聖夜の道のり
四章。
十二月二十日。
マキナが眠ってから大体二か月。当事者が眠っている以上部品探しが出来る訳もなく、平和な日々が続いていた。あれから良くも悪くも何の事件も起きていない。いや、仮に起きていたとしても情報が耳に入ってこないとでも言おうか。
「式宮君、一緒に帰りましょう!」
「……先輩。告白の返事を出さなくちゃいけない筈では?」
「もう断ってきました。君の方に何か予定があるなら考え直します」
「……」
笑顔の先輩は予定がないのを知って、言っている。
そう。マキナがぐーすかと眠っている間、俺の生活は先輩とカガラさんに支配されていた。
朝の送迎はカガラさん、放課後から家までは未紗那先輩。片割れと四六時中一緒に居る。マキナがまだ眠っている以上、面倒事に首を突っ込む意味はない。それも含めて、単に先輩との交流自体嫌いではないので、結果的にこれが続いている。
肩に流した髪を弄りながら、未紗那先輩は席の傍を動かない。ここまで密接に関わっていると交際の噂の一つくらい立っても不思議ではないのだが、そこは俺のマイナス人望が素晴らしいというべきか、クラスメイトの認識は『未紗那先輩が優しいから気に掛けているだけ』となっているようだ。
「シャナセン、カラオケどうっすかッ?」
「未紗那先輩、勉強診てもらえませんか!?」
そういう訳でこうしている間も先輩に対するお誘いは止まらない。普通の善人なら断る様な事はしないだろうが、あれから未紗那先輩の態度は微妙に変化していた。
「左藤君、カラオケは後程向かうので、SNSの方で居場所を送ってもらえませんか? 梨々子さん、テストの点数が危ういという事でしたら三年C組の角の机からノートを取ってください。学年別に一通りの学習内容を記してあるので」
己がすぐにどうこうするのではなく、その必要が無いなら自主性に委ねている。一人の身体では助け続けるのも無理があるだろうから、それはいいと思う。問題はそんな対応をされた善人達の方だ。
彼彼女らは未紗那先輩が大好きなのだから、用事は何であれ彼女がついてこない事には納得しない。筈だった。
「ういっす! じゃあ待ってますッ」
「あ、ありがとうございますッ。弥生~先輩のノート借りられるってーやったー!」
何故か免罪符を使わない。前々から気になっていたが、センパイに対して善人は強引な真似をしたがらない。俺とは全然違う。何が違う?
好感度?
「行かないんですか?」
「式宮君が心配ですから。今日も観念して一緒に帰りましょう。君に原因があるとすればこんな悪い先輩の年下になってしまった事です」
「……不可抗力じゃないですか」
今日も今日とて、先輩と一緒の帰り道。嬉しくないと言えば嘘になるが、彼女にしてもカガラさんにしても目的は俺の監視であって、俺と帰りたいからとかそういう私情ではない。そこがほのかに残念で……不本意ながら安心出来てしまう。
鞄を持って廊下に出ると、一足先に待っていた先輩が歩幅を揃えてついてきた。学校では、基本的に会話をしない。俺と会話する場合、基本的には『学校での未紗那先輩』と『メサイア・システムの未礼紗那』が混ざってくる。だから機密保持の観点からも帰路につくまでは会話もなく、只々隣に居てくれるだけ。
「…………未紗那先輩。俺の保護者以外にやる事ないんですか?」
「おや、仕事を気遣ってくれるんですね? ふふ、ありがとうございます。しかしご心配なく。四六時中君を見ている訳ではなく、飽くまで家に帰るまでつきっきりというだけです。他の仕事は後回し、今は君の保護をしたいですね」
「…………マキナ、来てないのにですか」
「そうですね。心当たりは?」
「無いです」
アイツは家で眠っているだろう。あれから先輩に監視されている現状を考慮して会いに行っていないが、もしも元気になったなら自分から姿を現す筈だ。取引相手とだけはあって、流石に少しは分かってくる。
「しかし、君を手放す理由がない。現に機械の部品―――規定の仕業と思われる事件は今も起こり続けているんです。いつまた君の力を当てにするか分からない以上、もう暫くはこのままでお願いします」
「……ちょっと待って下さい。規定の仕業って―――『傷病』の規定みたいな事ですか?」
「そうですよ。ああ、式宮君は拘らなくとも大丈夫です。部品はメサイア・システムの手で回収していきますので」
「……ちょっと気になるんですけど、メサイア・システムはそれを集めて何をするつもりなんですか?」
