恩情を抱いて千の外
「…………酷い! あんまりです」
導かれるように連れ出され、やって来たのは一度も来た事のない寂れたカフェだ。誰に強制するまでもなく客が居ない。それもその筈ここは閉店している。閉店しながらも営業し、そして客が居ない。それは閉店と何が違うのだろう。
店員は居たが、未紗那先輩が何か言ったら何処かへ行ってしまった。ここに居るのは俺と未紗那先輩と途中から合流したカガラさんの三人。何故かこの人はカウンターの裏側へ回ってしまった。
「式宮君が何をしたって言うんですか。誰かを助ける行為は善い事ですが、助けなかったからと言って悪行にはならない……勿論、常識的な考えではないと思っていますが」
「常識に沿ってもそこまで酷な目に遭わされるのは考えにくいねえ。余程気に入られてないと見るべきか。何にせよ将来を潰すような真似は報いの領分を超えている。逆に私達が強制し返してやれば相殺されたりしないかな」
「どうでしょうね。しかし相殺しようとすると式宮君は全ての大学に入り全ての企業に就職するという何ともよく分からない状態になりますから…………式宮君はどうしたいですか?」
「―――分かんない、です」
部品が全て集まれば、マキナとも別れないといけない。遅かれ早かれ己の将来に目を向けなくてはいけない時は来るのに、先んじて進路を全て潰されるとは思ってもなかった。だから何も分からない。はっきりしない。家を追い出されるかもしれない。妹も俺を嫌うか。
そういう未来が頭の中に次々と浮かぶから、身動きが取れなかった。
「何とかしたい所ですが……そのアイドルが見つかれば、解決するのでしょうか」
「……捜索を受けてるって聞きましたけど」
「ええ、引き受けましたよ勿論。不自然な経緯ではありますからね。たった今急ぐべき案件に変わりました。一刻も早く式宮君に対する報復を撤回させるようにしなければ。本当は、ええ。色々言いたい事があったのですけど、今日は何も言いません。そんな場合ではないでしょうから」
―――そういや、傷一つないんだな。
未紗那先輩は人間の筈では?
「……そう、ですね。取り敢えず今日は学校に抗議を入れるとして……式宮君。明日は空いてますか?」
「……予定とかないんで。何ですか」
未紗那先輩は掌を合わせ、屈託のない笑みを浮かべた。
「デートをしましょう! 私、一度でいいから誰かと行ってみたい場所があったんですッ。元気がなくてもそこに行けばきっと元気になれると思うんです。今までは仕事の都合もあって実現しませんでしたが、現在の最優先任務は君の保護、そして君に私を信用してもらう事です。どうでしょうか、勿論無理強いはしませんけど」
「…………デート」
デート。
デート。
デート。
デート?
「―――はッ?」
デートって…………俺と先輩が?
「す、すみません。いつから俺達は恋人に……?」
「友達でもデートは可能ですよ? 式宮君は異性間の友情を信じますか? 私は信じていません。少なからず恋愛的好意は実在すると思っています。ええ、ですから式宮君次第です。それが恥ずかしいとか嫌という事なら篝空さんも同伴させてなんやかんやと」
「先輩ッ!?」
ムニャムニャと曖昧な計画を口走る未紗那先輩だが、彼女は自分が何を言ったのか理解出来ていない様子。他の男子にも同じような言い回しをしているのだったらそりゃモテモテになっても仕方ない。高嶺の花を摘み取るチャンスだと誰もが勘違いするだろう。
視界の端でカガラさんが複雑そうに俺を見ていた。視線を合わせにいくと気まずそうに逸らされた。
「私も行きたいんだけどねえ。ついでのように扱われるのは相棒として複雑な気分だよ」
「相棒? 何時から私と貴方が対等になったんですか? 上司にそんな口を聞いているようなら、いつまで経っても成長出来ませんよ」
「厳しいねえ。私だって式宮有珠希君と一緒に行きたいって言ってるだけなのにさ」
控えめな胸をカウンターに擦らせるよう寝そべらせてカガラさんがぼやいた。この人についてはまだ読めない。分かるのは未紗那先輩に従順ではないという事くらいで、味方なのか敵なのかもさっぱりだ。キカイに対しても先輩と同じくらい執着しているかと言われたら違うし。
「あっちの発言はお気になさらず。私よりも篝空さんがお好みという事でしたらそれはそれで対応させて頂きますが」
「………………二人で行くの、恥ずかしいんで。三人じゃ駄目ですか?」
「両手に華、なんて自分で言うべきじゃないねこれは。しかし女性二人を伴うのは恥ずかしくないんだ?」
「篝空さん、茶化さないで下さい。式宮君がせっかくしてくれた決断を鈍らせるような言動は看過できません。再確認しますが、三人、ですね?」
「はい」
気が付いたら、涙は枯れていた。
