四月を愛してる
章終わりです。
「……もう行っちゃうの? もっと居ていいのに」
「そういう訳にもいかない。家に帰らないと」
三日間も休んだなら十分だ。それよりも自分の心配をしてほしい。俺のは単なる怪我だがマキナのそれは過剰負荷による身体の崩壊だ。傷病のいずれにも当てはまらないダメージは暫く眠らないと回復しないらしい。
「俺が居たらお前が休もうとしないだろ。色々考えたら出来る事がない。それなら帰った方がお前の方に面倒事を持ち込まないで済むかもしれない」
「有珠希は看病してくれないの?」
布団から半分だけ顔を出しながら、熱っぽい視線を俺に向けてくる。そういう目を向けるのはやめてほしい。あんまりにも可愛すぎて、色々と衝動が抑えられなくなりそうだ。三日間もマキナの傍で眠っていたら気がおかしくなる。糸が視えないだけでこんなにも俺は下世話な人間になるものなのかと自分で感心したくらいだ。
ちょっとこのキカイ、流石に警戒心が無さ過ぎる。
幾ら心臓を握っているとはいえ、俺は何処にでもいる普通の人間で、マキナはキカイという名の女の子。もう少し距離感という物を考えてくれないと…………何か、一線を超えてしまいそうで。
「あのなあ……キカイは専門分野じゃないんだ。むしろ放置するのは精一杯の看病だよ。未紗那先輩に出会ってもお前の事については何も言わないから、それで勘弁してくれ」
「…………まだあの女とつるんでるんだ」
「つるんでいるっていうか、お前よりよっぽど接触しやすい立場にあるんだからそりゃそうなるよ。同じ高校に居るんだぞ? 逆にどうやったら出会わないで済むんだ?」
それこそお前に監禁されないと、と言いかけて口を噤む。彼女は俺の生活にまで干渉する事はない。出来るだけ擦り合わせようという努力は出会った当初から垣間見える。マキナにとって強引な手段は選択肢として存在しないのだ。
「……ま、いいわ。あんな奴敵じゃないし。でも何かされそうになったらすぐに呼んでね? 絶対、絶対よ?」
「……良く知らないけどさ。メサイア・システムってのは人類の味方なんだろ。そりゃお前を敵視はしてるだろうけど、俺だって人類だ。何もされないだろ」
「そういう事じゃないの! 有珠希の意地悪、もう行けば!?」
何に怒られたかも分からない内に、彼女は布団を被ってしまった。意地悪なんてした覚えもないし、そもそも何が逆鱗に触れたのだろう。キカイ心は良く分からない。メサイア・システムについて言及したのが良くなかったのか。
このまま帰ると心残りを生んでしまいそうだったので、布団の中に手を入れてマキナの腕を無理やり掴む。そこから指を滑らせて掌に辿り着かせると、力を込めずに握った。
「―――お前が来なかったら死んでた。人は死んだけど……それも仕方ない。お前は俺を守る為に必死だったんだろうし、俺は俺で自分よりも見ず知らずの他人が生きるのはごめんだ。ロクデナシだからな。それで―――ありがとう、マキナ」
手を離して外に出ようとしたつもりが、離れない。握り返されている事に気が付いたのはその直後だった。
「……マキナ?」
「……私は、ずっと貴方の味方よ」
「あ、ああ?」
「この三日間、ずっと一緒に寝てたでしょ? その間有珠希は、じっと私の身体を見てる時があったわよね。私はこれから眠るけど、興味があるなら自由にしてくれていいんだから」
どうしよう。途中から話が入ってこない。否定したい気持ちで一杯だが、彼女の身体を見ていたのは多分本当の事なので強く言いにくい。布団の中からクスクスと鈴の転がるような綺麗な笑い声が聞こえてきた。
「…………俺が、何かの間違いで殺すかもしれないぞ」
「貴方に殺されるなら本望よ。優しい貴方の事だもの、きっと一生忘れないでくれるんでしょ? それならそれでいいわ」
「おやすみ………………有珠希……♪」
その言葉が消えゆくと共に手の力も抜けていった。これ以上長居してもいい事は何も無いので、布団越しにマキナを抱きしめてから逃げるように外へ。自分でも自分の感情が良く分からない。どうして俺はあんな真似を。
―――俺が優しい奴で良かったな!
