情報は足で稼ぐもの
頭の傷が気にならなくなるくらいに回復してから、俺と未紗那先輩は上に向かって歩き出した。拾得者本人が居なくなった訳ではないが影響を介して間接的に被害者を支配する男が居なくなった事で一先ず被害は収束するとの見立てだ。シューヘイが死亡した場所にはあの部屋に留まっていた人達が続々と集まっている。隣で携帯を弄っていただけの無害な女子高生が呼んだからだ。彼等が壁になってくれるなら、下から増援が来るタイミングはずらせるかもしれない。
「そもそもここは何処なんですか?」
「月巳市です。どうやら『傷病の規定』以外の規定が絡んでいるようですね。私でも利用出来ましたから間違いありません」
「月巳……ってええ!? 県を跨ぐ程じゃないですけど……」
「そうですね。地図的には近くとも人力としてはかなり遠くなるでしょう。飽くまで仮定ですが、『距離の規定』が絡んでいるのではないかと。私はキカイではないので正式名称等は知りませんが」
「距離……じゃあ病院の時ももしかして関わってたんですかね」
因果の糸に距離の概念は関係ない。謎の白い糸が来なければいつまで経っても暫定『距離の規定』に惑わされていただろう。この件がどういう形で執着するにしても後でマキナには聞くべきだ。おかげさまで絶対的に縁を切る行為は考えられなくなった。
「…………考えられますね。キカイと一緒に行った時はどうでしたか?」
「特に先輩と行った時みたいな感覚もなかったし悩まされる事もなかったんですよね……まあ糸を追ってたからと言われたらそれまでですけど」
上の階に移動する度に先程のシューヘイの様な信奉者が現れるのではと冷や冷やしていたが、アレはここでも少数派だったようだ。命令されている時以外は無気力な人ばかりが階層毎に引き籠っているだけ。徒歩でやってきた先輩曰くここは月巳の繁華街から少し離れた所にある通りのビルだそうだが、外観から見て最上階はもうすぐらしい。流石に十階もニ十階もある訳ではないと。
階段は長いが。
「でも、なんかあれですね。誰も来ないのはいいですけど、被害の数が一致しないような?」
「おや、鋭い所に気が付きましたね式宮君。不思議な話ではありませんよ。それこそタネも仕掛けもない。規定によって従わせた人は各地のこういった建物に隔離されているというだけです。ここも雑居ビルという建前はありますが、実際に雑居かどうかと言われると…………」
一世帯に何家族も生活しているという意味で言えば、微妙に合致している。しかしながら家族というよりも拉致されただけであり、そもそも無理やり従わせられた結果だ。シューヘイが殺された事を知らない彼等は共通して無気力な顔をしている。徹底的に教育された証であり、ここでそいつは死んだと親切をした所で活力が戻る事はないだろう。多分一生、戻らない。
シューヘイの死に場所に集まった彼等も飽くまで直前まで苦しんでたから(そこまで長生きはしなかったが)様子を見に来ただけであって、死体となり果てた今では何故自分たちが集まっていたのか、何を見ていたのかなど分かるまい。気にする事だってない筈だ。善人とはそういうメカニズムで出来ている。
「糸はまだ上に続いてますね?」
「はい。糸が本当なら!」
「死体からも伸びているというのは気がかりですが、気にしている場合ではありませんね。早い所行かなければ―――」
ガシャンッ!
最上階でもある七階に上った瞬間、空け放された入り口を通して硝子を叩き割る音が聞こえた。状況から察するに上からシューヘイや未紗那先輩のやり取りを見ていたのかもしれない。示し合わせるまでもなく俺達は飛び込んだが、そこにはもぬけの殻になった詳細不明の事務所があるだけだった。奥の壁には年季の入った木製の看板が立てかけられており、『一神通』と書かれている。
「……逃げたッ! マキナん時と同じだ!」
「常套手段という訳ですか、成程! 殺せる手段を持った人間とは戦いたくないと―――」
窓の外を覗くと、道路に飛び出して強引に車を止めたかと思うと、少し話してからその場で車を借りて逃げていった。最高速度は一〇〇を超えていただろう、運転手としてのルールを守る気概はないようだ。
―――これは、チャンスじゃないか?
