人類の資格
自分たちがおかしいという自覚はある。取り敢えず多数派ではない。先輩の発言を鵜呑みにするなら道理も通っていて、もしもマキナに対する不信が高まっていたなら信じていただろうが、それでも出会った経緯を考えれば納得が行かない。
俺を排除する気なら、告白を受けるとか受けないとか以前に殺せばいいだけの話だ。何らかの規定を使えば簡単に殺せるだろう。俺の力に直接的な殺傷力は皆無だ。どう足掻いても勝てる予感がしない。
―――だよな?
部品を集め終わった瞬間に殺されるなんて、ない筈だ。俺がキカイじゃないのは取引する前に知られていたし、万が一もあり得ない……のか?
「思い当たる節があるなら早々に縁を切る事をお勧めします。さ、あちらの話はもういいですね。次は私の事ですか。企業秘密的な事情は教えられませんが、先に結論を言っておきましょう。私と私の組織は別に君の敵じゃありません。胡散臭くなるのであんまり好きな表現ではないのですが、人類の味方です」
「うわ。うさんくさ」
「でしょうッ? これ言うと途端に怪しい雰囲気になるから嫌いなんですよ。一々名乗るのも恥ずかしいし、もう少しいい呼び方くらい考えてほしいものですね」
「……で?」
「警察みたいなものです。何処かの国に属しているとかそういう事ではないのですが、治安維持機関というのは違いないです。私の組織は平たく言えば『人類の完全な独立』を目標としてる所です。先程の説明は覚えていますよね? この世界は何が運営しているかって」
「キカイ……ですよね」
「はい、正解! 残念ながらこの世界のあらゆる現象は全てキカイの管理下にあります。しかし、歴史が証明しているように人間は自然との共存を経て独立し、文明を築き上げるようになりました。誰の手も借りる必要はない。人類は人類の力だけで生きていける筈なんです。そこで立ち上がったのが私の組織ですね。目標はさっき言った通りで、基本的には慈善活動をしてます。例外的にキカイは破壊しろとは言われてますが」
「……自然現象とかも運営してるんですよね? じゃあキカイ壊しちゃったら、色々と影響が凄いんじゃないんですか? 天体系とか気候とか」
「そこも人類が管理するべきだ。とにかく人智の及ばぬ領域は存在しちゃいけないというのが信条です。詳しい説明をすればするだけ胡散臭くなるので省かせてください。さっきも言った通り基本的には慈善活動を任務としています。今の常識に当て嵌めるなら模範的な組織とも言えますね?」
信用出来ない、と言いたいが、未紗那先輩がそう悪い人じゃないのはこの短い付き合いでも分かったつもりだ。マキナに対しての当たりが強いだけで、俺が事情を知らないと見るや懇切丁寧に説明までしてくれた。そもそもこの世界に居る悪人は逸脱してばかりで基本的に善人なので、胡散臭かろうが何だろうが常識のテンプレートに当てはめるなら善い組織には違いないのだろう。
―――まあその善とやらが一番信用出来ないが。
マキナに対する信用は盲目的な物じゃない。善いから善いと脳死で生きる人に比べたら圧倒的に信じられるというだけ。何より、アイツはほぼ無条件で俺を信じているのに、俺だけが疑うのはフェアじゃない。
ホワイトボードにはキカイの事と先輩が所属する組織についてまとめられている。理性的な説明だったと思うが、キカイに延ばされた矢印の上に『キライ』と書かれていると途端に幼く思えてくる。
「説明はこのくらいで十分かと思うのですが、質問はありますか?」
「……えーと、協力とか出来ないんですか? アイツだって別に世界を滅ぼそうとかそういうつもりがある訳じゃないんですし」
「―――私の話、聞いてましたか? あり得ませんよそんな事。君は自分が生かされているから大丈夫だと考えてるのかもしれませんが、そういう人情の様な尺度をキカイは持ち合わせていません。最初から相互理解不能な怪物とでも言いましょうか。万が一にも私がそういう気になったとしましょう。ええ、あり得ませんが。それはつまり死にに行くという事です。上司だって認めてくれないでしょうね」
反論したかったが、それは水掛け論にしかならない。マキナが人を襲わないという物的証拠は何処にもないし、第一あちら側の意見も聞いていないからだ。アイツは人間の事をどうでもいいと捉えている。もしも先輩の組織を鬱陶しいと考えているなら喜んで殺すだろう。
