因果のみぞ知る
連日で雨が降っていたら嫌だなと思っていたが、流石に晴れたようだ。特に根拠のない体感の話だが雨上がりの直後は全くの無風になるせいで心なしか温かい。相対評価でも何でも着込めば寒さを忘れられるなら有難い限りだ。
「制服は着させてくれないんですか」
「学校に行かなくていいのに制服を着てたら不良学生だって思われますよ?」
「もう思われたんですけどね」
「私のコートでも着る?」
女装はちょっと。
せめて男のルームメイトが居ればその人から服を借りたのに、いや借りたくはないのだけれど。制服以外の服は自宅にあって、自宅に帰る予定が消えた以上こうなるのは必定とも言える。女物とて童貞を殺す服然り、露骨に露出が無いなら女装という事にさえならなそうだが、感覚的に抵抗がある事を分かって欲しい。
挟まれるのも嫌だったのでカガラさんには後方を歩いてもらう事になった。未紗那先輩は何があってもいいようにと俺の隣を離れたがらない。仮にも学校でそれなりの知名度を有する先輩が傍に居ると色々と不味い気もしているが……よく考えなくても学校の存在がその心配を消している。今、出歩いている学生が居るとしたら紛れもない不良だ。
「先輩の家から朝帰りしてきたみたいで、嫌ですね何か」
「褒めてます?」
「これで褒めてたらひねくれ過ぎじゃないですかね」
冗談はさておき、自宅に戻って来た。外見には何の変化も見受けられないが、それは一般的な話だ。俺の眼にはしっかりと減少した赤い糸が見えている。貫通しているのは屋根ではなくて壁。それは逆説的に家族以外の人間がいた証明だ。赤い糸を囲うように白い糸も並列で伸びており、丁度俺達の真上を通り過ぎる糸はこの町の賑やかな方へと因果を示していた。
「…………やっぱり」
カガラさんにも未紗那先輩にも糸がある。それは努めて気にしないようにしていたが、規定に侵された糸を見ると特別吐き気を催してしまう。理由は分からない。俺にとっては誰の糸も赤いし白いし違いなんてないし、例外はマキナとあの日出会ったお姉さんだけだ。
「式宮君? 何か気が付きましたか? 私も今朝、外観はじっくりと拝見しましたが特に変わった様子はないと思いますよ」
「家に帰るまでもない。糸はここからだって見えます。病院の人と同じだ…………俺の家族は全員やられてますね」
やや遅れて携帯を確認すると、可愛い方の妹以外の家族がしきりに帰宅を促すメッセージを送ってきていた。確信的だ。病院で俺を襲った人達は己の人生を縛られてやりたくもない行動に心を痛め、半ば精神崩壊さえ起こしている様子もあった。
『大丈夫か?』
牧寧からの返信もないし、既読さえつかない。何が起こっているのだろう。
「……私にはさっぱり分からないのですが、君には何が見えてるんですか?」
「先輩にもカガラさんにも糸はついてます。基本的に糸は真上に伸びて俺を囲う檻の一部になってるんですけど、どうにも『傷病の規定』に引っかかってる人は因果が真横……十中八九その規定を持ってる人まで伸びるみたいで。はい。駅前の方に伸びてます」
「…………! 位置が分かるという事ですか?」
「それで昨日は病院に行ってたんです。まあ……その。はい」
厳密には白い糸の実験も兼ねていたが、一から十まで話そうとするとややこしくなる。俺とマキナの事情なぞ未紗那先輩の与り知るものではないから黙っておいた方が建設的だ。口は災いの元である。下手に敵意を持たれても勝ち目がない。
先輩の表情を窺おうとして、やめた。足元の崩れそうな発言は避けたつもりだが、横顔に視線が突き刺さっている。視線が合ったら碌な事にならなそうだ。
「式宮君。昨夜は尋ね忘れました。キカイは君の力を知ってるんですか?」
「……………………」
「しいいいいいぃぃきぃぃぃぃみぃぃぃぃやあああああああ君?」
「はい知ってます! すみません黙ってて! 色々ややこしくなるかなと思って黙ってました!」
誠意が足りなかったようだ。胸ぐらを掴まれ、青筋が入っても尚、美しい顔が目と鼻の先まで接近する。
―――こ、殺される。
