の声を聞いて様々な諸問題を解決することだ。災害を予見したり、耕作地の善し悪しを判断したり、ある問題について助言を求めたり。
聖女率いる聖職者の仕事と言えば、神託を聞くこと、式典や聖堂の運営などが挙げられる。
では、霊媒術士の仕事とは何か。
世間一般的には”よく分からない”である。上にあげた二つのように目立った結果を出せるような仕事じゃないので仕方ないとは思いつつも、少し寂しい気持ちもある。精霊術士の仕事が災害を予見することならば、霊媒術士の仕事は災害を事前に対処するとでも言えようか。上司からの許可も降りたので私は馬を借りるために宮廷の通路を歩いていた。
「ちょっといいですか?」
声が聞こえた方に振り向くと、そこには聖女様と数人の女性たちがいた。なんだか今日はイレギュラーな人物と遭遇することが多いなと思いながら、「なんでしょうか」と尋ねる。
「お茶会でもいかがかなと思いまして」
「お茶会……で、ございますか?」
一応この人は私の婚約者の浮気相手ということになると思うんだが。私は特に気まずさなど感じないが、向こうは大丈夫なんだろうか。
「すみません、仕事がありまして……。日を改めることは出来ますか」
「まぁ、聖女様のお誘いを断るってことですの?」
聖女様の周りにいた女性の一人が、少しばかり不躾な笑みを浮かべながら言った。家の格が云々と無粋なことは言いたくないが、いくら聖女といえども、特別貴族の家格とに大きな差はない。少なくとも誘いを断った程度で軋轢が生まれるほどではない筈だ。
「いえ、仕事でしたら致し方ありません。是非話がしたいのでお時間がある時にまた伺いますね」
聖女様は静かに告げると、周りの人物と共に引き返した。ぶっちゃけると婚約破棄のことについて私は未だに状況が掴めていない。両親に任せっきりにするのは悪いと思いつつも、誰になんと言えばいいのかすら見失っている。話す機会というのも近いうちに来るのだろう。仕事に没頭している間は嫌なことを考えなくて済む。私は馬を借りるために先を急いだ。
◆◆◆
「メラリウム様、お疲れ様です」
「えぇ、お久しぶりです、村長さん」
今日はボラ村に足を運んだ。この村の土地のほとんどは農地で占められており、中にもボラと呼ばれる薬草の有名な産地なのが由来になっている。報告ではここ最近この村に瘴気が発生しているらしく、その発生源の特定と対処を任されたのが私だ。
「あ、メラちゃん!」
「メラがきたー」
「メラだ!」
「あはは。メラです」
王都付近の村には度々私が出向いているので、村人や子供たちにはすっかり顔と名前を覚えられていた。なんだかこそばゆいが、嬉しくもあり、つい頬が緩む。
「これ、メラリウム様は仕事中だ」
「私は大丈夫ですよ」
「相変わらずお優しい。村を挙げてもてなしたいところではありますが、なにぶん余裕がないものでして……申し訳ありません」
「いえ、いえ、とんでもないです」
村長が頭を下げたものだから慌てて顔を上げてもらうようお願いする。今は収入源を作物に頼っている村にとって厳しい耐えの季節だ。それに加えて、今年の収穫状況は芳しくないらしい。
「瘴気の影響かもしれません。何か心当たりはありませんか?」
「はて、私どもには検討もつきませぬ……」
聞き込みをしながら瘴気の発生源を探る。全てがそうという訳ではないが、災害、不作、災いの類は瘴気や霊が関係していることも多い。
「あれは……」
一際、瘴気が立ち込める場所を発見した。普通の畑のように思えたが、そこに植えられている植物はどうにも見慣れない。
「村長さん、これは?」
「私どもには分かりません。お国様の指示によって育てていますので」
よく見ると花だと分かった。赤い花弁の中央には白い綿が実っている。観察しているうちに、この花の名称を思い出した。
「これを植えるよう指示した人間の顔を覚えていますか」
「ああ、それについては忘れもしません。当代の聖女となられたあのお方です。いやはや、噂にたがわぬ美しさでした」
「そうですか」
顔を近付けて匂いを嗅いでみる。甘く、魅惑的な香りだ。この花の名称はウォルタース。白い綿を煮詰めて飴状にし、体に取り込めば極上の陶酔感を得られる──麻薬だ。