精一杯の悪態を心内で吐いて帰路につく。約束は守りたいので、出来るだけルートは誤魔化したつもりだ。これならメサイア・システムの誰かに出くわしてもそこからアイツの居場所が特定されることはない。
それよりも俺には気にしなければいけない事がある。
「…………はあ」
俺は自分の事ばかりで、あらゆる面倒を最終的に投げ出してしまった。迷惑をかけた人物は未紗那先輩は言うに及ばず。牧寧こと可愛い方の妹もそうだ。他の家族は忽然と俺が居なくなった所で気にも留めていないだろうが、彼女だけは別だ。
風呂に入ったと思ったら居なくなっていて、何故か指名手配されていて。挙句死にかけていたなんて聞こうものなら卒倒させる自信がある。かと言って嘘は吐きたくない。
―――泣かれても、仕方ないよなあ。
家の前でうだうだと時間を潰しても悩みは解決しない。意を決して玄関の扉を開くと、未紗那先輩が笑顔を向けたまま佇んでいた。
「おはようございます、式宮君。気持ちの良い朝ですね」
バタン。
前言撤回。色々と気分が変わったのでマキナの家に戻ろう。ここに居ると命が幾つあっても足りないようだ。身を翻し、機械的な動作で可及的速やかに退却をはかるも、カガラさんによって既に退路は断たれていた。
「まさか私達の情報網を以てしてもまともに消息が掴めないとは驚いたよ。式宮有珠希君。キカイは余程君を重宝しているらしい。厳密には君の力か……ああいや、紗那を恨まないで欲しい。詳しい話は中でしようか」
「……カガラさん」
「何?」
「未紗那先輩、怒ってますか?」
「それは自分で確かめたらいい。生憎とあの子は私の上司だから、こういう時には口を噤めと言われているんだ」
渋々と言った様子もない。完全に俺を弄んでいるような言い草だ。もう一度扉を開けると、今度はやり直しの機会を与えられなかった。
「―――式宮君っ」
障害物が無くなったと同時に、未紗那先輩が一般的な範囲で力強く抱きしめて来たから。
「なッ」
「キカイに何もされてませんか? 身体に異変は!? 脅迫でも暴行でも何でも構いませんが、何かありましたか?」
「えっと…………特には何も」
「……そうですか。良かった」
「紗那は君の身を案じるあまりあの日から一睡もしてないからね。その辺りは君、理解しておいた方がいいよ」
―――三日間も、寝てない?
人間的に有り得て良いのだろうか。可能だったとして、それは間違いなく身体に悪い。にも拘らず未紗那先輩の善心には不健康を思わせる兆候や変化が見受けられない。これはどういう訳だろう。俺がマキナに拘束されていたのをいいことに、嘘を言いたい放題言っている可能性は否めない。
「怒って……ないんですか?」
「怒る? 心臓を人質にされているだけの君に一体何を怒るんですか? むしろ謝罪しなければいけないのはこちらです。君の家ですが、どうぞ中へ入ってください。ご家族には映画のチケットを贈呈して外出してもらっています」
「全員、居ないんですか?」
「妹が一人残っていますよ。『兄さんの顔を見るまでは出かけない』って言って聞かなかったというか……他のご家族に強制していたくらいで。ええ。ですが話し合いには参加しません。終わった後にでも顔を見せてあげて下さい」
自分の家に帰って来ただけなのに、こういう歓迎をされると途端によそよそしい雰囲気を感じるのは俺だけだろうか。先輩やカガラさんに、ではない。この家そのものにだ。長い事住んでいたのに、匂いも足先の感覚もまるで懐かしさを覚えない。ここが他人の家であると、そう思わせてくれるみたいに。
応接室代わりのリビングで椅子に座る。対面にはカガラさん、隣には未紗那先輩。両手に華と喜んでいる場合ではない。わざわざ家族を引き離した時点で二人が切り出したい話題は相場が決まっているのだ。カガラさんも未紗那先輩も美人だからと、そんな気軽な理由で気は抜けない。
「俺から確認したいんですけど」
「どうぞ」
「波園さんはどうなりましたか? 無事ですか?」
あの大胆なんだか臆病なんだかよく分からない子が、ある意味で命運を分けたと言っていい。あの場でマキナに抗えたのは彼女と未紗那先輩のみであると考えると、潜在スペックはこの先輩に勝るとも劣らない……のか?
