救いの手を差し伸べよ
マキナとの約束の時間は九時だ。それまでに情報を得られるなら何でもいい。確かに未紗那先輩は怪しい側面もあって、おまけに糸もくっついているが、俺と同じ疑問を持ったという点である程度信用に値する人物だと判断した。
「マジかお前! 未紗那先輩としけこんどいてその元気の無さはねーわ」
「しけこんでねーよ。シたかったら勝手にしてろ。ていうか俺に話しかけんな。今、忙しいんだ」
「いやーぶっちゃけるとうちの女子て可愛い奴居ないしなー。スタイルもイマイチだろ? だからあんまし……そういう意味じゃ未紗那先輩は完璧だけどな! やっぱ前段階って大切だと思うんだ俺は」
「そうか。スタイルはともかく、可愛い奴ならそこそこ居ると俺は思うんだけどな」
男子と女子の可愛いは意味合いが違うのは有名な話だ。俺は女子ではないのでそちらの方は分からないのだが、男子の意味合いは大体エロいと同義だ。厳密には違っても大体こちらの語彙が抵抗力もなく選ばれる。
「だったら誰かに告白しないか? 手伝うぜ?」
「断る。可愛いからってイコール恋愛対象じゃない事もあるんだ」
糸さえなければ、まだこいつの言い分は聞けたし、そのむかつく親友面も許容出来た。だから、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「……なにさっきから払ってんだ?」
「何でもない」
白い糸が俺にくっついてくるのは何なんだ。目を瞑ろうにもこれでは瞑れない。否が応でも糸を見つめ続けないといけない。それはどんな地獄よりも厳しくて、昔からこの光景を避けて生きてきた俺にとって何よりの屈辱だった。
「…………腹が立つ」
本格的にむかついてきたので糸を己の手にぐるぐる巻きにすると、糸の反対側を握って引きちぎった。気味が悪いので手に巻き付けた方も取り外して何度も何度も引きちぎる。切れたミサンガの様に短くなった糸を外に投げ捨てると、ちぎれた場所からまた俺に向かって伸びてくるではないか。
「ああああああああああ! 鬱陶しいんだよボケがぁ!」
誰に向けられた訳でもない怒声に、クラス中の視線が俺に降り注いだ。関係ない。この糸が何なのかが分かるなら不審者として見られる事も厭わない。敵意を超えて殺意すら湧いてくる。人として認めがたい感情が脳内を支配し、秘められた暴力の本能が外れていく。
―――本当に、ふざけんなよ。
ああ、もしもこの糸の大元が人間なら、俺はそいつを殺してしまいそうだ。糸を手繰り寄せ、綱引きの要領で辿りながら、辿っていく。何故この糸はここまでひねくれているのか。別のクラスに入ってしまった。
「邪魔だから、どけ!」
俺の気迫に圧されて隣のクラスの連中が道を開ける。糸だらけの操り人形共が良くもそんな顔で俺を見つめられる。何も知らない癖に、病院の問題なんて俺は知らないし、何ならこいつらも知らないだろう。問題から目を背けているからだ。自分達が善い存在と信じているばかりで、誰かが明確に困らなければ助けようともしない消極的善人共が。
糸に、糸は。糸を。糸で。糸が。
鬱陶しい。
手繰り続けていると、階段付近で白い糸がぷつんと切れた。
「………………ッ!」
ハッキリした事がある。この白い糸は、誰かに主導権があるようだ。俺の動きが気付かれて、だからこの糸が切れた。そうとしか考えられない。
「……っっっ!」
歯が砕け散りそうな程の力が籠っている。ギリギリギリと奥歯が軋み、視界が揺れる。呼吸が乱れた。誰の仕業だ。この白い糸を誰が出してる。犯人は誰だ? 誰だ? 誰でなければならない。何故そこまで俺に執着する!
「うがあああああああああああああああああああああ!」
「どうかしましたか? 式宮君」
校舎全域に轟いた発狂に一早く駆け付けたのは、先程約束を交わしたばかりの未紗那先輩だった。特に理由もないが真っ先に犯人を疑い、彼女にも白い糸があると見て思い直した。尋常ならざる様子の俺を見ても、彼女は飽くまで穏やかな雰囲気を保って話しかけてくる。
「…………学校、終わったら。校庭に来てください。端っこで待ってます」
「え? まだ学校は終わってませんけど」
「……今日は早退します。ちゃんと約束は果たすので……あんまり深く聞かないで下さい」
今は誰とも話したくない。先輩の肩を通り過ぎて校庭へ向かおうとすると、その肩に手を置かれた。
「早退するなら、先生に言わないといけませんよ?」
「いいです。どうせ何かにつけて親切した事にする人なので」
「駄目です! ……ではこうしましょう。私も早退します。それで一緒に帰るという形で行けば、何も問題ありませんね」
「―――お礼とか、言いませんよ」
「結構です。私がしたいだけですから。その代わり、校門で待っていてくださいな。代わりに言っておきますから!」
あれはあれで怖い。
糸があるのに、何故あんな行動が取れるのだろうか。マキナは赤い糸を生きてから死ぬまでの行動表だと言っていた。だから特定の行動や思想を強制させる力がないのは分かっているが、それはそれとして今まで見てきた人間は全員が目に見えたテンプレートに沿って生きているから、正直今でも信じられない。
兎葵も、未紗那先輩も、糸に繋がっているのに他と違うなんて。違ったのは結々芽も同じだが彼女は『部品』のせいでおかしくなっていただけとも考えられる。
―――なら二人も?
