金色冠る破壊の秩序
公共トイレという名の袋小路から脱出するには今までの状況からファンの人間について考察する必要がある。それは奴等の優先順位についてだ。怪我の功名で彼等の標的は俺ではないという事が分かった。もしも俺なら捕まった時点でお終いだ。数の暴力によって殺害され、こゆるさんを奪還されていた。むしろそれがあちらにとっての最適解。
実際はどうだ。こゆるさんの奪還を優先するあまり俺に対する抑え込みが甘くなった。徹頭徹尾彼等はファンとしての責務か『愛』の規定故か、こゆるさんにのみ意識が向いている。俺は飽くまで障害物と見なされているらしい。手が届くようになった瞬間、俺には誘拐犯としての付加価値さえなくなるのだ。
とすると、幾ら指名手配されていると言っても彼等はこゆるさんで判別している可能性がある。というかその案で行かない事にはここを抜け出せない。端からジリ貧が確定しているなら早い所行動しないと。
「波園さん。その返り血だけど……多分衣装だよな。全部穏便に終わったら、弁償するわ」
「え、別に気にしなくてもいい……よ? 大切に保管しま……すから!」
敬語とタメ口がぐちゃぐちゃで語尾がよれよれだ。余計な要求はするもんじゃない。しかし大切に保管するとは何だ。無知の俺とて彼女が血みどろ世界観でライブをしている訳ではないと知っているので、今後着る事はないだろうけれど。
「さて、ここからどう脱出するかな……」
「有珠君。私にいい方法があ……るよッ」
「取り敢えず聞くわ」
「警察の人が来ないなら……SNSで誘導すればいいんだよ」
言われてみれば、警察の姿を見かけなくなった。知り合いに警察関係者はいないし、免罪符を上手いこと利用してくれそうな人物に心当たりは一名しかない。
―――未紗那先輩が、助けてくれてるのか?
あの人は強制は好まないだけで必要とあらば使う人だ。意地でそれすら拒むような俺と比べたら余程この世界の立ち回りを理解している。何故現地に来て助けてくれないのかは謎だが、これまで助けを拒んできた俺が今更助けを求めるなんておかしな話だ。こんなのは精神的に余裕がないだけ。助けは求めない。むしろこれだけでも有難い方なのだ。
「SNS?」
「え……えっとSNSっていうのはソーシャル」
「ああそういう意味じゃなくて。誘導って言われてもピンと来ない。ここに居るって投稿するって魂胆なんだろうが、アイツ等だって盲目なだけで馬鹿じゃない。俺が代わりに書いてるとか言い出して信用しないだろ」
「だ、だからそれを利用するんです……あッ。……えっと、有珠君が誘拐犯って事になってるから、目を盗んで書いたって事にするの。そうすれば……」
物は試しと言わんばかりにこゆるさんは片手を器用に動かして投稿を始めた。どれだけの影響力があるかは分からない。機械オンチではないが、単純に使った事がない代物にどんな力があるかは測りにくいものだ。
ドドドドドドドドドドッ!
「……!?」
外で爆音が聞こえたかと思うと、瞬く間に遠ざかっていった。他のどんな音で例えようとしても例えられない。軍隊の行進が乱れたまま行われたような……そんな足音の塊。全てそれにかき消されてしまったが、人の声も混じっていたかもしれない。
「…………うまく、いった?」
「……駅前なのにビビるくらい静かにはなったな」
安易に個室を出たりはしない。二人で注意深く音を拾ってから覚悟を決めて扉を開けた。トイレの外はゴーストタウンも斯くやというくらい人が居なくなっており、駅員(影響を受けていない)を除けば軽く人類が滅亡したかと思う程だ。交差点は信号待ちの車を停止させて足で向かった人間も居れば、信号を無視して突っ切った車も今しがた見えた。その全員が因果の糸でハートを紡いでいて、景色の奥には膨大な数のハートが犇めいている。
―――嘘だろ。
多少影響を受けていない人間が周辺の建物にちらほらと残っているのは糸で分かるが、それを差し引いても人が移動し過ぎている。こんなに開けた空間を見たのは初めてではないだろうか。
「アイドル、すげえな」
「凄く、複雑。ファンが有珠君を助けるなんて」
「流石の波園さんもちょっとはファンへの熱も取り戻したり?」
「……もう『好き』って言われるのは、飽きたの。同じ人から何回言われたかも分からないし……どうせアイドルをやめたら、直ぐに居なくなるよ」
こいつ面倒くさいなあ、と思ったのは俺だけだろうか。
