詐称手品師
一見すると、それは変哲の無いスーツ姿の男性。英国紳士を気取ったような立ち振る舞いからして既に胡散臭さを感じているが、カガラさんをI₋nと呼んだ所からもメサイア・システムに関わる人間なのは間違いない。つまり胡散臭そうとかそういう次元ではなく本当に怪しいのだ。
プラチナブロンドの髪と碧眼からして日本人とは考えにくい。それにしては随分と流暢な言語だったが、滞在歴が長いのだろうか。
男は帽子を斜めにかぶり直すと、金属製のステッキを勢いよく地面に叩きつけた。足元がコンクリートの都合でそこまで良い音は響かない。
「初めまして、だ。俺はハイド。ハイド・アンヘル。見ての通り……というか、今出て来たんだから分かんだろ。メサイア・システムの者だ。トーシロに所属なんざ言っても意味ねえか、そこに居るI₋nとミシャーナの上司だと思ってくれりゃいい」
「……なんか、メサイア・システムって本気で胡散臭いですね」
「そこは弁明の余地もないね」
「怪しかろうが胡散臭かろうがちゃんとした組織だぜ。つっても証明は無理だが。普段なら……いや、普通なら俺が出る幕はない。飽くまで俺は本国の方で報告を受け取るだけだったんだがな。お前が介入してくれたお蔭で予定が狂っちまった。大慌てで来る羽目になっちまったよ」
「……知らないんですけど」
好き嫌い以前に、困惑している。この人は一体、何なのだろう。俺のせいで迷惑を被ったような言い方の癖に、ニヤニヤと気味の悪い笑顔を浮かべている。言動と表情が一致していないのだ。つかみどころがないというよりも関わり合いになりたくない。別ベクトルでヤバイ雰囲気がする。
「で、その上司が何の用ですか?」
「ミシャーナとこれ以上仲良くなるなって話だ。報告はI₋nから聞いてるぜ。シキミヤ。てめえ、あの女をどんな奴だと思ってる」
「どんな奴だって…………優しい、先輩。ですけど」
「……優しい先輩ね。まあ、保護対象には優しくなるかな。でもそれは保護対象の間だけだ。殺される時にはもう、君の知る紗那は影も形もないだろう」
「……? カガラさん、相棒でしょ? なんでそんな事を言うんですか」
「だからそれを説明したくて俺が出てきたんだっつの。その様子じゃ幾ら言っても分からなさそうだ。現場に向かって分からせる。百聞は一見に如かずって言葉があるんだろ?」
ハイドさんが指を鳴らすと、待ちわびたとばかりに真っ黒い車が緩やかに流れてきた。それ以降は説明もなしに助手席へ乗り込むと、遅れて後部座席にカガラさんが乗車。かどわかすような手招きを俺にしたかと思うと、いつの間にか回り込んでいたスーツ姿の男女二人に背中を押され強引に乗車。
扉が閉まり、発進してしまった。
「俺、もう家に帰る所だったんですけど!」
「まあまあそう固い事を言わずに。君だって紗那の事は知りたい筈だ。目的地に到着するまで私と仲よくしようじゃないか」
「むぐ……」
後部座席はそう窮屈でもないのにカガラさんが抱きしめてくるせいで狭苦しい。この人の言動からして顔を胸で抑え込むのは意図的なのだろうが、妹に負けず劣らずの大きさ故、窒息するような危険性はない。これがマキナとかこゆるさんだと大分話が違ってくる。未紗那先輩でも危うい。
「何処に行くつもりなんですか?」
「紗那はね、家に帰った訳じゃないよ。ああ家ってのは……君が一夜を過ごしたあそこじゃない。また別のね?」
「それはゲーム機無かったんで大体察してます。何処行ったんですか?」
「仕事。紗那は基本的に上からの指示を断らないからね。強いて言えば君とのデートは独断で、その埋め合わせをたった今しに行ったって感じかなあ」
車は良く知った道を進んでいく。途中知らない道を曲がる時もあったが結局地元は地元だ。結局見覚えのある建物が増えて、夜にしたって代わり映えが無い。長距離を移動するつもりはないようで、緩やかな運転は十五分以上続いた。
「よし。降りるぞ」
「え?」
車が道路の端に寄せられ、降車を求められる。言われるがままに車を降りるとハイドさんは近くにあったマンションの非常階段を上って行った。
「い、いいんですかそれ?」
「いいんだよ。いいから早く来い。来ないっつう選択肢はねえ。I₋n。てめえもだぞ」
「はいはい。じゃあ行こうか」
―――未紗那先輩が、何だって言うんだよ。
