敬遠していく日常
「…………は?」
いやいや。こんな質問に淡々と答えるのは不可能だ。思わず声が出ても嗤われるような事ではない。例えるなら痴漢の冤罪みたいなものだ。どう考えても犯罪行為として取り締まられる対象に入りかねない状態で、ふざけた空気感は醸せない。
「な、何言ってるんだ? 事実な訳ないんだが?」
大体そんじょそこらの中学生と関係を持つくらいなら他にもっとそういう……何でもない。根も葉もない噂とはこの事だ。火のない所に煙は立ってしまっている。あまりにも理不尽な噂に正直ちょっと怒っている。
「……そうですよね。ええ、勿論信じていましたよ。兄さんはそのように不純な男性ではないと存じています。兄さんは引く手あまたになっても不思議はないくらい魅力ある男性ですから」
「……褒めてるんだよな。妹に言われると複雑だけど」
「心からの本音ですから、偽りませんよ。ええ、追及はこのくらいにしましょう。兄さんが私に嘘を吐くなんてありませんからね。それでは食事の支度をしてまいります。もう少しばかりお待ち下さい。所で兄さんは味は薄い方と濃い方のどちらがお好きですか?」
「どっちでもいい……は一番困るよな。朝になんか濃いの食べたくないから薄いので」
「有難うございます。兄さんの要望に応えられるよう全力を尽くさせてもらいますね? 胃袋を掴むのは大切だという話もありますから」
牧寧が立ち上がるまでの一連の動作のなんと華麗な事か。数秒目を奪われる。俺の部屋から出ていくときの仕草まで、彼女の立ち振る舞いはお嬢様のように美しかった。尤も、妹を兄が見つめていた所で何も問題にはならない。遠慮なく視線を送っていると、妹が髪を掻き分けつつ振り返った。
「……兄さん、二人で暮らす件ですけど」
「有耶無耶になった奴な」
「あれは兄さんが鈍ちんだから……! そんな事より、兄さんの答えを聞かせてくれませんか? 二人きりで一緒に暮らすの……」
「…………」
不都合はない。家に牧寧しか居ないならむしろ負担が少なくなる。相対的に仲が良いからとか人情的な理由ではなくて、糸の絶対数が少なくなるから。家族団欒が嫌いなのは妹以外の家族をそこまで好きではないというのもあるが、ストレスで嘔吐するリスクは食卓の観点からも感心出来ない。
「お前がいいなら、いいよ」
その瞬間の輝きは眩し過ぎて物理的にも焼き付いてしまいそう。妹はふぁさっと髪を大きく揺らして、放っておけばその場で踊りでも始めそうなほど身体を揺らしている。微笑みもそう呼ぶには露骨すぎるくらいにやけていた。
「―――その言葉を聞けて、好かったですッ。兄さんは私の大好きな兄さんのまま変わらないで下さいね?」
「良く分からんけど、まあ変わらないと思うぞ。早く行けよ」
「はい! 今日は腕によりをかけますねッ。兄さん、二人で暮らすようになったら一緒にお風呂も入りましょうね?」
そう言い残して妹は去っていった。何やらとんでもない約束をついでのように取り付けられた気もするが、妹がいいなら……いいか。俺の記憶が正しければ小さい頃は一緒に入っていた。その延長だと思えば別に断るような理由もない。
―――何か、忘れてるような?
