恋を願う心
「…………あの、俺は何でこんな事に」
「糸を視て不愉快になっていたじゃないですか。デートの体裁は崩したくないので、妥協案です」
膝枕の何処が妥協案なのかを説明して欲しい。
確かに柄にもなく檻を見上げていたら気分を害したが、眼に見えるような不愉快を示したつもりはない。何故空に見惚れていた未紗那先輩が気が付いてしまったのかは永遠の謎だ。その場の勢いで従った俺も俺だが、先輩の太腿が気持ちいいので良しとしよう。
「…………一応言いますけど、ただの先輩は後輩にこんな真似しませんよ?」
「男女の仲を深めるには継続的なボディタッチが必要だという話はしましたよね。私なりに考えた結果です」
その話……上司は未紗那先輩を揶揄っているのだろうか。明らかに方向性が違うというか、先輩が気付いていないだけで友達としての好感度というよりこれでは明らかに恋人っぽい……男女の仲という表現自体誤解を招いている。
―――まあいいか。
ここまで気を許してくれるなら、余程変な質問をしない限り何でも答えてくれそうだ。
「……先輩。スリーサイズは?」
「上から九―――」
「すみません嘘です。そんな即答されると思いませんでした」
この先輩は変な所で初心じゃない。基準を確認したくて敢えてアウトゾーンを探りにいったらまさかのセーフで驚いている。雰囲気を壊す事になるのでキカイやメサイアの話は避けるとして、それ以外―――先輩個人の話題を探っていこう。
「先輩って趣味とかあるんですか?」
「可愛い後輩を弄る事ですねー」
「すみません俺が馬鹿でした。もういいです」
「あー嘘ですってッ。趣味ですよね。ゲームは結構好きですよ?」
なんか、意外だ。
具体的に意外だと思う理由はないが、本当にそんなイメージが無かったので仕方ない。どちらかと言えばアウトドア系の趣味を持っているものだと勝手に思い込んでいた。そう言われたら納得するくらいのスタイルの良さはあるし。
「上司がゲーム好きなんです。それが私に伝染した感じですね。家にもゲームが置いてあります」
「へえ……因みに先輩の家は何処に?」
「それは教えられませんッ。一時的な住まいとはいえ、男の人を家に上げるなんて」
「へえー。そうですかー。なんかー、『傷病』の規定の時にー、苗字を漏らしたせいで家を襲撃された人が居るんですけどー」
「むぐぅッ! ……ぅぅ、後輩に意地悪をされました。もう終わった事件を蒸し返されるとは、成程。ロクデナシの前評判は確かなようです…………」
「いや気にしてないんで答えなくていいですよ。結果的にはもう丸く収まってるし」
「いえ、確かにあの程度で禊を済ませたと考えていたのが甘かったのかもしれません。時機を見てお誘いするので、それで清算という形に落ち着かせてください」
押しに弱いとかそういう次元じゃない。引いたのに勝手に押される人間は初めてだ。家に招待してくれるというなら是非とも行かせてもらいたいが、問題はその時までにマキナがどうなっているかだ。厳密には不明瞭なスタンスだが、どちらにも関与している関係で大きな括りで言えば俺は中立に居る。マキナの家は先輩に教えないし、先輩の家もマキナに教えない。
未紗那先輩は人間なのでまだ誤魔化しも効くが、マキナをどう誤魔化すか。誤魔化せたとして、それ以降俺は両者に不義理を働いた事実が付きまとう。まるで自ら死にに行っているような雁字搦めっぷりには笑う。笑わせてほしい。
「お返しに式宮君の事を聞かせてください。将来の進路などは考えていますか?」
「進路………いや、考えてないです。先輩にはまだ言ってなかったんですけど、どうも因果の糸を視る力ってどんどん悪化してるみたいなんです」
「……悪化とは、具体的には?」
「視える糸の数が増えてます。今のところは動物と人間にしか見えてないですけど、今後どんな風になるやら。勿論未紗那先輩に繋がってる糸も増えてますし、糸が増えるから視覚の負担も日に日に高まってると思います。俺……貴方が特殊って言いましたよね。文字通りの意味ですよ。社会に出ても、これから反吐が出るくらい嫌な善人と関わらなきゃいけない。世の中嫌いな人が一人くらい傍に居ても我慢しなきゃいけないなんて担任も言いますけど、ほぼ世界中の人間が嫌ならどうすればいいんですかね。死ねばいいんでしょうか。それでもって、多分こんな悩みは俺だけです。善人同士は決して嫌いあわないですからね。だから将来の事なんて何も考えてません」