「基本的には保管されます。取り戻しに来るなら迎撃するし、放置してくるならそのまま保有する。そんな所でしょうか。キカイの弱体化か考えるに……何かしらの理由で部品を失ったのでしょうか。それで君の心臓を人質にして、全部戻るまでこき使おうと。本当、人の心なんてない癖に、感情なんて持ってしまって……」
先輩の考察は殆ど当たっているのに、肝心な所だけが間違っている。俺は心臓を人質にされているのではなくて、正当な取引を交わして協力しているのだと。そして保有するという方針なら猶更俺の心臓について明かせなくなった。
流石に今、心臓を取られたら死ぬ。
「未紗那先輩。そういう言い方、もうちょっと何とかなりませんか? 原因はともかく、アイツに人の心がないなんて……」
そこまで言ったら、未紗那先輩が足を止めた。、向き直ると、彼女は不機嫌そうに眉を顰めて俺を睨みつけているようだった。敵意も殺意も感じない。白い糸がどうかする事もないし、それはどちらかと言えば純粋に悲しんでいるような。
「……キカイに肩入れしないで下さい」
「……先輩?」
「君がキカイにそうやって肩入れすると……なんか、馬鹿みたいじゃないですか。私を信じられませんか? 私では頼りないですか?」
「―――あー。いや、そんなつもりじゃ…………でも先輩の事、全然知らないですし……」
知らない物に味方は出来ない。もしも未紗那先輩と先に仲良くなっていたなら、今頃は同調するようにマキナを敵視していただろう。これはほんの順番の問題だ。
楠絵マキナが俺の為に涙を流し、身体を張り、一生懸命にお世話をしてくれた事実を知っている。
俺に対する配慮で殺人をやめてくれた事だって知っている。
キカイがどうとか異常がどうとか言われても。それが一属性に過ぎないとしても。俺にはアイツが普通の女の子にしか見えない。
この際普通じゃなくてもいい。少なくともアイツを怪物だとか相互理解不能だとか、そんな目で見る事はこれ以降もあり得ないだろう。
その一方で未紗那先輩は何も語ってくれない。強くて優しくて頼りになるのは分かるが、それでもマキナへの情報漏洩を危惧してそれ以上は何も教えてくれない。合理的な判断だとは思うが、情が欲しいなら合理性はむしろ邪魔になる。
先輩の事はどちらかと言えば好きだ。だから悪く言うつもりなんてない。でもマキナに肩入れするなというのだけは無理だ。どうしても、それだけは。
「…………式宮君の言う通りです。私は貴方を巻き込むまいとして何も教えていない。面と向かって言いにくい事情も君はきっと気付いているんでしょうね」
「未紗那先輩が嫌いってんじゃないですよ?」
「そこは承知しています。君は嫌いな存在をもっと乱暴に拒絶するタイプですから。それなりの好印象は自覚しておりますとも。そこで一つ提案したい事があります」
「何ですか?」
「デート、しましょう!」
言い切った。
こちらに都合を尋ねる感じではなく。先輩にしては珍しく強気な誘い方である。
「えっと……」
「はい。前回はデートをし損ねましたから。やはり男女間の親睦を深めるにはデートが一番ですよね? ですからデートを」
「い、いつ? 明日は平日ですよ?」
「今日の夜です!」
門限があるから、とは言いにくい。その決まりとやらを幾度となく破っておきながら(しかも大抵マキナが絡んでいる)、都合の良い時に善良ぶるのは違うと思う。それでは普段嫌悪する奴等と同じだ。
不機嫌そうに、飽くまで笑顔のスタンスを崩さない先輩に俺は狼狽えたような声をあげた。
「あのぅ、先輩。先輩さっき俺が家に帰ったらその後に色々やるとか言ってましたよね? その約束とりつけたらどうにも首が回らなくなりそうな気がしているんですけど」
「ふっふっふ。式宮君はスーパー完璧先輩を侮っているようですね。後輩とのデートの手前、タスクは残しませんとも。ええ、今まで私が間違っていました。リスクばかり気にしていて、感情を切り捨てた判断では得られる信用も得られない。もう面倒なので組織にも連絡は入れません。全て独断です」
「ええ!? なんか急に不良チックな……別にそこまでしなくても」
「普段と違う私にでもならないと式宮君の信用を勝ち取るのは難しそうですからッ。ちゃんとしたデートのつもりなので、君もお洒落してきて下さいね? 考えてもみれば私こそ式宮君についてあまりよく知らないので、普段は見せないような一面も見せて下さい。お互い様になりますからッ」
高校生の年齢ではないそうだが。
今の未紗那先輩には、役相応の輝かしい笑顔が作られていた。
―――普段と違う先輩ってのは、少し気になるかもしれない。




