正気を保ちあうやり取り
退屈で苦痛だったHRが終わっても俺の受難は続く。授業が六時限もあるのは普通に苦痛だ。今となっては意味を感じない。勉強を頑張ろうという気もしてこない。これで成績一位になれば未紗那先輩がメサイア・システムを離脱してくれるという事なら頑張るのだが、見返りがないと苦痛には耐えられない。
「……ん?」
教科担任が来るまでこの教室は騒がしくなる。いつまでもノリは変わらないというべきか、先生が来ないと平気で廊下を出るし、トイレにも行く……それは良いか。俺はこのクラスに少数存在するぐうたら派に混じってほんやりしている。これが一番目にも負担が無い。
―――流石に教科書くらいは用意しとくか。
教科担任はともかく先輩に告げ口されると怒られそうだ。鞄の中に視線を落とし、無差別に教科書を取り出した。授業で使っても使わなくてもどうでもいい。それっぽい感じを演出すれば怒られる事もないだろう。
机に視線が戻った時、また紙飛行機が乗っている事に気が付いた。
「…………はあ?」
新しい紙飛行機、ではない。先程俺が外に投げ捨てた物だ。その証拠に砂が多少付着している。紙飛行機と言えばこゆるさんの時も来たが、あれは状況的にも消去法で兎葵の仕業だと考えられる。これは違う。何せ第一声がHRについてだ。家の無い中学生が高校のHRの気怠さをどうして理解出来ようか。
『学校の授業って何の為にあるんだろうね』
見ず知らずの誰かからの手紙。交換日記ならぬ交換手紙か。相手が分からないので俺は捨てるしかないが、正直言って、授業よりは乗り気だ。見ず知らずの誰か、きっとそいつには糸が繋がっていると踏まえた上で、その理由は単純。文章に糸は繋がらない。
直接でも、映像越しでも、この眼は糸を見透かしてしまう。けれども文章そのものには生物の要素が何一つとして存在しないので、因果の糸は繋がりようがないのだ。『規定』なら分からないが、今視えてないものを想定するのは不毛である。
「……気付かなかったよ」
つまり筆談であれば、俺も普通の人間と同じ世界に立てる。それを教えてくれた相手には勝手ながら感謝しているので、他の人よりも好感度はずっと高い。乗り気な理由はそれくらいだ。
『何の意味もない。どうせ頼み込めば何でも叶うような社会だし』と書き残し、また外に捨てる。
――――返事がかえってきたのは、二時限目の直前。つまり最初の休み時間。
『じゃあどうして学校に通ってるんだろう』
『惰性』
――――次の休み時間。
『昼休みまで長いと思わない?』
『長いと思う。長すぎる。もう学校が終わって欲しい』
――――次の。
『何で俺に話しかける? 面と向かって来ればいいんじゃないのか』
『心の準備が出来てない。もう暫くこのままにさせてほしい』
――――昼休み。
未紗那先輩との約束の時間だが、このやりとりも済ませておきたい。面と向かって誰かと話している訳ではないので、正直に言ってこの時間は相当気楽だ。相手の反応を窺うまでもない。糸は揺れないし俺の態度を咎めるでもない。本当に気楽で―――だから、違和感がある。
この手紙の差出人は普通の善人じゃない。
ここまでの空気で明らかな通り所詮は未紗那先輩パワーで受け入れてもらっただけの男だ。記憶として最初からここに居ても現実は違う。腫物を扱うかのようなやり取りで、俺が周囲に馴染めるのは先輩がいる間だけ。そんな男にわざわざ話しかけてくるのは空気を読む読まない以前に何かが異常なのである。
『こっちからも聞きたい事がある。お前はこの周りの状況をどう思ってる?』
ある意味で信頼を問うような疑問を書き記し、早々に席を離れた。俺がここを離れれば差出人は遠慮なく返事を書けるだろう。正体を知ろうという気にはなれない。退屈な時間に一時の安らぎを与えてくれた相手への敬意として。
