ただの先輩でいたかった
もう一話出します。
「「ご馳走様でした」」
二人で手を合わせ、運ばれた料理全てに感謝を伝える。終わってみれば店内の雰囲気も気にならなかった。というかずっとこの人を見ていたような気がする。あんまりにも美味しそうに食べているその姿が、何だか眩しくて。
今は食後の小休憩というべきか、あまり滞在し過ぎても注文しなければ席を潰すだけの迷惑客だが、このお店の性質上人がごった返す事はそうないのであまり問題視しなくても良い。皿を片付けてもらってから未紗那先輩たっての希望でメロンソーダを飲んでいた。ラブストローも提案されたが恥ずかしいのでそれは断った。
「先輩でもジュース飲むの、なんか意外です」
「そうですか? それも私の側面という事で一つ。思い返すと確かに校内ではお茶や水しか飲んでいませんね。毎日はともかく、たまに飲むくらいなら全然ありだと思いますよ」
「因みに高校生ってのはまあ……身分偽りだとして、もうお酒飲めるんですか?」
「ふふ、興味があるんですか? そうですね、もう飲めますよ。そもそも未成年飲酒が禁止とされているのは成長段階の心身に悪影響を与えるからで、もしも君の身体が何らかの理由でそれ以上成長しないという事であれば飲んでも実質的な問題はないでしょうね。法律は違反しちゃいますが」
大して興味はないが、未紗那先輩と一緒にという条件なら興味がある。どんな味なのかは想像もつかないし、ただ酔うだけなら気分酔いでもすればいい話だが―――目の前が見えなくなるくらい酔ってしまえば、糸を認識出来なくなるのではないかという可能性を、探りたい。
「先輩は酒に強いんですか?」
「さあ?」
「さあって……」
「飲めますが、飲んだ経験はありません。意識がなくなるかもしれない飲み物をわざわざ飲もうという気にはなれませんね。それとも、式宮君が傍に居てくれますか?」
「え?」
先輩が机に突っ伏すように身体を伸ばして、俺の顔を掬うように見上げた。
「私がお酒を飲んでどうにかなってしまっても、君が見ててくれるなら飲んでも良いですよ」
「…………ッ」
それは。どういう意味、なのだろうか。
「どういう意味も何も、介抱してくれって言ってるだけですよ?」
「ちょ、心を読まないで下さい!」
「ふふ。だってこの流れでそんな顔されたら答えは一つじゃないですかッ」
それはそうだが、マキナにもされないような真似をされると困惑するしかない。それにこんな心情を読み取られるとそれに加えて余計な邪心まで深読みされそうで。レストランに入ってから……いや、デートを開始してから未紗那先輩はご機嫌状態だ。もしやこの人は気分によって特殊能力を使ったり使わなかったりする人間なのだろうか。
「えっと…………ああっと、先輩。一応俺、高校生なんですよ」
「そうですね。だから先輩と後輩です」
「普段は明らかに先輩の方が強いので何も起きようがないと思うんですけど……酔っぱらって無力化された先輩が目の前に居たら、何かの間違いが起きるかも……とか思わないんですか?」
「何かの間違いとは?」
「だからぁ……」
それをわざわざ明言させようとするのは意地悪だ。未紗那先輩が口をすぼめているのは本当に想定していなかったのか俺の自縛を引き出す為の演技なのか。あんまり慎重になってもそれではいつも通りだ。単に恥ずかしいだけのリスクしかないなら、狙い通りでもそうでなくても自爆してみようか。
「―――せ、先輩にキスしたりとか、身体触ったりとかするかもしれないって意味ですよ」
「……なッ!?」
こういう時は高校生よりも初々しい反応をしてくれる。どうも俺の心が汚れていただけで 未紗那先輩の精神年齢は年不相応も甚だしい。顔を真っ赤にして自分を抱きしめるなんて今時はどんな初心だ。
「そ、そんな事しませんよね? 式宮君……そんな邪な人だったんですか……?」
「その尋ね方はズルいですよね。自分で自分を聖人って言うのは怪しいですし、この世界で僕は善人ですなんて俺が一番信じられない言葉ですし」
先輩の言わんとしたい部分は分かる。糸を嫌っているから必然糸の繋がった人間にそういう感情は抱かないと思っていたとか、そんな所だろう。確かにその通りなのだが、因果の糸なんてものに何十年と付き合ってきてまだそんな短絡的な拒絶反応が出来るなら俺の精神は相当強いのだろう。人は慣れる。どんな悪い状態にも慣れてしまう。因果の糸だってわざわざ目を酷使しなければ不愉快なだけでそれ以上は何も無い。
