私達のルール
応急処置の方法を勉強しようと思ったが、相手は鋼鉄を絆創膏みたいに使ってしまう規格外。細かい部分はフォローして貰えばいい。アイツの身体はアイツが一番分かっている。
「情けない強度だけど、本当に大丈夫?」
「不安ならそっちで勝手に補強しろ。鋼鉄よりは健康そうだろ」
「意味わかんない」
鋼鉄が剥がれると、剥き出しの傷口から夥しい量の血液が噴き出した。ほら見た事か、鋼鉄だから全然傷を防げていない。やはり包帯に傷薬を塗り込んでそれを巻き付けるのが一番だ。ヒトの身体ではないと他人は言うだろうが、マキナの体内は俺の血液と臓器で出来ている。なら大体同じように考えて良い筈だ。
―――看病か、これ?
丁度いい単語が出て来なかっただけの、思いつき。元々苦しい言い訳だったから仕方ないのだが。
「自分で言いだしといてあれだけど、病院とか行った方がいいよな」
「そんな所に行くくらいなら自分でどうにかするわ。有珠希が看病してくれるって言うから承諾したの。ちゃんとやってよ?」
「……まあお前よりはちゃんとするよ……変な話するんだけどさ。お前はヒトの事をどういう風に思ってるんだ? 嫌いなのか好きなのかどうでもいいって言う割にはなんかどうでも良くなさそうな感じがするんだよな」
「それは心外ね。でも言い方が悪かったかな。どうでもいいっていうのは死んだり傷ついたりしても何とも思わないって意味。メサイアの奴等から私がどういう存在かは聞いたんじゃない?」
「…………世界秩序だろ」
「間違ってないわね。ルールに感情は必要ないけれど、それでも秩序を乱すような存在を好まないのは事実ね。丁度いいんじゃない? 宗教なんかは人間を最上位にしたくないが為にそれを罰する存在―――神様を認めるくらいだし」
「神って実際居るのか?」
「その問答は不毛じゃない? 居ても見せられる訳じゃないし、居なかったら夢を壊すみたい。有珠希がもし神様に取られたら、殺さないといけなくなるし」
それは暗にいると言っているようなものだ。信じ難いのは認めるが他ならぬマキナが言うなら居るのだろう。少なくともこのキカイは無意味に嘘を吐く存在じゃない。ちゃんと約束は守るし話は聞くし、自分の意思というものがある。
未紗那先輩の数少ない悪い所として、キカイに対するマイナスの思い込みが強すぎる事だ。敵対する立場としてどうしようもない部分はあるだろうがそれだけではない筈。どうにかしてこの二人を和解させる事が出来れば、俺も騙したり情報を隠す必要が無くなって気が楽になるのだが、如何せん難しいものがある。
「…………有珠希? 手が止まってるわよ」
それにしても、綺麗なお腹だ。
見れば見るだけ虜になってしまいそう。怪我とは無関係にくびれをなぞる。ヘソ周りを撫でてみる。なんて柔らかく張りのあるお腹だろう。傷口に触れた部分は痛々しくてみてられないが、こうして一度素肌に触る瞬間に恵まれると他の部分も見たくなってしまうというか、
「―――ねえ。どうしたの?」
「………………何でもない」
駄目だ。
彼女は俺を信用して任せているのに、邪な感情を抱いてはいけない。いつもなら糸がこの感情を後押ししてくれるのに、キカイの身体に糸は一本も繋がっていない。どうすればこの意思を完遂出来るだろうか。いつもいつもいつもいつも直面する問題なら、そろそろ解決策を探りたい。
