無垢で無辜な無機の灯
「…………一体目、だと?」
「クデキは確かに幻影事件より前に顕現していたけど、僕はそれよりも遥か昔から―――ずっと人類と過ごしてきました。何千年と時を跨ぐのは難しいね。時代と共に服装が移り変わり、情勢が変わり、根本が変わる。かつて敵討ちは正当な行いとして認められていたが、今となっては単なる殺人罪。不自由な事が多かった恋愛も、今やその殆どが自由だ。人間はなんて早い進化をするのだろう。とても、とても興味深い事だよ」
「…………そのお前が、何でここにいる? マキナと諒子は何処に行った?」
「別に殺してやいないよ。それと僕がここに居る理由だが……君を救う為だ」
「は?」
「そもそも君が関与していた理由は、僕らの権能の根幹である部品にある筈だ。残念ながら、そこで消去された少女はただ一つを除いて保有していない。残る全ての部品は僕の身体の中にある」
むくろは身体を見せびらかすように手を広げるが、今の俺には何も視えない。あろう事かマキナから借りた力は奪われ、『意思』の規定から生まれた歪みは彼に治療されてしまった。それに感謝する道理はない。取引中の相手が入れ替わったまま履行されても、それは正常な進め方ではないだろう。
ただ普通に相手の姿が視える。こんな当たり前が、今はどうしようもなく憎らしい。
「そう殺気立つなよ。一般人とは随分程遠くなった物ですね。僕が全部集めてなきゃどんな地獄を見たか」
「黙れ。さっさと返せ。俺を救うとかいう建前があるなら、それくらいしろよ」
「そうしたいのは山々だが、僕にも使命がある。大いなる自分の為に、この世界を観測するという役割がね」
「……お前も知ってるのか」
「知った上で役割を継続している。僕らの存在意義はその為にありますからね。観測と言っても様々な形があるけど、部品があればその多様なパターンを観測出来る。水が全て蒸発した時、人類はどうするのか、星の環境が変わってしまった時、どうするのか。極端なパターンから緩やかなパターンまでよりどりみどり」
「んな事したら人類が滅ぶぞ」
「滅ばない様に手助けはしていくつもりだとも。手助けをしてやればどんな風に動くのか、何処まで手助けをすれば違うパターンを観測出来るのか…………試し甲斐がある。僕の力を以てして、ようやく願いを叶えられるという人間は大勢居ますから」
むくろの姿が背中に回り込む。一般人になり下がった俺に恐怖など無いのだろう、無警戒にゆったりと歩いて語るのをやめない。彼の発言が本当なら、ナイフ一本で立ち向かえる弱っちい敵とは程遠い。マキナが失った部品の全てがあるというなら、核弾頭でも足りないくらいだ。
「例えば、より多くの人間を救いたいという願い。例えば、相手のダメージをコントロールして思いのままに支配したいという願い、例えば、想いの届かない好きな人を食べたいという願い」
「………………お前ッ! それって―――」
「例えば、皆に愛されたいという願い、例えば、いつ何処に居ても好きな人の傍に居たいという願い。君やマキナが踏み躙ってきた希望だ」
結々芽の『拾った』という発言に対する反応や、廉次の『使命』という発言。特に使命とは与えられた任務の事を指している。稀に居るんだか居ないんだか分からない謎の存在から使命を受け取り自発的に行動する人間はいるが、ここで廉次の事が示唆されるならその可能性はない。奴はむくろに助けられる形で、こゆるさんに部品を渡していたのだ。
むくろのスタンスから察するに、元々廉次は本当に善良だったのだろう。それが妹の身勝手やクデキの過剰な社会構築により世間が歪んだ事で善性に変化が生じ、その時に背中を押された。部品は使用者に全能感を演出する。何でもできると思ったなら、より多くの人間を救いたいと思っても不思議はない。
強すぎる力には相応の責任が伴う。人間社会に無縁なマキナには関係ない事だったが、救世主になれてしまうかもしれない力を得た一般人にとって、それは使命でなければ耐えられない物だったのかもしれない。
「僕は、責めてなんかないぜ。それはそれで観測のしがいがある。どんな力があっても叶わない願いがあるのも、また人類の無常さだ。それはそれとして、機怪と人間が相思相愛になるなんて初めて観測した。僕としては君達の行く末を見届けたい所です。悲恋で終わるのか、それとも末永く、あの子に支配されるのか」
