市内平面説
君は紗那と帰ればいいさ、とカガラさんは俺を先輩のクラスの前で置き去りにして何処かへ行ってしまった。こんな場所であの人を待っていても空しいだけだが、かといって行く場所もないので大人しく縮こまっている。
俺の周りはどうしてこうも問題がこんがらがっているのだろう。メサイア・システムの真実とマキナの部品回収の話と幻影事件には何の接点も無い。実は隠された接点が……という事もない。特にマキナは本人曰く俺を騙る何者かに身体を刻まれた結果なのでそう歴史ある因縁がないのは確定だ。こんがらがっているというのは、繋がりが無い癖に俺個人がそれらの問題に触れてしまう程近い場所で起きたからだ。
確かに全くの無関係ではない。メサイア・システムがここに来たのはマキナが訪れたから。マキナの方は何故か俺の中に隠された心臓を感知したから。幻影事件は……無関係かどうかも判別出来ないとして。
いやまて、幻影事件はとっくに終わっている。知りたいのは俺の探求心だ。接点がどうとかではない。前提をはき違えるなと。
未紗那先輩のクラスはHRが長い。見ているととっくに語る事など無さそうなのに、和やかな談笑が続いている。席順的にも雰囲気的にもあの人はクラスの中心に居た。ここはまるで別世界。赤と白と青で紡がれた箱庭の世界に、優しい先輩は生きている。
何もかもが、別世界。
俺のクラスだってそうだが、この世界は因果の糸に満ちている。この視界は俺だけの物で誰にも共有出来ないから理解者が居ない。手を伸ばせばその人間の人生がそこにある。はっきりとした狂気ではないかもしれないが、生と死の境界線よりもこの糸は複雑で、だから目障りだ。
俺がマキナに好意的なのは、アイツの性質も影響しているのかもしれない。人間なんてどうでもいい。公然とそう言い放ってくれるような奴はアイツしか居ない。否が応でも糸としてすべてを読み取ってしまうような視界があると、そういうドライな価値観が一人ぐらい傍に居てくれた方が気が楽なのだ。後はまあそこはかとなく下世話な話になるが、糸だらけで醜い世界で傍に居てくれるなら美人の方がいいという理由もある。
そうだ、糸は醜い。醜いし、見にくい。この世界では全てが醜悪だ。何も見えていないのに理解した事になるのがもどかしい。俺にはそいつの人生で何が起きるのか全てが分かる。嬉しい事も悲しい事も楽しい事も怒りも全て分かるのに、抽象に具体性を持たせようとすると正体不明になる。
先輩の事だって、とうの昔に分かっている筈なんだ。
「…………」
クラスメイトは、先輩の側面を知らない。彼等が知っているのは表向きの顔だけで、そういう意味では俺の方が詳しいだろう。なのに何故だ。こんなにも疎外感を覚えるのは。やはり糸か。糸なのか。これが蜘蛛の巣を楽しめる人間と蜘蛛の巣を嫌がる人間の差か。
「式宮君? ……ずっと待ってたんですか?」
先輩の声が聞こえた所でタイマーストップ。三分も無かったようだが、俺にとっては永遠の時間だった。あの人の言う通りかもしれない。ストレスで様々な感覚が鈍っている。校内でこれなのに町へ出たら噂だらけで思わず兎葵も文句を言いに来る程だ。今からでも気が病む。
「…………先輩」
「何でしょう」
「学校…………楽しいですか?」
「ええ、とても楽しいですよ……私にはどうしようもありませんが、君も難儀な視界を手に入れた物ですね。心中はお察しします」
「先輩と同じクラスになりませんかね。そうなったら俺、凄くやる気が出ると思うんですけど」
「おや、それは私に強制をしているんですか?」
例によって、そう言い返されると反論出来ない。困り顔で硬直する俺を見つめて、先輩が満足気に後ろ手を組んだ。
「ふふ、いい顔をしますね。君のそういう顔、大好きです」
「先輩の意地悪」
「ええ、そうですよ。意地悪です私は。君には何の話か検討もつかないでしょうが、私も普段は上からの言いなりですからそれで勘弁して下さい」
「いや、あの。上の言いなりに辟易してるなら大体同じ事をしてるっていう自覚を持って欲しいんですけど」
「自覚はありますよ。とっても愉快ですねッ」
うわ、最低だこの先輩。
クラスメイトの見送りを適当にこなしながら、彼女は俺が立ちあがるのを待っている。これから俺が家に帰るまで未紗那先輩は任務として付き添わないといけないので、俺がここで地蔵になろうものならいつまでも佇んでいるだろう。
わざわざ立ち上がらない理由は無いが、こうして蹲踞していると先輩の太腿が視界を覆うのでそれとなく気分が良い。一応捕捉すると至近距離なので糸が視えないという意味だ。他意は無い。不安になるような細さは無く、非常に肉付きが良い。メサイア・システムの人間として世界中を走り回った太腿の香りがする。
俺は何を言っているのだろう。
「……未紗那先輩、普通のお面の話なんですけど。持ってきてくれましたか?」
「ああ、その件で待ってたんですか。それはまたどうもお待たせしてしまいまして。安心してください。デスマスクではないちゃんとしたお面を持ってきましたよ!」
そう言って先輩が学生鞄から取り出したのは落ち葉を模したようなお面。目と鼻と口部分に穴が開いているが、それ以外は枯葉色の何やら面白みのないお面だ。いや、ひょっとこよりはマシだけれど。
