からくりからくれ
貴方の為に言っていると。そんな恩着せがましい言葉を先輩は絶対に言わなかったが、言わんとしている部分は殆ど同じだ。正直何をどれだけ言われても実感が湧かない。キカイがイカれた存在なのは説明されるまでもなく分かっていて、後は危険性なのだが……俺にはどうしても、マキナが危ないとは思えない。
糸がないから、だとは思っている。糸の無い彼女が危ないなら同じく俺も危ないはずだと。もしくは糸の無い仲間として敵視するのは違っているとかとにかく色々な理由で、未紗那先輩の発言にはいまいち納得出来ない。
「糸はこっちに伸びてるんですね?」
「こんなに大きな糸見落とす訳ないでしょっ!」
縦軸に存在してばかりの概念が突然横軸になれば嫌でも目立つ。朝っぱらから全力疾走する俺達の姿は中々浮いていたかもしれないが、糸の繋がる先が現れない以上、目立ちすぎて勘付かれるというようなことはないと思われる。どれだけ隠れようと因果は正直だ。俺の視界において隠れるという行為は基本的に通用しない。
『私は、あんまり走るの得意じゃないんだけれどね』
「それは走っている人が言うべき言葉です! 篝空さんは歩いてるでしょうが!」
だから携帯で会話しているのだろう。あの人も大概マイペースというか掴めないというか。追いかける気概が全く感じられない。未紗那先輩と対立するつもりもなさそうだが、確かにこの人は同じ組織の所属だとしても思想が違いそうだ。何を考えているのやら。
「あ゙あああ! 何でこの人が私のパートナーなんでしょうか……! ほんっとうにいつもいつもいつも……」
「未紗那先輩、流石に叫びながら走るのは奇行すぎますよ」
「放っておいてくださいッ。式宮君もあの人と一緒に居れば嫌でも私の気持ちが分かりますからッ。それで、糸はどちらに?」
「次の角曲がります」
厳密には糸が曲がっているというより建物を貫通しているのだが、人間の歩けるルートとしては何も間違っていないので続行する。どうせ誰も厳密な見え方に言及は出来ない。俺にしか見えない物をどうやって疑うつもりか。客観的な判断が下せないという事情があるから、誰も信じないという大前提があるのに。
「ストップ!」
未紗那先輩は慣性を知らないのか。仮に俺の反射神経が人類の限界を超えて時間差ゼロ秒の世界に到達していたとしてもこの勢いを完全には殺せない。時間帯的にも突発的な事故は起こりにくい。ここは車の通る場所でもないし。何の事情があって足を止めたいのか分からないがここは一刻も―――
「うぎゃあああああああ!?」
ここまで力ずくに止められたのも俺くらいか。単純に腕を掴まれて背中側に引っ張られただけだが、慣性なんて知らなそうな膂力に腕が引っこ抜けるかと思った。肩が脱臼しなかったのが奇蹟だ。怪我としてそうなった事は一度もないが、先輩のこれで脱臼したら生涯のトラウマになっていた可能性もある。
「いった…………偏見言っていいですか?」
「どうぞ」
「人類の癖に馬鹿力すぎるんです。加減してください」
「すみません。しかし音が聞こえたので考えなしに突っ込むのもどうかと思いまして」
「―――音?」
耳を澄ませても聞こえるのは車の走行音か、頑張っても誰かの話し声、もしくは電車の駆動音。それらは一括りに日常の音だ。極端に耳が良かったりするとまた問題かもしれないが、どうも彼女は自分の耳がどれだけ敏感かについて語りたい訳ではなさそうだ。
更に集中して、聞いてみる。器用な方ではないので音を選別して聴くというような真似は出来ない。出来るのは視覚を閉じて残る神経を可能な限り聴覚に注ぐくらい。それで聞こえる音が増えたら儲けもので、大抵何も変わらない。
「…………………………………? 一つだけ妙な音は聞こえますけど、ちょっとよく分かりません」
「なら見てみましょうか。篝空さん? 貴方も捕捉しましたね?」
『人使いが荒いねえ。うん、丁度見下ろす感じで見てるよ。動画? リアルタイム?」
「リアルタイムでお願いします。式宮君、私の傍へ」
促したように見えるが言葉とは恐ろしいものだ。未紗那先輩は肩に手を回して、半ば強引に引き寄せたというのに。SNSを通じた通話機能、もといテレビ通話を使って先輩の携帯には監視カメラの様な角度で映像が撮られていた。
カメラ越しにも糸が見える。背中から糸の繋がった集団が数台の車を囲んでいた。手にはバット、ハサミ、大きな石、レスキューハンマー、消火器。その状況からも明らかなように車を襲撃している訳だが、運転手は抵抗するばかりか自らの意思で車を降り、黙って殺されていた。
被害者は一人だけじゃない。カガラさんのカメラが少し引くと、恐らく同様の手段で七人が殺害されていた。それだけならまだ『傷病の規定』で自分の命を人質に捕られているからだと納得できるが、気になるのは人を殺して回る人間の中に縦軸の糸を持つ―――要は、何の影響も受けていない人間がいる事だった。
