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エクス・マキナも救われたい  作者: 氷雨 ユータ
Ⅱnd cause カラクレナイの女

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43/213

軋み 軋む 軋め

 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギ。


「…………悪いけど、名前も知らない奴に一方的に知られるのは嫌なんだ」

「恩を仇で返すんですか? 戻ってください。教育を始めます」

「断る」

 名前は知っていても、俺の素行まで知っている訳ではないようだ。身辺調査の精度が怪しい。名前を知られたきっかけは本当に何処かの未紗那先輩が漏らしたせいか。知っていたらそんな言葉は出てこない。恩とか優しさとか、そういうのとは無縁なロクデナシという事くらいすぐに分かるし。

「…………? 分からない。貴方はイーシンツ様に救われたんですよ? 助けられたんですよ?」

「助けてくれなんて言ってないし、救ったとか冗談だろ」

「僕を助けると思って、戻ってください」

「断るって言ってんだッ―――」

 言い終わるのも待たず虚空が俺の頭を殴りつけた。目玉がひっくり返るような衝撃を受けて側面の壁に凭れかかる。そこから何度も何度も繰り返される衝撃が頭蓋骨の内側で反射しては脳みそを搔き乱し、鼓膜を叩き、まるで石の中に閉じ込めらたような圧迫感が頭部を中心に鳴動している。


 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ。


「ッ―――! ぁ…………うおあああああ」

 痛い。あれだけ暴行を加えられても傷一つつかなければ痛みさえなかった無敵の身体が喘いでいる。痛みとは危険信号だ。痛みの伴う行為は危険だと理性に教え込む為の大事な指標。これがない人間は危機感が全く養われず、他の人と比べて怪我や体調不良に陥る回数が圧倒的に多いと言われている。

 ならこれは正常な機能だ。同時に異常な反応でもある。誰に何をされた訳でもないのに痛みが生まれる筈はない。

「ああ、貴方の恩知らずが呪いを再発させてしまったようです。イーシンツ様を信じていればこんな事にはならないものを。昨日よりも善い人という言葉さえ知らないのですか?」

「……宗教の、スロー、ガン?」

「宗教? ああ、イーシンツ様が教祖とかそういう意味ですか。それは勘違いですよ。イーシンツ様はその不思議な力で以て人々を救っているだけのいわば聖人、もしくは救世主です。人間社会と人々を隔離させてどうこうするつもりはない。むしろ不思議な力をあるかのように見せかける宗教は嫌いなお方です。訂正してくれると僕が嬉しいですね」

 そうかいそうかい。

 宗教には全く詳しくないので間違った言い方をしたらしい。別に反省はしない。聖人でない事は明らかで、何より単純にこいつの事が嫌いだ。

「……あああああ。ぉ。ぐうううううう」

 頭が濡れている気がして、守るように抱えていた手を目の前に持ってくる。それは紛れもなく頭部からの出血だ。手首から肘に懸けて滴る夥しい量の血液は人間が失って無事で済む量ではない。後頭部はぐちゃぐちゃに割れていた。これでまだ生きていられるのは規定に侵されている証だ。

「僕もかつてはそうでした。漫画などで見るような超能力は存在しないと。怪我は飽くまで科学的に治さなければならないものだと。そんな時ですよ、イーシンツ様に出会ったのは。あの人は僕の怪我を治してくれました。それだけで一生ものの恩なのに、あの人は自分の言う事に従ってくれればいいと言ってくれたんです! これって素晴らしい事だと思いませんか? 命を救ってくれた恩を返すチャンスをくれたんです。貴方もそう思いませんか思いますよね思うんですよね」

 せめて会話出来るだけの余裕を残して欲しかった所だ。比喩ではない方で頭が割れている。痛い。苦しい。彼等の気持ちも少しは理解出来る。いや、理解せざるを得ない。痛みが理性に教え込まれる危険信号ならば、唯一それを感じてしまう行為は避けるに決まっている。誰だって痛いのは嫌だろう。


