口は福音の元
「え? 所有者が知り合いに?」
「いや、まだ確定って訳でもないんだけどさ」
今までのショートカットを振り返ると仮説として納得のいく事がある。あの子はいつも唐突に現れてはまたすぐに帰っていくような子だった。家に入れなくて立ち往生していたら手を貸してくれたり、土手でくつろいでいたら嫌味を言いに来たり、橋の下で雨宿りをしていたり、校庭にやってきて俺に文句を言いに来たり。風の向くまま気の向くままという限度を遥かに超えて気まぐれだった。こういう事なら納得がいくし、こゆるさんと逃げていた時に飛んできた紙飛行機は兎葵の仕業だったという事になる。
―――思い返すと凄く助けてくれてるんだよな。
飽くまで仮説だ。たまたま状況が一致しただけかもしれない。それでもここからは実際に拾得者だった場合の事を考えたい。彼女は現状、どの勢力にも属していない。持っているとすればこゆるさん同様きっかけがあって誰かに渡された筈だ。その上で俺を助けているとしたら―――
「……何で俺を助けるんだろう。俺は学校をサボった時に兎葵と出会って、ちょっと話すだけの関係なのに。あまりにも手厚すぎる。流石に理由がないってのは考えにくい」
「有珠希を好きになったとか?」
「それだけでここまでしてくれるってのも変だろ。まあその線自体考えられないけど」
敵じゃないのは分かるが、理由が欲しい。何故見ず知らずの俺をそこまで助けるのか。ハイドさんのように因果を視る力が……いや、それはない。この情報はカガラさんないしは未紗那先輩から漏れただけで単なる個人に過ぎない兎葵がそれを知っているとは思わない。
「これだけ歩いても見つからないって事は追われてるのに気づいたか?」
「それこそまさかじゃない? 単なる偶然だと思うけど、どうしよっか。今日はここで終わり、それともまだ探す?」
「まだ探すに決まってるだろ。今日見つかればそれが一番効率がいいんだ」
今日見つけられれば逃げられる可能性もない。マキナに抑え込んでもらえばいいだけだ。橋の下から繋がる糸は既に訪れた場所に続いている。糸から離れるように歩いて、俺達は再び夜の闇を踏みしめた。
「お前が居てくれるお蔭で大分動けてる。すまないな」
「どういたしまして? 何に感謝されてるのかいまいち分からないけど、有珠希が頑張れるならいいわ」
「……お前には糸がないだろ。だから、ストレスがないんだよ。こういう状況でもないと糸が視えない瞬間ってのは全然ないからな。常に足元を見ながら生きて居られるような社会でもない。俺、大分前にお前がキカイには見えないって言ったけど撤回するよ。お前が人間じゃなくて良かったって」
「生命の分類で感謝されるなんて変な気分だけど、私も同じ気持ちよ! ニンゲンだったら貴方と出会ってこんな気持ちにはなれなかったでしょうから……キカイで良かったわ!」
「他に良かったって思う事はないのかよ。バラバラになる前は色々な力持ってたんだろ。全知全能とは言わないけど」
「有珠希と出会うまでは感情の起伏なんて感じた事もないわ。だから良いも悪いもない。普通に退屈だったんだけどなー。その退屈を知らなかったら、有珠希と出会っても楽しくなくなってた? それだったら凄く、もったいなかったかも」
誰も見ていないのを良い事に、再び俺達は手を繋いだ。互いの指の一つ一つを確かめるように這わせて、また解いて、繋いで、解いて。業を煮やしたマキナが強引に俺の指を捕まえるまで繰り返す。彼女に触れていると、今が冬だというのを忘れてしまいそうだ。それくらい熱い。身体の芯から湧き上がるような熱、或いは劣情。
リラックスできているのに身体は緊張するという状態が何よりも心地いい。
「マキナ。三日後……二日後……二十四日、クリスマスだろ。キカイにそんな概念があるのかはともかく、人間はクリスマスなんだよ」
「親切に言ってくれたつもりなんだろうけど、物凄い侮辱よ? 私は気にしないけど、他のキカイにそんな事いったら殺されちゃうからね? キカイはちゃんと知識としてニンゲンの歴史は記憶されるんだから、それくらい分かるわ。ハロウィンだってやったじゃない!」
「おお。そう言えばそうだった。で、さ。その日なんだけど……変な話なんだが、俺が一日お前にくれてやったろ。それをその日に使ってくれないか?」
「本当に変な話ね。権利を貰ったのは私なのに。どうして?」
「…………お前に、どうしても伝えたい大切な用事があって」
普段は積極的なマキナだが、こういう言い回しには察しが悪い。首を傾げていたが教えるつもりはない。こればかりはサプライズ的に、その日の内に伝えたいのだ。
「…………ふーん。何かしてやろうって魂胆なのね。いいわ、受けて立ってあげる。有珠希が何をしてくるのかちょっと楽しみだし、使ってあげるッ!」
「すまん」
「ううん、全然気にしてないわ! 貴方がわざわざそんな提案をするって事はきっと凄く楽しんでしょ!? 期待して待ってるね!」
本当にこのキカイは、いつの時間帯も底抜けに陽気で、情熱的で、豪華絢爛で。傍にいるだけでも楽しいなんて初めて思ったかもしれない。安らぎとはまた少し違う。それもあるかもしれないが、この明るさから元気を貰っているような気がするのだ。
この部品探しだって、糸を消す為というのは前提として、マキナに会う口実に使っている節もある。本人には言わない。調子に乗りそうだから。
「うーん。いないわね。そっちはどう?」
「確認出来ない。不自然な場所に糸があれば隠れてるって分かるのにな。いっそ川にでも飛び込んでくれれば物凄くあからさまで探しやすいんだけどな……」
と言っても冬の川がどれだけ寒いかはよく分かっているつもりだ。何せ学校の水道水でさえ人によっては拒絶する程冷たい。本格的な雪国からすれば大した事がなくても、寒いものは寒い。寒中水泳をやる人間の気は知れた試しがない。
「―――あ、そうだ。川で思い出したわッ。有珠希、あの手紙の件なんだけど、私思うの。手紙の送り主は貴方が水着好きだから振り向かせようとしたんじゃないかって」
「……」
こゆるさんが俺に好意を抱いているのは知っているが、それはあの状況で味方したのが俺だけだったからというある種の吊り橋効果だ。別に誰であってもあの時味方になれるならあの人にとっては愛しいだろう。
なのでマキナの予想は間違いでもない。キカイの勘という奴か?