(どういうつもりか知らないが、これは見過ごす訳にいかないな)
メラリウムの顔からは表情が消えていた。
◆◆◆
馬を走らせて宮廷に戻った。しかし、なにやら周りが騒がしい。私の職場である一室に着くまでに忙しなく走り回っている人を何人も見かけた。
「あっ、メラリウムさん、すぐにアルトさんのところへ行って!」
私の姿を見つけた職場の同僚が焦った様子で言う。理由を聞こうとしたが、すぐにどこかへ走って行った。なんだか嫌な予感がするなと思いつつ、言われた通りにアルトさんの元へ向かう。アルトさんとは私の上司だ。
「アルトさん、ただいま戻りました」
「ご苦労さまです。早速で申し訳ないですが、内廷に向かってくれませんか」
「……理由を聞いても?」
内廷とは、王族が私的な生活を送るための御殿だ。代々王に仕える特別貴族であっても、そこに踏み入る機会は滅多にない。普段、厳重な警備体制を敷かれたその空間は外の世界と隔絶されている。
「ここまで騒ぎになればもはや無意味だろうけど、一応箝口令が敷かれているので関係者以外には口外しないように。単刀直入に言えば、王妃様が崩御なされた」
その言葉を聞いた私は目を見開いた。外的要因はなく、流行病によるものらしい。王妃様はお体が弱いことで有名だったが、まさかこんなにも早く……。
駆け足で内廷に向かうと、私の父と母の姿も見えた。私に気付くと側まで歩いてくる。
「話しは聞いたわね?」
「……はい」
「ここは僕たちに任せて、メラリウムはカルロス様の元へ行ってくれないか。歳も近いし、最も適任だと思う」
これも霊媒術士の仕事だ。死には霊が、負の感情には瘴気が付き纏う。国王様と王妃様の血を直接継いでいるのは第一王子のみということもあり、私はカルロス様のケアを頼まれた。
カルロス様の自室へと向かう。部屋の扉の前には二人の騎士が直立不動で立っていた。
「霊媒術士のメラリウムです。殿下のご容態を確認しに参りました」
「誰も通すなと言われております」
帰ってくる言葉はにべもない。相手が誰であっても関係なし、帰れという目つきで睨まれる。私も仕事だ、簡単に引き下がるわけにもいかない。面倒な手続きを終えて面会の約束をする頃には手遅れになっているかもしれないのだ。
それから私と騎士の押し問答は続いた。両者とも譲らずに部屋の前で言い争っていると、扉が控えめに開く。
「なんだ、誰かいるのか」
「霊媒術士とやらが通せと……」
顔を覗かせたのはカルロス様だ。幸い、その表情に陰りは見えない。
「ん、君は今日の昼の?」
「はい、その節はお世話になりました。霊媒術士のメラリウムと申します」
私の書類を拾った時に顔を覚えていてくれたようだ。不思議な縁もあったものである。
「通していいよ」
「しかし……」
「霊媒術士は代々王家に仕える一族さ。何が問題なんだい」
「であれば、私共も同行させてください」
「駄目だ。二人きりにしろ」
「……はっ」
カルロス様は語気を強める。そうなっては一介の騎士にそれ以上言うことは出来ない、私は殿下の部屋へと招かれた。
「すまないね。良い奴なんだけど頭が固くてさ」
「いえ、立派な忠誠心です」
本当にカルロス様のことを想っているからこそ出来る態度なんだろう。私は騎士さんと言い争いながらも、そんな気持ちは伝わってきた。
「心配して来てくれたのは有難いけど、この通り大丈夫だよ。母上の不調は昔からだしね、心の準備はできてたさ」
カルロス様は肩を竦めて笑う。一応瘴気の確認をするため、許可をいただいてから部屋を観察した。順当に行けば将来この国を担うお方の部屋としては、質素な印象を受ける。特別に煌びやかな物品があるわけでもなく、生活に必要不可欠な物がある程度だ。王族ともあって当然それはどれも一級品ではあるのだが。
「おや、霊魂がいますね」
「えっ……」
珍しいこともあるものだと感心する。カルロス様からは驚いた様子で説明を求められた。しかし、霊魂というのは悪いものではない。そのほとんどが意識を持たず、人を害したという事例は一回も聞いたことがないからだ。
しかし、今回ばかりはその霊魂の挙動がおかしかった。
(何かを伝えようとしている?)
