儀式の二人
マキナの案とは地面を『強度』の規定で溶かし、足元から襲撃するというものだ。確かに人間の視界は足元を写さない。まず普通の人間は地面に潜れないし、そいつが突き破って出てくる事も予想出来ない。
懸念点があるとすれば地面の中に水道管が通っていたりした場合、マキナはどうせニンゲンの事などどうでもいいので構わず溶かすだろう。その時に生じる影響は俺の本意ではない。いや、そもそも地面の事情などよく分からないから水道管自体あるかどうかも分からないが。
結果的には大成功だったので、良しとしよう。俺は人類で初めて地面の中を快適に歩いた男だ。
「兎葵ッ」
未紗那先輩の前方から意図的に地面をぶちまけて飛び出したマキナ。それが隠れ蓑になって俺の存在は誰にも気付かれていない筈だ。周辺が雑草に囲まれているのも大きい。普段無愛想な少女が、この時ばかりは大きく目を開けて呆然としていた。
「……は。は…………?」
「説明は後だ。いいから逃げるぞ!」
「え、えっと。なんでキカイと一緒に……」
「いいから来い! こんな場所に居たら死ぬぞ!」
地面を溶かすにあたって、道はそのまま脱出経路として固めてもらった。兎葵を抱き上げて再び飛び込むも、追ってくるような人間は居ない。どうも全員の注目がマキナにいっているようだ。本当に助かる。アイツに限って万が一はないだろう。未紗那先輩はまだしも、ただの壁として利用されているような雑兵にはまず敗北はあり得ない。
「残念ね! 私、あの時とは違うの! 殺せるものなら殺してみなさいな!」
「…………ふざけるなあああああああああああああああ!」
ある種の洞窟となった地面に未紗那先輩の声が響く。あの人が怒鳴り散らしたのを初めて聞いた気がする。いつだって冷静沈着、温厚だったあの人も感情をむき出しに怒る事なんてあったのか。加勢にはいかない。まだアイツは助けを必要としていないから。
「何処に逃げるつもりなんですか」
「学校か? いやもうよく分からん。でもとにかく逃がす。お前には聞きたい事がたくさんあるんだ。条件を示すだけ示してとんずらなんてそうはいくか。きっちり取り調べさせてもらうからな」
「…………あ。すみません。それミスです」
「何がっ?」
「指定した場所で落ち合うと条件で伝えた筈ですが、それを伝え忘れました。こちらの落ち度なので学校でいいです。本当は病院のつもりでした」
「また病院かよ」
「また?」
「いや、こっちの話だ。最近ちょっと嫌な思い出があってな」
後はハイドさんとカガラさんを信じるしかない。俺達が潜った入り口が見えてきた所で、肩車の要領で兎葵を先に上がらせ、俺は自力で這い上がる。身体中土だらけだが今はそんな事よりも学校を目指さなければ。
「逃げられないと思いますよ」
「いや、逃げられるよ」
「あの場に居る人で全員だと思ってるなら考えが甘いです。ドローンだったり双眼鏡だったり、メサイア・システムはありとあらゆる手段を使って追い詰めて来たんですから」
「そりゃ『距離』の規定持ちを本気で追い詰めようと思ったらそうなるだろうな! でも大丈夫だ。大丈夫なんだよ」
ドローンなんて見えない。糸が繋がらないから捕捉出来ないという訳ではなくて、音も聞こえなければ影も形もないのだ。あの二人が上手くやっている。主にカガラさんが酷使されているのは想像に難くないが、ともかく大丈夫だ。どんな堅牢な壁も内側から破壊工作をされてしまえば脆いもので、暫くの全力疾走を経ても尚、俺達を追跡しようとする影はない。
ただ、絶対安心かと言われるとそうでもない。俺の背中を白い糸が追ってくる。『傷病』の時はこれに助けられた事もあったが―――あの時とは違う。今なら分かるのだ。この糸が何なのかとか、どういう理屈なのかとか、理性で判断するのではなくて。感覚を感覚のまま、本能で判断すれば。
これは視線だ。
誰かが俺達を見ている。見ているという行動が白い糸になって表れている。敵か味方かは分からないが、これでは安心出来ない。もっと遠く。早く学校へ。
駅に差し掛かってあと一息という所で電話がかかってきた。走ったまま出るのは呼吸効率の面から非効率だ。特別な訓練を受けた訳でもない俺がそんな真似をすると後が苦しい。仕方がなくコンビニへ飛び込むと、商品棚の一番奥に二人で身を隠し電話に応答する。
『もしもしッ?』
『あー俺だ。手短に用件を伝えるぞ。こっちの把握してない別動隊がお前らを探してる。気を付けろ』
『は……えっと、カガラさんの手助けは?』