それは将来の不安というよりも、現在の延長。何度でも言わせてもらうし、不義理があっても尚マキナに協力し続けるのはこの視界を治すと約束してくれたからだ。何十年と付き合って耐性が上がっても嫌いなものは嫌いで、見ているだけでも不愉快な物体。それが無くならない事には、まともに生きられる道理はない。
「……………… では、こうしましょう。もしも卒業までにその気持ちが続いているようなら、私が君を引き取ります」
「へ?」
「何も考えが無いなら…………傍に居てほしいだけです。君の力は特別ですから、メサイアも悪いようには出来ないと思います。なので……死ねばいいというのだけは考え直してください。君が死ねば少なくとも私は悲しんじゃうんですから」
会話が途切れても、気まずさは感じない。こんな年齢にもなって俺は先輩に撫でられる事が嬉しかったし、先輩も決してやめようとしなかった。
―――俺って奴は本当に、駄目な奴だよ。
他の人より何倍も、何十倍も受け入れられる事に弱いらしい。
今まで拒絶されて来た反動が、人間としての性質に噛み合って致命的な弱点を生んでいる。人は孤独には勝てない。それだけの話なのに、気を抜けば涙が出てしまうくらい嬉しい。
「…………そろそろ戻りましょうか? 式宮君も、そろそろ疲れたのでは?」
「その言い草だと未紗那先輩は疲れてないですよね。疲れるまで付き合いますよ」
「それはやめておいた方がいいと思います。今の君はあんまりにも素直なせいで、それはもう滅茶苦茶にしてやりたいって思ってる所なんですッ」
展望台から退散した後は恋人気分で街へ降りた。腕を組んで歩く分には未紗那先輩もただの女の子で、不思議な力なんて何処にもない。今まで見てきた全てが幻覚だったと言われても……いや、糸が視える限りあり得ないのだが。
「~♪」
僅かに頬を赤らめた状態で、先輩は隣を歩いてくれている。もう引っ張るような事はしない。今夜は満足したと言わんばかりにお淑やかだ。こんな楽しい時間ももうすぐ終わり、待ち合わせをした場所で別れる運びとなっている。
今は夜の十一時。ここが人の集まりやすい場所だとしても時間が時間だ。気配が実に冷え切っている。
「じゃあ、ここでお別れですね」
「……そうですね。ちょっぴり残念ですけど、これ以上君を困らせる訳にも行きませんし。また会えますよね。明日」
組んでいた腕を離し、大人しく帰路につく。俺も未紗那先輩をこれ以上困らせたくない。今日は幾らロクデナシと言っても素直な後輩として一日を全うしよう。
「…………式宮君」
残り火のような体温を繋ぎ止める様に、先輩の手が裾を掴んでいた。振り返るよりも早く背中に密着され、背中から手を回される。
「……仕事とか、君の身の安全とか関係なしに、キカイに君を取られるのは……嫌です。こ、これ以上先輩を困らせたら…………許しません……から………………から………………から……では!」
ひゅんっと風を切る音を打ち消さんばかりの強い踏み込み。反応速度が遅れたつもりはないがとっくに先輩の姿はなくて、そこには罅割れたコンクリートがあるだけだった。
「…………ほんと、すみません」
多分、これからも困らせる事になる。
だから、謝るしかない。
今度こそ帰路に向けて翻り、歩き出した瞬間。
「紗那が何処に行ったか気になるかい? 式宮有珠希君」
俺の帰宅を妨害する冷たい声が暗闇の中から聞こえてきた。それはこの時間帯なら何処にでもあるような死角。月虹によって生まれる立体の影。現実の隙間。
「……カガラさんですか?」
ゴシック服の女性が、影の中から姿を現した。存在自体に気が付いていなかった訳じゃない。どんな事象、どんな条件下でも因果の糸は生物へと繋がっている。ただそれが知人だと気が付かなかっただけだ。
「そ、正解。やあデートの邪魔をしたのは申し訳ないと思っているよ。けれども君の為だ。紗那とはこれ以上……仲良くならない方がいい」
「……意味が分からないんですけど。組織のゴタゴタならそっちで片づけてくれませんか。俺を巻き込まないで下さい」
「組織のゴタゴタは認めるけれど、君は無関係じゃない。以前言ったよね? 自分の力の強大さに気が付いてほしいって。それが分からないなら、近い内に殺されるよ。他でもない紗那に」
「待てよI₋n。そっから先は俺が説明すっからよ」