その霊魂に意識を集中させる。意識のある霊と会話する時と同じ方法を取ってみると、驚くことに声が聞こえてきた。そして、私は更に驚くことになる。その声は生前に聞いた王妃様のものに違いなかったからだ。
魂の奥深くで、言葉というよりは感覚を通じ合わせて対話をする。王妃様が語られる内容は、数十秒だけでも体を貸してほしいというものだ。
「その、信じられないかもしれませんが、この霊魂は恐らく王妃様であられます……」
「え?」
「私の体を貸してほしいと仰っているのですが……」
カルロス様は少しの間黙り込むと、意を決したように告げた。
「メラリウムさんさえ良ければ、母上の言う通りにしてくれないか」
「わかりました」
私は自分の体に王妃様である霊魂を受け入れる準備をした。体を貸すといっても、あくまで決定権は宿主にある。切り替えようと思ったらすぐに切り替えることも可能なので、万が一の危険もないだろう。
霊魂に手を触れるようにして、意識を集中させる。体の中に不可思議なエネルギーが駆け巡るような感覚に襲われたと思うと、体の貸し出しに成功したようだ。私の意識自体は相変わらずあるのだが、思うように体が動かない。
「母上? 母上ですか……?」
「はい、貴方の母上ですよ」
私の体にいる王妃様は静かに微笑んで、カルロス様の頭へと手を伸ばした。髪をとくように撫でながら話す。
「貴方が泣いてるのではと思うと、おちおちとあの世に行ってられません」
「心配いりません、私はもう十七になります」
「十分に子供ですよ」
カルロス様は顔をくしゃくしゃに歪める。ついに王妃様に抱きつくようにして顔を近付けた。しかし、その体は実際のところ私のものだ。そして私の意識もしっかりとあるわけで。何が言いたいかというと、とても恥ずかしい。男性と抱き合うなんていう経験は今までに父のみなのだ。
「母上……母上……」
「いつまでもこうしていたいですが、残念なことにあまり時間は残されていないようです。親切にも体を貸してくださったこの娘さんにも悪いので、私はもういきますね」
「母上、愛しております……」
「私も愛していますよ、カルロス」
その言葉を最後に、体の主導権が返ってくる。再び霊魂に戻った王妃様は今にも消え入りそうな中、私の元へと近寄ってきた。意識を集中させてみると、深い感謝の念が伝わってきた。私の方からもお役に立てて光栄ですと返事をすると、ついに王妃様の霊魂は消えてしまわれた。
ご冥福をお祈りすると同時に、どうしたものかと悩む。未だ私に抱きついて離れないカルロス様についてだ。しばらくの間そうしていると、殿下はやっと私から離れた。
「……もしかして、意識はあったりしたのかな」
王妃様に体を貸している最中のことを言っているのだろう。嘘をつくわけにもいかず、正直にずっと意識があったことを告げる。
「はは……恥ずかしいところを見せたね……」
「そんなことありません」
母親を想う気持ちを恥じる必要など皆無だ。部外者の私まで涙腺が緩みそうになってしまったが、殿下が堪えてる以上は意地でも我慢した。
「それに女性の体に抱きついてしまったことも、大変申し訳ない……。何度でも謝罪をするし、望むなら責任だってとる」
赤面しながらそう言うカルロス様だが、責任という言葉が意味するところをわかっているのだろうか。
「全然構いませんよ。慣れていますし」
「慣れてるのか!?」
「え? ……あ、いや、抱きしめられるのが慣れてるんじゃなくてですね……」
霊魂に体を貸したのは初めてだが、霊に体を貸すことは珍しくないのだ。大抵そういう場合は深い未練があったりすることが多く、話を聞かされた遺族が感極まって泣いてしまうことも珍しいことではない。そういう意味で言ったのだが、殿下は別の捉え方をしたみたいだ。
殿方と抱き合うのは初めてですよ、と消え入りそうな声で伝える。カルロス様に釣られて私の顔まで赤くなっている気がする、何だこの空気は。
「霊媒術士というのは立派な職業だね。本当にありがとう」
「そんなこともないですよ」
「もしかして、噂とかを気にしてるの?」
霊媒術士は謂れもない偏見であったり、噂であったりを流布されて差別の対象となるのも珍しくない。そういう言葉が出てくるということは、殿下の耳にも少なからずそういった話が入ってきてるということだ。
「気にしてないと言えば嘘になります」
「そんな奴らには言わせておけばいい。誰がなんと言おうと、メラリウムさんの仕事は素晴らしいものだ」
あぁ、私という人間は本当にズルいと思った。「そんなことないよ」という返事を期待していたのだ。
