バグめいた一日
「…………は?」
脳が狂ったのかと思ったが、マキナはいつになく真剣な表情を向けている。要望通り近づいてきたが、何故だろう。この質問が付随するなら近寄って欲しくない。
「す、好きな人?」
「有珠希だって好みはあるでしょ。良かったら聞かせてくれない? 嘘は駄目よ。貴方だって生物の循環の中で生きる一体だもの。情欲のそそられる対象が居ないなんて考えにくいわ」
「………………」
―――どうしよう。
言いたい事は分かるので、協力してやりたいが問題がある。今の所そういう対象になっているのはどう控えめに考えても俺に質問をしてくれるキカイであり、その答えが非常に気まずい。かと言って他の人間には糸の弊害があるので情欲よりも先に嫌悪が募る。メサイアの二人と出会った事であの嫌悪感は糸そのものというよりも、糸に縛られ善人である事に執着する人間への嫌悪だと判明しているが、どちらにせよ糸を視ていたら精神的な体力でも使っているのか非常に疲れる。
ドラマなんかの知識で申し訳ないが、連日連夜の仕事に忙殺されてレスに陥る夫婦なんかを見ていると、疲れたらどっちみち情欲は出ないのだろう。
「…………ぶ、部品探しに関係ないだろ? それを知った所で」
「関係ないとは言い切れないんじゃない? 質問に質問を重ねるようだけど、有珠希は私と一緒に居てどう感じてる? 楽しい? つまらない? それとも………………怖い?」
気を遣う必要はない。彼女にたいする信頼のつもりでそう言ったが、軽率だったかもしれない。気を遣わせる事で間接的にマキナを守る事になっていたのか。よく分からないが、この質問の答えを彼女は恐れている。目線を逸らし、パジャマの袖を握り、俯いてしまった。
――――――。
多分、理解しようとするのは人間として間違っている。未紗那先輩の言う通りなんだとは思う。キカイが何をどう考えるかを一々推測するのは時間の無駄で、端から理解不能と放棄して対話拒否すればどれだけ楽な事か。
けれどもそれは因果の糸だって同じ事だ。糸をいい加減に認識していた俺にマキナは正しい認識を教え、あまつさえそれは治せると言ってくれた。それは他の誰でもないキカイだからこそ出来る芸当で、本当に。心から。それが嬉しかった。
なら、俺だって同じ事をしていい筈だ。マキナを理解しようとするのが悪でも何でも、関係ない。この世界において犯罪は成立しないのだから。
「…………お前と出会うまで、死にそうなくらい退屈だった。俺だけ違う景色を見てるのが気持ち悪くて、なんか……なんだろな。昔出会ったあの人が居なかったら、とっくに死んでたんだろうな。でもお前と会ってから……少しだぞ? ほんの少しだけ、自信が出た」
「自信?」
「生きてていいんだっていう自信だよ。何の使い道も見いだせてなかったこの景色に、お前は使い道をくれた。理解してくれた。俺と同じ景色は見えなくても、たった一人の異常なんて事はあり得ないんだって教えてくれた。だからお前が怖いなんて事はない。隣に居て分からないならちゃんと言葉にするよ。お前と一緒に居たら―――楽しい」
「――――――!」
マキナの視点が、恐る恐るとこちらに戻って来た。
「じゃ………じゃあ、そんな私が貴方の好みになったら、モチベーションが上がって部品探しも早くす、す、す…………」
泣きそうにも見える赤面を噛みしめて、マキナは布団に潜り込んでしまった。中からは壊れたキカイのように「す……す……す……す」と繰り返されており、これでは会話が成立しない。こちらとしても恥ずかしい質問だったから破綻してくれたなら幸いだ。時間帯も丁度いい。この機は逃さんとばかりにベッドから脱出した。
看病の体を続けよう。
「冷蔵庫、開けていいか?」
「………いい、よ」
怪我人らしくもしおらしくなったマキナ。姿こそ見えないが犯罪的な声の可愛さに骨が溶けそうだ。キカイの性質を考慮すれば大した食材は入っていないだろうと考えていたが、そういえば朝食をご馳走になった記憶が蘇って、それはないと否定する。実際、冷蔵庫には一通りの食材があった。俺の家よりも充実しているまである。
「な、何するの?」
「もう昼っちゃ昼だからな。一応怪我人のお前を台所に立たせるのは問題しかない。俺が作る」
「―――有珠希、料理出来るの?」
「レシピ見ればいける。キカイじゃないけど、そういう時の為のレシピだからな」
とはいえ流石に複雑な料理は技術的に不可能だ。レシピが分かっていても出来ない事はある。ネットを使って審議した結果卵焼きが一番簡単そうだったのでそれに決めた。料理経験のある人間には分からないかもしれないが、まるで経験のない人間は卵焼き一つとってもレシピを見ないと大変な目に遭う。
「…………もしかして、有珠希の料理を食べるのって、私が初めて?」
食材の準備をしていた所で気付く。引き籠っていたキカイが顔だけをぴょこんと出して俺の様子を見ていた。羞恥的な表情から一転、興味津々とばかりに目を見開いている。
