救世主の手足となりて
車内に戻ってきた。屋上は寒いという理由らしいが、どう考えても機密保持の関係だろう。二人の上司という事はそれなりに事情を知る人間だ。教えてくれるというならその情報は俺達の間でのみ共有されないといけない。
「普通の人間って……意味が分かりません。未紗那先輩が普通の人を殺すなんて信じられない」
「まあ、そうだな? メサイア・システムの信条にも反する。結論から話してやりたいのは山々だが、てめえの言う組織のゴタゴタが密接に関わる。悪いが順を追って話すぞ。時間はあるか?」
「……本当は無いけど、いいですよ。気になるから。このままじゃ寝不足になりそうですし」
「興味を持ってくれて何よりだ。話の分かる奴ぁ好きだぜ? さて、何処から説明したもんかな、メサイア・システムの目的は知ってるか?」
「それは先輩から聞きました。えーっと……あらゆる現象はキカイによって管理されているが、人類はもう成長したので人類だけでこの世界全てを運営しようみたいな感じですよね」
「はッ。大正解。だがちいとばかり綺麗すぎるな。どれ俺様がフィルターを取り除いてやろう」
ハイドさんは助手席の背凭れを倒すと、ダッシュボードの上に組んだ足を乗せてのんびりと話し始めた。
「ネットで調べりゃ分かるかもしれねえが、基本的にはメサイア・システムは善良な組織だ。世の為人の為と働き、完全平和を目指す為なら手段を問わない。そんな組織だ。表向きだけ見れば今が完全平和って声もあるだろうが、知っての通りごく一部の奴等を除いて世界全体の状態がおかしな事になってやがる。アレがきっかけだろうけどな」
彼にそう言ってもらえて、少しは俺も気が楽になった。自分の価値観が旧時代的なのではと最近は思わないでもなかったのだ。今まで信じてきた当たり前の価値観は幻想で、実は生まれた時からこうだったのではと。
「んで、メサイア・システムはこれをキカイの仕業として破壊しようと躍起になってるんだな。ハッキリ言って今の世界には『人情』しか介入する余地がねえ。そういうのは本当、まともな社会を築く上でやりにくいんだ。お前も分かるだろ? 誰かが得をする、誰かが救われる、その結果があるなら何をしたって善行だ。誰も何も出来ない、どうする事も出来ないものは認識出来なくなっちまって、合理性の欠片もない。地盤の緩い場所だろうが土地の権利だろうが関係なく好きな場所に誰でも建物を建てられるが、地震で倒壊してもそこで死んだ奴なんて知らんぷりさ。誰が何の目的で建てたかも覚えちゃいない。当人さえな」
「……自然現象は人情でどうにもなりませんからね」
「―――んで、ここまでが表向きの話。ミシャーナが聞かされてる情報だ」
「……え?」
表、向き?
「メサイア・システムの目的は人類の完全な独立だ。聞くがてめえ、人類が完全に独立したとして、それを誰が統治する?」
「…………各国の政府に任せるんでしょう。元の世界に戻してくれるなら、そうしないと」
「メサイア・システムは元の世界に戻すつもりなんてねえよ。『人類の完全な独立』は言い換えれば『人類の掌握』だ。俺達は人類ピラミッドのてっぺんに立とうとしてる。キカイを破壊しようとしてるのは認識がおかしくなったのを戻す為じゃなくて、正確にはキカイの力を全部奪ってその力を手に入れたいって訳だな」
―――妙だけど、筋は通る。
元の世界に戻すという建前がある。実際にマキナの力を自由自在に扱えるなら世界の状態を治す事も可能だろう。実際治すかはさておき、表向き慈善的組織であるならそこには感謝や恩と言った人情の主導権が生まれる。今までの事件をキカイの仕業とした上でこれからは平和を保つために私達がトップに立つと、その提案に反対する人類はいないだろう。
だってそこには情が無い。
この世界にはいつまでも合理が無い。
「自然現象とかも全部キカイが管理してるっていうのも……それを達成する為の方便みたいなものなんですか?」
「半分当たってて半分外れてるな。実際キカイがどうこうしてるかは誰も知らん。ただ、責任はおっかぶせておいた方が色々と楽なんだよ」
「君が胡散臭い組織と評したのはあながち間違いじゃないんだよ。所属する私が言えた義理じゃないが、どさくさに紛れて超管理社会を作ろうとしてるんだからね」
果たしてそれが良いものなのか悪いものなのか。俺には判断しかねる。俺の知る価値観によると世界は何百という国に分かれ自由ではあったが、国という括りや土地の性質が様々な問題を引き起こし、人類全体を悩ませてきた。メサイア・システムがそう言った問題を全て管理するつもりなら―――争いは起きないかもしれない。
ただ、全体的に俺としては阻止しなければいけない計画だ。マキナをどうにかするつもりなら、何十億人が賛同しても俺が許せない。俺にとってアイツは…………