私は自分の仕事に自信を持っている。しかし、たまにそれが揺らぐこともある。カルロス様の言葉で、なんだか今までの行いが報われたような気がして、思わず涙が零れてしまった。せっかく耐えていたのに。
「これからは霊媒術士のイメージ改善に尽力するよ」
「すみません、私……」
「さっき僕の泣き顔を見たばかりだろう。何も問題ないさ」
カルロス様は私の肩に優しく手を乗せる。先程とは立場が逆転して、今度は私が殿下のお体を借りて泣く番となった。
◆◆◆
王妃様が崩御なされた日から数日が経った。宮廷内も落ち着きを取り戻しつつあり、私も通常業務に勤しんでいる。時計を見やると十八時を回りそうになっていた。今日は退屈なデスクワークで一日が終わりそうだと思っていると、周囲が少しざわつく。
みんなが視線を向ける職場の入口には、この国の第一王子であるカルロス・エドアルド殿下が見えた。
……あれから殿下と私の妙な関係は続いていた。毎日定時の時間になると私の勤務場所まで迎えに来てくれるのだ。私は急いで駆け寄る。
「もうすぐ終わります」
「うん、待ってるよ」
「……あの、前にも言いましたが、迎えには来なくていいです。必要であれば私から向かいますので」
私の同僚は霊媒術士の仕事にも理解があり、あらぬ噂を立てられたりすることはない。しかし、ここ最近は殿下との関係を詳しく追求されて少々困っているのだ。
「水くさいな。僕たちは恥ずかしいところを見せあった仲じゃないか」
「ちょっ、誤解を生むような表現はやめてください」
お互いに泣いたあの日のことを言っているんだろうが、そんな言い方をすると変な意味に聞こえるじゃないか。そう文句を言うと、「誤解ってなに?」と殿下は首を傾げた。どうやら心が汚れているのは私だけだったようである。
「よく分かんないけど可愛い」
思わず赤面した私の頭を撫でてきたものだから、慌てて手を振り払ってしまう。もしかして私は口説かれているんだろう。それとも素なんだろうか。
後にメラリウムの職場の同僚はこう語る。私(俺)たちは何を見せられているんだろう……と。
それから私はカルロス様と昼食や夕食をご一緒することが増えていった。休日にはランチに誘われ、時間を共にする機会も増えていく。私の婚約者であったデルローズ様とも同じようなことをしたが、その時の彼は随分と事務的だったし、カルロス様のように目を合わせて笑ってくれることなんてなかった。
しかし、そんな日々も終わりを迎えるのかもしれない。そう思ったのは、宮廷での仕事中、聖女様とカルロス様が仲睦まじい様子で話しているのを見かけたからだ。
聖女様と自分を見比べる。自分からしてみても、私の顔には特徴がない。聖女様のように華やかなそれとは遠く及ばないだろう。この胸騒ぎは抱いてはいけない感情と分かりつつ、私は二人の密会から目が離せずにいた。
そのまま影から観察していると、二人はある部屋に入っていった。あれは確か談話室だったろうか。普通は見て見ぬふりをするべきなんだろう。昔の自分なら間違いなくそうしていたはずだ。しかし、今思い浮かぶのはボラ村で見た麻薬、ウォルタースだ。
あの村でウォルタースが栽培されているのを知っているのは私と両親のみだ。村人には絶対に口に含んだりはしないようにと厳重注意をしたが、その花が何かということまでは伝えていない。
両親の協力の元で調べて分かったことは、聖女の周りにいる人物たちの急激な変化だ。人が変わったように怒りっぽくなった人や、逆に感情が薄れている人が出現している。
両親は明らかな確証が取れたということで司法に委ねようとしているのだが、事実が明らかになるのはもう少し先の話になってしまうだろう。
私はどうしようもなく嫌な予感に駆られていた。無作法であると分かりつつ、談話室の扉を開ける。
見えてくる光景は椅子に座る二人の男女。聖女様と、カルロス様だ。今まさに殿下は手元にあるお茶を口に運ぼうとしているところで──
「──カルロス様! その紅茶を飲んではなりません!」
微かに立ち込める瘴気、胸騒ぎと衝動に突き動かされるまま、私は殿下が持つカップを叩き落とす。カップの割れる音が響き、紅茶が談話室の床を濡らした。
「な、なにをするのです!?」
「メラリウムさん、これは一体……?」
二人の困惑した声が聞こえる中、私はしゃがみこんで零れた紅茶を指の先で撫でる。茶葉の匂いの他に、甘く、独特で魅惑的な香りが存在した。加えて、指が少しピリついたことからウォルタースが含まれていることを確信する。
「説明をしなさい、メラリウム令嬢!」
「それはこの紅茶の成分を調べればすぐに分かることです」