泣くのも馬鹿馬鹿しくなるくらい、真面目に考えてしまった。デートのデの字も知らないのに。女の子との縁なんて、それこそあってもなかった事にするくらい、糸が嫌いだったから。その気持ち悪い糸は例外なく二人にも繋がっているが、繋がっているだけでこの二人は他の有象無象とは訳が違う。マキナと出会わなければ一番に信頼していただろう。
席から立ち上がろうとすると、未紗那先輩が机を退けてそっと俺を抱きしめた。
「式宮君。私は人類の味方です。それは君の味方でもあるって事です。どうか忘れないで下さい。キカイに従い続けたとしても私は君を見捨てません。必ず助けます―――実を言えば、素面を出せた後輩は君だけなんです。先輩としても助けになってみせますから。ゆっくりでいいので…………信じて下さい」
「どれだけ関われるかは分からないが私も同じ気持ちだ。式宮有珠希君。君を必要としてる人は確かに居て、そこにいるだけでもいいと肯定する人間も居る。あまり湿っぽいのは苦手でね……まあ。自暴自棄だけは、ならないように。その為ならどんな事でもするからさ」
俺は何も言わず、抱きしめられていた。未紗那先輩に、カガラさんに。ずっと、ずっと。
恥ずかしくなった先輩が、離れるまで。
午前十時半。
二人と別れた俺は、当てもなく彷徨っているようで、着実にマキナの家へと向かっていた。どんな事でもと言われた手前、利用しない手はない。今日一日は監視を外してもらった。善意に付け込んだみたいで正直申し訳なかったが、両方に義理を立てるにはこうするしかなかった。
俺の味方は、もう一人居る。
正確に言えば、一人しかいない。先輩もカガラさんも人類の味方ではあるだろう。包括的に俺の味方だという理屈も聞いたが、そういう意味ではなくて。考え方の問題だ。
アイツは俺の視界について聞いたら、治すと言ってくれた。
それを言ってくれたのは、後にも先にもアイツだけで。未紗那先輩やカガラさんのような人間にはきっと無理なのだろう。あの二人は俺が従っている理由も知らない。教えていない。俺達の取引は俺達だけの問題だ。そこには何者も介入できないし、させない。だからこそ俺も、アイツの味方はしないといけない。
道中で購入した中身を確認しつつ、アイツの部屋へと一直線。部屋番号もきっちり覚えている。不用意にも鍵は開いたままで、誰であっても歓迎すると言わんばかりの態度を感じる。弱くなるって警戒心を薄くしろという意味で言った訳ではないのだが。
―――放課後じゃないけど、行っていいよな。
「…………学校が早めに終わったから、来てやったぞー!」
……反応が無い。ただの屍のようだ。
寝室に向かうと、ベッドに敷かれた大きな布団が不自然に膨張している。かつて来た時と比較するとベッドも布団もシーツも横に伸びており、ダブルベッドのような大きさだ。『強度の規定』で弄ったのだろう。それに伴って部屋全体も拡大している。しかしマンションの外観に変化は無かったので、恐らく全体の強度に改定を加えたのだろう。
「……もしかして寝てるのか?」
布団に手を掛けた瞬間、不意に持ち上がったかと思うと内側から飛び出した手に引きずり込まれ、俺の上半身が布団に食われた。暗闇の中には不自然に輝く満月が二つ。
「トリックオアトリート♪」
「お菓子……持って来たんだが?」
「だーめ、有珠希が来たら悪戯するって決めてたんだから! でも随分早いわね。ニンゲンの学校はそんなに振れ幅があるの?」
「いや……そういう訳じゃない。いつもの逆張りが最悪な形で返ってきて追い出された。で、しょうがないからお前の所に来てやったと。大人しくしてたか?」
「ええッ。有珠希がいつ来るかが待ち遠しくて待ち遠しくて、でも退屈じゃなかったわ。楽しかった。十年でも百年でも待てたかも。貴方が来てくれたらそれだけで全部報われる気がしてッ」
「お、大袈裟な奴だな。俺はただ看病しに来ただけなんだが」
マキナの双眸が閉じる。両者の顔を照らしていた月が一度隠れれば、そこには完全な闇が到来した。
「…………ここだけの話ね。色々初めてなの。貴方は初めて私を守ってくれたし、初めて看病してくれる。初めてヒトの食べ物を食べさせてくれたし、初めて笑顔が好きって言われた」
「そりゃあまあ…………お前をキカイとは、どうしても思えないし」
「そうそう、それそれッ。意味なんてないの。私は貴方より強いし、食事を摂る必要もないし、笑顔だって私自身の役割とか目的には使わない。今までも必要ないと思ってたけど、有珠希が来てから私おかしくなっちゃった! これはきっと有珠希のせいよ、心臓とか骨髄とか血液とかが暴走してるんだわッ」
「ボロクソだな。なら返してくれると嬉しいんだが」
「…………嫌ッ。だってこの暖かさを忘れたら、私は私じゃなくなるもの」
マキナの手が離れると、食われた上半身が布団からすっぽ抜ける。マキナも己の上半身を布団から出し、先程とは打って変わって恥ずかしそうに口をすぼめた。
「……は、早く看病してよッ―――有珠希にお腹見せるの、恥ずかしいんだから!」