『期待するな。俺の方も、ちょっと動きにくい。まだ目を付けられた訳じゃねえとは思うが、念の為な。強いて言うなら無暗に外を歩くのはやめとけ。じゃあな』
通話が切れた。
別動隊というのは気になるが、出歩くなというのは無理だ。兎葵が目的地を学校に決定した以上、何としてもそこに行かなくてはいけない。今はそのようなこだわりを捨てるべきかもしれないが。約束を守らないのは話が違う。俺も人の事が言えなくなったらどうやって事情を聞き出せばいいのだ。この少女の事だから、付け入る隙があるなら全力で突いてくるし、それでまた煙に巻くに決まっている。
「……駄目だったんですね」
おにぎりの陳列棚を見ていた兎葵がぽつりとつぶやいた。
「何だって?」
「そんな顔してます。私を置いていけば助かるんじゃないんですか?」
「んな訳に行くかよ。まだ大丈夫だ。えーと…………そうだ。兎葵。お前の規定で学校向かえるだろ。確かお前……校庭にワープポイント残してたよな」
「使っても良いですけど、結局別の場所からアクセスしないと。それに、メサイア・システムに性質は把握されています。待ち伏せされてたら……貴方が守ってくれるんですか?」
初見殺しの極致のような力はあるので、瞬間的に守る事は可能だろう。メサイア・システムの兵力は全て未紗那先輩に集約されている。こゆるさんを守った時と同じくらいの物量なら何とか捌けない事もないという気がしなくもない。
…………。
俺は持ち主から答えを聞けるから識者であるかのように振舞えるだけで、場数という意味ではメサイアが圧倒的に上だ。少しでも自信を失わせる要素があるならやらない方がいい。ただでさえ綱渡りな作戦の真っ最中だ。これ以上リスクを背負うと破滅する。
「……変装する、か?」
「今はこれしか服が無いです」
カーキ色のモッズコートに黒いキャップ。今朝会った時と全く同じ格好だ。元々が地味な色の組み合わせなので特別目立っている事は無いと思うが、特徴として覚えられている可能性を思えば脱がせた方が……着替えが調達できないか。コンビニに売っているような衣類では到底代替品にならないというか、それ以前に寒いだろう。
「別動隊か…………」
「はい?」
「なんか追ってきてる奴がいるっぽいんだ。どんな格好をしてるか聞き忘れた……気が気じゃねえよ」
コンビニの自動扉が開く度に何故こんなに緊張しなければいけない。ゲームのような俯瞰視点を持つわけではない。だから自分だけ完全に隠れたまま入り口を監視するのは無理だ。通りに面した壁がガラス張りなのを利用して強気に外を観察するのも手だが、それで逆にバレたら逃げ場がない。基本的にコンビニは二十四時間営業であり、人気も少なく外も暗い時間帯では目印に等しい。探しているとか探していないとかではなくて、人の目は明るいものに寄せられるのだ。
逆にこちらからは暗すぎて相手を発見できないリスクがある。それだけが怖すぎて、強気になれない。
「兎葵。どうすればこの場所を脱出出来ると思う?」
「私に聞かないで下さい。どうしようもありません」
自動扉が開いた。
チャイム。店員のテンプレートな挨拶。近づく足音。ナイフを懐に隠して、商品棚越しに見える糸に気を払う。何がマキナを助けるだ。それどころじゃない。自分の身を守るので精一杯……いいや、それすらも怪しい。白い糸は俺を見失ってくれたのに、不安は一秒ごとに増すばかりだ。
「はあ、はあ…………」
「……見てられません。ここで話します」
「ここで話せる事なのか?」
兎葵が黙り込んだ。
病院でも学校でも、この時間帯に行きたがるという事は少なくとも『二人きりで話し合える場所』が欲しいのだと分かる。コンビニには最低でも店員がいる。今の状況なら追手だって会話を聞けてしまうかもしれない。
そしてそれを良しとしないから、彼女は黙った。それが何よりの証明である。
「…………兎葵。お前が使ってるショートカットさ。自分の血液か?」
「そうですよ。自傷はいけませんか?」
「いや、そうじゃない。確認したいんだが、お前は自分の体の一部を統一して使用する事で入り口と出口としてある程度の距離を作ってそこを移動してるって認識でいいんだよな」
「そうですね」
未紗那先輩と月巳までジャンプした経験がこんな所で役に立つとは。
「なら俺のコートに血を染みさせてくれ。トイレに籠れば。何とか時間は稼げると思う。俺が学校についたらお前は今までやってたように瞬間移動してくれ。俺の存在がバレてない前提だけど、それなら二人共学校に行ける筈だ」