「―――未紗那先輩が今の所蚊帳の外なんですけど」
「前提条件を理解してもらわなきゃ始められねえ。ざっくりまとめるならウチは『平和的に世界征服』しようとしてて、その上でキカイが邪魔だからぶっ壊してついでに力も奪っちゃおうって考えてる訳だな。分かりにくいと思ったら大体この認識で良いぞ。いよいよてめえの待つ本題だ。ミシャーナがどうして人殺しに成り下がっちまったのか」
車内においてもハイドさんは決して帽子を取らない。むしろ深めに被ってアイマスクのように目線を隠し、大きなため息を吐いた。後部座席からは表情が見えない。カガラさんの方を窺うと、彼女は哀しそうに眼を伏せていた。
「さっき、言ったな。キカイが邪魔だって」
「言いましたね」
「邪魔なのはキカイだけじゃねえ。人情に支配されてねえ旧い価値観の人間だ。合理的に物事を考えられる奴等はまあ一割とか二割とか残ってんのかな。そいつらは邪魔になる可能性がある。大衆を動かす力は今の所誰でも扱えるんだ。メサイア・システムの真の狙いを知って反感を覚えたり、そもそもてめえみたいに怪しく思ったりする奴は大勢いる。大抵そいつらもこの世界の性質を理解してるからな、実力行使に出る事も珍しくない。だがメサイア・システムは表向きの信条を徹底するがあまり、軍事力とかそういうのは殆どない。まあ厳密には利用されない可能性を持つ力がほぼないってだけだが」
「……なんか、変な言い回しですね」
「いや、そうでもないよ。刀は切る相手を選ばないって言うだろう? 兵器を保有すれば利用される可能性も孕む。現在の状況で人海戦術はあらゆる人間に許された最強凶悪な戦術なんだ。何か建前をつけてやれば何でもするのは良く分かってる筈だよ」
「それにしてもですよ。表向きの信条を徹底するってのも良く分かりませんし。たくさんこっそり持っておくのは何でしないんですか?」
「単純にバレやすければそんだけ敵が増えやすくなるからだ。例えばさっきミシャーナが殺してた奴等は普通の人間だが、メサイア・システムに目を付けた米国の諜報員だ。邪魔になる奴等は大抵そんな感じで鼻が利くもんでな。そういう奴等を延々相手にし続けるのは流石に骨が折れるんだよ。核兵器なんざ使ってもお咎めなしだろうが、平和的に統治してこそ正しい民意が生まれるってのがうちのトップの言い分だからな」
何だかスケールの大きな話になってきたのでここまでに出た話を軽く整理しておこう。
・メサイアは平和的に世界征服を目的とした組織である。
・メサイアにとって邪魔なのはマキナだけではなく俺みたいに価値観のまともな人間を含んでいる。
・未紗那先輩が殺したのは敵対関係にあったまともな人間の一人。
大体こんな感じとして…………。
「ほぼないっていうのは?」
「利用される可能性のない戦力はちゃんと存在する。それがミシャーナだ。アイツは基本的に上からの命令に反発しない。だから人を殺せと言われたら殺すさ」
「それはおかしい。未紗那先輩は優しい人ですよ。あの人が手を掛けるような奴は俺の知る限り規定者か……キカイでしょ。殺人自体は善として肯定されないんでしょうけど、でも『傷病』の規定はあのまま放置してたらもっと被害者が増えてました。警察も軍隊も何でもない民意でさえも取り締まれないし抑え込めない力は、殺されたって仕方がない! だってそうでもしないと止められなかったんですから!」
仮にマキナが相手でも結末は変わらなかっただろう。むしろアイツはヒトをどうでもいいと思っているから猶更すすんで殺す筈だ。自分の部品を奪った奴を許せる訳がない。交渉の権利は飽くまで俺を尊重しているだけだというのを忘れてはいけない。
「……じゃあ聞くが、シキミヤ。規定者でも影響を受けてる人でも何でもいい。見分ける方法を教えてくれよ」
「…………見分ける方法?」
「因果を視るなんて言うなよ? それはてめえだけの力だ。誰もが出来るもんじゃねえからな」
………………。
無情にも、未紗那先輩の声が蘇る。
『警察が被害が起きてからでないと基本的には動けないように、私達も規定による被害が観測されない限りどうとも言えないんですよ』
そうだ。メサイア・システムは―――少なくとも未紗那先輩は規定を特定出来ない。『傷病』の規定と知ったのは俺が語るに落ちていたからで、『規定』の関与自体も被害者が存在していたからだ。被害が出ていない限り『規定』かどうかは分からない。それはつまり。
「……見分け、られ。ない」
ハイドさんは苛立ちの募った笑顔を見せてくれた。俗に眼が笑ってないという奴だ。
「そうだな。見分けられねえ。そして上からの命令には従う。つまり適当にでっちあげる事も可能な訳だ」
「……そんな」
