俺達の冬は暖かい
胸で顔を挟まれた感覚も消えぬ内に目的地へ到着した。時間帯が時間帯なので人通りは少ないが、社会人や夜遊びの好きな学生なら起きていても不思議はない時間だ。実際ここは単なる交差点で、特に珍しい物は無い。それでもちらほらと人通りが窺える。
それは至って普通の日常風景。
「ここだな」
そう。俺の記憶が正しければここと月巳市が繋がっている。『距離』の規定(仮)の仕業だというならここに痕跡が残っている筈ではと思い、やってきた。直近で改定されたのは俺の家の傍だが、あそこは時間帯に拘らず未紗那先輩やメサイア・システムの人員と遭遇するないしは監視されている可能性がある。それは気まずいので避けたかった。
「お前がいないときの話。『傷病』の時な。ここを通った瞬間……いや向こう側から通ったんだけどさ。凄く遠くの場所に行ったんだよ。部品を探す手がかりが欲しいならやっぱここは外せない…………マキナ?」
とっくに手は離している。マキナの身体に触れていると夢心地のような感触がフラッシュバックしてしまって落ち着かなかったからだ。振り返って尋ねると、彼女は自分の手をじろじろ見回して、不思議そうに首を捻っていた。
「何してるんだよ」
「……有珠希って、時々強引な所があるのよねー」
「お前程じゃない。俺はいつも振り回されてる。俺が振り回したってんなら気分はどうだ? 自分が振り回されてどんな気分になったよ」
「…………うふふ♪ どんなって、癖になりそう! 貴方に振り回されるのがこんなに楽しいなんて思わなかったッ。で、ここが有珠希の当てなんだっけ?」
おお、素早い切り替えだ。
しかしマキナの表情は芳しくない。
「でも一つ確認させて。貴方には見えないの?」
「視えないっていうか……因果の糸は物質には繋がってないしな。概念をなんやかんやされたらどうしようもねえだろ」
「規定は万能の力じゃないわよ。私、基準を弄ってるだけって言わなかったっけ。『距離』の規定―――ええ、確かにあるわ。でもね、大前提として規定は改定したい場所に干渉しないといけないの。道路に触ったなら他のニンゲンにも同じ現象が起きる筈。でも見た所そんな感じは無い。私の部品を拾ったのは全員ニンゲンだから、物理的干渉しか手段がないし、どうやって概念に触れるの?」
「でも俺はちゃんとワープしたぞ! 月巳市からどんだけ離れてると思ってんだ、流石に気のせいはありえない」
「ええ、気のせいではないでしょうね。問題は探し方だと思うわ。今までの流れを整理すると、貴方は空間をどうにかしてると思い込んでたから―――もっと足元を探すとかいいんじゃない?」
足元に規定があるとは思えない。という個人の意見は口を噤んで黙らせておく。それを言い出したのは部品について一番よく知るマキナだ。それと比較すれば素人も同然な俺の何処に説得力があるのだろう。
マキナは適材適所と言わんばかりに後ろ手を組んで静観を決め込んだ。背中に掛けられる「頑張れー!」という声には不思議と元気を貰える。普段の俺なら嫌味としか受け取れなかったかもしれないが、キカイにそんな裏表はないし、何より頼られるのが嬉しかった。
善人がどうとかではなくて。取引相手として真っ当に取引の約束を果たしているみたいで。
「一応一緒に探してくれよ」
「探してる。でも糸が視える貴方が見逃して私が見逃さないっていうのは考えにくいと思わない? 『距離』の規定をそんな風に使うんだったら……痕跡がある筈よ」
「痕跡?」
「よく思い出して? 貴方は何処から出て来たの?」
「……」
まさか今になって再捜索する事になるとは思っていなかったので、正直よく覚えていない。帰って来た時の大まかな位置は間違っていない筈なので、マキナの言う通り痕跡と呼ぶに相応しい物を探してみる。
「「あッ」」
自販機底の十円玉を探すよりも懸命に足元を照らしていたら、マキナの発言が現実のものとなった。数メートル先にバケツでぶちまけたような血痕が壁から地面に掛けて流れている。どうやら俺達は壁をショートカットの出口にしてこちらに戻って来たようだ。