皮肉もここまで来れば悲惨だ。『好意』を否定し続けれはそれは呪いになる。『善行』に対して俺が過敏になってしまった様に、彼女がもしこれからの人生で誰かを好きになっても相手から『好意』を向けられた瞬間熱が冷めてしまうのではないか。恋愛が全てではないにしても、何かにつけてキライキライと排除していけば最終的に自分が嫌いになって排除したくなるだろう。
自分が好きになれたらいいなとアイドルになったのに。
手の届かない人も笑顔にしたくてアイドルになったのに。
あんまりにも、あんまりだ。今じゃ真逆の感情を抱くなど。
「―――今の内に反対側に行こうか」
「うん」
こゆるさんを連れて反対側へ。もう当てはない。トイレに籠った時から当てがないとは思っていたが、いよいよ土地勘が怪しくなってくる方向だ。いや、厳密にはまだまだ地元の範囲を出ないので道は分かるのだが、あんまりにも閑散としてしまっているせいで違う土地に見えているというか。
「アイドルを辞めても、まだその人が好きってのは流石に居るだろ。昔のアイドルでもう引退してるけど今も好きって人はちょいちょい見かける筈だ。過激派にもなるとその人の音楽しか聴かないとか未だにグッズを集めてるとかまで行くかな。そういう人に対してはどう思ってるんだ?」
「……」
「まあ君の選択を邪魔するつもりは無いよ。俺はファンでも何でもないから、君が嫌いな人よりも遥かに干渉する権利がない。でも似たような立場から言わせてもらうと、君は自分の変な力のせいで誰かの『好意』を過剰に否定したくなる傾向になってる。進退はそれが無くなってから考えてもいいんじゃないか」
俺と違って、簡単に消せるものだし。
「有珠君は、私がアイドルの方がいい?」
「俺はっていうか、妹が喜ぶ。だけ。まあ今はこうして知人になったし……妹との話題が増える分には悪い事じゃないけどな」
「…………と…………ぼり……めれば?」
「ほとぼりが冷めれば? …………ああ、もしかして妹にサプライズがなんかしてくれるのか? それは嬉しいかもしれない」
牧寧の笑顔が増えるなら兄としてこれ以上はない。こゆるさんの体力が尽きてきたので、俺達は日亥市の中でもとくに有名な衣桜公園の中に逃げ込んだ。
ここは面白い遊具などない、言うなれば実用性の欠片もない場所だが、代わりに何十種類とある花々が見渡す限り広がっている。整備された道さえなければ、足の踏み場さえないようないよいよ鑑賞特化の土地になっていただろう。個人的には植物も生きていると考えているが、因果が視えない理由については分からない。生物の対象に植物は含まれない? そういう曖昧な部分は本人の解釈に因るのだと思っていたが。
まあ植物にまで見えてしまうと、いよいよ俺の精神が保たないので嬉しい誤算……誤算?
「…………ああ、気分悪い」
糸の見過ぎと出血が原因だ。中心にある枯れ木を囲ったベンチに座り込むと、気を抜けば死んでしまいそうなくらい体の力が抜けた。
「―――有珠君。一緒に写真撮らない?」
「呑気かお前。あーまあでもさっきと同じように攪乱出来るかもな。分かったよ……ただ、俺は芸能人じゃないんで構図がどうとか専門的な話はやめてくれ」
「気にしない。二人で撮れればいいから」
死体を無理やり動かしているような倦怠感に抗って上体を起こすと、こゆるさんが肩から手を回し、反対側の指でピースサインを作った。もしも俺がファンなら鼻の下とか背筋とか色々伸ばしてデレッデレの締まらない表情を作っていたのかもしれないが、糸に対する嫌悪感と負傷でそれどころじゃない。最低限の礼儀としてピースサインは作ったが、その心境は投獄される寸前の写真撮影さながらだ。
「……さっきまで疲れてたのは嘘だったのか?」
「アイドルの表情が常に本当だとは限らないよ―――今は疲れなんて、どうでもいいし」
「そういうもんなのか……まあいいけどさ、これ攪乱じゃなくて火に油を注がないか」
「え? どうして?」
「…………」
胸が、擦り潰れるのではというくらい当たっている。
俺の身体に押され餅みたいに潰れた胸が衣装の生地を突っ張らせるような形ではっきり写っている。これは何でもないツーショット写真として些か問題があるような気もするが、「写真の是非は私の方が知ってるから」と言って聞かなかったので、信じるしかない。
「有珠君。私の腰に手を回して?」
「なあ。本当に大丈夫か? アイドルって基本お触り禁止なんだろ」
「有珠君は特別って事で!」
俺しか味方がいないならそりゃ特別だ。何も嬉しくない。『愛』の規定に抗える存在がたまたま俺しか居なかっただけだ。なのでそんな発言をされても納得しか出来ないのだが、ひょっとするとアイドルはこうやって思わせぶりな発言を繰り返してファンを増やしているのか?
