楔は眠り、終焉へ
「そういう……取引?」
「少し味わっていけ。お前にはどうやら有珠の記憶が残っているようだ。俺の記憶と合わせれば完全な物になる」
経過は……偽妹の手で殺害された後だ。彼女は何処へか姿を消してしまい(誰も見ていないのだろう)、暫くするとクデキの虚像が病室に戻ってきた。
『………………有珠!』
クデキは露骨に慌てた様子でベッドに手を突き、俺の呼吸を確認する。当然即死だ。追体験している俺は関係ない。
「当時の俺は、考えが混んでいた。俺にとって有珠は大切な存在だった。それだけではない。兎葵の方はどうなる。有珠は常々アイツを心配していた。自分が買い出しに行っている間に兄が死んだなどと……それはあまりに無惨だ」
「だから、お前は自分の部品を使って俺を作ったのか?」
「順序がある。この後、俺は『死』の規定を奪いに己の元へと向かった。だが万物の終着点を弄る規定は隠されていた。奪ったと思ったそれは『認識』で、俺にとってはハズレだ。これでは蘇生が出来ない。となれば俺に出来るのは命を作る事のみだ。ちょうどこの時、幻影事件は起きている真っ最中だった。あれは人間のコピーとオリジナルを争わせただけの不毛な戦争。教材はそれで十分だ」
「……は? ちょっと待て。その言い方だと、まるでお前が犯人じゃないみたいな……」
「俺の立場がどうであっても関係ない。幻影事件から着想を得て俺は幻影と同じ方法でコピーを作ったのだからな。死体は隠さねばならないが、それでも良かった。兎葵さえ悲しまないのなら」
「……分からないな。なんでお前がそこまでアイツを大切にするのか。赤の他人だろ」
「有珠が大切にしているのだから。それ以上の理由はない」
セピア色の現実が切り替わる。クデキの補足を信じるのなら彼は既に規定を手にした状態でここに戻ってきたが……そこに遭遇する形で、再び牧寧が座っている。
奴の補足通り、その隣にはじっと目を瞑って動かない俺の姿があった。セピア色の中には俺が二人存在している。まるで見分けがつかない。今までの説明からすると、クデキの隣にいる人物こそが有珠希―――つまり、俺。
『……何だお前は』
『私、兄さんの事ずっと見てましたから。分かってるんです。貴方が普通の人間ではないって。それで? そこにいるのは兄さんですよね? 貴方が作ったんですか?』
『―――有珠を殺したのは、お前か』
『ええ♪ だって私の物になってくれなかったから』
「殺してやりたかった。俺にとって有珠は―――何だろうな。この≪カンジョウ≫は。俺はただ、アイツに幸せに生きてほしかっただけ。それを汚らわしい手で絶った女を許す訳にはいかない。いかなかった」
「殺さなかったのは……何でだ?」
「殺せなかったんだ。俺は己―――便宜上本体と呼ぶが、それに歯向かったんだからな。一時的にあらゆる機能を制限されていた。制限は数時間も経てば解除されるが、俺がここに戻ってきたのは歯向かってから一時間も経っていない。間が悪かった」
そして牧寧にとっては最高に間が良かった。普通の人間ではない事は分かっていても、キカイが自由に振舞えたならどんな理不尽を生み出せるかを知らないだろう。数時間のインターバル、それが彼女とクデキの交渉を可能にしたという訳か。
奴の虚像は額全体に青筋みたいな罅を浮かべながら牧寧を睨んでいる。殺したかったという言葉に嘘はないだろう。
『その人、下さいな。それと……その手に持ってるアンティークな鏡も』
『……視えるのか、これが』
『凄く私好みの鏡です。ですから、下さい。二つをくれたら―――ウサギちゃんは見逃してあげましょう』
『…………断ると言ったら』
『ウサギちゃんは死んで、私を選ばなかったこの人も、何処かに捨てちゃいます。こんな風にバラバラに……』
持っていた包丁を再度俺に突き立てようとした所で、クデキの虚像が声を荒げた。
『やめろ……やめろ! 有珠に手を出すな! そいつは普通に生きなきゃ駄目なんだ! ……頼む。やめてくれ。俺の親友、なんだ』