 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギギ。


「…………おも、わない」

 視える。

 ずっと不思議に思っていた。糸のない俺が赤い糸を握られるという事自体そもそもあり得ない事だと。赤い糸はシューヘイに繋がり、シューヘイの背中からまた誰かへと繋がっている。こいつの白い糸は天井に伸びている。他と同じ? 違う。糸が無い俺に赤い糸が繋がるなんてあってはならない―――否、語弊があった。繋ぐだけなら出来るかもしれない。マキナが最初にやっていたように、実行するという形で繋ぐ事は出来るのかもしれない。けれどそれは飽くまでアイツがキカイだから出来た芸当で、たまたま特別な力を手に入れただけの人間が真似出来る行為ではない。

 だから。


 つまり。



 少なくとも俺を蝕むこの糸は、人生を集約させた因果ではない。



 糸をよく見ろ。これは一本の線ですらない。他の人みたいに糸がたくさんないから気が付かなかっただけで、糸は束ねられている。赤い糸で囲まれていて分かりにくいが、中心にあるのは紛れもなく白い糸だ。

 八太郎君から奪い取ったナイフを握りしめる。隠す余裕もないのでシューヘイからもその存在は見えているだろう。しかし彼は警戒などしない。刃物など痛みさえ与えられない玩具だと言わんばかりに見下している。

「何をするつもりなのか分かりませんが、暴力では何も解決しませんし、それでイーシンツ様をどうこうするのも無理ですよ。この身体は傷つく事を忘れています。貴方だってその筈だ。それが神の手の力ですから」

 糸に刀身を当てる。屈曲した糸がピンと張りつめただけだ。力を込めて押し込む。腕が震える程、指が痛くなる程。脳震盪で意識が飛んでいきそうになりながら腕だけは無事であれと糸を押し続ける。

 虚無に力む俺の様子は、一体どのように映っているのだろう。

「神の手…………とか。マジで、調子乗んな………………よ」

 借り物の癖に。持って生まれた力のように語りやがって。あれが誰の物かなんて知らない癖に。


「―――イタイにも程があるんだよ勘違い野郎が!」

   

 ナイフが不意に虚空を切り裂いた。赤い糸に守られた白糸が、切断されたのだ。





「ええ。全くその通りです。式宮君」





 『傷病の規定』から解放された。目に見える変化がなくても身体は気付いていた。一方でこの状況で解放されれば間もなく死ぬだろうとも思っていた。何せ頭蓋骨が破損している。陥没しているかもしれない。取り戻された痛みに違いなんてあるか、痛いだけだ。こうなってしまった以上仕方ないと、規定から解放された瞬間にマキナとの合言葉を言おうと思っていたのに。

 俺の身体を抱き留めてくれたのは、未紗那先輩だった。

「イタイにも程がある。いえ、実行力があるだけ妄想よりもタチが悪い。…………大丈夫です。君はまだ死にません。君程じゃなくても、私だって一つ二つのマジックは持ってるんです」

 先輩の声は、いつになく優しかった。傷病人を介護するような労わりを感じる。もう指一本動かせない。間もなく死ぬという予感が脳裏を過って一分以上。俺はまだ死なない。そればかりか不思議と身体が快復しているような気さえしている。

 先輩は俺を壁に寄りかからせると、シューヘイの方を睨みつけた。恐れなど失くした人間の怪物は、ただただ困惑している。

「どちら様ですか?」

 その質問に先輩は答えない。ただスタンスだけが明確で、懐からサバイバルナイフの様な大型の刃物を取り出すと、シューヘイに向かって投げつけた。ここまで露骨なら俺でも避けただろうが、案の定、避けない。

「どうやら貴方も悪い呪いに掛かっているようだ。人に刃物を投げつけるなんて全く嘆かわしい。イーシンツ様のお力が無ければ僕は今に重傷…………をッ?」

 シューヘイが膝を突いた。傷一つ負わない、痛みも感じない無敵の身体に何があったのだろう。傍からは何も分からないし、因果にも変化はない。ただ間違いなく、自分の首を両手で抑え込むくらいには苦しんでいた。

「な…………がッ、は…………!?」

「私の後輩に妙な規定を仕込むような者と、その信奉者に名乗る名前はありません」

「な、何…………を…………!」

「タネも仕掛けも明かす訳ないでしょう。そんな手品師は居ませんよ。強いて言うなら、貴方が『傷病の規定』に侵されているからこその苦しみです。解放されれば苦しむ事もないでしょうね」