「支配……だと?」
「人間には感情が目で視えないだろう。いや、失礼。さっきまで君には視えていたか。視ようとしなかったか。彼女の感情は、今や個人が背負える量ではない。質量で比較しようとすると太陽系と肩を並べつつある。このまま君が肯定し続ければ―――爆発するだろう。どんな手段、何が起きても君を離そうとするまい。その時彼女を嫌いになってももう遅い。死は万物の終着点だが、君にとっては違う。終わる事さえ許されない。死も、君のような事故物件を引き取りに来る事はないだろうが」
「…………」
「爆発が何を意味するか、一応言いましょうか。彼女の認識は君とそれ以外に大別されて、それ以外が全て排除される。僕や大いなる自分にとって、それは非常に不都合な行為だ。人類などと、とてもとてもグループでは括れなくなる。君は最後の人間になってしまうんだ」
「……矛盾してる。見届けたいのに不都合なのか」
「これが葛藤という感情だ。そこで僕は妥協案を見出した」
「断る」
むくろは飽くまで喋るのをやめない。俺のことは喋る壁とでも思っているのか。
「あの子の部品を全て頂く。代わりに、中身を全て人間で補填しよう。機怪と人間の恋愛でなくなるのは残念だが、彼女に巣食うは恋の病。それは僕のような第三者には救済出来ない代物だ。割り切りも大切だよ。悪い話ではないと思うんですけど、どうかな?」
「絶対に断るって言ってんだろ。大体、さっきから身勝手な要求なんだよ。何だ、キカイは全員我儘なのか? 妹が不意打ちでバラした部品を全部掻っ攫った癖に取引とかふざけてんのか? びっくりしたよ。まさか『認識』の規定がなくてもメサイア・システムが機能不全でも善人面する馬鹿がこの世にいたなんてな。じゃあお前、何で視界を奪ったんだ? 赤い糸で自分を視られるのがそんなに都合が悪いか?」
「交渉のテーブルは実力行使を抑えて初めて生まれる。僕は君と彼女を観測したいが、君を実力で従わせれば違う結果になる。一方で君は、この力がなければ僕をどうにも出来ない。どうやら『意思』の規定も機能が落ちている様だ。存在証明を切るなんて、人間には過ぎた行いだったんだろう。これではお互い交渉するしかない。だろう?」
「そうかそうか。頷かないと話は進まないってか。じゃあ駄目だ話にならない。まず、マキナが危ない奴だってのは重々承知してる。アイツがそんなに危なくなるなら身体を張って止めるよ。惑星がどうとか知らねえよアイツの欲望くらい一人で受け止められなきゃ俺だって好きとか言わねえんだ。何千年も人類を見てて、そんな事も分からないんじゃ盲目だな。本体に還れ」
「ただの人間に、そんな真似は不可能だ」
「観測したいって奴が端から不可能を決めつけるなんておかしな話だな。そこまで自分のシナリオ通りがお望みなら新しい交渉の筋書きをくれてやろうか!? よく聞けよ、今から俺とお前は殺し合うんだ。俺が勝ったら部品を全部よこせ。お前が勝ったら望みどおりにしてやる。こんな単純な交渉ってないだろ? お前は呑むよなッ! 呑まないなんて言わせねえからな!」
クデキは俺に『意思』の規定を託した。最終的には俺を『式宮有珠希』と認めた上で、託したままで活動を止めた。
未紗那先輩は、俺に生きていて欲しいと思ったから、自分の生命と引き換えに俺を助けた。
俺は『式宮有珠希』だ。他人の意思に介入し続けた者として、生きるのを望まれた人として、簡単に意見を曲げる訳にはいかない。
「交渉とは、対等であるべきです。僕とその条件で交渉するのはあまりに君が不利だ。むしろ君が呑まない方が良い」
「じゃあお前、呑むんだな!?」
「―――はあ。不合理だ。分かった、呑もう。その前に一つ聞かせて欲しい。これが最期の観測になるかもしれないからな。何故マキナを好きになった?」
「好きだから好きになった! お前が目障りだから殺したい! 一緒に居たいから守る! 理由なんてそれくらいでいいだろッ! 祭羽むくろ! 見せてやるよ、俺がどんなにアイツが好きかってのを!」
「―――なら期待してみよう。君の力で、僕に愛を証明してみせろ」
俺はナイフを心臓に向かって突き刺して―――最後の機能を、強引に解放した。
「ワレハ『意思』ヲ統ベルモノ」