『普通に……どちらも死んでいるのに? クス、おかしなことを言いますね。やっぱり蘇生出来るんですね。でも残念、私にその手鏡を渡したら蘇生できなくなっちゃいますね。なら……ウサギちゃんだけでも助けないと』
牧寧はキカイの原理を勘違いしているようだが、何にせよ『認識』の規定と新たに作った有珠の身体を奪われるのではあまり関係がない。どちらのクデキも目をそらして、露骨に思い悩んでいた。
「……意思の規定をお前に与えたのは身体の核を担わせる為だが、ほんの反抗心もあった」
「反抗心?」
「知っての通り、幻影事件以降、世界はおかしくなっただろう。あれは俺を通してこの星に干渉し、全体の『認識』を改定したからだ。だが規定は規定を塗り潰せない。その力があれば奴の思い通りに動く事はないだろうとな」
結果的に、その期待は外れた。俺はマキナと出会うまで兄貴として思い通りの人生を送っていたのだ。クデキにも牧寧にも想定外な存在が文字通り全てを壊し、今日に至るまで俺という存在を支えてくれた。
頃合いを見計らって心臓を奪うという計画から言えば殆ど成功していた様な物だ。諒子があと少し来るのが遅ければ負けていたのは俺。有珠は息を吹き返し、俺は存在を抹消される。有珠が生きているなら、有珠希の居場所は何処にもない。同じ自分は二人も要らないのだ。
『………………お前は、兎葵に未来永劫手を出さず、その死体を俺に引き渡す』
『私は兄さんとの平和的な暮らしを、幸せな未来を。それ以外は何も望みません』
『……取引成立だ』
有珠の身体―――式宮有珠希が引き渡される。そして俺には見えない手鏡も、恐らく引き渡された。全くたまたま偶然、俺の妹は普通に部品が視える人間だったようだ。それは諒子も同じなので、あまり驚きはない。
『ウサギちゃん、襲われてますよ。助けに向かわなくて大丈夫ですか?』
『お前…………』
記憶の全てが掘り起こされ、無事に追体験は終了する。この後、クデキは兎葵を助け『距離』と俺の視界を共有させる。
「あんな物渡したから、兎葵はおかしくなったんじゃないのか?」
「……そうだな。だが本物の有珠は俺が秘匿している。死んだ事にはしたくないが兎葵の身を守る為にも会わせる訳にはいかない。苦し紛れの決断だ。それでも会いに行こうとするなら、数多の危険が兎葵を襲うだろう。だから俺はメサイア・システムを乗っ取った。奴の築いた『認識』に合わせずとも、メサイア・システムは元々人助けが信条の組織だった。今とはだいぶやり方は違うが、善人でなければ。誰かを助けなくては。そんな世界にはピッタリだ」
「……被害者のようで、結局共犯だなお前も」
「好きに言え。困っている人を見かけたら助けずにはいられない―――そんな認識と組織があれば、不自然に助けられても疑問に思う事はない。お前と共に成熟させた部品を回収するまで、アイツには無事に生きていてもらわないといけない。もしも困っているところを見かけたなら、組織から人員を向かわせればいいだけだ」
都合の良い認識も、メサイア・システムも、全ては兎葵の為。本人が聞いたらどんな顔をするだろう。アイツは色々な物を失ってばかりで―――すっかりひねくれてしまったが、まさか裏で自分が守られていたなんて。
そしてクデキの言葉からは、とにかく二人を助けたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。判断を誤ってばかりかと言われたらそうでもない。たった一人の為に一つの組織を乗っ取って世界全体を管理しようという心意気は、流石キカイというスケールの大きさである。
『未紗那先輩に認識』の影響が薄い奴を殺し回らせていたのもその為か。取引という体裁でありながら、いつでも先手を打って反故に出来るのは牧寧。『認識』の影響を受けざるを得ない状況から今に至る以上、クデキでは彼女に勝つ事が出来ない。
「………………………そろそろ起こせ。事情は大体分かったから」
