神去の令嬢
この先輩、色々と迂闊ではなかろうか。
家に入りながら、俺はそんな事を考えていた。どれくらい迂闊なのかと言われたら色々な部分で警戒心が足りていない。するまでもない存在と言われたらそれまでだが―――なんかこう、全体的に雑だ。
「未紗那先輩。協力する上でその、色々とお互いに話すべき事があるんじゃないかなって思うんですけど」
「ほうほう? 具体的には?」
「……腹を割って話すべきみたいな?」
「ふんふん。一理ありますね。では着替えを持ってきますから、居間の方でお待ちください」
先輩の自宅は何処にでもある普通のマンションの一角だ。実際角部屋なので文字通りと言ってもいい。ルームメイトがいる影響かマキナと比べるとかなり生活感がある。部屋のいたるところにあるぬいぐるみは先輩の物なのか、それともルームメイトの物なのか。先輩が奥の部屋に行ってしまったので、言われた通りに居間で立ち尽くす。
―――落ち着かねえ。
マキナが制服に規定を施してくれたお蔭で、実は制服自体は全く濡れていいない。ただ濡れるというだけでも『清浄と汚染』に引っかかるらしい。落ち着かないのは未紗那先輩の家だからというよりもこの辺りの違和感が大きい。何故身体だけがずぶ濡れなのか。
この状態を突っ込まれると言い訳が苦しくなりそうなので早めに脱いでおく。家主が帰ってくるまでの間、周囲の状況を把握してみた。ルームメイトは何処で眠っているのだろう。奥の部屋なら仕方ないが、場合によっては外見からぬいぐるみの持ち主かどうか分かったかもしれない。
未紗那先輩の非常識ぶりは先の病院で判明しているが、部屋の内装からそれを感じ取るのは不可能に近かった。もう少し怪しい雰囲気―――逆さ十字だとかドクロだとかそういう胡散臭いアイテムがあれば信用しなくて済むとも思ったのに。
これじゃ、単なる一般人だ。
「お待たせしました―――って、式宮君。脱ぐの早いですね?」
「あ、すみません。せっかく着替え貰うのに着替えないのは何か失礼かなって」
「それはそれは。君はおかしな所で気を遣うんですね? あ、すみません。これタオルと着替えです」
先輩に渡されたのはバスタオルと男物の白スウェット、それに長ズボンだ。何故下の方までと思ってしまったが、上が濡れれば当然下も濡れる。規定のせいでそんな常識はすっかり忘れていたが、当たり前と言えば当たり前だ。
「…………すみません。その、席を外してくれるといいんですけど」
「はい? どうしてですか?」
「……えーっと。俺の着替え、見たいですか?」
そこまで言われてようやく意図せんとする事に気が付いたらしい。気まずそうに頬を染めてまた奥の部屋に引っ込んでしまった。案の定、上も濡れてなければ下も濡れていない。キカイ様様の効果である。さっさと脱いで、如何にも濡れていますよと雰囲気を漂わせる。どうせこれはあっちに預かられるので気休めに等しい。
「…………あ、式宮君! 言い忘れたんですけれど、お風呂もどうぞ!」
「え? …………ああー」
俺も何故、言い出さなかった。いや、こちらから言い出せば厚かましくなるとは思うのだが。丁度全裸になってしまったので、お言葉に甘えるしかない。お風呂は居間から脱衣所を経由してアクセス出来る。制服の置き所に悩んで、悩みに悩んだ末に脱衣所の籠という当たり前の解答を叩き出した。
緊張しすぎて碌に頭が回っていないようだ。
逃げるように浴室、流れるように湯船へ入ると、遅れて脱衣所にやってくる足音が聞こえた。
「……何か用ですか? 出来れば先輩なんぞに邪魔されずゆっくりしたいんですけど」
「それは申し訳ないですけど。式宮君は万が一にも眠っているルームメイトに話を聞かれたくないと思いまして。ここならギリギリ届かないと思います。腹を割って話したいんでしょう? でしたら今が最適では?お互いの顔も見えませんし」
腹を割ってという表現とは裏腹に、未紗那先輩は気を遣っている。それは確かに有難い。腹を割ってという表現を理解していないのはこちらも同じだ。マキナの事を隠した上で色々と探りたい。探る事が出来れば俺の勝ち。