「………………何、で」
殴る。潰す。叩く。蹴る。結果的に殺している筈だが、それらは全て俺の早とちりだった。最初に殺されていた人もその前に殺されていた人も新品同様に復活して加害者の仲間入りを果たしている。
―――おかしいだろ。
規定者でもないのに、影響が及んでいる。全く意味が分からない。これでは、規定に引っかかった人間が全員同じ規定を使えるという事にもなりかねない。
「私の意見は控えます。君にはどう見えますか?」
「……糸が規定者に繋がってる人と上に繋がってる人が暴れてます、ね。自分で言っといてあれですけどさっぱり意味が分からないです。本当に意味が、分からなくて」
確かに。合意があれば殺人さえ善行になる。自殺の強要さえ例外ではない。規定に引っかかった人間は正気を持ちながら操られているから、自分が生き残る為にありとあらゆる方法でお願いをするだろう。勘違いが起きないようにしたいが、そういう人間とて別に死にたがりでもなければ殺したがりでもないという事だ。
理由があれば簡単に殺したり死ぬだけで、基本的に生きている方が善行なのは学ぶまでもない生命の道徳。そうでなければ生物の身体に生存本能なるカラクリは組み込まれない。
俺やマキナは突っぱねたが、誰かを助けたくて仕方ないような善人が同じ状況に陥れば、ノーと突き返す事は出来ないだろう。大多数の人間はそういう病気に罹っているものと思ってもいい。
「―――これ、普通の人にはどう見えてるんですか?」
死体はとうの昔に手遅れだ。だから誰も助けない、目も向けない、認識しない。扱い方に拘らず死体を見てしまう事は悪行になる。ある種穢れ信仰が発展した形と言ってもいいかもしれない。殺人や自殺が咎められないのはその辺りの理屈も絡んでいるのだろう。相手が死体になった瞬間に認識が出来なくなるから罪の意識も湧かず、ただ漠然と誰かを助けた充足感に満たされる。だから得しかない。一日一善以外の何物も生じない。
ところが、『傷病の規定』は恐らく死んだ瞬間―――否、死ぬ瞬間に傷を完治させている。死んだ死なないの基準が主観なのはマキナとの出会いで判明しているから、こいつは死んだと思わせた時点で認識出来なくなる筈だ。それが傷一つない姿で生き返ったかと思うと、あまつさえ加害者に協力し始める始末。
「…………まさか、あれもキカイの仕業ですか?」
「はい?」
「いえ、何でもありません。私が君の見てる景色を理解する事は出来ませんが、異常だという事くらいは分かります。規定者でもないのに規定を使えている。式宮君はキカイから何か聞いてませんか? 出来ればここで嘘はやめてほしいのですが」
「嘘なんて吐きませんよ。聞いてたら流石にこんな混乱しないです」
「そうですか…………他に気が付いた事は?」
認識出来なくなったらそれっきりという事はないらしい。きちんと全員を識別したうえで暴れ回っている。警察を呼んだ方がいいだろうか。死体は認識出来ないが迷惑行為として……いや無理だ。取り締まれない。免罪符を使えばどうとでもなる。最悪警察も襲われて悪戯に被害者を増やす事にもなりそうだ。
「もう一つだけありますけど、流石にこれは止めた方がいいんじゃないですかッ? 別にそれからでも遅くないでしょ!」
「……君の言う通りですね。もう観察は十分ですから、さっさと仲間に任せて私達は君の家を襲った犯人を追いましょうか」
「は!? あ、あれが犯人でしょ!? 止めないと!」
「仲間からの情報と一致しません。あれは囮です。追われている事に気付いて誰が追っているのか炙り出そうとしているんだと考えています。もし私の存在が明るみに出たら拾得者は雲隠れすると思いませんか?」
「でも…………」
「ここの数人を助けた所で後何人が規定にやられているのか想像もつきません。目先の善行に惑わされないで下さい。それが今まであらゆる助けを拒んできた人の言い分ですか?」
未紗那先輩の正論は、痛い。
善を嗤う偽善者には殊更に深く突きささっている。目先の善行に惑わされるな、なんて。それは散々俺が軽蔑してきた行為だろう。病気呼ばわりの善心を忌み嫌っていて、何故ここで俺も罹患する。
携帯に映った場所には心当たりがある。突き当りのビルの反対側にある交差点だ。しかし俺達が追っている糸は違う方向に伸びている。少し落ち着いてみれば、本当に先輩の言う通り。慌て過ぎたようだ。
『結局、どうするんだい?』
「篝空さんはここで共に対処をお願いします。私達は先に向かうので」
『了解。終わったら合流するよ』
規定とは基準。決められた概念の大小良悪を決める力。