聖女様は立ち上がって怒りを露わにする。私は即座に反論した。カルロス様は私の行動を真似て紅茶を指で掬う。教養として植物の造詣にも深いのか、すぐに会得が言ったように頷いた。
「説明をするのはフェメニーナ聖女、貴方の方ですよ。これに何を入れたか言いなさい」
「わ、私にはなんのことか分かりませんわ」
「紅茶を入れたのは貴方だろう?」
「っ……」
カップが割れた音に反応して近衛兵が慌てた様子で駆けつけてきた。殿下は落ち着いた素振りで指示を出す。数分のうちに薬師が到着した。
「ウォルタースに違いないね」
薬師は断言する。
「私も被害者です、何も知らなかったのです!」
「キミの紅茶には含まれてないのが妙に感じるけど」
「それは、殿下を狙った犯行だからでしょう!?」
「話はこれからですよ」
聖女様と薬師の会話を傍観していたカルロス様が、泰然と言う。近衛兵に指示を出すと、捕らえられた状態のデルローズ様が連れてこられた。
「貴方たち二人には横領罪と賄賂罪の疑いがかかっている。機会を伺っていたが、まさか自分の方から尻尾を出すとは」
聖女様の方を見ながら言う。もしかして、殿下は捜査のためにフェメニーナ様へと接近したのだろうか。
「なっ! 言い掛かりだ、不当逮捕だ!」
「そう思うのであれば裁判所で無実の罪を晴らしてください。こちらには確固たる確証と証言があります」
「くそ、おいメラリウム、何とかしろっ!」
私に向かってそんなことを言うデルローズ様だが、何とかとはなんだろうか。相談もなしにあっさり私との婚約を破棄したこの方にかける同情などあるわけもない。
私の冷ややかな目を見たからだろうか、デルローズ様は激昂して近衛兵の拘束を突破、私に向かって全力で走ってきた。
思わず悲鳴が出て尻もちをついてしまう。即座に反応した殿下によってデルローズ様は組み伏せられた。数人の近衛兵が今度こそ二度と抜け出さないように捕縛したのを見ると、カルロス様は慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫っ? 怪我はない?」
「は、はい。大丈夫です。ありがとうございます。」
お手を借りて立ち上がる。……情けない。思わぬ失敗に気分が沈んでいると、聖女様が口を開いた。その口調は、普段の彼女からは想像もつかないほどに粗暴さが目立つ。
「あーあ。せっかく平民から成り上がったってのに、こんな終わり方かよ」
「ニーナ……?」
突如として豹変した聖女様の様子に、デルローズ様は目を見開く。
「メラちゃんはいつの間に第一王子に取り入ったワケ? 有り得ないでしょ」
「ニーナ、まだ諦めるには早い! 俺と結婚するんだろ!?」
「もう黙れよお前。あー、もうちょっとだったのになぁ。馬鹿騙して、霊媒術士とかいう胡散臭い一族ぶっ潰して、傀儡を国王にして……私の壮大な計画ぜーんぶお釈迦じゃん」
聖女様は座り込み、天井を見上げる。諦めたように軽薄な笑みを浮かべた。
「第一王子の紅茶にウォルタースを入れたのは私ですよー。調べたらすぐ分かるだろうけど。斬首でも火炙りでもいいけど早いとこ執行してね、焦らされるのは嫌いなの」
「私の人生、馬鹿みたいじゃん」という聖女様の独白めいた言葉を最後に、この事件は幕を下ろした。
◆◆◆
あの事件から数日が経った。最後の言葉とは裏腹に、聖女様に死罪が言い渡されることは無かった。聖女というあまりに絶大な社会的地位、そして死人が出なかったことに起因する。
知らずのうちにウォルタースを摂取させられていた被害者たちは回復に向かいつつある。確かにその効能は強力だが、依存度に関しては特筆すべきところはない。ウォルタースは元々、正しい用法を守れば良薬にもなりうるのだ。
フェメニーナ様は聖女の地位を、デルローズ様は第三王子の地位を剥奪されて、今はどこかに幽閉されているらしい。どのような第二の人生を歩むのかは、これから分かることだろう。
あの事件以降、私と殿下はそれまでのように変わらぬ日々を過ごしている。相変わらず職場まで迎えに来たり、休日の度にお誘いをいただいてはいるが、大きく関係が変わるようなことはなかった。
「メラ、今日は珍しいものが手に入ったんだ。蜂蜜といってね、甘くて仕方がないらしい」
「カルは甘いもの苦手でしょう?」
「君の喜ぶ顔が見たいんだよ」
変わったことといえば、愛称で呼び合うようになったことくらいだ。
最近令嬢ものにハマっていまして、勢いで短編を書いてみました。
お読みいただきありがとうございました!
評価ポイント等をいただけたら嬉しいです。