問題は、そこに繋がる善人達。
アイツ等を元々嫌いという前提があって、そこに糸の不愉快が相乗しているだけ。未紗那先輩が他の奴等と違うのは今までの付き合いで嫌という程理解してる。
「ま、まあ……式宮君は優しい人ですから、そんな真似はしないと信じていますよ」
「本当に危なかったら捻じ伏せられるからでしょうに」
「危ないと思えてしまうような人にこんな気は許しません。口が少しばかり悪いだけで君が紳士なのは分かっていますよ?」
「…………うーん」
やはり心が痛い。俺を無害と信じてくれるような人を騙しているなんて卑劣な奴だ。本当に聖人でも何でもない。予期せず騙しているならともかく悪意ありきで騙しているのだから救いようがない。もしも俺が殺されてしまうなら、その時は先輩が殺すのだろう。
「未紗那先輩。貴方はいつまで高校に居るんですか?」
「今のところはキカイがどこかに行ってしまうか、破壊するまでです。それがどうかしましたか?」
「……いや、俺もせっかく気を許せる人が居なくなるのは寂しいだけです。でも、そうですよね。先輩はメサイアの人ですから仕事が優先だ。本当は俺と接点が生まれる事なんてなかったんだと思うと……ちょっと複雑で」
先輩は驚いたように目を丸くすると、気の緩んだ笑顔で頷いた。
「それは私も同じ気持ちです。いえ、君の捉え方とは逆ですけどね」
「逆?」
「高校生になったのは、飽くまで仕事の一環ですけど、でもあの高校を選ばなかったら君と出会う事はなくて、こんな風にデートも出来なかったでしょう。本当は君と接点は生まれる事は無かった。それが仕事のお陰で生まれたなら、こんな嬉しい幸運はありません!」
机に放り出された手を握られる。ひたすらにそれは優しくて、温かくて、いつの日か俺に理解を示してくれた完璧な女性を彷彿とさせる何かが。確かに。
「―――そろそろ出ましょうか。まだまだ行きたい所があるんです。夜遊びの共犯者としてちゃんと付き合ってください」
店を出て、また先輩に連れ回されている。今はその強引さが頼もしいし、嬉しい。
「―――まだ早いですけど、デートのお礼に私の夢を聞いてくれますか?」
「夢?」
向かう先には大体見当がついている。急勾配の坂道をぐんぐんと上に進んで行っているのだ。これで気付かない方がおかしい。地元の人間なら何処に行きたいかなんて一目瞭然だ。未紗那先輩は違うだろうが、まあそれが行きたい理由だろう。
「キカイを破壊したら……もしくは、メサイアが私を不要と判断したら、本当に何のしがらみもなく普通の子になりたいんです。味わえなかった青春を今更のように味わいたい。だから戦う力も守る力もいらないような日常に帰りたいんです」
「…………」
「君が私を信用しきれていないのは、私が強かったり、メサイアとしての立場があるからでしょう? だから信用されるには、ただの先輩になればいい。本当にそれだけで、式宮君は私を信じてくれる。それが今すぐに叶う事はありませんが」
到着した先は、展望台。
柵とベンチがあるだけのだだっ広い場所だが、ここが一番空に近い。こんな視界が無ければ、月も星空も綺麗に見える。この時間帯ならカップルの一組や二組いそうなものだが、幸か不幸かここに来たのは俺達だけで、不自然なくらいの静寂がそよぐ風と共に歓迎してくれた。
「もしも私が普通の先輩になっても―――君は後輩として、接してくれますか?」
「………………当たり前でしょ。嫌う理由なんて、無いんですから」
「ふふ。やっぱり君は優しいですね。同い年に式宮君が居たらずっと前から猛アプローチしていた所です」
「それは……褒めてるんですか?」
ベンチに座って、共に空を見上げる。
熾天の檻は相も変わらず。俺の視界を先輩は理解出来ない。
そして先輩の視界も、俺には理解出来ない。
それでも俺達は同じ空を見上げている。バラバラになった月と、傷一つない宝石のような月と。細切れになった空と、満天の星。
「………………綺麗ですね」
さあ、そんなものは俺には分からない。
けれどもそれを見上げる先輩の横顔は、額縁をつければ芸術になりそうなくらい美しかった。




