月夜に響く救世の恋
「ごめんね」
白い天井、白いベッド、包帯だらけの身体と鈍り続ける思考。冴え渡らせたのは、あの日聞いた鈴のような声。カーテンの先には、人影があった。
「私のせいなんだ」
「信じてもらえないと思うけど、私。昔は神様だったの。今はそんな力殆ど残ってないけど、でも君の身体にあった異物が反応した。その異物は、昔の私と同じだったから。知らなかったけど、君の人生を滅茶苦茶にしたのは私。ずっと謝ろうと思ってたけど、ごめんね。こんな形でしかいえなくて」
スーお姉さんが、カーテン越しに立っている。あの日以来、夢の中でしか会えなかった人が現実に居る。いや、ここは現実か? だが俺が居る場所は紛れもなく―――病院だろう。
声は出せる。言語にも不安はない。だが身体を動かそうとすると痛みが楔となってそれを許さない。カーテンはすぐそこにあるのに、俺はこの仕切りを通してしかあの人と話せないのだ。
「…………気にしなくて、いいよ。お姉さん。だって俺は……貴方のお陰で、大切な存在と出会えた。神様とか幽霊とか……信じてないけど。アイツ等と同じって事なら信じるよ。ちょっと、似てるし。浮世離れしてる所とか」
「……恨まないの?」
「恨まないよ。夢の中でお姉さんに言われたんだ。余計な力なんてない。自分が幸せになる為にきっと必要になる。俺は糸で満たされた視界にずっと悩まされてきたけど……結局ちゃんと俺の為になった。この力があったから……見つけられたんだ。世界でたった一人、幸せにしたい存在を」
「……………………そっか」
「…………ありがとう、お姉さん。会えて良かったよ」
「…………お礼を言われたの、初めてだな。うん。なら―――これからも、元気でね。バイバイ」
「式君!!」
カーテンがトモダチの手によって開かれる。立ち尽くしていた人影は、開いてみればそこに人の姿など無く。それがきっと最後の出会いだったのだと、俺に教えてくれた。
「諒子」
「怪我はない……いや、怪我、してるか。でも話せるの……良かった。良かった…………ぅぅ」
「…………髪、ちょっと伸びたな。俺はどれくらいここに居たんだ?」
「…………すん。すん。三か月」
人目も憚らず泣きじゃくる諒子を抱きしめて、思考を整理する。そんなに眠っていたのか。彼女が白の半袖を着るくらいには時間が経ってしまって……まだ少し気は早いが、とにかく世界は滅んでおらず、季節は巡りつつあるようだ。
「悪いけど、全然状況を覚えてない。説明してくれると助かるんだが」
「そ、それが私も知らないんだ。後ろから何かに襲われて……目が覚めたら病院に居たんだ。詳しそうな人は――――――居るが、驚かないで欲しい、な」
「…………?」
諒子は病院の廊下から誰かを引っ張り出そうとしている。力関係は全く拮抗していない。彼女の方が引きずり込まれて、口論になっていた。声のする方向をぼんやり眺めていると、諒子が涙目になって俺に縋りついてきた。
「無理っ。アイツ、馬鹿力だ」
「ええ……」
「馬鹿力とは何ですか。酷い言い草ですね。恩人に対する言葉ではありませんよ」
「――――――っ!」
驚くな、というのは無理だ。だってこの人は。俺を助ける為に死んだから。
「こんにちは式宮君。怪我はともかく命に別状はなさそうで何よりです」
「せ、せん…………!」
ハイネックでノースリーブのタンクトップ、上に迷彩柄のジャケットを羽織る未紗那先輩は俺の手が届く所まで近づくと、額に向かって強めのデコピンを打った。
「いたっ!」
「馬鹿! …………何で死んじゃうんですか」
「し、死んだ……?」
「……君を蘇らせる手段を教えたのはクデキさんです。『死』の規定がなければ蘇生は出来ないが、『生命』の規定ならば疑似的にそれが可能になる。ええ、共有の事です。私と君は生命の総量を共有していましたね。別にそれは一〇〇:〇の比率でも成立するんです。簡単に言えば―――私が死ぬ代わりに、君は生きる。君が生き続ける間、私は死に続ける。そういう実態です。その間に火葬なりされてしまうとそれこそ私は死んだままですが……そんな暇もなかったようですね。規定のリセットをかけるなんて」