目だし帽もそうだが場所にそぐわないまま顔を隠すと不審者にしかならない。仮面が面白いかどうかは問題ではない。どうせ相手から見れば不審者で一括りだ。
「仮面をかぶって素顔の分からない高校生……こんな人、実際に居るんでしょうか」
「これはこれで噂になりそうですよね。不審者として」
「そこは大丈夫です。なんてったって私が傍に居るんですからッ」
俺のクラスとは違い、未紗那先輩のクラスは相対的にドライだ。この人が人気者なのを知ってか『また未紗那が後輩の相手してる』とでも思われている。糸が行き交う景色は不愉快だがたったこれだけでも何てストレスフリーな風潮だろうか。人望などという概念とは縁がないと思っているから、時々どうしても先輩みたいな人気者が羨ましくなる。
「それじゃあ、帰りましょう」
「……部活は良いんですか?」
「この時期に三年生が部活をやっていると思いますか? まあ頼まれれば参加しますが―――今は君が優先です。行きましょう」
先輩は制服の上から灰色のダッフルコートを羽織ると、やや強引に俺の手を掴んで廊下をずかずか歩き始めた。
「先輩、手が冷たいですね」
「冬は冷えますから。そういう君はとても温かいです。冬とは思えないくらい」
「あー……体温が高いんじゃないんですかね、多分」
マキナの心臓で体温が狂っている(推定)とは言い出せない。先輩に連れられている状況に羨望の眼差しを浴びながら昇降口を過ぎていく。外には噴水の縁や校門で寛ぐカップルの姿がある。そこを通り過ぎるまでについぞ担任から声が掛かる事はなかった。
「どう? 私だって少しは便利だろ?」
「うわあああ!」
校内の敷地を出てすぐの場所で待ち伏せをしていたのはカガラさんだった。耳元で囁かれた声は蕩けるように甘く、さりとて不意を打たれれば驚かされたのと変わらない。隣に先輩がいる事も忘れて大きく仰け反り、ぶつかってしまった。
しかし未紗那先輩は気にも留めていない。感触で申し訳ないが後頭部が鼻に当たった様な気がする。実際に目で確かめても見分けがつかないので真相は謎のままだ。
「ごめんなさい先輩!」
「ああいえ。それは別に。篝空さん、何をしているんです?」
「何って私だって彼と仲良くなりたいって言った筈だよ? たまにはこれくらいいじゃないか。どうせ今日の仕事は終わってるんだし……話したい事もある。式宮有珠希君も交えて、ね」
確か未紗那先輩とカガラさんは仕事のパートナーでありながら上司と部下の関係でもあったか。ならばカガラさんの行動を咎めようとする先輩とで一悶着起きそうだと思ったのも束の間、手持無沙汰になっていたもう片方の身体がカガラさんの腕に絡めとられた。
「えッ―――!」
「か、勝手な真似をしないで下さい! 貴方は学校関係者ではないでしょう!?」
誰よりも狼狽えた反応を見せる先輩に、カガラさんはキッキッキと悪い魔女のように意地悪な笑顔を見せた。
「おやおや。彼ではなくて紗那の方に食いつかれちゃったよ。空いてたからしょうがない。それにほら、一人より二人の方が守りやすいじゃないか」
「いいえ、私一人で十分です。貴方には貴方の仕事がある筈。さっさと戻ってください。式宮君もどうして何も言わないんですかッ」
「いや、まあ…………」
あんまり目立ちたくない、とは言えない。多分俺が黙っていてもこの空間は目立っている。美人は居るだけでも目立つと言うが、ゴスロリ服は色調的にも目立たない訳がない。ましてまだ空が明るいなら猶更だ。冬だから日の沈みが早いとかそういう問題ではない。人間の視界がまともに機能する時間帯ならどうあれゴスロリ服は目立つ。
両手に華とポジティブに考えようにも、メサイア・システムの肩書が胡散臭過ぎてそんな気にさえなれない。
「用事、あるって言ってたし。少しくらいいいんじゃないんですか?」
「……成程。そうでしたか。いえ、すみません。こちらも動揺が先行して話を一部聞いていませんでした。しかし腕を組む必要はないのでは?」
「え? 別にいいでしょ? 式宮有珠希君は妻帯者でもないし恋人もいないんだから」
「…………式宮君?」
「また俺ですかッ? ええっと……カガラさん?」
「はいはい?」
「―――これ以上先輩の機嫌を損ねると俺に飛び火するので手短にお願いします」
「何ですかその言い草は! 私が悪者なんですかッ?」
珍しく未紗那先輩の言い分は無視だ。やり方はともかく本当に手短を願っている。これ以上目立つとまたよからぬ噂が立ってややこしい。おまけに今度はちゃんと火元があるから仮面で顔を隠す意味がない。
先輩が肩に流していた黒髪を軽く掻き上げる。カガラさんは調子にのって更に俺との距離を密着させた。
「……それ以上は越権行為です。さっさと用件をどうぞ」
「はいはい。まずは今朝の話だ。紗那には軽く説明しておこうかな。一神通―――山坂翔矢の過去の経歴、それと式宮有珠希君がキカイに命じられて回収した時の話と総合して、今までの拾得者は自分で直接部品を拾っている訳ではないという可能性に辿りついた」
「続けて」
「彼に言われて闇サイトの線を探ったが空振りだ。もう少し情報が要る。少し歩いた感じだとこの町中で彼はちょっとした有名人みたいだからこれを利用して情報を集め―――」
俺達三人が駅に続く歩道橋を渡ろうとした、その刹那。
家の前に、着いていた。