「……お前以外に出せねえよ。申し訳が無え。その代わり不味くても文句言うなよ」
「言わない言わない! どんな味でも美味しく食べるわッ。うふふ♪ うふふふふ……♪ 私の、為の、料理。有珠希が。私の。為に。料理。あの女はどんな顔するかしらッ。パートナーってのはこうじゃなくちゃね!」
「…………あ、思い出した事があるわ」
料理が済めばなんやかんやでまた忘れる可能性がある。ポケットから紙切れを取り出すと、顔だけでなく腕まで飛び出したマキナに向かって投げつけた。
「これ、お前のだろ。なんでまた俺の名前を練習なんかしてるんだ?」
「え? …………これ、私のじゃないわよ」
「え?」
その事実に、驚いたんじゃない。
ほんの一瞬、青筋とも呼ぶのも温い黒いヒビのような線がマキナの額を奔ったのだ。
「卵焼きねッ」
「カタチがグズグズなのは悪い。原因はよく分からないがやらかした」
「私は気にしないわよ。料理は見た目より味って言うでしょ? キカイの私にすれば餓死の概念がないから味よりは見た目って思うかもしれないけど、見た目の良い料理なんて他のニンゲンが幾らでも作ってるし、やっぱり味を優先したいわね」
「味まで酷かったら俺の料理は救いようがないって事になるのか」
「レシピを見てたんでしょ? なら大丈夫よ…………あ、そうだ」
マキナが上体を起こしたかと思うと、皿を机に置いていた俺を呼びつけ、求めるように両手を広げた。
「食べさせてー?」
垣間見えたあの表情は気のせいだったのかと思えてならないくらい、今の彼女はご機嫌だった。キカイらしくもないというか、キカイが何なのか知らなくてもこんな腑抜けた奴に管理されていたのかと思うと未紗那先輩の気持ちも二パーセントくらい理解出来る。
「……甘えるなよ。流石に自分で食べろ」
「私、怪我人!」
妹然り、俺は甘えられたり泣かれたりすると弱いのだろうか。説得を試みても恐らく無駄だ。マキナはたまに強情な所がある。彼女が指一本動かせないような怪我を負ったならまだしも腹を切られたくらいで…………それは重傷だ。普通は病院へ行くべき案件であって、内々で済ませるこいつがおかしい。
「……ほら、口開け」
「なんか、恥ずかしい感じッ。有珠希にお世話されるなんて!」
「看病は支配だから、今は明確に俺の方が上ってな。いや、冗談だけど」
渾身の料理の結果は上々だ。マキナは決して美味しいとは言わなかったが、口に運ぶたびに食べるので不味くはない筈。こういう所でも彼女の正直さが現れている。お世辞を言われるよりはずっと好印象だ。これで美味しい方が不自然に決まっていて、もしも天性の才能が眠っているのだとしたら俺は今すぐにでも料理人を目指す。
「所で有珠希はいつ頃帰るの?」
「夕方くらい……か? 部品探しはお前が完治するまで保留だろうな。あんまり無理して欲しくないし。それまでは出来るだけ言う事を聞いても良い」
「ホントッ? じゃあお昼寝は?」
「子守唄を歌えと?」
「添い寝! 疲れるまでお喋りして、元気になるまで寝ましょう?」
―――また?
さっきはただ引きずり込まれただけだとしても、他に何かするべき事があるのではと思わない事もない。しかしテレビは見るだけでストレスだし、ゲームの類がある訳でもない。必然、選択肢は雑談か寝るかの二択になる。
それに、これは俺にとっても悪い話じゃない。眠れば糸は見えないし、布団は間違いなく温かい。元は俺の血液でも、マキナの体温があまりにも高すぎて布団全体に仄かな熱さが広がっている。面と向かってちゃんとした形で世話していてようやく気付いたが、マキナ本人も布団の熱さにある程度参っているらしい。『強度の規定』でパジャマを溶かし、首周りのサイズを緩めていた。
「……添い寝はともかく、何でこの部屋、こんなに暑いんだ? 今、冬だぞ」
「私の中にある有珠希の血液が沸騰してるんじゃない?」
「人に暖房機能がついてたらストーブとかって発明されないと思うんだ。もしかして俺が知らない内に規定を回収したりしたか?」
「怪我してるのにそんな非効率的な事しないわよ―――ご馳走様。美味しくはなかったけれど、大満足よ」
「そりゃどうも」
洗い物も最小限で済ませたのは、自分でもよくやったと思う。この時期に冷たい水に触れるのは抵抗感がある。やらなければいけない時、その実時間が短ければ短い程、俺のストレスは軽減されていくのだ。
「…………なあ。参考までに聞いておきたいんだけど。大勢の人間から見つかる事なく隠れられる規定ってあるのか?」
「やぶからぼうに変な事聞いてくるのね。『傷病の規定』みたいに応用が利くのを含めたら一つには絞れないわよ。どうしてそんな事聞くの?」
マキナは知る由もないか。俺がアイドル捜索を拒否しただけでどんな目に遭ったか。積極的に探すのを拒否しただけであんな事になるのなら、もしも『規定』持ちで、マキナの代わりに俺が殺さないと行けなくなった時どうなるのかなんて。
そんなツマラナイ事を考えただけだ。交渉の余地が今度こそあれば、それに越した事はないが。