「は。は? リセット……?」
「クデキさん曰く、規定が元々の所有者に戻ったらしいです。それでも『生命』によるリンクは途切れません。所有権だけが戻る。だから君が死んだ事でクデキさんは蘇り、そのクデキさんに改めて『生命』を譲り受ける事で私も蘇生しました。終わりよければ全て良し、なんて言いませんよ。君に死んでほしくなかったから助けたのに、無碍にするなんて」
「す、すみません」
クデキは最初から最後まで敵だった。にも拘らずその情報が嬉しいのは、俺に有珠の残滓が残っているからだろうか。先輩の言い分は信じるしかない。他ならぬキカイから聞いた情報を、間抜けにも気絶していた俺が何故疑わなければならない。
「まあ、いいでしょう…………不幸中の幸いということわざもあります。私は君をまだ諦めた訳ではありませんから」
「へ―――?」
「だ、だからあ…………その…………あ、そうだ! 喉乾きましたよね。諒子さん、付いてきてくださいね」
「え? 式君?」
「いや、俺は別に」
「乾きましたね!?」
「アッハイ」
「ですよね! そういう訳で行きましょう諒子さん! …………あ、そうだ。夜になったら屋上に来てください。その傷の様子だと動けるようになっていると思います。くれぐれも一人で、内密に。お願いしますね」
嫌がる諒子を引っこ抜いて、未紗那先輩は部屋を出る。この病室だけが異様に人の出入りがある訳ではなさそうだ。看護師や医者などが廊下を歩き回っている。そこまで被害が出る様な事があったかと言われたら、糸以外が認識できなくなっていたあの時が怪しい。妹は建物を崩して俺を潰そうとしていた。その過程で多数の怪我人や死者が出ても不思議はない。
犯人は現実でも、被害は事実だ。
こちらの方が余程幻影事件と呼ぶに相応しい気もする。どうせ犯人は捕まらない。絵にかいた虎を捕まえる様なものだ。
「………………」
身体を起こせるようになった。ベッドに凭れかかっていると、程なく二人組が病室に入ってきた。
「有珠希さんっ!」
「やあ、元気になったみたいだね」
カガラさんと、兎葵という珍しい組み合わせ。いや、そんな事はどうでもいい。二人にはそれぞれ聞きたい事がたくさんある。
「……その。有珠希さん。今まで、ごめんなさい」
「謝られてもな。俺はお前の兄じゃない」
「だから、その事です。兄だと思ってたから……私、甘えてました。それでずっと迷惑かけちゃって―――本当にごめんなさい!」
兎葵にここまで真摯に謝られたのは初めてな気がする。元々怒っていないからどれだけ謝罪をされても困るのだが、隣でわんわん泣かれるよりはマシだ。心なしかその表情も、記憶の中で見た頃に戻りつつある。鼻を赤くして口を結ぼうとする少女を、一体誰が無愛想と呼ぶだろう。
「まあ、許してやりなよ。私もほら、一緒に謝るからさ」
「カガラさんは何を謝るんですか?」
「いやあ……色々迷惑をかけたみたいだから。うちの上司も謝ってたよ。無茶言ってすまなかったって」
「…………別に、殺されるくらい迷惑の内に入りませんよ。俺はこうして生きてるんですから」
ハイドさんも、生きているようだ。あの状況でよく生存したなと驚きたい所だったが、今になって振り返ると心当たりはない事もない。『傷病』の影響を含ませた注射器が二本空になっていた。俺の傷を治すのにわざわざ二本も使う意味はないので、残る一本の使い道は……そういう事だ。
「じゃあ私……もう行きますね。これから有珠兄のお見舞いにも行かなきゃ」
「……有珠も、生き返ったのか? 俺が生きてるのに」
「『意思』の規定が戻って来たそうなので。それを使ったみたいです」
――――――?
