善く染まった悪の花
人気投票中です。
全てが明らかになってみれば、構図は何も変わらない。俺の名前は式宮有珠希。羽儀有珠でもあり、別人でもある。だから兎葵は妹だし、牧寧も妹だ。俺の苗字を考えてみろ。式宮兎葵なんて人物はいない。だからどちらも俺の妹で間違いない。
悩む事なんて無かった。悩むべき場所ではなかった。本当に悩むべきなのは、もっと別の事。俺が兄貴なら、とんでもない事をしてくれた妹にどんなケジメをつけさせるべきなのか。
約束通り、クデキとの闘いが終わったので家に帰ってきた。ここは自分の家だが、何となくチャイムを押したい気分に駆られる。だがそんな他人行儀は駄目だ。どんなに駄目な妹でも……家族なのだから。
玄関の扉を開く。歓迎される事はなく、式宮牧寧は窓の外から無人の景色を眺めていた。
「…………何処に行ってたんですか?」
「静養してた」
「でしたらここでよろしいではありませんか。何故私の『認識』出来ない場所に行ってしまうんですか?」
「…………しょうがないだろ。だって俺には、好きな人が居るんだから」
「……」
これは出発前にマキナが教えてくれた事だが。単なる人間が『規定』を長い間所有すると精神が汚染されていくそうだ。だから今までの所有者はおかしかった……と言いたいのではない。そもそもあれらは一年も所有していない。強すぎる力に気が大きくなっていただけだ。唯一当てはまりそうな先輩についても、規定に寄生されるという奇妙な状況だった事から当てはまっていたかは怪しい。俺と出会うまで何の躊躇もなく人を殺せる精神性がその結果だったと言われればそれまでだが。
全然それはそれで不思議な事はない。キカイの正体は月に潜む正体不明の怪物、そんな異物を抱えておかしくならないなんて、その方が不自然ではないか。
「―――私、ずっと我慢してたんです。兄さんが何処に行こうと、どんな事をしようと何も言わずに。いつか必ず私の元に戻ってくると信じていました。私、良い女じゃないですか。待って、待って、待って、待ち続けて、願って、願って、願い続けて―――いつから気が付いていたんですか?」
「いつからも何もないだろ。俺の意識はお前に改定させられて、どんな事があっても怪しめないようになってた。まあだからこそ……お前も油断してたのかもな。大きな違和感を一瞬だけ感じたのは、お前に兎葵の事を聞いた時だ。引っ越す前と後で、俺はお前に兎葵について二回聞いてる。でもお前は何も言わなかったし、俺も最初は気付かなかった。そりゃそうだ。兎葵について詳しく語ろうとするとボロが出る。だから聞かなかった事にした」
「そうですか。他には?」
「『傷病』の規定の部下? が家に来た時、お前は隠れてやり過ごしたって言ったな」
「言いましたね」
「それ、無理だろ。あの時は頼まれれば何だってするんだ。両親だって例外じゃない。お前が隠れてても部屋からは出てないんだ、うちの家には秘密基地みたいなのもなければ屋根裏もない。隠れるのにだって限度がある。見つからない訳がないんだよ。もしそれが可能なら―――お前はそもそも自分を『認識』させなかったくらいだろ」
規定は規定で上書きが出来ない。だが『傷病』と『認識』に関連性はなく、見つけるには人力で何とかしないといけなければならない。言いなりの家族の力を借りた所で無意味だ。牧寧は俺と同じで、この世界が偽りだと知っている人物なのだから。
「…………一緒に寝る口実が、裏目に出るとは」
「後はそもそもの話。根本的にさ。おかしいだろ。幻影事件で経済は滅茶苦茶になってて、倫理もおかしくなってんのに、俺とお前の周りはまるで平和だ。事件なんて何も起きやしない。考えれば考えるほどお前は隙だらけだ。でも気づかれない自信があった。『認識』の規定はそういうもんだもんな」
「―――だけど、貴方には完全に通用しなかった」
それは何故か?
