幻に振り回された話
幻影事件。
……幻影、事件?
気になったのでネットで調べようとしたが、不思議なことに何の記事もヒットしない。このご時世にそんな事があり得るだろうか。誰も何も、一文字たりとも語ろうとしない。存在している出来事でこれはあり得ない。存在しないような事でさえ記事があるのに、陰謀論なんてその最たる物だろう。
「あー無理だ。幻影事件は正真正銘誰も口を出しちゃいけない事件。世界的迷宮入り事件とでも言うべきかな。こういう時、荒らしだかpv稼ぎだか、まあよく分からん目的で根拠もないような事ぺらぺら言いたがる輩は出てくるもんだが、幻影事件は全人類にそれなりのダメージを残したと言われてる。もし幻影事件で大した被害を被ってないならそいつは何かしら知ってるって事だ」
「それは、何なんですか?」
「全人類が集団幻覚を見た結果、同士討ちをするようになった事件だよ。原因不明、正体不明、少なくとも本国じゃ兆候らしき物は無かった。勿論私達も被害に遭ったよ」
「つっても全員が一律で同じ被害を浴びてた訳じゃねえ。主に俺らが巻き込まれたのは同士討ちの方だ。してきた側は同じ人間が全く違う偽物だと思ってたらしい。結局ネットで好き放題するような奴は自分に被害が無いからそうしてるんであって、同士討ちで死にかけるような目に遭ったらそういう事をしなくなるって訳だな」
あまりにもスケールが大きすぎて実感が湧かない。
そんな事件があって、しかもたった五年前。幾ら俺がテレビ嫌いと言っても誰一人として知らない筈がないというなら覚えている筈だ。そもそも事件の概要からして、俺も被害を被っていないとおかしい。何故覚えていないのだろうか。
―――妹に聞けば、分かるだろうか。
日常の象徴ともいえる妹が知っているなら、もう認めるしかない。幻影事件と呼ばれる騒動は実際にあったのだと。キカイの関与についてもマキナが快復してくれたらはっきりする筈だ。
「……で。先輩はその幻影事件がきっかけでメサイアに入ったと?」
「アイツは幻影事件によって家族同士の殺し合いに巻き込まれて全員を失ってる。兄弟も両親も互いを憎みながら死んでいった。アイツはそれで天涯孤独になって……色々あってうちのトップにスカウトされたって話だ。その辺りは本人に聞いてくれ。聞き出せるものならな」
「……だからキカイを、憎んでるんですか」
同士討ちとはいえ、それを引き起こした元凶がキカイにあると言われたら未紗那先輩は信じるしかないのだろう。だってその間違いを証明してくれる人間は誰もいない。幻影事件と呼ばれているのはその詳細もさることながら、事件の全貌を誰も解明出来ないからというのもあるのかもしれない。
「…………大体わかりました。メサイアがクソだって事と、未紗那先輩が……裏の無い良い人だって。分からないのは、それで俺に命の危険が及ぶ理由です。後、何でこんな事を俺に教えてくれるのかも」
「質問が多いぜボーイ。ま、無理もねえか。俺が教えなきゃ知りたくても分からない裏事情だ。メサイアをどうにかしたい奴等にとっちゃ喉から手が出る程欲しい情報だろうさ。いいぜ、答えてやる。何故答えてやるかも合わせてな。まず一つ、お前に命の危険が及ぶ理由だが……今までに語った通りだ」
「へ?」
「ミシャーナはウチが誇る最強戦力だ。離反されたら野望は頓挫するつっても過言じゃねえ」
「私は紗那のデートが独断だって言った筈だよ。彼女は君を保護する事を優先する様になっている。元々紗那は家族間の殺し合いを見た影響で感情が壊れてるんだ。優しい先輩も面倒見の良さも全部演技。上司に言われればすぐにかなぐり捨てるような皮でしかなかった……のに、君と出会ってから……君とキカイが関与してからというもの、自我と呼べるような物が芽生えてきている。今はまだ盲目だからいい。けれどこのまま放置するといずれ離れてしまう可能性が生まれてしまう」
