怪我人の掟
前回はエレベーターを使ったが、今回は階段を使うようだ。未紗那先輩の事など知っている筈がないから対抗意識とかそういうのではないと思う。単なる偶然か、エレベーターよりは自由に動けるからか。
「それで、どんな規定なんだ?」
「『傷病の規定』よ」
「傷病?」
傷病とは読んで字のごとく傷や病気の事だ。俺はてっきり治療とか再生とかそっちの方向性だと思っていたのに、傷病と言われるやピンと来なくなった。『強度』は非常に分かりやすかっただけに複雑な気持ちだ。
「……あれは自己再生じゃないのか?」
「ニンゲンはいつから自己再生出来るようになったのかしら。仮にそうだとしたら、あの子は私達を追ってくる筈よ。再生って要は一から作り直すって意味だから関係ないわよね」
先程の少年は足の強度を改定された結果歩けなくなってしまった。マキナは殺すつもりだったので、何となく俺に配慮してくれたようだ。果たしてそれが配慮になっているかどうかは議論の余地がある。少年が死ねば死体が残るだけで済んだが、生かしたお蔭で一階からずっと叫び声が聞こえるのだ。それを責めるつもりはない。俺だって両脚がドロドロになって一生這いずり回らないといけないなら泣き叫ぶ。弱虫だとか泣き虫だとかそういう罵倒が一切耳に入らないくらい情けなく、醜く。
「……うるさいわね。やっぱり殺してた方が良かったんじゃない?」
「………………」
そんな事はない、と言えないのが俺という人間だ。一時的な善意の結果が必ずしも良い報いになるとは限らない。殺しておけばよかったと賛同する自分は確かに居て、しかしそれを認めるのは人間の本能として許されない。
沈黙した所で俺に用意された答えは二つしかない。キカイは全自動的に感じ取り、それ以上何も追求する事はなかった。
「ね、再生してる訳じゃないのよ。あれは傷をなかった事にしてるだけ。『規定』は飽くまで基準を弄ってるだけって言ったでしょ? 分かりやすく言い換えるなら、肉体が怪我や病気と見なすラインを引き上げてるって所かしら」
「……食らった瞬間に無かった事にしてるって認識でいいか?」
「大体それで合ってるわね…………と」
昼間に俺を襲撃した看護師と再会を果たした。今度は背後を取られる事もなく真正面からの遭遇だ。反射的に身構えてしまったが、女性は俺達を襲う素振りもなく、突然膝を崩したかと思うと土下座をし始めた。
「……ご、ご、ごめんなさい! お願いしますお願いしますお願いしますぅぅぅぅぅ! ほんの少し……少し…………ぅぅぅぅぅうううう!」
―――どういうつもりだろう。
最初から降伏された経験はないから、困惑している。頼んでも無いのに頭を下げたまま動かないので取り敢えず顔だけでも上げさせようと一歩踏み出すと―――マキナの右腕が行く手を阻んだ。言葉こそないが、その冷たい表情には近づいてはいけないというある種の警告が浮かんでいた。
「糸は、どうなってる?」
「……背中から真横に伸びてる」
「…………それ、ほんと?」
「嘘を吐く意味。俺がこの件で嘘を吐いた事なんて―――」
そう言いかけて、気が付いた。それとほぼ同時にマキナの方から言葉で答え合わせがされる。
「因果が自分以外に託されているなんて普通じゃあり得ないのよ」
赤い糸とは人間の因果。生きてから死ぬまでの全てが記されている。何故俺にそれが無いのか等の例外はさておいて、この人生において『死』と同じくらい共通していたものだ。同じ部品の拾得者であった結々芽にだって糸はあった。決して真横になど伸びてはいなかった。
「貴方、私のパートナーに攻撃したんですってね。今更土下座程度で済まされると思ってるの? それとも手にナイフを隠し持ってるのを知られたくないだけかしら」
「…………! い、いや! そんな…………事……!」
あり得ないからこれは嘘だ、という認識では駄目だ。結果には原因があり、原因には結果がある。表裏一体故の因果だ。なので、真横に伸びているのにも原因がちゃんとある。
「あらそう。じゃあもっと近くへ来て謝罪なさい? 貴女に殺意がないというのならね」
「……………う。………………うううううう」
例えば。
「うわあああああああああああああああ!」
誰かに生殺与奪を握られている時なんか。
ぐわっと立ち上がって闇雲に襲い掛かってきた彼女の前面は、何十か所にも渡る刺し傷で服が真っ赤に染まっていた。なのに蹲っていた場所に血だまりは無く、今も今もと垂れ続ける血液は一定の所で消え去っているかのように、決して滴らない。
「うわッ」
最初からマキナなど眼中にないらしい。狙いは俺一人。大振りのナイフなど素人目にも分かる安直な軌跡を描くだろうが、それでも素人には避けられない。当たるかもしれないという恐怖が先んじて身体を拘束するのだ。
「怖がらせないでよ」
マキナの平手打ちが女性の頬にぶち当たる。急所でも何でもない場所への攻撃に制止させる力はない。むしろ逆上を誘う可能性さえ高いが、彼女の場合は違った。触れた個所が飛沫と共にはじけ飛び、頬肉に隠されていた歯肉を露わにしていた。
「…………ぇッ?」