「そういえば言い忘れてる事を思い出したんだけど」
「ん?」
「ありがとね、有珠希。ミシャーナに私の事情話してないんでしょ? あの時、それがすっごく嬉しかった」
お礼を言われる筋合いはないのだが、肌に触れていると分かる事もある。マキナの体温が上がっているのだ。こういう極端な所は逆に人間っぽくないが、お礼で恥ずかしくなると思えば一気に可愛く感じてしまう。言葉のマジックだ。
「……別に、お礼を言われる筋合いはないよ。俺だって未紗那先輩の情報……つっても大した情報は言われてないけど、それをお前にバラしてないし。両方に関わった身としちゃ、俺の動きで搔き乱したくないというか」
「ミシャーナにもある程度肩入れしてるのは癪だけど、賢明な判断ね。貴方に情報を渡せば私に漏れるって思ってるんでしょ。信用してない証拠ね。私だったら何でも話してあげられるのに!」
「…………そこまで信用するのもどうかと思うんだけどな。危機管理意識が足りないぞ」
「だって私、貴方の味方だもの」
何とか包帯を巻き終えた。マキナはまくり上げた白いパジャマを元に戻すと、胸を張るようにえへんと顔を上に向けた。
「取引は信頼関係が大事なのッ。あの女が私を破壊したいが為に貴方を騙したりする事はあっても、私は絶対にしない。味方になるってそういう事だと思ってるし」
「……俺が裏切っても、か?」
「あのねえ、本当に裏切る人は裏切るかどうかを聞いてこないのよ。やっぱり貴方って正直なのね。ちょっと可愛いかも?」
「やめろ!」
可愛いは誉め言葉だろうが、反応に困る。マキナが嬉しそうなのも相まって、非常に否定しにくいのも原因だ。応急処置は終わったとして、これで看病が終わりだと言おうものなら全国の病院関係者及び介護者から非難が殺到しそうだ。しかしこれ以上、何をすればいいのだろう。
「そういやお前、模様替え……って言っていいのか分からないけど、家具変えたよな。後部屋の大きさ」
「良くぞ気付いたわッ。有珠希が時々来るならこの方がいいと思ったの。ねえねえ、どうかしら。何か要望があるなら頑張っちゃうんだけど!」
「そこまで拘るタイプじゃないんだよなあ俺。でもベッドが広くなったのは良いと思う。贅沢な感じがする」
「……入ってみる?」
提案の建前があるだけの、強制に近い。マキナはスススと真横に移動して、俺が入れるようにスペースを開けたのだ。それにしても看病しに来た人間が怪我人と同じベッドに入るなんて意味が分からない。何をしていいか分からないのはともかく、これが看病と一切関係がない事くらいは分かる。
「―――あのなあ。俺はお前を看病しに来たんだぞ。これじゃただ遊びに来ただけじゃないか」
「有珠希が隣に来てくれたら傷の治りが早い気がするなぁ~?」
「どんな理屈だよ」
「理由は何でもいいじゃないッ。早く来てくれたって事は今日一日は私が有珠希を独り占めしたいのッ。それとも今日くらい泊まってく?」
「流石に泊まらねえよ!」
居心地が良すぎて家に帰る事を忘れてしまいかねない。明日はどうあっても未紗那先輩と絡まなければいけない。家に帰らなかったらどうするつもりだ。マキナは味方が出来て嬉しいのか、独占欲のようなものを節々に窺わせてくる。一日滞在したら次の日もなんだかなんだと引き留めてきそうだ
ここはきっぱりと人間の理性を見つけなくては!