忘れてても問題なさそうだ。小さいころの思い出を何から何まで思い出せる訳が無い。あの人との―――スーお姉さんは例外として。
「大体中学生と性交したってどこの情報だよ……」
知り合いに中学生は居ない事もない。羽儀兎葵だ。彼女は多分中学生だが、意図して会えるような人間ではないし、最近はそれどころではない事件に巻き込まれているから何処かで接点が生まれたという事もない。
俺の事を嫌いな奴が流したデマだとして……善人がそこまでするだろうか。頼まれたらするだろうが、頼む奴がどういう神経なのか。疑問は尽きない。無限にある。何処からどう取り掛かれば気持ち良く解決するのだろう。
未紗那先輩を助けるにはどうすればいいのか。ハイドさんはお前次第だと言った。あの人のサポート力は未知数だが、メサイア・システムでもかなり上の方に居るので中々無茶はきく筈だ。そうでないと困る。
「―――カガラさんにも協力してもらわないとな」
今、一番解決したい問題を直ぐに何とかする方法はないその代わり、当初から疑問に思っていた事なら答えを得られる気がする。メサイア・システムの協力を得られた今なら、俺だけでは手に入らない情報も手に入る。
「お待たせしました。兄さん」
色々考え事をしていたらかなりの時間が経過していた。お盆の上に朝食一式を乗せた牧寧がやってくる。制服の上からエプロンを着たままなのは手間を惜しんだからだろうか。とてもよく似合っている。
「この時の為に早起きをしたんです。さあ、食事をしましょう。兄さんの事、もっと色々聞かせてください」
家の外に出ると、カガラさんが欠伸を噛み殺しながら俺を待っていた。相も変わらぬゴスロリ服は季節が何月であっても目立ってしまう。今日の天気は曇りだから、余計に黒色は目立つ。ただし普通の人の視界を想定した場合であり、俺の視界には常に赤と青と白の糸が張り巡らされているのでさほど目立っている様には思わない。
「おはよう。有珠希君。一応伝えておくと紗那は学校で待ってるよ」
「おはようございます。顔が良いだけのカガラさん」
「……あの人の言う事はあんまり真に受けないでよ。ま、君に言われるのは嬉しいけど」
「何処に違いが?」
「私は年下好きなんだ。君みたいな子に言われるならそう悪い気はしない。嫌味で言ったんだろうけれど」
残念だったね、とカガラさんは目を細める。残念なのはどっちだろう。ハイドさんが発端の物言いでも俺は心からこの人を美人だと思っているのに。今の所、それだけだが。
「カガラさん。早速協力してもらいたい事があるんです」
「ん、聞いてあげよう。何が知りたい?」
「一神通の情報を下さい。本人は死んでも、個人情報は残ってるでしょう? だって未紗那先輩、アイツの本名っぽいの言ってましたもん」
「……? 変わった注文だね。山坂翔矢、三〇歳。規定を手に入れる前はあの病院で入院していた記録がある。事故で下半身不随になっていたそうだよ。彼の所有規定は『傷病』の規定。動くにあたって自分の怪我を治したか。看護士の証言によると彼は常日頃から看護士や医者を羨ましがっていたみたいだね」
「……死んだ人間の話なんてよく聞けましたね」
「死んだ事を教えてないからね。彼はどうも看護士や医者と言った職業を合法的に弱者を見下せる職業と思っていたみたいで、自分の立場が弱い事を嘆いていたらしい。規定の使い方から察するまでもないね。あれを使えば人権完全無視の支配も可能なんだから。頼み込めば言う事を聞くのにわざわざ支配を選んだのはそういう事だろう。基本的な情報は教えたつもりだけど、知りたい部分は一致したかな?」
「…………動けなかったんですか?」
「下半身不随が嘘だったかもしれないって?」
「それはないです。マキナの力がどんなに凄いかはよく分かってるので。そうじゃなくて、規定を手に入れるまでは動けなかったんですね?」
「…………………………ん?」
カガラさんも同じ所に気が付いたようだ。俺と全く同じタイミングで首を傾げ、「気が合うね」と笑った。
そうだ。山坂翔矢は部品を拾えないのだ。
マキナに対して、俺は一つの危惧をした。部品は通常の人間には視えないが、俺のように特別な人間なら視えてしまうのではと。ポンコツキカイは全くそれを考慮していなかったが、結々芽の時から疑問だった。
アイツは拾ったという行為に首を傾げ、力の源という部分に狼狽えた。結々芽とは腐れ縁なので多少なりとも人間性は知っていたつもりだ。俺に信用して欲しいという状況で、嘘を吐けるような奴じゃない。殺されかけた奴の言葉ではないかもしれないが、それくらいは信じている。
そしてもう一例。こゆるさんだ。彼女はアイドルとしての一環で何らかの番組に出演し、占い師に背中を擦られて以降『愛』の規定を手に入れてしまった。これまで一神通の情報が不明瞭な上に探りようがなかったから放置していたが。
「…………俺、マキナに言われて部品探してるんですけど。今まで部品持ってた人って全員、自分から拾った訳じゃないんですよね」
「……そりゃそうだ。部品は普通の人間には視えない。私だって視えないし紗那だって視えない。あの子を使って都合の悪い人間を消してるだけだからメサイア・システムの誰も部品なんて見えないだろうね。視えないものは見分けられないし、視えないから信じるしかない。メサイアの負の側面は全て紗那を騙す為だけに使われていると言っても過言じゃない。ああ、何で気が付かなかったんだろう。こんな簡単な事に。一神通だけでも十分方針として採用出来た筈だ」
「誰かほかに部品を拾っている奴がいる」
拾っているのはそいつだけ。どういう基準で渡しているのかは分からない。野心があるなら自分で使えばいいのに、まるで狂った善人みたいにホイホイ渡してしまって
―――もう一度、あそこに行ってみよう。
絶対に手がかりがある筈だ。何せどちらの陣営も回収できていない規定が一つ残っているから。
「カガラさん。一番簡単な線としてネットを探ってみてくれませんか? そっちの方面は詳しくないんですけど、闇サイトみたいな場所で規定を売ってる可能性があります」