なのだが、この気遣いを認めてしまうと先輩にも隠し事をする余地が生まれる訳で。それこそ本当に都合が悪い。中途半端にリスクだけ背負うのは御免だ。
「俺は、先輩と顔を突き合わせながら色々話したいんですけどね」
「―――そう来ますか。でしたら今は質問時間という事にしましょう。私の方からは何も聞きませんから、式宮君は自由に質問してきてくださいな」
「……は?」
俺達は命も凍るような駆け引きをしていた筈では無かったのか。未紗那先輩の提案は突拍子もないし、よく考えなくてもあちら側にリターンが無い。気が抜けそうだ。
「―――何の意味が?」
「後輩と仲良くなりたいだけですよ?」
「………………はあ~」
分からん。
分からないが、質問なら幾らでもある。腹を割る慣らしとしてどうでもいい質問を投げてみようか。
「何で男物の服があるか教えてもらっていいですか?」
先輩はルームメイトを『彼女』と言った。ならば基本的には女性の筈である。先輩に彼氏が居るならこの話は尋ねるまでもなく解決したが、玄関に置かれていた靴も女物ばかりで、男っ気は微塵も感じられない。
「諸事情で男装する必要がある時に使うんです。私のサイズよりもやや大きめなので式宮君の身体なら十分ではないかと。もしもサイズが合わなかったらそこはごめんなさい」
美人過ぎるので果たして男装になるのかという質問が生まれたが、この時間がいつ終わるか分からないので後回しだ。次の質問。
「―――未紗那先輩って本当に高校生ですか?」
これは家に来た時から―――否、居住事情からして、おかしいと思っていた。高校生で二人暮らしというのがまず聞き慣れない。不可能ではないだろう。最強の免罪符を使えば先輩の状況は実現可能だ。しかし彼女は強制を好まないと言っていた。その言葉に一貫性があるならルームメイトと二人暮らしという現実は不自然である。
「あー。そう、ですね。在学している訳ではありません。年齢はどうか聞かないで下さい。幻滅されるのが嫌なので」
中々腹の底を探るような質問だったと思ったが、彼女は意外にもすんなりと答えてくれた。特に驚きはない。驚かないつもりで尋ねたのだ。
だって、高校生のスタイルとは思えないし。
そういう意味でも先輩は人気なのだろう。むしろ安心した。これで年齢通りだったら驚愕のあまり湯船に潜り込み、そのまま一生上がってこなかったかもしれない。
「…………変な事聞くかもしれませんけど、人間ですか?」
楠絵マキナは見た目こそ絶世の美女だが、その実態は定義も良く分からない『キカイ』だ。証明は嫌という程知っている。そうでなければ俺は結々芽に食べられていた……字面が人間的ではないが、どうしようもない事実だ。
「ふふふッ。どんな質問かと身構えていたらおかしな事を聞くんですね。ええ、人間ですよ。イギリスと日本とフランスと…………まあ色々な国の血が入ってますが、御覧の通りです。式宮君には私がキカイに見えますか?」
「質問はしないって約束じゃ―――」
え。
今。なんて…………。
浴室から引き上げると、未紗那先輩はリビングにあるソファの上で小さくまとまっていた。身体はポカポカと心地よく温まっていたが、背筋は凍ったままだ。冷たい鋼に接しているかのよう。それもこれも全て未紗那先輩が原因であり、彼女の一言に気が付いてしまった俺も悪い。
「…………お風呂。どうも」
「どういたしまして。それでは改めてお話ししましょうか。くれぐれも嘘は吐かないように。私も嘘は吐きませんから。ね?」
先輩の笑顔が怖い。
隣に座るのを催促され、座ったら寄りかかるように両手を膝の上に置かれた。先輩の柔肌が! なんて初々しい反応はとてもとても見せられない。足を抑え込まれたの間違いだ。彼女がその気になればこの瞬間に膝を砕く事も容易だろう。
「さて、さっきは私が質問を受け付けたので、今度は式宮君に質問をば。正直に答えてくだされば怒りません」
「…………」
その瞳から、光が消える。
「あのキカイとはどんな関係ですか?」
連投。