―――こんなの見逃したのか、俺は。
一神通を追うのに必死で死角になっていたと思う。未紗那先輩も足元なんか見ていなかった。こんなに目立つ痕跡なのに、探そうと思わなければ見つからないなんて意外も意外だ。マキナの発言通りならこれは所有者の血液という事になる。血痕の状態からしてもとっくに染み込んでいて掃除しようとすれば一苦労だ。
白い糸が、建物を貫通して伸びている。
「ほら見なさい。こんな所にあった」
「おう。思わず感心したかも」
「もっと褒めてくれてもいいのよッ? 私が教えなかったら貴方はいつまでも上を見ていたかもしれないんだし!」
「…………なんかいいよな。こうやってお互いに知恵を出し合うの」
「私と有珠希が要れば百人力なんだから、もっと自信持って行きましょうっ?」
百人力……その割合はとてつもなく偏っている気がするものの、ちゃんと俺を頼ってくれる所に嬉しさを感じる自分が居た。こんなふざけた力を持っているのに全知全能の万能ではなくて、俺みたいな人を頼らないといけないギャップ……というべきかは分からないが。こういう所が人間臭いのである。
「それにしても、上手い作り方ね」
「こうしてみるとバレバレだけどな」
「私達にはそうでも、他の人には認識出来ないんじゃない? 本当にそういう目的があるかは分からないけれど、この痕跡を発見できるって事は少数派の人間だって炙り出しも出来るし」
確かに健常な人間は生きてるだけで血をぶちまけたりはしない。これも手遅れという判定になるなら普通の人には見えないのか。
……そろそろ聞いてみるか。
俺に言わせれば、今のマキナはかなり機嫌が良い。元々約束はしていたが今だからこそ聞ける余計な情報もあるかもしれない。
「なあマキナ。幻影事件の事、聞いて良いか?」
「……またメサイアに変な事吹き込まれたの?」
「そうじゃなくて。被害者に話を聞いたんだよ。それでさ……なんて言ったらいいんだろ。あの時期って人が死ななくなって、なんか人が死ぬようになった? 言ってて俺の方も良く分からないけど、とにかく人間が死ななくなってたって話なんだ。やっぱりこういう物理法則のねじ曲がった話はお前が詳しいんじゃないかって思ったんだけど」
「あー。…………そう、ね。丁度いいかな。貴方にメサイア・システムの危険性を分かってもらう為にも話そうかしら」
メサイア・システムという単語だけで不機嫌になったりはしない。むしろ今の彼女は何処となく嬉しそうだった。このタイミングは俺が望んだ瞬間だが、どうもはにかみを隠し切れない様子からしてマキナにとっても好都合であるらしい。
「順を追って話すわね。まず結論から言うとその当時も別に『死』の規定は変わってないわ。厳密に言ってしまうと物理法則としては変化がないだけで、ニンゲンの認知の上では変わってただけ―――何の力もないニンゲン達が自らの手で『死』を歪めただけ。ここまでは大丈夫?」
「死を歪めただけって……ただの人間にそんな事が出来るのかよ。現実的じゃない解釈だな」
「現実的じゃなくても現実よ。主観が全てのニンゲンに現実がどうこう語る資格は無いと思うけど、リアルとリアリティは別物って言えば分かりやすいかな。私の存在だってリアリティはないんじゃない?」
確かに。こんな美人はいないし、こんな理不尽は無いし、こんなキカイは誰も発明していない。マキナの手を握ってみた。彼女はここに居る。現実だ。
「……お前の言いたい事を纏めると、死が歪んでたのは飽くまで人間だけって事か?」
「そういう事になる……のかな。当事者じゃないから断定は出来ないわ。で、ここから大切な話。私、メサイアの事が嫌いだから貴方に近づいてほしくない……のもあるけど、それだけじゃないの。人間が何の力も伴わないまま『死』を捻じ曲げる。それは自然現象的に発生するものじゃない。誰かが仕組まないと起きない事よ。私はね、それこそメサイア・システムのせいなんじゃないかって思ってるわ」