『意思』の規定が歪み、俺にもう一つの能力を獲得させたからだ。これは正真正銘、クデキからの贈り物ではなく、何らかの原因で発生した俺の力。発端が規定にある以上、この赤い糸は『認識』では覆せない。
そしてこの運命の赤い糸こそが、俺とマキナを遭遇させてくれた。
「…………兄さん。何でこんな事をしたか、分かりますか?」
「……何でだと?」
「どんなに周囲が平和でいられなくても、私の周りだけを平和にした理由。それと、会う人会う人みんなが親切だった理由」
「…………理由なんてあるのか?」
何せそれらを放置した所で=牧寧に繋がる訳ではない。それはただのあてずっぽうだ。理由があっても、俺から推理するには材料が足りなさすぎる。牧寧がゆっくり振り返って、俺の双眸に向けてニコリと微笑んだ。
「その方が、都合が良いじゃないですか」
「……は?」
「私の事を思い出してくれたなら、もうお分かりですよね。兄さんの事、好きなんです。妹としてではなく、一人の女として。だからこれまでの計画は全て、私と兄さんが夫婦になる為の仕込みだったんですよ。ご存じですか? 末永く幸せな結婚生活には親切な隣人が必要不可欠。私の筋書きはこうです。兄さんは私の家族に虐められている可哀そうな人。私だけが親切をして、その結果兄さんは私に禁断の思いを抱くようになります。後は一緒に寝るようになって暫くしたら、私の方から少しだけ隙を見せてあげるんです。するとあら大変、兄さんは衝動が抑えきれなくなって私を押し倒してしまいます。私はそんな兄さんのイケない気持ちをそっと包み込んで―――それで、男女の一線を越える。後はもう……言わなくても分かりますね? 兄さんは責任を取る方ですから、子を孕めば自ずと私を守ろうと動いてくれるでしょう。その筈でした。その筈だったのに……駄目でしたね」
「―――両親を殺したのは、クデキじゃないな?」
「あら、どうしてそう思うんですか?」
「アイツは無暗に人間を殺したりしない。那由香だって……やっぱり殺す理由がない。二人暮らしの願いは叶ったんだから、手を出す必要なんてなかった筈だぞ」
親切な隣人でさえない、何処の誰かも知らない人間で終わるなら殺す意味なんてない。クデキは確かに両親の頭を踏み潰したが、直前のアイツの発言は今にして思うと引っかかる。
『…………俺は、気分が悪い。何も聞かずに帰るなら見逃してやってもいい。良かったな、シキミヤウズキ。本来であればすぐにでもお前を殺したい所だが、良かったな。守られていて。さあ、早く帰れ。俺にはやらなきゃいけない事がある』
『…………何も聞くなと言った筈なんだがな。どうやらお前は死にたいらしい。そうさな、ではそれらしく答えてやろう』
『ああ、その通りだ……これで満足か?』
最初の発言だが、守られているというのはマキナではなく目の前の妹に掛かっている。見逃そうとしたのも、彼女との取引を考慮したのだろう。
二つ目の発言は俺が奴に幻影事件の犯人かを聞いた時の発言。『それらしく』というのは妙な語彙だ。振り返ってみると、奴は俺を焚き付ける為に敢えて問いを肯定したのだと思う。『それらしく』の真実とは、お前の求める返答をしてやろうという意味だった。そうでなければ「これで満足か?」なんて言葉は出てこない。
「…………そこまで深く考えなくても、理由なんて大した事ありませんよ。虐めたからです」
「は? お前がやらせたのにか?」
「……いいえ、私を」
「…………は?」
「表向きは問題なくても、私の家庭は最悪でした。何故貴方を兄さんと呼ぶのかと言われたら、あんな人達を家族と思いたくなかったからです。それは兄さんと兄妹になっても変わりませんでした。これが『認識』の限界なのでしょうか。家族じゃない人間を無理やり家族と認識させようとすると、どうしても何処かに皺寄せが行くんですね……兄さんと結ばれる手段に過ぎないと割り切っていましたけど、自分のされていた事を傍目に見るのは不愉快です。だから殺しました。殺させました? どっちでもいいか」
「那由香には……あんまり何もされてないが」
「あの子は気付いちゃったみたいですね。うーん、この力を使いこなすのは結構難しいみたいです。兄さんが外出して二人きりになった時、あの子に問い詰められましたよ。何で両親を殺したのか、何で知らない人を兄と慕ってるのか。あれはお姉ちゃんの好きな人でしょ。兄妹になるとか気持ち悪くないの、なんて」
心当たりはある。
那由香の部屋にあったアルバムは、装丁だけを替えて彼女の部屋にあった物にすり替わっていた。引っ越しの際、牧寧が残したのを見つけてしまったのだろう。
「あの虐待は」
「あれは兄さんと私の皺寄せですね。那由香ったら反抗したんでしょう。私達が引っ越した時、残った家族には他人を見るだけでも不愉快になる様にしましたから。おや、こう考えると私って被害者ですね。可哀そうです。兄さん、保護してください。可愛い女の子、保護したくなるでしょ?」
「…………いいや、お前は絶対に被害者じゃないよ。だって」
「兎葵を一人ぼっちにさせたのは、お前なんだから」
家庭の問題がどうとか。そういう所は被害者かもしれないが、これだけは絶対的に加害者だ。牧寧は自分の為にアイツから有珠を奪い、何年も一人ぼっちにさせた。アイツは家を失い、家族を失い、妙な力と視界を持たされたまま生き地獄を味わった。それらは決して、孤独を癒さなかった。
「…………ふ。フフフフフ。だって、羨ましいじゃないですか」
ポケットのナイフを取り出して、既に構えている。彼女は恐れようとしない。そこに何もないかのように近寄ってきて、ゆらりゆらりと身体を揺らす。
「うさぎちゃんにはもったいないじゃないですか。だって素敵な家族、素敵な環境、何よりうさぎちゃん本人が可愛い! 何でもあるなんてズルいですよね。だから一つくらい貰っても、いいですよね?」
「一つどころじゃないだろ。アイツは家も両親も失ってるんだぞ」
「幻影事件は私の知った事ではありません。失ったのは皆平等です。自分だけ被害者面しないでください」
それは、どういう自己紹介だろう。自分を憐れむ様な人間が、他人を相手にすると被害者面をする。自分だけ被害者面。可哀そうなんて、妙だろう。ただ守られたいから、得をしたいからというだけでさも弱者を装うのはあまりに不誠実だ。
「……………一つだけ、言ってもいいか?」
「はい、どうぞ?」
「俺はまだお前を妹だと思っている。その上で……お前を好きになる事はない。俺の好きなタイプの女の子は――――――もっと誠実だからな!」
ナイフを大きく振りかぶり、牧寧の首を掻き切る。
一瞬の迷いもない綺麗な一撃。自分でも驚くくらいその首はあっさりと切断された。
「…………いいよ、もうそういう化かし合いみたいなの。もうお前には騙されない。お前なんかよりよっぽど輝いて美しいモノを知ってるから」
背後を振り返ると、玄関を塞ぐように牧寧が嗤っていた。
「そうですか。ならばもういっぺん……死んでみますか? 私には勝てないのに、哀れに足掻く可哀そうな兄さん。教育し直さないといけないみたいですね?」