「……今の所は、大丈夫です。キカイって思ったよりとんでもない存在だなってのは分かりました」
「そのくらいの理解でも結構です。君が置かれている状況については説明するまでもないとは思いますが……とにかく、縁を切ってください。私が傍に居る間は守れるかもしれませんが、少しでも離れたら命の保証はありませんよ。いいですか? 今回の一件が終わったら何もかも忘れて、速やかに元の生活に戻ってください。約束出来ますか?」
「…………」
出来ない。
元の生活に戻った所で何がある。退屈で窮屈で平和。そんな日々に価値なんてない。吐き気を催しそうな善人と、気が触れてしまいそうな赤い糸。永久にそれと付き合うなんて御免だ。特に今はそう思う。なまじ、解決する手段が出てきたせいか。
『私の瞳の色は、月の色。この瞳を綺麗だって言ってくれるなら、月を見た時貴方はどんな顔をするのかしら? ―――なんか、楽しみが増えちゃった♪』
月が見たい。
糸に細断されていない景色を。綺麗な月を見てみたい。マキナみたいに好きになれるかどうかは置いといて、純粋な気持ちを感じたい。
「……返事、保留でいいですか? 百聞は一見に如かずなので、今回の件を通して色々考えてみたいです」
「式宮君…………分かりました。確かにその通りです。キカイも私も君にとっては未知の存在。自分の頭で考えてみるのも大切です。じっくり考えてみてください。そして、もしも私を信じてくれるならどうしてキカイと同伴しているのかも教えてください。離れられないやんごとなき事情があるなら―――この命を懸けても、私が解決しますから」
そう言いきって、未紗那先輩はホワイトボードを片付けた。こちらに向き直った時にはほんのり滲んでいたキカイに対する敵意も消え、いつもの先輩がまた戻っていた。
「この話はここまで! この時間に就寝して登校するのは不可能なので、今日はゆっくり眠ってくださいッ。休みの連絡は私の方から入れておきますから」
「……認めてくれますかね。先輩、強制は嫌いなんでしょ?」
「好ましくないというだけで必要があれば使いますよ? 私のミスで君は狙われてるんですから。その尻拭いも出来ないようでは信じられるものも信じられないでしょう?」
「そりゃそうですけど…………何で俺は狙われてるんですかね?」
「苗字が割れてる以上の理由はないと思います。居場所や人間関係が明らかなら弱みに付け入りやすい訳ですから。そんな悪辣な規定者についてはまたおいおい説明します。歯ブラシは余分な数本があるのでご自由にどうぞッ。就寝準備が出来たら奥の部屋にあるベッドを使ってくださいね」
そう言って先輩は一足早く寝床に入ってしまった。
「……え。一緒の部屋で寝るの?」
先輩は敷布団で眠っていた。ルームメイトの姿は何処にもなく、空いているのはベッド一つ。どう考えても普段は彼女が使っている物だ。
「いやいやいやいやいやいや」
この状況で眠るとか神経太すぎだろ。
未紗那先輩は神経が太いので既に熟睡している。キカイとか組織とか一気にどうでも良くなって、彼女には何故この状況で眠れるのかを説明して欲しい。それとルームメイトが居るのか居ないのかハッキリして欲しい。今はどう考えても男女一つ屋根の下。俺が先輩を襲うとかそういった邪な想定はしない主義なのだろうか。
―――どうせ負けるけどな。
マキナの事を悪く言われたからか、さっきはまるで感じなかったのに、今更になって睡魔が顔を出している。グダグダ文句を垂れている訳にも行くまい。このままだと寝不足になる。試しに身体を横たわらせてみると、家のベッドよりも遥かに柔らかい。モフモフしていて弾力があって、温かい。毛むくじゃらの動物に抱きしめられているかのよう。
「…………気持ちいい」
肩が痛い。首が痛い。足が痛い。腰が痛い。眼を閉じて楽になれば、身体が挙げる悲鳴に敏感になる。今日は歩いたり走ったり歩いたり走ったり滅茶苦茶だ。明日は筋肉痛でどの道登校が出来ないかもしれない。未紗那先輩の厚意には甘えるしかないようだ。
―――あの時の俺は、一体何に怒ってたんだろうな。
何も分からない。
自分の事も。
他人の事も。
キカイの事も。
正気でいるだけで、こんなにも苦しいなら。
こんな力が無かったなら。
「…………俺だって………………狂いたかった…………」