「…………何?」
ハイドさんの話と、噛み合わない。いや、対立しているのだから一致するのはむしろおかしいのだが、何でもかんでもマキナのせいにしないと未紗那先輩を留められない組織と単なる個人のマキナとでは多少意味が違うだろう。
「メサイアは平和的に世界征服を使用としてるのは聞いたよ。人類を独立させてそのトップに立つ。その為にお前の力が欲しかったりもするって。でも待て。待ってくれ。あいつらに人類を同士討ちさせる理由なんかないだろ? むしろ守るべき唯一の存在なんじゃないか」
平和的に統治してこそ正しい民意が生まれる。ハイドさん曰く、それがトップの思想だ。御大層な思想にとやかく言うつもりはないが、この発言に沿うならむしろ食い止める側にないといけない筈。そうでないと正しい民意とやらは生まれようがあるまい。
「有珠希。世界征服の簡単な方法教えてあげよっか?」
「何だよ」
マキナが月の瞳を白く輝かせて、何処にあるとも知れぬ組織への嫌味とばかりに歯を見せて笑う。
「世界中が従順な犬になってくれたら世界征服なんて簡単よ?」
―――。
――――――。
「犬……」
「そう。ご主人様の言う事は何でも聞いちゃうようなの。例えばそうね。頼まれたら何でもやってしまうとか、都合の悪いモノは見ないとか」
「…………それは今の世界だろ。幻影事件とは関係ない」
「ええ。でも幻影事件があったから今の状態になったとも言える。だって世界中が大ダメージを負った事件だもの。火事場泥棒とは違うけど、私の心臓に位置する部品を持ってるならどさくさに紛れてやりたい放題出来てもおかしくないわ。考えてもみなさい、犬が増えて一番得をするのは誰なのかって事」
分かっている。
未紗那先輩が悪い大人に騙されて殺人をしているのは、メサイア・システムの邪魔になるから。
メサイア・システムが未紗那先輩を言い様に使うのは独立した人類のトップに立つ為。
先輩は無差別殺人ではなく、『犬』にならなかった人間を殺して回っている。そこに部品があり、規定によって被害が出ていると虚偽の報告を去れているから。
救世主症候群に罹った人間が増えて一番得をするのは、他でもないメサイア・システムなのだ。
馬鹿は操りやすい。それ以上でもそれ以下でも無く。
だから殺したと?
「…………」
頭がごんがらがりそうだ。互いの主張が食い違っているというか、メサイアの言い分は大概当てにならないがマキナの方はというと批判ありきの見方をしているような気がしなくもない。今の状況で一番得をしているのは確かにメサイア・システムだが、結局陰謀論みたいなもので、後出しなら幾らでも関連付けられる。
―――いや、違う。
そんな事よりも、もっと根本的に噛み合わないのはマキナの心臓だ。あれは俺の中にある筈。心臓が無いと世界を変えられないならメサイアは犯人ではないし、犯人は俺という当たり前の帰結が待っている。でも俺は違う。
しかしこれが心臓に相当しないなら俺は死んでいるし。
心臓じゃないならこれは一体何なんだ。
「…………冷え込んできたな」
冬の二三時ならこれくらいの寒さにはなるか。すっかり温度を失った指の末端を組んで誤魔化していると、マキナがそっと身体を寄せてきた。
「どこかで休憩しましょう? 部品探しの時間はまだまだたっぷりあるし、貴方も考えを整理したいんじゃない?」
「…………そうだな。寒くて頭が回らないかもしれない。暫くお前の体温で温まるよ」
「うふふ♪ こんな風に当てにされるならもっと体温を高くすれば良かったかしら。でも有珠希の血液だし、あんまり無理は出来なさそう。今はどう? 温かい?」
「…………柔らかい」
服の上からでも様々な感覚が伝わってくる。
一家に一体、楠絵マキナ!
炬燵の魔力にも引けを取らぬ魔性に俺は囚われている。
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