何だって?
「あの、有珠希さん。こんな事聞くのも変なんですけどっ」
「ん?」
「クデキさんと有珠兄が二人きりで遊んだりする時―――暇なので、遊びに行ってもいいですか?」
こくりと頷くと、兎葵がかつて見せていたような笑顔を弾けさせる。
「やった! じゃあ、行きます! バイバイ、有珠希兄さん!」
病院の中を走り抜ける兎葵。残されたカガラさんは気まずそうに後頭部を掻いて俺と視線を交わし合った。
「やあ~参ったねえ。あの子を連れてくれば会話しやすいと思ったんだけど、存外自由だった。いいや、でも十分かな。私も、君が無事であると分かって安心したよ。肩の荷が降りた……かはともかく。安心してる」
「―――貴方は、どっちですか?」
ゴスロリ服の天使は、背中を向けて去っていく。
「……私は『篝空逢南』だよ。どっちなんてない。今までもこれからもそうやって生きていく。そう決めた…………何もかも元通りとは、いかねえ。てめえの気持ちには、てめえで向き合わねえとな」
夜が更ける頃には、本当に歩けるようになっていた。先輩の言葉通り、誰にも言わず、気づかれずに何とか屋上まで上がって来た。「一緒に寝る!」と言ってきかなかった諒子の感覚を出し抜くのは一筋縄ではいかなかったが、後はちょろいものだ。受付を抜けるのは苦労したが。
正常になった視界で、月を見上げる。雲一つない空には、大きな大きな満月が広がっている。幻想のような景色に見惚れ、屋上の端に座った。
―――先輩、人を呼びつけといて来ないとかマジかよ。
「こんばんは。不思議なニンゲンさん」
見ず知らずの人間に挨拶をする様な、そんな言葉。およそ二度目の挨拶で、しかし。その一言には狂おしく鮮烈な親愛が込められていた。
振り返れば、そこに居る。月明かりに照らされた金色の髪は財宝の様。瞳を象る月は光を白く反射して俺に返している。空高く浮かぶ星よりも、それは遥かに輝かしい。糸のない清浄無垢な景色に色づく彼女こそ、閉月羞花を体現した運命的に美しい女性。
「……楠絵、マキナ」
マキナは俺の隣まで音もなく歩いてくると、肩を寄せるように座って、同じように月を眺める。
「式宮、有珠希」
「……何だ?」
「言ってみただけ」
「そうか」
反対の脇腹に手を回す。彼女は俺の方に身体の正面を向けて、しっとりと微笑んだ。
「貴方に気持ちの全てを伝える方法、最後まで分からなかったわ。だから、試してみたいの。幾つも幾つも。思いついた端から」
病院に眠っていた俺。
見舞いに来てくれた知人。
糸のない視界はこんなにも現実的だったのに、彼女の存在一つで再びこの身体は非現実を認める。何処までも共に居ると約束した、幻想に契りを結ばせた。それが俺の、たった一つの願いだったから。
彼女の眼を見ていると伝わってくる。二人の心が融けて統一され、共有され、互いに分配される感覚が。全身が灰になりそうな程熱い。お腹で爆発が起きているような、あまりにも制御しがたい衝動に神経が蝕まれていく。
「ニンゲンらしくなくても。キカイとして。私、貴方に触れたい。救世主を愛したい」
「……だったら俺も、人間としてお前の全てを愛す。この世界でただ一人だけの、俺の救世主」
二人の手を、小指を赤い糸が繋ぐ。残った手で互いの触りたい場所に触れながら。
永遠の誓いを、交わした。
TRUE END 月華の誓い
という訳で、お疲れ様でした。これにてエクス・マキナも救われたいは完結でございます。