流石にフィルターが偏っているのだろうが。
「行きますよー。はい、チーズ!」
カメラの手ブレが殆どないのは自撮り慣れという奴か。写真の出来栄えが余程良いらしくこゆるさんはいつになくニコニコと輝いた笑顔を浮かべていた。
―――今なら切り出せるか?
「有珠君。もし私の力がどうにもならなかったら……一生、守ってくれる?」
「まあそういう約束だしな。でもどうにもならないって事はあり得ないぞ…………君の変な力を取り除く方法を知ってるんだ」
「え? そう……なの―――整形?」
「整形で誤魔化せないだろうなあそういうのじゃないし。ただ無償じゃない。お金でもない。身体の一部分が消える……と思う」
「……具体的には?」
「手首とか。平たく言えば片手が使えなくなる。それでもいいなら、過剰な好意からは逃げられるさ」
マキナは俺の手首を繋げ直してくれたが、そもそもあれはキカイがどうとかそういう勘違いから始まったお礼というか対応というか……こゆるさんにしてくれるとは思わない。アイツは基本的にヒトを何とも思っていない。俺への対応が特別丁寧なのは糸を視る力に替えがきかないから、というのがかなりの割合を占めるだろう。
「……………………」
選択肢を与えているようで、俺としては頷いてほしい。
ここで「痛いのは嫌! 守って!」と言われるのが嫌だから、信用してもらう必要があったのだ。強制が嫌いなので選択肢を与える形になったのは仕方ない。彼女は右手を擦りながらじっと俺の胸の辺りを見つめていた。
「…………責任、取ってくれる?」
「責任?」
「あ、アイドルの身体はタダじゃないの。こういう目に遭わなくなるのはいいけど……お父さんお母さんにも説明しないといけないし、元からあったものが無くなるのは不便だと思うから。だ、だから………………」
息は荒く。
頬が上気し。
熱っぽい視線が俺を捉えた。
「と、隣でサポート…………して?」
俺の責任とはそういう事だったか。確かにこの指示を聞いて彼女が手首を失ったなら責任は俺にあるか。教唆犯と実行犯みたいなもので、規定が回収できたから何もかもすっぱり終わらせたいというのは勝手な都合でしかない。文字通りこゆるさんに傷をつけておいて、そんな都合の良い要求が通るかと言われたら否だ。
「ああ。分かった。なにをどうすりゃいいのか分からないけど、出来るだけさぽ―――」
「波園ちゃんから離れろおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオ!」
こゆるさんに意識を向けていたのが災いした。二人してわずかな時間、周囲への警戒を怠ったなんてどんな笑い話だ。気付いた時にはもう遅い。公園の入り口から突っ込んできたファンが、先端に包丁を埋め込んだ物干し竿を俺に向かって突き出した。
しかし長物を扱う素人の宿命か矛先はこゆるさんの方へと逸れて―――――ー
「い、えっ………………」
ドスッ!
咄嗟に庇ったら、結果的に俺の方に当たるとか。
「…………ぅ」
即死しなかったのが幸いなのか不幸なのか。自分の推しを殺しかけた事実に怯む事なくファンの人間は狂ったように何度も何度も俺を刺し続けた。思考が続く暇もない。断続的に途切れる意識が命の期限を示していた。
「や、やめて! お願いやめて! ちょっと、ねえ!」
「波園ちゃんに血を付けるなんて何考えてるんだ! ふざけるなああああ! 返せ返せ返せ返せ返せええええええ!」
―――。
どうも俺の身体は、心臓のお陰で頑丈に出来ているらしい。色んな臓器と血液とを一つで補完するようなとんでもない部品だ。それくらいの力はあるのだろう。しかしそれもこれまでだ。滅多刺しにされれば……普通の人間は。
「波園ちゃんがこっちに居るって!」
「居た! 本当だ!」
「誘拐犯は動けないぞ!」
「今の内に皆で運ぼう!」
「「「「「俺達の波園ちゃんを取り戻せ!!!!!」」」」」
雑音じみた声が薄れていく。こゆるさんの声も小さくなっていく。
段々。
段々。段々。
段々。段々。段々。
段々。段々。段々。段々。
あらゆる音が静まり返った後、最後の力を振り絞って俺は仰向けになった。だからどうという事もない。見えるのは世界を覆う熾天の檻と。
「ナに シ て レの」
こんな時にも見惚れてしまうくらい絢爛な、金色のキカイ。
「ダ⾫ ⽲ノ有珠希亻つけたのは」




