救済の執行者
おかしいと思わなかったのは何故か。俺にとって都合が悪いからだ。病院に行く瞬間を見られ、家に戻らない瞬間を見られ、雨宿りする瞬間を見られ。未紗那先輩の視点から見た俺はあんまりにも不審で、一挙手一投足が怪しまれると思った。
いろいろな人間に対して斜に構えておいて、結局俺も他の人間と変わらない。都合の良い事を見たり聞いたり信じたりする。マキナの存在が周知されるのは今後の立ち回りにおいて最も都合が悪かったから想定しなかった。
『俺が逃げる所を見たから追いかけた』なんて。あの時にはマキナも居たというのに。
「……………………」
「ねえ、式宮君。教えてくれませんか? 私は強制が好きじゃないんです。君の口から答えてくれるととても嬉しいんです」
「………………そういうの、強制って言いませんか?」
先輩は笑顔を崩さない。明るい表情は好きだが、今は他の表情も見たい。見せてほしい。お願いだから、それ以上敵意に満ちた笑顔を向けないでくれ。只ならぬ事情を持つ先輩を相手に情報を隠そうという腹積もりがそもそも失敗していたのか。
「……………………未紗那先輩が。何でそれを知ってるのかを教えてくれない限り、教えたくないです」
「質問をしてるのは私の方ですけど」
それでも、答えたくない。不義理だとしても、一貫性が無かったとしても答える訳にはいかない。今の先輩は不気味すぎる。怪しすぎる。たとえ拷問にかけられたとしても、ここだけは譲れない。譲りたくない。マキナを裏切るような真似だけはしたくない。
別に、それは善心でも何でもない。こちらが不当な真似をすればあちらが律儀になる必要はなくなる。俺達はこの視界を治すのを条件に協力しているのだ。部品が全て集まっても視界が治らなかったら約束が違う。違ったとしても、それまで俺が不誠実だったら正当な応報だ。
俺の言い分を聞いて、先輩はようやく笑顔を崩した。少し困ったような顔で何度か虚空に視線を寄せている。そこには何らかの葛藤が感じられた。
「…………我儘な後輩ですね。分かりました。君はかなり私の事を警戒しているみたいです。そんな関係のままでは何処かで問題も生じるでしょうし、まずは誤解を解きましょうか―――えーっと、どこから話したらいいでしょうね。あのキカイから何か聞いてますか? 聞いてるならそこから解説出来るので非常に楽なんですけど」
「何も聞いてないですね。何の事情も分からないからこんな事聞いてるんです。先輩が何なのかも知らないし、マキナが何なのかも知らない。そもそもキカイキカイって言いますけどそれ自体も何なのか分からないし! ああもう、こうなったら全部聞きたいですよこっちは!」
まくし立てていたら段々腹が立ってきた。全く事情を知らない癖に騒動の渦中に居る自分がもどかしい。駆け引きなんて似合わない真似はやめだ。こうなったら全ての事情を把握した上で決めたい。
未紗那先輩はいつになく困り果てている様子だ。詰問していた筈の相手が逆切れしている。それ自体はまだしも、苦し紛れとかではなくて事情を何も知らないんだと騒いでいるのだ。無理もない。あれだけ充足していた敵意は何処へやら、そこには学校で見た通りの嫋やかな先輩が戻ってきていた。
「……本当に何も知らないんですか?」
「はい」
「何も知らないのに、キカイと一緒に行動してるんですか?」
「はい」
「………………………はあああああああああ」
一分かけて、長い長い溜息が終わった。敵意が無害な注意に、そして注意が呆れに。俺には人の心がちっともわからないが、今の彼女がどんな事を思っているのか手に取るように理解出来る。『よくもここまで何も知らずに関われたものだ』と。
「―――分かりました。予定を変更します。何も知らない可哀想な後輩の為に、君が置かれている状況と私達について、それとマキナ……でしたか。キカイについて説明します」
おお、随分太っ腹な。
少々気になる言い方はあったが、全部教えてくれるというなら願ったりかなったりだ。実際無知ではあるので、ここは一つ未紗那先生にご教授いただかない事には話が始まらない。先輩は棚の中から手頃なサイズのホワイトボードを取り出すと、それを机の上に置いてペンの蓋を抜いた。
「まずはキカイについて教えましょうか。君とどういう関係なのかはこの際聞きません。少なくとも同伴する間柄なのは明白ですから」
「確認したいんですけど、熟語的な機械とは違いますよね」
「それは勿論……しかし、言ってはみたものの何処から説明したらいいでしょうね……式宮君はこの世界が作為的に回っているというのをご存知ですか?」
「……作為的?」
「陰謀論めいた話に聞こえますかね。語弊があるかもしれませんから言い直しましょう。この世界はとある一つの存在によって運営されている。私達がこうして会話している現実も、今日雨が降るのも、どこかの国で子供が餓死するのも、全てとある存在が運営した結果なんです。『自然』という言葉はその存在を認識出来ない人々が生んだ籠のようなものです。私達にとっては籠の中が世界の全てですから外の事なんて知りようがない。そういう事ですね」
言いつつ未紗那先輩はホワイトボードに大きな四角形を描いた。内側に居る無数の鍵みたいな記号は人間だろう。一目見て分かった。この人には絵心という物が存在しない。何故棒人間が鍵の形状になるんだ。
「これがキカイと言われています」
「言われてる……?」
「詳しい事はこちらにも分かりません。教えてくれると思うなら本人に聞いてみてはいかがでしょう。まあ……後述しますが、私はアレと交流を持つ事自体オススメしません。というよりやめてほしいです。何か深い事情に踏み込んでいるならまだしも、巻き込まれただけというなら本当に」