否定したくても、認める材料しか見当たらない。マキナだって言っていただろう。部品は普通の人には視えないと。そうなるとまた別の問題が浮上するがそれはまた後で考えるとして―――視えるなら、未紗那先輩だって人は殺すまい。俺が自滅する事もなかっただろう。
「……カガラさん。メサイアって部品回収はどうしてるんですか?」
「専用の人員が居る……と建前上は言っておこうかな」
視える筈がない。
視えるなら、あの身体能力があるなら。一神通を殺すまでもない筈だ。心臓だけを抜き取る様に、部品を抜いてしまえばいい。それであの男の運命が変わったかは分からないが、マキナに横取りされるような事は無かった。
その建前に当てはめるなら、死体を引き渡すつもりだったのだろうか。どうせ誰にも認識出来ないのだから、大っぴらに運んでも問題はないし。
「……じゃあ未紗那先輩は、さっき殺した人も。規定者かその影響を受けた人だって信じてるんですか?」
「ああ。でなきゃ殺さねえよ。視えないんだから疑いようもない。そもそもアイツはメサイアが白い組織だって本気で思ってるからな。 自分の『規定』を使ってでも、全力で殺すさ」
「―――え、規定?」
それは。
その特権は。
人類に許されていない筈だが。
いや、しかし。同時に納得出来る話でもある。マキナを負傷させたのは他ならぬ先輩だ。『規定』を使えるならその部分も解決する。何故部品を所有しているのかという点も、キカイは唯一無二の存在ではないという点からそう不自然な事柄ではない。
「……何の規定、持ってるんですか?」
「『生命』の規定って奴だ。シキミヤ、てめえはゲーム好きか?」
「人並みには」
「ならHPで説明出来る。HPが満タンなのが元気いっぱい、HPがゼロないしは限りなくゼロなら瀕死だ。『生命』とは生物が生きた状態そのもの。アイツは規定でこれを反転させてる。HPがたくさんある時の方が瀕死になって、HPが少ない時の方が元気になるって事だ。勿論自分に適用出来るから、現状じゃアイツがメサイア・システム最強の戦力だよ。なんせ殆ど不死身だ。頭を撃たれたくらいじゃ死なねえぞ。むしろ元気になる」
基準を弄るだけなので相反する状態を消滅させることは出来ないとマキナは言っていた。それならば未紗那先輩も死ぬ事はあるのだろうが―――これで納得がいった。『傷病』の規定は彼女の所有する規定と相性最悪だ。ハイドさんの例えに倣うならあれは一定以下のダメージをゼロにする力。HPの概念をひっくり返す力に抗える道理はない。
何より規定は規定者本人が自由に操作出来る。自傷行為をして対策をしようにも、再反転させられたら結局負傷しただけだ。マキナはどう抗ったのかは気になるが、傷を負ったのは同じ原理だろう。
「……大体、話は分かりました。未紗那先輩は良い様に使われてるって。でもまだ分からない事もあります。あの人は何でこんなクソ組織に入ったんですか?」
「はっはっは! クソ組織と来たか、いいねえ。つってももう説明はしてある。言ったろ、キカイに責任全部被せた方が楽だってよ」
その発言だけを切り取れば要領を得ない話だが。俺は知っている。隣の人から聞いた。未紗那先輩はキカイに筋金入りの憎しみを抱いていると。
ここまでの文脈を見れば、最早語るまでもない。
メサイア・システムはキカイに冤罪を被せて、それを理由に未紗那先輩を良い様に扱っているのだ。
「まあアレをキカイ以外の仕業にするのは無理があるしなあ。カバーストーリーも何もあったもんじゃねえ。本当に不思議で、誰も原因を知らねえんだから騙されるだろうよ。騙される、とは言ったが、実際本当かもしれない。俺も知らねえ。てめえに配慮してそういう言い方になっただけだからそこは気にすんな」
「さっきからアレ、アレって何なんですか? 色々教えてくれると思ったらそこは教えてくれないんですね」
「アレはアレだよ。五年程前の事件なんだ、わざわざ名前を出す必要ない。あの事件について誰かが何かを言うのは暗黙の了解で禁じられている。訳が分からなすぎるから、口を出せないだけなんだけどね」
「そんな全員ご存知ですみたいに言われても、俺は知らないですよ」
突然、二人が顔を見合わせた。
のんびり穏やかに話していたハイドさんも直ぐに帽子を取って、上体を起こし、視線でのやりとりを経て俺の方を向く。信じられないような言葉を聞いたと言わんばかりに、その瞼は広がっていた。
「………………おいおいおい。それは冗談でも面白くねえぞ」
「いや、冗談じゃなくて。本当に知らないんですよ」
「…………アンヘルさん。これは名前を出しちゃっていい感じ?」
「……思わぬ収穫っつーか事故っつうか。いや、俺が言う。最後の確認だ、シキミヤ。てめえ―――」
「『幻影事件』を本当に知らねえのか?」