この辺りの条件はハッキリしていないので何とも言えないか。
「ええ、無事ですよ。規定の影響が消えたのを確認してから所属事務所の方へと解放しました。もし先に出会ったらお礼を言っておいて欲しいと」
「そんな感じだったっけ? もっと過激な感じじゃなかったかい?」
「お礼はお礼です。もう三日も経ってるのでテレビを付ければ見かけるのでは? 今回の事件もどうせ明るみに出る事はありませんからね」
そう、殺人が絡む事件は基本的に見なかったことに―ー―というより、何故かほとんどの人間に見えない。死体が発生した時点でその人間を認識出来なくなる。認識出来なくなった途端に、話題にも出さなくなる。
だから事後対応が基本の警察など動きようがないし、あれを事前に対応するのも無茶だ。こゆるさんに近づいたが最後、職業に拘らず被害が拡大するばかり。あれをどうにか出来る人材は取り敢えず目の前にしか居ない。だから言い方はともかく、治安維持機関の行動は正しい。
「なら……いいです。先輩たちの方をどうぞ」
「では。式宮君、以前私はキカイと縁を切るべきだと言いましたが、そろそろ答えをもらってもいいでしょうか?」
「え?」
「貴方も実感したでしょう? ただの女の子、では済まされないくらいキカイは危ない存在です。まして彼女は弱体化しているのにも拘らず、明らかに本来の出力を上回っている」
「弱体化?」
これに首をかしげたのはカガラさんだ。この人は現場に居ない場合が殆どで実情を知らないらしい。にしても先輩が何処でマキナの弱体化を知ったのかは…………ああ。
「キカイは通常、血液を保有していません。あれは例えるなら燃費の悪い燃料みたいなものですから、わざわざ取り込む理由もない。それは一度対決した私が断言しましょう。式宮君。貴方は弱体化を知っていましたか?」
「―――いや」
その質問を受けて、心に固く誓った。俺の心臓の事は誰にも話さないようにしようと。キカイの心臓を持っているなどと言い出した日には先輩とて容赦はしてくれまい。本人に確認していない以上断言は出来ないが、どう考えてもこの心臓はマキナの物でしかないのだから。
「――ーなるほどねえ。式宮有珠希君は絶対に替えが効かない力を持っている。それだけではあまりにも大切にしすぎだと思っていたけれど、弱体化しているなら納得がいくよ」
「ええ。どんな経緯があってそうなったのかは分かりません。破壊を命じられた身としては助かりますが、実害としては非常に迷惑しています。ここからは私の予想に過ぎませんが……キカイは人間の血液から感情を学習した可能性が高いです」
「…………感情を、学習?」
「人間の細胞は情報の塊ですからね。それくらいは可能でしょう。ええ、キカイの身体は部品―――何らかの規定で満たされています。容量が満タンになっていると思ってください。普通そこに介入する余地はありませんが血液で空き容量を補完し、このまま部品を取り戻していこうものなら―――仮にも世界の秩序が管理を怠って自立するようになるでしょう。最終的な目標は分かりかねますが、式宮君。貴方はこのままだと本当に殺されちゃいます」
何やら壮大な話になってきたが、未紗那先輩の勘違いはいつまで続くのだろう。敢えて黙秘を続ける俺が一番悪いのだが、マキナは俺の為にしてくれたのであって最終的な目標も何もない。強いて言えば部品を全て回収するくらいだ。
そこから先なんてものはない。あっても知る由もない。俺達の取引はそこで終了するのだから。
「―――で、でも。先輩。俺は心臓を人質に」