イーシンツに車を貸した人間は何事もなかったように歩道へ入っていった。共に白い糸と赤い糸が空に向かって伸びている。彼から情報を聞き出せば収穫はあるだろうし、何より車両ナンバーを教えてもらえばそれで追跡が出来る。マキナを呼ぶチャンスだ。
とそう思っていたのだが、直前の約束が足を引っ張っている。直接対決を想定していたからあんな発言をしたのであって、また逃げられるという選択肢を何故か全く考えもしなかった俺の落ち度だ。先輩から離れようと思ってもその握力から逃げられそうもない。このまま二人でどうにかするしか選択肢はないだろう。
「未紗那先輩! どうやって追いますか?」
「―――式宮君。さっき逃げた車の糸は判別出来ますか?」
「え? …………いや、車なんて何台も走ってるから難し……」
そこまで言って、堂々巡りの結論に至る。規定の影響を全てリセットした訳ではない。死体からも被害者からもまだその糸は繋がっており、他の人と比べたらイーシンツの身体に繋がれた糸は圧倒的に多い筈だ。
「……出来ます」
「分かりました。では屋上へ向かいましょうか」
「はいッ?」
屋上は見晴らしがよいので、そこから糸を見つけ出して仲間に連絡を送るのだろうか。組織というからにはかなりの仲間がいると考えられる。引っ張られるがままに最上階を超えてむき出しの屋上へ。
時刻は正午。昼真っただ中の時間だ。天気も悪化する傾向はない。焼き付いたコンクリートが靴越しにも熱く感じられる。こういう高い場所は苦手だ。高所恐怖症とはまた違う話。何処まで高く上っても因果の檻は決して俺を外に出してくれないという実感が湧いてくるから、嫌なのだ。いっそ神にも届くバベルの塔があれば、抜けられるかもしれないけれど。
「うおッ」
高速で視界を駆け回る無数の糸を見ていると、身体が持ち上がった。普通逆だが、未紗那先輩が俺をお姫様抱っこしている。ひょいと持ち上がったせいで心配は無用そうだ。
「ちょ、あの。確認したいんですけど、まさかまた自分の足で行く気ですか……?」
「ふふ。何を言いますか式宮君。仮にも私の組織は慈善団体。その行動は草の根の活動であるべきです。要は―――」
先輩はビルの縁目掛けて走り出し、跳躍した。
「己の足を使えと!」
違う。先輩は草の根の意味を誤解している。それは住民レベルでの活動という意味合いであって、確かに住民がボランティアをする時は大抵まどろっこしい事はせずにその身を犠牲に行動しているが、それとこれとは無関係。ビルの上を走る行為の何が慈善活動なんだ。
「うばああああああああああああああああああああああああああ!」
「舌を噛みますよ」
無理。そういう注意力の話じゃない。怖い。
未紗那先輩は距離を物ともしない跳躍力でビルを飛び移り、指をさすのもやっとな赤い糸を追って駆けていく。先に目の届かない場所まで逃げれば前回と同じように逃げ切れると思ったのかもしれないが相手が悪かった。
未紗那先輩の執着心を甘く見過ぎていた、とも言うべきか。まさかこの世に規定に対抗出来る存在が二人も居るとは思いもしていない筈だ。拾得者は大抵、自分が全能だと勘違いしているらしいから。
「あの白い車ですか!」
糸を介して追跡出来るという点を加味しても、ちょっと激しく逃げ過ぎだ。イーシンツの乗る車は交通ルールを遥かに無視して蛇行運転を続けている。奇跡的に事故こそ起きていないがいつ何があってもおかしくない状態ではある。警察に通報するような動きもちらほらと。このまま見過ごせば話が厄介な事になりそうだ。
「…………先輩! 俺は置いてって大丈夫です!」
「何を言いますか! 式宮君に今度こそ何かあったらどうすればいいんです!?」
「だって先輩見るからに上から強襲仕掛けようとしてるじゃないですかッ! そんなのに付き合わされたら正直身体がバラバラになると思います。なんで、何処かで下ろしてください! 追いつくので!」
「追いつくプランに現実性がなさそうですね! 安心して下さい。これ以上先は暫定的に見た『距離の規定』の影響範囲内です。イーシンツが何処に逃げ込むかまで見て、そこで下ろします!」
先輩が目前のビルなど視えていないかのような大跳躍をした―――直後。
景色が変わり、日亥の見慣れた街並みが帰ってきた。