あまりあの人を悪いように言われるのは気持ち良くない。マキナは立場上仕方ないとしても、二人は同じ組織に属するいわば仲間だ。その陰口を聞いているみたいで、この不愉快を動機に行動できるなら今すぐに帰りたい。
同時に未紗那先輩を知りたい気持ちもある。あの人は俺を保護している。余計なことは決して教えず、願わくばトラブルに巻き込まれないようにと気を張ってくれている。それは日常的に人よりもストレスを抱え続ける俺には非常に嬉しい気遣いで、同時に迷惑だった。普通の高校生なら、と彼女は言ったが、普通の高校生のままではあの人に近づけない。
気を許せるとか許せないとかじゃなくて。このままでは『メサイア・システムの未礼紗那』を何も知らないまま終わってしまう。騒動の中心に居るのに、俺は何も知らない。確かに俺はこの力を除けば普通だ。マキナの事も未紗那先輩の事も知る権利はあってないようなもの。飽くまで何にも巻き込まれたくないなら、これ以上何も知る必要はない。
でも知りたい。知らなければいけない。因果の視える力を消す代償でなければならない。こんな非日常を知っておきながら、自分だけが抜けるなんてそんなのはごめんだ。マキナにも未紗那先輩にも恩義があって、二人と出会えて初めて楽しいと思えた。
だから―――
「おうおう。遅えぞ」
「そこから一体、何が見えるんですか?」
何処か遠い場所を視ようにも時間帯が悪い。夜目が利くとかその程度で済まされる暗夜なら人間も苦労はしない。夜行性動物でもないとこの暗闇で何かを見通すのは難しい。因みに俺は昼行性なので無理だ。
「てめえ、あのマンション見えるか?」
「……マンション全体なら」
ハイドさんが指しているのはこの田舎に建てられた高層マンションの事だろう。最早ツッコミは不要だ。許可も費用も都市計画も、はたまた地盤の問題、工事会社の料金や人件費さえ関係ない。そういう理由で断るのは『悪行』で、世の模範的善人はそんな真似をしないのだから。
「上の階、電気ついてるな?」
「まだ寝てないんでしょ……まさかあそこが未紗那先輩の」
「ばーか。違えよ。I₋n、双眼鏡」
「私はパシリじゃないんだけどなあ……」
何やらぼやきながら双眼鏡を渡してくる。語弊があるが要は暗視スコープであり、覗くと景色がフルカラーになるとても高性能な一品だ。人数分あるがハイドさんは使わなくても良いらしい。カガラさんと肩を並べながら改めてマンションの様子を窺うと、
俺の知らない未紗那先輩が、佇んでいた。
窓に人間を追いやっており、奥の壁には体の部位をぶちまけた人間だった残骸がシミのようにくっついている。あの場に居て返り血一つ浴びていないのは先輩一人だけで、彼女が追い詰めている人物はここから見ても露骨なくらい震えていた。
「………………な、んで」
それは俺の知らない未礼紗那。
戦槌のようにデザインされた玄能ツルハシと、一神通の時に見かけたナイフを逆手に。何の変哲もない人間を追い詰めている……それは素人目、という意味ではない。
因果を視て、言っているのだ。
俺の力は部品を探すのにうってつけらしいが、今までのケースから言って視て直ぐに分かるようなものではない。取引時点ではあんなに部品を拾われていると想定されていなかったから今更文句など言うだけ無駄なのだが―――それでも『愛』の規定然り、所有しているだけで変化が現れる人間も存在する(こゆるさんが制御できていなかったから見えたという可能性はある)。
だから一概に未紗那先輩が追い詰めている人間が規定拾得者じゃないとは言い切れないのだが、あそここまで追い詰められて何も使わないのはおかしい。では逆に、影響を受けてまともじゃなくなった人間か? それなら因果の糸に変化が表れているだろうからそれも違う。
先輩は一言も口を利かない。何を言っているのか分からないという事ではなくて、本当に口が動かないのだ。あれだけ優しかった先輩が、あれだけ初心な様子を見せてくれた人が、何の躊躇も感慨もなしに人間を追い詰めている。間もなく、男の頭部は叩き潰された。
「………………報告が入った。まあ見てたから知ってるんだけどな」
「―――あれは、何の規定者……なん、です、か」
「…………」
こちらに配慮したような沈黙を挟む。ハイドさんはこちらを憐れむような横顔を見せて、醜悪に歯を見せて笑った。
「あれはな……規定者じゃない。普通の人間だよ」