「そうだったとして、何か気がかりな事でも?」
「ええ。私と貴方の部品探しってかなりかかると思うの。一か月二か月で終わるとは到底思えなくて。それでもしも夏になるまでに終わらないようだったら貴方と一緒にお休みを取りたいなあって思って!」
「息抜きには賛成だな。お前と一緒に居るなら退屈しなさそうだ」
「うふふ♪ 私もそう思うわッ! それでね、有珠希が水着好きって事なら私も水着を着ようと思うの。どうかし―――」
それは一瞬の出来事だった。マキナの手が強くひかれたかと思うと土手の裏側へ。雑草だらけで誰も足を入れていないような場所に彼女を押し込み、壁代わりのフェンスに手を突いた。
「う、有珠希ッ?」
「……水着。お前が着るのか?」
「そ、そうよ? ど、どうかした……の? 私の身体なんか見て……不都合でもあるかしら」
「いや、全然ない。無さ過ぎて困る。いや、本当にもう全然大丈夫だ。是非水着を着てくれ。着せ替えショーとかもいい」
「な、何何ッ? ほんの軽い感じだったんだけど、有珠希ってばそんなに水着が好きだったの?」
駄目だ、もう我慢できない。息を荒らげて、距離を詰めて、そこまで追い詰めて更にもう一歩踏み出そうとしている。ここまで来てもマキナを無理やりどうにかする力なんてないので彼女も恐怖はしていないが、普段とは違う雰囲気に困惑しているようだった。
眼球同士が触れ合うような近距離の刹那。マキナが頬を染め、何かを察したように口角を上げていく。
「―――ふーん。そっかぁ。有珠希は水着が好きなんだあ。良い事聞いちゃった♪ それじゃあどんな水着が好きなの? 貴方の好みを知りたいわッ」
一転攻勢。わざわざ自分で距離を詰めたのに、どう答えても変態っぽくなる質問には冷静にならざるを得ない。しかしマキナの両手がそれを許さなかった。俺の背中にまで手を回し、張りのある豊満な胸と手で身体を締め付けてくる。
「う、ちょっとマキナ。お前―――!」
「ダーメッ、答えるまで離さないわ。離してほしかったら答えなさい? そうだ、今度ニンゲンの雑誌を幾らか用意するからそれで教えてくれるってのもいいかも! 嘘は駄目よ? 私は貴方の好みが知りたいだけなんだから。どんな色? どんな形状? どんな雰囲気?」
「だーもう! そんないっぺんに聞いてくるなよ! 教えるから離せ! いいから離せ! 頼むから離せ!」
「ダーメ♪」
「後で話す! 後で話すから今は勘弁してくれ! 外は恥ずかしい!」
時間帯など知った事かと言わんばかりの大声にマキナはやや不機嫌に顔を顰めた。
「―――もう、強情なんだから。いいわ、じゃあ質問を変えてあげる。今の私は好みかしら。それとももっと薄着の方がいい? 色が違う? 夏はまだ先だけど、これなら答えやすいでしょ?」
最悪の墓穴の掘り方だ。俺が偉人だったら教科書に載るレベルの失態。ウズッキの屈辱だこれは。
どうしてそこまで俺の事を知りたがるのかは不思議だが、とにかくいずれかの質問に答えないとマキナは絶対に俺から離れない。このまま柔らかさの暴力に触れていたら意識が今度こそ天国に飛びだすだろうから、答えやすいものに答えなければ!
えーと。えーと。
「――――――お前は何着てても、可愛い」
余計な事を言うまいと脳に徹底させた結果、本音が漏れるなんて誰が想定しただろう。口は災いの元とも言うが、今度はどうか。あれだけ押しの強かったキカイは目を点にしたまま俺を見上げている。
そして静止状態から一瞬で俺を押し倒した。
「有珠希ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「うお!」
雑草に俺達の身体が紛れる。ただでさえ人通りの少ない場所だ。この暗闇も加味すれば。監視カメラがあっても俺達の姿は映らない。
「分かったの! 私! 私の身体が熱いのは特別な事で!」
特別な意味で。
何気なく使っていた言葉よりも重くて。
言霊を介した。
自覚した、感情。
「貴方が『スキ』! 式宮有珠希! 大ッッッッッッッスキよ!」
そのまま流れる様に、ファーストキスを奪われた。




