背心の教理
「先輩って、食生活はどうなってるんですか?」
「へ?」
顔の熱さを誤魔化すべく次に振った話題は先輩のプライベートについてだ。デタラメに振った訳ではない。優先順位が低いだけで気になる情報だ。朝はカガラさん、夕方は未紗那先輩。俺に付きっきりなのは変わらないが、だとするならいつ食事を摂っているのだろう。朝は大丈夫だとして、それ以降は? 学校に行かない日は? 夜は?
特に気になるのは最後。夜に……メサイアの指示で暗殺を繰り返しているなら、食生活はどうあっても狂ったままだ。何気ない話題から情報を掬うのがプロの刑事の手口であると聞いた事がある。事実はさておき、未紗那先輩の行動ルートが把握出来れば何処かで使える……かもしれない。
「食生活は……お恥ずかしい事に、決まっていないんです。メサイア・システムとしての仕事が一定ではないので……もしかして肌が荒れていたりしますか? そんな筈は……ないんですが」
「いや、綺麗ですよ。触ってもいいですか?」
「……スケベ」
「肌を触りたいって言っただけなんですけど?」
「やり口がホステスを触りたがる男性と一緒なんですよ。バレバレですからッ」
理由を教えないのは、そういう事だ。『生命』の規定を使っているのだろう。ハイドさんの例えが分かりやすかったので引き続き引用させてもらうが、手入れをしないと肌のHPが減少すると仮定、しかし規定は最大値そのものを動かすので減少した分までを最大値にしてしまえば肌のダメージなんてものは無くなる。
「そういう式宮君は、食生活をちゃんとしているんですか? 君は家族との仲が……あまり良くないでしょう?」
「幸運というべきか情けないと恥じるべきなのか。妹に管理されています。おかげさまでそんなに栄養も偏らず、心地いい食事が出来てますよ」
「……以前、妹以外とは仲が良くないと言いましたね。不仲の方は想像がつくとして、どうして妹さんとは仲が良いんですか? 何か特別な事情が?」
「あー……いや、妹は昔から妹だし。昔から仲良かったんで……確かにキカイと出会う前は口を聞きませんでしたけど、何か……やっぱり昔からの繋がりって凄いんだなって感じで」
「糸は昔から視えてたんですよね。よく仲良く出来ましたね」
「まあ……なんかアイツも他の人とちょっと違うんで。糸があったら仲良く出来ないって訳でもないですよ。善人は嫌いですけど……未紗那先輩は、嫌いじゃないですし。カガラさんなんかも。普通に話せてるでしょ」
ただしストレスは掛かるので、話すのにも限度がある。それは未紗那先輩とて例外ではないし、それが今までコミュニケーションのブレーキになっていた。だから糸がない存在と出会ってしまうと、そのブレーキが働かなくて大変な事になる。
「焼きそばパン好きなんですか?」
「好きですよ。学食って感じがして。これも青春の一部なのかもしれませんッ。あ、私が先輩なら一回くらい式宮君をお使いに行かせても大丈夫ですよねッ」
「パシられるのは初めてですけど。え、今からですか?」
「冗談ですよ。私、人を顎で使うセンスがないんです。どうせ命令出来るならいっそこのまま食事を共にしてくれると嬉しいですね」
「ならお言葉に甘えてこのままで」
―――そろそろ切り出した方が良いだろうか。
この和やかな雰囲気を台無しにするのは本意ではないが、話の中身としてどうしてもそうせざるを得ない。分かって欲しい。二人きりの空間だからこそ、俺は先輩に問うのだ。この人を助ける為に。
「未紗那先輩。俺の元居たクラスの人達ってどうなりましたか?」
「……? 保護されています。経過を聞いた限りではあまり芳しくないですね。植物状態とも少し違いますが、自分を認識出来ないまま満足に生活出来る道理はありませんから」
「未紗那先輩、会いに行ったんですか?」
「仮にも君のクラスメイトですからね。しかし実際に顔を見た訳ではないです。私にそんな事をしてる暇はないと叱られてしまいまして」
後戻りできないような質問をしたつもりだが、未紗那先輩は何でもない話題のように答えてくれた。状況だけを取ればクラスメイトの心配をしただけ。あちらにも言い淀むような理由はないからこうもなる。それが自然で、それが当たり前で―――最も避けたかった、答え。