未紗那先輩には悪いが、それだけは出来ない。彼女にはまだ話していない事情が一つある。マキナとの約束だ。この視界を治す代わりに部品を集め直す。確かに俺は何も知らないが、この取引が俺とアイツとを繋ぐ赤い糸に相当する。何年の付き合いになろうとこの視界が嫌いだ。それを消すチャンスを不意にするのは他のどんなリターンがあっても許せない。
「―――アイツが、全部運営してるんですか? この世界の全部を」
「アイツが、という訳ではないですね。アレはキカイの一部です。代表と言ってもいいかもしれませんね。式宮君はマキナという存在がどういう目的でここに来たのかはご存知ですか?」
「いや、何も知らないですけど」
「聞かなかったんですか?」
聞けるような状況でも無かったし、俺にもそこまで余裕は無かった。朝、校庭で急にバラバラになった女が俺の身体の中身を奪った挙句にわざわざ切り落とした手首を返しに来たのだ。そこまで冷静に立ち回れる訳がない。何よりこの視界を治してくれるという条件に食いつかない手は無い。
何より過去の一人を除いて只一人も信じてくれなかったこの景色を、マキナは理解してくれたから。
「はい」
「…………そう、ですか。本人に尋ねるのが一番いいんでしょうが、今までそんな素振りも見せなかった君が急に問い詰めてきたら殺されそうですよね。ふーむ」
「さっきから聞いてると、ちょっと大袈裟じゃないですか? アイツはそこまで見境の無い奴じゃないですよ。そりゃ気軽に人は殺しますけど。それも振り返ってみれば俺を守る為だったし」
「悪い冗談ですね。アレがヒトを守るなんて有り得ません。何か別の理由があったのでしょう。式宮君は目的を知らないんですから何とでも言えます。アレにそんな人間的な感情を求めてはいけません。熟語としての機械とは違うとは言ったものの、殆ど似たような物と言われてもそれはそれで当たらずとも遠からずです。世界全体の秩序を担うシステムの一環ですからね。機械に感情なんてないでしょう?」
感情が無いなら、あんな真似をしてくる筈がない。それにアイツの目的は最初からハッキリしている。何せ俺達はそれで取引をしたのだから。
――――――あれ?
違う。取引はあったが、それは最初ではない。思い出せ。俺がマキナと出会ったのはあの日の夜ではなくて。稔彦が一目惚れしたから告白したいと呼び出したあの時だ。取引が発生したのはあの時バラバラになったせいで失ってしまった部品を取り戻したいという思いから。
楠絵マキナがこの町にやってきた理由は明らかになっていない。
隠しているつもりは、無いと思う。俺も聞かなかったからアイツも答えなかった。それだけで済む話だ。
「ココアを入れたので、どうぞ?」
「え? あ、はい。ありがとうございます……」
少し悩んでいたら先輩が温まる飲み物を持ってきてくれた。ひょっとすると自分が想定するよりずっと長く引っかかっていたのかもしれない。興味が無いからと聞かずにいるのはこうも致命的な結果をもたらすものか。アイツがそんなスケールの大きい存在なら、猶更こんな町に降りたつ理由がない、と少々不安になってきた。
先輩の淹れてくれたココアは絶妙な甘さで心の緊張を溶かしてくれる。とても美味しい。
「先輩の方で理由は推測出来ないんですか?」
「幾らか考えられますが、主に二つの方向性ですね。一つ、キカイをキカイたらしめるこの世界の規定を司る部品を落としてしまったか。ああ、キカイはその身体が規定で構成されているんです。言い忘れていましたがキカイ―――特に顕現した部分は世界全体のバランスを保つ役割を与えられます。バランスを崩しかねない要因があればそれを排除する。その為の規定でもあるので、一つでも落とせば意地でも回収を試みるでしょう。ここまでは大丈夫ですか?」
説明を整理する。
・キカイとは世界全体のバランスを保つ運営機関であり、マキナはその実行部隊のようなもの。
・マキナのようにわざわざ顕現するのには理由があるって、部品を無くした場合が一つ。
大体こんな感じだ。
納得のいかない点としては、やはりマキナがここに来た理由が説明出来ないという部分。
『貴方に首……貴方じゃない何かに首を切られた時に、血液に流されて部品が殆ど飛んでっちゃった』
『キカイの部品はニンゲンには見えないのよ。でも足りないものは足りないから貴方のパーツで代用したの。役割としては一緒だから便宜上血液と心臓みたいに表現を揃えただけ。だから今の私が同じ様に殺されたらもう生き返れないし、血だって流れるわよ』
『貴方が私の部品探しを手伝うの。そしたら心臓と血液とか色々返してあげるし……ついでにその糸が見える問題も解決するわ』
マキナが俺の身体から色々と奪ったのは、生き返る為だ。流されたあらゆるパーツの代用品として俺の内臓やら血液やらが使われた。だから今の理由では、アイツがここに来る説明にはならない。
「もう一つは?」
「単純に、仕事です。バランスを乱す存在を消し去る為にやってきた。主にこの理由が考慮されるから、アレには関わらない方がいいと私は言ったんですね……」
「意味が、分からないんですけど」
「人を助けるのは正しい事。どんな理不尽があっても、どんな無理があっても助けるのが道徳的な在り方。そんな押しつけがましい善の認識がこの世界全体に蔓延る常識です。言い直すなら、キカイが従うべき規範ですね―――ほら、違反してるでしょ? 私も君も排除される理由は十分じゃないですか」