笑顔が怖いとかそういう間接的な恐怖ではない。本当に本気で殺される予感がした。瞬きの瞬間に骨を砕かれ肉を裂かれ、眼球を食われ歯を踏まれ関節を造形されそうだった。背筋ではなく心筋が凍った。偽の心臓を発端に発生した寒波は体内を蝕み、十月とは思えない冷たさを迸らせる。
「…………この、馬鹿!」
「――――――はッ」
朝っぱらから怒鳴られた。
「どう考えても理由はそれしかないじゃないですか。ええ、全部納得が行きました。規定者がこんな簡単に湧くなんておかしいと思ったんです。式宮君、貴方はテストされてるんですッ」
「テスト……ですか?」
「因果を視る力は異常だという話を昨夜しましたね。何故異常かを説明しましょう。単純に人間が持ってていい能力じゃないんですよ。君はアカシックレコードについて知っていますか?」
またその単語か、と。マキナの時に聞き慣れなかったので調べてある。一言で言って訳が分からない代物だ。そっち方面は疎いと何度言えば理解してくれるのだろう。この力と同じくらい誰も気持ちを汲んでくれない。
「まあその。ネットに転がってる程度には」
「あれは所詮嘘……いえ、大昔には居たそうですが、今は存在しません。何故大昔に居たと分かるかは言うまでもありませんね?」
そいつはキカイだった、という結論だろう。話の文脈的にはそうなる。しかし薄々勘付いていたが、やはりキカイという存在はマキナの他にも居たのか。先輩はキカイの一部と言っていたしマキナという名前に憶えもなさそうだったからそうではないかと思っていた。
マキナの方も、最初に俺をキカイと勘違いしていたくらいだ。そこから気付くべきだったと考えると随分遅い。
「キカイだったとか、そういう方向ですよね」
「その通り……この意味が分かりますか? 因果を視るという事は人類という種そのものを俯瞰してるに等しい。それが許されるのは神様やらお天道様やら、何にせよ天上の存在だけです。そんな存在は勿論居ません。全てキカイの亜種です。君は実質的にキカイと同じ視点を持っていると言っても過言じゃないんですよ」
―――あながち、間違ってはいないかもしれない。
マキナも匂いという形で因果については認識しているらしい。そっちの方こそ俺には分からないが、お互い様という理屈も付けられる。むしろお互いに同じ景色を共有しているよりは、同じ概念を違う形で捉えている方が現実味もあるだろう。
「何らかの理由でキカイは『規定』を人間に渡したか、落としたか。まあ後者はどんな間抜けなキカイだっていう話になるので、前者としましょう。その意図はきっと貴方の力を確認したいからです。何をさせるつもりかは分かりませんが、あまりに危険すぎる」
「…………も、もしそうなら俺はとっくに眼をくりぬかれてるんじゃ?」
未紗那先輩は致命的な勘違いをしている。情報を渋った俺のせいだが、それを悟られると今度は本当に殺されかねない。むしろこの場で目をくりぬかれる可能性も考慮している。誤った考察とて、今は乗ろう。
先輩の双眸が俺の左目を覗き込んだ。左という部分に意味はない。近い距離だったからだ。
「…………そうですね。力が確認出来たならそうしている筈です。合理的なキカイがわざわざ他の要らない肉を連れ回す理由がありません。或いは」
「……或いは?」
「紗那。連絡が取れたよ」
俺達のやり取りなど知る由もなく、カガラさんが後方から携帯を片手に割り込んできた。早朝からゴシックワンピースを着用する女性は嫌でも目立つ。美人だからとか関係ない。色の主張があまりにも強すぎる。話がややこしくなるから通行人の眼を引かない為にも離れてほしい。
ささやかな願いは叶わない。未紗那先輩は彼女の携帯を取り上げると、慣れた手つきで指を滑らせて何かを確認している。
「……あの。何の連絡が取れたんですか?」
「ここに来ているのは私達だけではありません。外で動いている仲間も居るんです。昨夜は勿論君の家を見張らせていました。先程まで連絡が無かったのですが、たった今来たんです。君の家から出てきた四人組が駅前―――糸が伸びているという方向で発見されました」
「――――――!
カガラさんは微笑ましそうに。未紗那先輩は表情を固めて俺を睨んだ。
「撤回します。オススメではありません」
「はい?」
「絶対にキカイとは縁を切ってください。それ以外の選択肢は認められません」