そんなあからさまな誤魔化しにも、この人は疑いを持っていない。クラスが破滅した直後、俺は殺されるかもという危惧を口にしていた。それが前提なので俺の発言の真意は『クラスメイトの心配』ではなく『メサイア・システムへの不信』だ。にも拘らず先輩にはそれが視えていない。組織を信じないという選択肢は論外と言わんばかりに、思考段階で切り捨てられている。
「…………回復の兆しくらいはありますか?」
「それも無い、と言われました。式宮君、普通の人が嫌いな割には、随分心配するんですね」
「一応、クラスメイトですし。内訳には友人が、一応いるんで。一応」
「そこまで恥ずかしがらずとも、友達と言ったって私は何も思いませんよ?」
「……胸を張って言える友達じゃないんですよ。そんな奴は居た事がない」
「私も、友達ではありませんか? こうして一緒にお茶をしているのに」
「先輩は…………」
何なのだろう。俺にとって未紗那先輩とは。見方によっては友人だ、知人ではある。仲間とは言い難い。恋人ではなくて、姉弟でもなくて…………
「先輩は……憧れの人です」
「憧れ…………?」
予想もしていなかったらしく、未紗那先輩が大きく目を開いて、小さく首を傾げた。
「良く分かりませんね」
「先輩、人気者じゃないですか。色々な人に慕われて、実際に頼られるくらいのスペックはあって、いついかなる時も人に優しくしようとするっていうか……俺は日陰者なので、そういうの憧れるんですよ」
そもそも糸を無くしたい動機は普通の人になりたいという願望からだ。たとえそれで俺自身も嫌いで仕方ない善人になってしまうとしても、人は孤独には勝てない。今は心境にも変化はあるものの、発端は確かにそんな感情。
「もし、俺に友達が生まれるとしたらそいつとは対等でありたいですね。多分一生生まれないですけどね。対等ってこの視界も込みで言ってるので。同じような視界を持ってて、且つ気が合うならそいつが友達です。もし俺に恋人が出来たとしても……同じくらい、その友達は大事にすると思います。だから未紗那先輩の事は嫌いじゃないですけど、友達じゃなくて憧れの人です」
「…………成程。そういう事ですか。確かにそれでは、私が友達になる事は出来ませんね」
「……悪口じゃありませんよ?」
「ええ、分かっています。ちょっぴり寂しいのは本当ですが、ここはポジティブに考えましょう。君の憧れの人は私しかいない訳で……そう考えたら凄くお得ですよねッ」
「本当にポジティブだなあ」
「私の特技ですッ。君も真似して構いませんよ? どんなに世界が酷くても、自分が楽しければある程度は生きていけます。例えばこんな時間も、私は楽しくて仕方ありません! フフッ!」
会話を楽しんでいる内に、俺達は昼食を終えていた。雰囲気を険悪にするつもりで切り出したのに結果的にはどうという事もない。メサイアの真実はちゃんと証拠を掴んでからでないと、この人には届かないようだ。
もう少し粘るのも考えたが、収穫があるとも思えない。どうでも良くなってしまい、気づけば残り数分の昼休みを満喫した方が有益だろうという考え方にシフトしていた。
「君からの質問ばかりに答えていたので、たまにはこちらから質問を。メサイア・システムが式宮君を殺したという噂を耳に挟んだのですが、心当たりは?」
「またそれですか。カガラさんからも聞きましたけど、心当たりなんてないですよ。俺が無事ならデマ確定ですし、そこまで気にするような事なんですか? メサイア・システムはほんのちょっとの悪評でどうにかなる組織じゃないでしょ?」
「それはそうなんですが…………」
噂、噂、噂。今日という日は無限にその話を聞いた。とっくの昔に飽きている。そろそろ別の話題が欲しいというくらいだ。これだけしつこく話題にされているのだからさぞ強力な力が。
「……あ」
そんなつもりはなかったが、思わず席を立ってしまった。
「どうしました?」
「……俺、どうやら馬鹿みたいです。その噂はどうやって流れているのかが一瞬で分かるのに、今まで全然気づいてなかった。いやていうか」
忘れていた。
生徒会室からも窓を通せば対面の廊下が視える。それは同時に糸の視認も意味していて、赤い糸と白い糸と青い糸が広がる事を意味している。分かりにくいならもう少し言い換えよう。それ以外の糸は、全く見当たらない。
「……その噂、『規定』じゃないっぽいです。誰かが人為的に流したもんですね。糸がないんで」
マキナから聞いていたのに、馬鹿が過ぎる。