「貴方と違って代わりなんていないの」
状況を理解出来ないでいる女性の下顎をキカイの手掌が食いちぎる。物理法則に従って戻る事のない口が開いた。
「指一本も触らないで」
目尻に二本指が掛けられ、力任せに振り下ろされる。大して力のこもっていない、空を切るような軽やかさで女性の顔が引き裂かれた。
「ああああああああああああああああああああ!? あああああああああああ! ああああ―――!」
「私にはこのヒトを助ける責任があるの」
倒れこもうとする女性の頭を掴み、
「これ以上不幸にしようものなら、ユルさない」
バシャっという音はペンキでもぶちまけたようで。実際は人間を壁へ叩きつけた。人間どころか固体としての強度すら失っていた女性は文字通り壁のシミとなり、残ったのは赤かったり白かったりする水の中で濡れた服だけだ。
「……………………また、殺したのか」
「これ以上悲鳴を聞かせたら貴方が持たないわ。それに、もうこの女性は詰んでるわよ」
「…………本当に、そういう事でいいんだな?」
「ええ。『傷病の規定』をこんな形で悪用するなんて初めて見たわ。因果が自分以外の何処かに繋がってるニンゲンは、人生の全てをそいつに握られてる状態。だからここで殺さなくても、一生そいつの奴隷よ。そういうのは生殺しとか拷問とか、そういう言葉が似合うんじゃなくて?」
そっぽを向いて、静かに吐き出した。
「おええええええ……う、あああああああああおおおお……うぁ!」
せめて嘘だと言ってくれれば、遠慮なくこの残酷なキカイを罵れたのに。それが出来ない。悔しい。あまりにも所有者の趣味が悪すぎる。何のつもりだ。一体どんなつもりでこんな手段に出た。結々芽が俺を食べようとした理由なんて分かりっこないが、これはこれで一パーセントも理解出来る気がしない。
「…………善人なら、怪我人や病人には優しくしようって習う筈だ! いや、ほぼ義務教育だろそんなん! 幾ら全能感があるったって…………これじゃまるで……」
「支配? ええ、そうよ。だって都合が良いもの。怪我や病気を治したいなら看病してくれる人の言う事を聞かなきゃいけない。こっちは義務教育というよりも生存本能に基づいた合理的な判断よ。下の子供もこのヒトもみーんな生きてたいから従ってるだけ。殺人は小さな善行になりうるかもしれないけれど、単なる自死は善行でも何でもないものね」
マキナの説明はこの上なく的確で、あらゆる噂に説明がつく。患者が消えたのも診察者が消えたのも全てはこれが原因だ。規定は一度改定すれば二度と戻せないという事もない。先程からマキナが強度を逐一変えているように、部品は好きなタイミングで改定が行える。
だから、一度『傷病の規定』で怪我や病気を治された人間は、いつまたそれを再現させられるか分からない状態に陥っている。癌が治ったとして、それを再発して欲しいと願う人間は居ない。或はもっと単純な話。道端で歩いてる人を殺す寸前まで刺せばいい。この世に積極的な自殺志願者はそう居ないから、大抵の人間が傷を治されれば感謝するだろう。命の恩人という言葉もある。
そんな大恩でも人が生きてる限りは薄れてゆくものだ。衣食住に満たされた人間が毎日毎日涙を流す程あらゆる物事に感謝する事はない。それは慣れと言って決して悪い事ばかりではないが、『傷病の規定』を扱える人間がもし、当時を再現しようとしたら? 否、してしまったら?
大恩は再び結ばれるようになる。
この世界には何かと助けようとする恩着せがましい人間が多々いるが、ここまで来れば契約に近い。お前の命を救ってやったのだから俺の命令に永久に従え。そうでないとまたあの苦しみを味わうぞと。
だから、病院から居なくなった全ての人間は『傷病の規定』に引っかかって部品拾得者の奴隷になった。そう考えて良い。
「…………下の悲鳴、聞こえなくなったわね」
「…………!」
その仮説を否定してくれるなら何でもしよう。階段を降りて、足を消された少年の下へ向かう。
名も知らぬ少年は、全身が変形した状態で冷たくなっていた。
「………………………は。 あ」
吐き出すものはとうの昔に吐き出した。
今あるのは、憤りの感情だけ。
誰かの為に怒ってやれる程親切な人間ではないが、これはあまりにもやりすぎで。人間の尊厳というものを徹底的に辱めている。
「………………マキナ」
「何?」
「因果ってのは……死んだ後も続くものなのか」
「生きてから死ぬまでの物だから、何処かで切れる筈よ―――何、まさか繋がってるの?」
死体にも赤い糸が付いている状況は日常だったが、改めて考えるとおかしな話だ。生きている人間を縛るものなのに、何故死後も続いているのか。
「………………ふーん。どうも私にも把握しきれてない所があるみたいね。それがどうかした?」
「上に伸びた」
それが正しい状態。赤い糸は人間の上から伸びて籠のように俺から見える世界を細切れにしている。しかし、相手が死体なら話は別だ。規定がどうであれ全てを拾得者が握っているなら。
「三階…………行くぞ」
この糸を辿った先に、大元が居る筈だ。
もう一話出すかも