「そうですね。しかし気のせいでしょうか、君にはすすんで協力する傾向が見られます。命惜しさに従順なんだと言われても―――そういう人が、あの場で波園こゆるさんを庇えるとは思えませんし。今日は注意喚起という事で、お邪魔していました」
未紗那先輩は席を立つと、俺の肩に優しく手を置いて、希うように囁いた。
「……頼るならあのキカイではなくて、私にしてください。先輩からのお願いです」
「…………ま、紗那が駄目なら私でもいいよ。どうにかしてあげられない事もないから」
二人が家を後にする。
なまじっか良い人だけに、騙すのが心苦しい。心苦しいけど騙しているから助けを求められない。だって、それはあまりに都合が良すぎる。騙すならせめてバレた時に破滅するくらいのリスクを抱えるべきではないか。それが欺瞞を働いた人間の礼儀という奴だろう。
「…………兄さん?」
遠くから様子を見ていたらしい牧寧がカガラさんの席に座った。三日ぶりに帰って来た兄貴に妹は怒らず悲しまず、それでいてしっかりと口元を結び、淡々とした口調で俺に尋ねてきた。
「……こゆるさんと恋人になったんですか?」
―――――。
「は?」
頭が真っ白になった。単純に、ちょっと動揺して。今までの緊張が馬鹿馬鹿しくなるくらいの衝撃。
「何言ってんの、お前」
「とぼけないでもいいんですよ。こゆるちゃ……アイドルが兄さんの恋人になってくれるなら私も嬉しいですから」
「いや。いやいやいやいや。本当に意味分からない。何言ってんの?」
「……これでもですかッ?」
牧寧がテレビのリモコンを付けてチャンネルを弄る。どのチャンネルもという訳ではないが、ニュース番組がわざわざ枠を割いて『波園こゆるの新曲』について報道していた。
「曲名。『四月の君に』。これが兄さんに向けられた物でないというのは非常に考えにくいんですよ」
「そっちの方が考えられねえよ?」
「まずこゆるちゃ……んの曲名は基本的に英語読みなんです。それが突然、読んだままな曲名になった……兄さん? 何ですかその顔は」
「いや、お前って意外と陰謀論とかに嵌りそうだよなって」
「兄さん!!」
揶揄ったつもりはないのに、怒られた。いやあしかし、本当にこじつけみたいな理屈だし撤回するつもりはない。
「大体俺の要素が何処にも入ってない。不思議の国の、とかなら分かるけど。四月の何処に俺の要素が入ってるんだ?」
まだ話は終わってませんよ、と叫ぶ妹を放って、俺は自分の部屋に戻っていった。
ああ、清々しいくらい馬鹿馬鹿しい。
「ふふふ…………ふふふふふふふ♪」
ツーショットを待ち受けに、私は愛おしそうに携帯を抱きしめた。
―――こんな気持ち、味わったことがない。
アイドルに未練はない。ファンの事も気にならない。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。有珠君の事だけを考えてる。人を好きになるのがこんな気持ちなら、ファンの好意にも納得? それは出来ない。私がアイドルじゃなくなったら、どうせ居なくなるに決まってるんだから。
「こゆるさん。もうすぐ出番です」
「はーい。今行きまーす♪」
有珠君を振り向かせたい。
あの人に愛されたら、どんなに幸せなんだろう。私に何も残らなくても守ってくれると言ってくれた男の子。私と同い年。ならこれは―――きっと運命!
―ー―だからアイドルは続けるね?
もっといい女の子にならないと。
もっと美人な女の子にならないと。
もっとそそるような子にならないと。
これが『愛』なら私は大歓迎。他の人とは全然違う。比べてほしくもない。私だけの、君への贈り物。
―――水着写真集とか送ったら、喜んでくれるのかな?
そんな事を考えながら、私は楽屋を後にする。
画面に映る卯月の君に、キスをして。