 苦痛に耐えかねたシューヘイが階段を転げ落ちるように落下。俺達を巻き込む軌道だったが未紗那先輩は俺を抱き上げてひょいと跳躍。立ち位置を入れ替わるように俺達は階段の上に上っていた。

「武器は返してもらいます。商売道具なもので」

「あ……あああ。これ。は。何故……あ。いーしん…………」

 シューヘイは間もなく息絶えた。先輩は最初からその結末を予期していたらしく、大分前から視線を外して俺を介護していた。

「式宮君、大丈夫ですか? 傷はどうしようもありませんが、死ぬようなことはないとおもうんです。包帯で応急処置をするので少々大人しくしていて下さいね? 出血が止まれば、一先ず問題ないんです。傷が膿むとか清潔じゃないから悪化するとか、そういう事は考えないようにしていてください」

「先輩が……今言ったんで。無理ですね」

 言われたら意識してしまうので本当に無理だが、それはともかく体調はかなり回復した。先輩の手が頭に回る度に聞こえるヌチャヌチャと粘っこい水音は怪我がそもそも治っていない証拠だろうが、痛みも和らいでいくし、身体も段々軽くなっていく。視界だけは相変わらず糸だらけだが、十五分もすれば先輩の脇腹を揉めるくらい指先も動くようになった。

「……一先ずはこれで。式宮君、本当にごめんなさい。私が目を離したばかりに攫われるなんて。あの時の君を動かす訳にもいかなかったとはいえ、こうなる事が分かっていたらやりようが必ずあった筈なのに」

「―――先輩は、どうやって俺を見つけたんですか?」

「キカイに狙われているような後輩の痕跡を覚えていない私だと思いますか? あの時は血の気もなくなって慌てちゃいましたけど、ええ。君の血の臭いは非常に分かりやすいですから。慌てて準備を整えて追って来たんです」

「……準備?」

「例外的にキカイは破壊するべきと言われている話はしましたよね。ですが君も知っている通り、キカイは非常に強大で他のメンバーがそれをしようとすれば返り討ちに遭うのが関の山です。数的有利は通用しませんしね。ですから組織も破壊に臨んでも良い人員というものを限定しているんです」

 そこまで話してくれるなら後はもう文脈で分かる。

「もしかして、それが」

「そう、私ですッ。厳密には相手はキカイではありませんが、非公認で誠に勝手ながら君を最重要保護対象として見ています。『傷病の規定』で奴隷化されているだけならまだしもいつ気まぐれで殺されるかが分からない。そう考えたら居てもたってもいられなくて、ええ。組織に内緒で色々と持ってきました!」

 ルールを破るのは楽しいですね、と先輩は飽くまでにこやかに自白している。俺は何と声を掛けてやればいいかを悩んだ末、黙る事にした。未紗那先輩が喜んでいるならその方が良くて、何より俺自身助けてもらったという都合がある。

「おっと、話はここまでにしておきましょう。イーシンツはどうやら最上階に居るようですね。いつこの事態を察して君を人質にするか殺すかが分からないので早い内に対処を―――」

「ちょ先輩、未紗那先輩。あの…………多分、なんですけど。多分というか。絶対? 対処はともかく、俺は大丈夫です。だからその……出来れば一緒に、戦わせてくれませんか?」

「何が大丈夫なのか全く理解しかねますね。戦えるというなら助かりますが、その根拠は何処に?」

 先輩が加勢に来てくれたなら、予定は変わる。マキナを呼び出せばトラブルになる事は目に見えており、それは間に挟まれる者としても避けたい。情報を隠すだけが最適ではない。時には開示して要求を呑ませる事も大切だろう。


  


「……………えっと。規定の影響は自力で解いたので。現状の怪我さえどうにかしてくれたら、もうだいじょうぶです」




 未紗那先輩は目を白黒させて、明後日の方向をきょろきょろと見回してから神妙な面持ちで頷いた。

「遠ざけるような真似はしません。君の言葉を信じます。ですが決して離れないように」

 

  

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