「馬鹿は操りやすいって言うだろ? 頭が空っぽなままな方が御しやすいのさ。今はまだ誤魔化しが効く範囲だけど、これ以上仲良くなれば君もメサイアにとって邪魔な存在になる。なら排除するしかないってオチだ。芽生えた感情を壊す為にも、紗那に命令してね」
未紗那先輩が語ってくれた組織造と、あまりにかけ離れている。人類の独立した運営も結局は支配者になりたいが為の方便でしかなかった。キカイを敵に、あらゆる責任を被せて正義の味方面するなんて、それはまるでこの世界全体を表しているようではないか。
―――先輩。
録音なんかしていないし、きっと許してくれない。ハイドさんは俺だけに教えたくてわざわざデート終わりを狙ったのだろうし、カガラさんだってそうだろう。仮に口頭で教えても、俺は口が下手だから単に嫌われるだけに留まる可能性がある。
「二つ目。これを全部教える理由。俺にとっちゃこっちが本命だ。言うなりゃ今までの情報は全部少しでも信用してもらう為の手土産みたいなもんだな」
ハイドさんは不意に居住まいを正すと、俺に向けて掌を差し出した。
「てめえが欲しい、シキミヤウズキ」
何の権力も血筋もない俺を求める理由。
そんな物は一つしか無くて、きっと俺がここに関われる唯一の手札。
「……因果を視る力、ですか」
「そうだ。どうもI₋nから話を聞く感じじゃ自覚が無えみてえだが、因果が視えるってのはそいつの道筋を読むという事。過去も現在も未来も視えたらそいつを操るなんて簡単だ。そんな力、欲しくない訳がねえ」
「……ハイドさんには悪いですけど、そこまで便利な力じゃないですよ。ただ糸が視えるだけですから」
因果が視える。言葉の上では大層な特殊能力でも実際に持ってみると邪魔なだけ。こんな能力は今でもクソだと思っている。せめてもっと負担の少ない感じにしてほしかった。誰が仕様を決めているとかではないのでそこに何らかの意思はないのだろうが、何十年と苦しんできたのだからこれくらいは許せ。
「その糸が重要なんじゃねえか。俺はな、思うんだよ。キカイとやり合うなんてコストに見合わねえ。あんな馬鹿げた力を相手に無傷で勝利するとか不可能だ。じゃあいかにしてやりあわずメサイアの目的を達成するかってなると……てめえが必要になる」
「メサイアの目的……あれだけ言っておいて、ハイドさんも人類の運営を目指してるんですか?」
「じゃなきゃ入ってねえっつーの。やり方が違うだけだ。少なくとも俺のやり方ならキカイと争わずに人類を運営できるようになる。てめえが俺の手足になってくれるならな。それに報告によると、どうもてめえはキカイに好意を向けてるそうじゃねえか? ん?」
「こ、好意とか! やめて下さい! アイツとはその…………アイツに心臓を握られてるだけ…………です。から」
嘘を吐きたくない。
でも嘘を吐かないといけない。
だってあれは、俺達だけの秘密の約束だから。
「てめえの感情はどうでもいい。実際にキカイはてめえを重宝してる。つー事は、てめえが手足になってくれりゃキカイと争わずに済む可能性だって端から不可能とは言えなくなる訳だ。悪い話じゃねえだろ? キカイが好きってんなら応援しようって言ってんだぜ? 他にも要望があるなら可能な限り聞いてやるよ。金でも女でも、好きなのを言いな」
「…………未紗那先輩を助けて下さい」
「生憎だがそりゃ無理だ。……尤も、てめえが勝手に助けるなら止めはしねえし、サポートくらいはしてやる。それだけはてめえの動き次第だな」
「…………………………」
悪い話じゃない。
メサイアの中枢に居ると思わしき人間とパイプが生まれれば、もっと深く関われるようになる。たとえそれで二度と日常に戻れる事がなくなっても―――日常なんてものは退屈で、マキナの味方をした日から―――逃げるなんて選択肢は、無くなっている。
「前向きに検討するんで、電話番号を下さい。カガラさんも」