「ほらほら~ねえねえねえ~」
「あったかーいっ」
「…………」
裸パジャマの魅力には勝てなかった。
人間の理性は斯くも弱いものか。ベッドに入るくらいいいだろうという悪魔の囁きに勝てなかったのが悔やまれる。自分が怪我人という事も忘れて、マキナは度々俺の身体に覆いかぶさろうとしてきた。
「ちょいちょいちょい。ちょっと待て。じゃれるのはいいけどその前に質問に答えてほしい事がある。来たのはぶっちゃけそれ目的だし」
「うん? 何かしら。私にも分からないような事じゃなかったら答えるけど」
「青い糸―――って、どんな力があると思う?」
真面目な話と悟ると、彼女は神妙な面持ちになった。布団の下では俺の手を己の太腿に滑らせているが、見えてない物は存在しないので、要するに気にしない方がいい。
「……また見えるようになったの?」
「良く分からん。成長してるのか悪化してるのかって感じだ」
「難しい力ね。白い糸もそうだったけど、実験してみない事には分からないわ。常時出てる?」
「今の所例外はお前だけだな。何が起きるか分からないから切った事もない。白い糸と違って俺にちょっかいもかけてこないし」
「ふーん。それはミシャーナに話した?」
「糸が視えるってくらいしか言ってなかったと思う。青い糸なんてそれこそ説明しても答え知ってると思わないし、大体赤い糸も正体教えてくれたのお前だしな。この手の話題で真っ先に頼るとなったらやっぱ……なあ」
「…………ふぅん」
世の中には適材適所というものがあって、それはキカイとて例外じゃない。ヒトの事をどうでもいいと考えるマキナが未紗那先輩のようにはなれないだろうし、やたらと情の深い先輩がマキナのようなスタンスを取れるかと言われたら怪しい。どうせ両方に関与しているなら、その立場を最大限利用していこう。
「……そうね。結局実験してみない事には分からないけど、貴方の成長の方向性を考慮したら、分からなくもないかな」
「というと?」
「飽くまで予想ね? ここ最近、私に協力してるから有珠希はその力を酷使する事になってる。昔は見えてなかったんでしょ?」
「見えてなかったっていうか……見えるようになって、段々糸の数が増えてきた、みたいな?」
「なら、有珠希の力は人の因果をより深く解けるようになったと考えるべきね。赤い糸は『人生』を一括りにした概念で、白い糸は人生の中で絶え間なく選択しないといけない『行動』を一括りにした概念。まだ二つだし、本当に正確な分析とは言えないけど、これからどんな糸が視えるようになっても『人生』の範囲を逸脱する事は無いと思うわ……あ、人生って言うのは不適切? 動物にも見えるんだっけ?」
「見えるけど、あんまり気にしない。動物より人の方がよっぽど見かけるしな」
そして見かける糸の数が多ければ多い程、一本も繋がらないマキナの存在が特別に思えてくる。全くの偶然だろうが、一連の流れが俺をマキナに依存させるよう仕向けている気がしなくもない。偶然の根拠は、コイツが普通の人間ではなくキカイという存在だからだ。俺達は奇跡的な出会いをした訳でもなければ見かけた訳でもない。稔彦が告白の為に呼び出したのを遠巻きに見ていただけ。
これを運命か何かと繋げて必然とするのは無理がありすぎる。
暫く、静寂が続いた。
テレビは糸しか見えないのであまり好きじゃない。ひたすらややこしい事情に巻き込まれていく現状、ここだけが唯一糸を視ないで済む場所なのだ。せめてゆっくり過ごしたい。マキナだって何もしたがらない。時々俺の指を弄ったり抱き着いてきたりお菓子を食べたりするが、それだけだ。
それだけの二時間を過ごして尚、苦痛は無かった。
「―――」
このキカイは、意外と熱しやすく冷めやすい所があるらしい。その時の高揚感に支配されているのか知らないが、あれだけベタベタしてきた彼女がちっとも距離を詰めてこない。恥ずかしそうにそっぽを向いて沈黙している。
「マキナ」
「……何?」
「こっち来いよ」
ほんの、意趣返し。
理性を捻じ伏せてくれたお礼のようなもの。
「…………いいの?」
「今更すぎるな。お前さてはあれだろ。その場のノリで流されたはいいが後々後悔するタイプの奴だろ」
「私だって、自重はするの。さっきははしゃいじゃったけど……なんか、恥ずかしくなってきたのッ。昔から加減とか分からないし、嫌われたらどうしようって……」
「……別に気を遣う必要はないぞ? 元気なのは良い事だ。恥ずかしいもクソもあるか。お前の立派な取り柄だろ?」
「―――じゃあ、聞くけど」
「有珠希の好きな女の子って、どういうヒト?」