「お待たせしました!」
校門の端で待機していた俺を覗き込むように未紗那先輩がやってきた。ここに来るまでに髪型を変えた様だ。ハーフアップになった先輩からは令嬢のような気品を感じる。
「……何で髪型を?」
「気分です。調子が悪いって事で早退が認められたので行きましょう」
「……証拠もないのにですか。素行が悪いんですけど俺」
「マスクしてて良かったですね?」
事後報告も程々に俺達は歩き出した。白い糸のせいで忘れそうになったが俺は現在嘘を吐いている状況だ。冷静に対応しないと俺の方も墓穴を掘りかねない。せっかく関心は引けたのだから注意して情報を集めなければ。
「式宮君はどうしてあんなに取り乱していたんですか?」
詰んだ。
注意とかそういう次元の話ではない。虫がいたから、で誤魔化せるような取り乱し方ではなかったし、もしあれを虫の仕業で片づけるなら一貫性の原理に基づき次からは火炎放射器で近くの植物を燃やす作業に入らないと。
「…………さあ。よく分からないですね」
「私には苛ついてる様に見えました。式宮君には……何か悩みでもあるんですか?」
先輩の後ろ姿からは何も読み取れない。精々髪質が綺麗だとか腰がくびれているだとかハイソックスの良く似合う綺麗な足だとかその程度。全てを分からないで片づけるのは苦し過ぎるので、いっそ真実を小出しにした方が疑われずに済む……か?
「……悩みは、ありますよ。誰にも理解されない悩みがね。俺は親切が嫌いです。ちょっとした手助けで恩人面してくるような奴等が心の底から大嫌いです。本当に俺を救ってくれるって言うなら、この悩みを解決してほしいもんですよ」
「でも誰にも言っていない。違いますか?」
「…………誰にも理解されないのは分かりきってます」
「誰にも? 全員に試してもないのに?」
「試す意味が無いから言ってるんです。客観視が求められる問題じゃない。特定の人物にだけ見えて他の人には見えない。それを片付ける便利な言葉があります。幻覚です」
どうせ幻覚として処理される。それが本当に幻覚だったとしても見えてる人間にとっては現実で、だから精神的に追い込まれた人間に対する共感は本当に難しい。俺に理解を示してくれた人は昔出会ったあの人と、マキナの二人だけ。だから俺は―――特に心を許してしまっているのだと思う。
後者こそどう考えても、警戒すべき妙な存在だというのに。
「因みに、何が見えてるんですか?」
「教えませんよ。だって先輩も嘘を吐いてますから」
流れでつい問い質してしまった。何事もなく歩いていた先輩の足が止まり、視線だけがこちらに向けられる。
―――やったなあ。これ。
糸について突っ込まれるのを嫌った結果が自滅とは。
「―――嘘とは?」
「一人一人に聞いて回る意味が分かりません。病院がどうとかこうとかなんてそれこそアンケートでも作って配ればいい話です。たまたま俺が病院に行った経験があるから良かったものを、そっちの方が手っ取り早い。それに人として見過ごせないって言いますけど、学校に被害が出てないなら放置しても問題ない筈です。少なくとも他の奴等は普通にそうしてます」
「それは……生徒会の人間として見本を示さなければとッ!」
「見本? なら、教師が生徒を犯してる話とか、この学校で殺人が起きた話にも目を向けてほしいですね」
何もかもなかった事にして。見なかった事にして。結々芽を付け上がらせた罪は学校にある。清く正しく美しくが生徒会の掲げる在り方だが、それならマキナよりも早く対処して欲しかった。先輩が再び歩き出したので俺もついていく。病院の頭が見えてきた。
「―――ごめんなさい。確かに私、嘘を吐きましたね」
謝罪。
罪について謝る。認める。善行じゃないと認識する。そんな当たり前の行為に、怯んだ。弁明もなく全てを認めてしまうなんて、善人らしくもない素直さだったから。
「本当は最初に言っていた通り、式宮君に用があったんです。式宮君にだけ用がありました」
「…………つまり本当の用件は別にあると?」
「いいえ。用件は変わりません。単に気になっていたという意味で受け取って下さい。驚きはないと思われますが、『君』は校内ではちょっとした有名人なんですよ? 主に素行不良の側面で」
「……それで?」
「ここ一か月の君を調べた所、君は自分で言ったように誰かの手助けに対して過剰な拒否反応を見せていると分かりました。それは普通の反応ではありません。原因についてはともかく、たった今確証を得ました」
「だって式宮君。『死体』を認識しちゃってるんですから」
病院に到着した。
今度は両者が足を止める。
「君は普通の人間じゃない。君も普通じゃない。お互い様です…………しかし、警戒はしないで欲しいですよね。君の敵というつもりはないんです。むしろどちらかと言えば味方で、本当に気になったから、声を掛けたんですよ?」