「式宮君、こちらですッ」
廊下では先輩が購買で買ったやきそばパンを片手に俺を待っていた。周囲には先輩の人望に見せられた男女が殺到しているが、まるで意に介していない。俺を見つけるなり足で周囲を押しのけて隣に並んできた。
「すみません。連絡が遅れてしまって。何だか出たとこ勝負の先輩みたいになってしまいました……」
「それは今に限った事でもないような……で、枠って言うんだから他に誰か居るんですよね。何処に集まってるんです?」
「……ここで言うのはちょっと。ついてきてください。案内しますから」
先輩に腕を引かれ、人影の少ない場所へと突き進んでいく。誰もついてこようとしないのは人としての真摯さか。善人にそんなものがあるかは分からないが、稔彦が似たような事を言っていたような気がするので。
「……この、鈍すぎマンッ」
「え、うおっ」
肩でどつかれたのは初めてだ。何の機嫌を損ねたかと表情を窺うと、センパイは顔を顰めて口を尖らせていた。
「誰もいる訳ないじゃないですか。君以外を誘わない口実だって……気付かなかったんですか?」
「……全然。先輩ならあり得るかなって」
「全くもう…………君は察しが良いのか悪いのか分かりませんね。部活に入ってない弊害ですよ。先輩が言わずとも後輩がその意を汲む……上下関係の怖い部活はそれを求められるんです」
「成程。未紗那先輩は怖い先輩、と」
「こわ……! 怖くなんてありません! 何処からどう見ても優しい先輩でしょうに!」
それは認めるが、自分で言うのはどうかと思う。
彼女に連れられてやってきたのはまさかの生徒会室だ。確かに普通の生徒は入ってこないし他の教室と比べると椅子もちょっとだけ豪華だが、こんな場所で昼食を取る事になろうとは。用が生まれる日もなかった故、未体験な部屋に圧倒される俺を尻目に先輩はいそいそと椅子を準備して、俺達が互いに向かい合えるように机を調整した。
―――あの事を聞く前に、ちょっと他愛もない話でもしようかな。
せっかく先輩が楽しそうなのに、初っ端から台無しにするのは違うだろう。
「鍵は掛ける必要あったんですか?」
「今から暫くオフのつもりですから。ですので今からは頼れる未礼紗那ではなく、可愛い後輩を弄りたくて仕方ない未礼紗那にジョブチェンジしますッ。式宮君はどうしますか?」
「俺は普段がオフみたいなものですから別に…………一応聞きたいんですけど、そのパンって先輩のですよね」
「あげませんよッ? 流石の私も光合成は出来ませんから」
「要らないですよ。妹が作ってくれたお弁当があるので」
もしも俺の為にと用意してくれたなら悪いと思ったが、そういう事なら心配は無用だ。カーテンに遮られて仄かに差し込む日光の中、二人きりの小さな食事会が始まった。
「そう言えば未紗那先輩はカガラさんがゴスロリ服着続けてる理由って知ってるんですか?」
「いえ、存じ上げません。あの人の趣味だと思っていますが、違いましたか?」
「いや俺も知りませんよ。知りたいなら責任を取れって言って聞かないので、本人が駄目なら先輩に聞いてみようかなって」
「ふむ……上司の趣味、ではないでしょうね。あ、すみません。上司というのは君にとっては何の事だか分からない話だと思うのですが……」
「分からなくても、普通に考えたら部下にゴスロリ強要する上司ってやばくないですか?」
「それは…………確かに」
因みにハイドさんの女の趣味は知らない。興味がないだけと言いたいが、知ろうとすると何か痛い目を見るような。
「先輩も好きなファッションとかってあるんですか?」
「特に拘りは…………最近はちょっと、勉強してます。君とまたデートした時に、見惚れてくれるようならいいかな、と」
それを本人の前で言うあたり、この人は初心なんだか慣れているのだか。
冬なのに、顔が熱い。