だから一つ考えられるとすれば、『強度の規定』と『傷病の規定』ではその基準自体が違っている可能性。分かりやすく言えば発動条件だ。
結々芽とマキナをサンプルにすると、『強度の規定』は持ち主が直接触る必要がある。
ところが『傷病の規定』は拾得者でもないのに、影響を受けた人間からでも発動している。俺はてっきり拾得者本人が誰かに加害、その人が誰かを半殺しにでも仕上げてそれを本人に持って行ってを繰り返していると思っていたが、冷静になってみれば単純に効率が悪い。
倍々ゲームに手駒は増えていくかもしれないが、とにかく初動が遅くなる。各地に規定所有者が居るのはマキナが部品を飛ばしたからだが、あの一件からまだ一か月も経過していない。ここまで規定に執着を見せる未紗那先輩がそんな遅い初動を見逃すとは思えないし、何よりも被害者が多すぎる。
「それで、気付いた事とは?」
走り続けて、また俺が疲れたので一休み。交差点からは随分とかけ離れて、今は繁華街の方に来ている。
―――アカイ。
イタイ。赤い。痛い。アカイ。痛いいたいいたい。
平日の朝と言えどもやはりここには人が集まりやすいようだ。たくさんの糸が乱れている。糸が見えないので立ち尽くすしかない先輩の横で、俺は両目を庇うように蹲っていた。
「……大丈夫ですか?」
「…………きついです」
普段よりずっと糸を見ているせいで、嫌悪感が血液の代わりに身体中を巡っている。マキナと一緒に居た時の高揚感もない。これ以上見ていたら気がおかしくなりそうだ。未紗那先輩の言う通り、これは見えていてはいけないものなのだろう。
「ちょっと…………休ませてください。五分くらい」
「許可を取らなくても大丈夫です。少し目立たない場所で休みましょう……って式宮君ッ?」
身体に力が入らない。頭から地面に激突した。予兆のなかった体調不良に狼狽えつつも未紗那先輩は俺を抱き上げる。周囲の視線など気にも留めていない。そんな場合ではないと真剣に俺の体調を気遣っていた。
「凄い汗じゃないですか! こんな事って……肩を貸します。今すぐ休みましょう」
それきり会話は途絶え、自分の足で歩いているというよりも先輩に引っ張られる形で裏手の誰も使っていなさそうな小汚いベンチに座らされた。この際清潔感はどうでもいい。多少休める場所があるならそれだけで御の字だ。
「ハンカチくらいしか持ち合わせておらず、申し訳ないです―――いつもこんな感じなんですか?」
「いや…………多分。糸の………………見過ぎです」
服の下にも躊躇なく手を入れられ、とにかく汗を拭きとられている。汗は掻いているのに寒い。風邪でも引いたみたいだ。キカイの心臓が凍り付いたように動かない。
「それで良く今までまともに生活していたものですね。やっぱり君はキカイと縁を切るべきです。アレは加減なんて分からない、人間の事なんて何とも思ってません。本当に、殺されちゃいますよ……?」
「………………」
答えない。答えたくない。判断を下すのは早計だと思う自分が居る。身を案じているのは分かっているが、これだけは譲れない。
「…………何か飲み物を買ってきます。少し待っていて下さいね?」
弱っている人を追い詰める事はしたくないのか、最後に未紗那先輩は労わるような笑顔を浮かべて何処かへと去ってしまった。最後にぎゅっと握りしめられた手の感触がまだ残っている。
「…………誰か、たす…………」
「何かお困りの様子ですね?」
虚ろな焦点を現実に戻し、ぐらついた頭部を上に持ち上げる。スーツ姿の男性が携帯で俺の顔を撮影していた。
「………………あな、たは?」
「通りすがりです。物凄い汗ですね。こんな所で休んでいても治るような物ではないでしょう。ちょっと待って下さい……出ました! 診断結果によると、貴方は呪いに掛かってますね」
「ぱ……は?」
男性はその場に屈みこむと、真剣な表情を向けて俺の頭を掴んだ。
「僕は困ってる人とかそういうのを見過ごせない性質なんです。だから嫌と言っても貴方は連れて行きます。安心して下さい。僕一人の力では助けられなくても凄く頼れる人が居るんです! イーシンツ様なら貴方の呪いも直ぐに解いてくれるでしょうッ!」
「………………いー、しんつ?」
「どんな怪我や病気もたちどころに直してしまう神の手の持ち主ですよッ!」
――――――ッ!
「え。ちょ。まっ」
ガンッ!
壁に頭を叩きつけられたと理解する頃には、とっくに致命傷を負っていた。
「ほんの少し痛いだけですから。次に目覚めた時はもう痛みなんてありません……まだ意識残ってます? それじゃ駄目です。これは麻酔みたいなもんですからね!」
ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ! ガンッ!