「…………ふん。そうか」
片腕の感覚は繋がり、血は止まっていた。横を見ると諒子と兎葵に渡した鞄が置かれており、中に置いてあった『傷病』の注射器が二本空になっている。
「式君!」
「有珠希さんッ! 良かった……」
飛び込んできた諒子を抱きしめて背中を擦ると、彼女は静かに涙を流し、俺の中で嗚咽を漏らし始めた。ただでさえ病弱なのに、俺が起き上がってもこれだ。死んでいたら、いよいよ病弱では済まされない精神状態に陥っていたのかもしれない。
兎葵はというと、俺とクデキとを交互に見て、不安を拭いきれていない。切断された首は元通りに繋がれており、あちらはあちらで疲労など微塵も感じさせない佇まいで俺を見つめている。
「…………何で俺を助けた? 冥土の土産なんじゃなかったか?」
「兎葵にどうしてもと言われたら……これくらいはな。安心しろ、お前を許したつもりはない。これが最後の質問になる。何をするかはお前の自由だ。俺は絶対に止めはしない。命欲しさに逃げるならば追わないし、まだ戦いを続けたいなら俺を殴れ。これが俺に出来る最後の譲歩だ」
クデキは気怠そうに立ち上がると。
俺に向かって、深々と頭を下げた。
「頼む。お前の心臓を使わせてくれ。お前の中で生物の経験を積んだ部品であれば、心臓の代わりになるんだ。それで有珠は生き返る。頼む」
今のクデキに敵意はない。一人の人間を対等に見た上で、俺に交渉を仕掛けている。誰かさんと違うのは、呑まざるを得ない状況ではないという事か。
「お前、随分と勝手だよな。人のクラスメイトを消耗品みたいに扱っといて。カガラさんを殺しておいて。先輩を良い様に利用して! マキナの部品を奪っておいて!それで俺のお願いを聞けってふざけてんのか!」
「…………がぅ。違うんだ、式君」
「何?」
「私と兎葵は…………地下で、式君のクラスメイトを見た。皆―――生きてるんだ。その……部品? が、埋め込まれてて」
「私も見ましたよ。ていうか見た時に呼び出されたんですけどね。誰一人として死んでいません。体重がとても軽かったので体の中身はスカスカかもしれませんが、それでも生きてます」
「……………………まさか、お前」
クデキの部品が異様に少ない理由は。俺のクラスメイトを死なせない様にする為だった。あんなに人間を軽視していた奴がそんな真似をするなんて信じられない。だが俺のクラスメイトの人数が四〇人なので、辻褄は合う。キカイが幾ら部品を搭載しているかなんてマキナを基準にしか分からないが、筋は通る。
「…………何でだ? マキナの部品を使えばいいじゃないか」
「残念だが、俺はそんな物を一つとして所有していない。お前達の勘違いだ」
「じゃあ猶更分からない! 兎葵も有珠も関係ない! お前は人間に興味がないんだろ? ならどうして助けるような真似をするんだ!?」
筋は通っていても、人間には感情がある。俺が納得出来る理由がなくてはそんな善行認めない。たとえ諒子が保証していても、駄目だ。こいつは先輩に殺しをさせ、兎葵を一人ぼっちにしたキカイ。どんな理由があっても、俺はコイツを到底許せない。
「そんな事したら…………有珠に嫌われてしまうだろ」
言葉に詰まる。
子供みたいな理由、月に潜む怪物の分身とは思えない幼稚な発言。しかし俺には、それを否定出来ない。他ならぬマキナがそれを口にしていた。ただそれだけを理由に俺を守り、ニンゲンに加減をし、大人しくしていたから。
「俺は有珠を蘇らせる為にお前を殺したいだけだ。無意味に人間を殺す趣味はない」
「……………………駄目だ。お前の為には死ねない。真実を教えてくれたのには感謝してるけど、お陰でまだやるべき事が見つかったよ。その為にも―――死ぬわけにはいかない」
「ならば逃げるか?」
「いや、逃げもしない。この場は見逃しても、後で襲いに来られたらたまったもんじゃない。お前の行動理由は分かって来たけど、やっぱり俺達は相容れないんだ。だから決着をつけよう。お前を散々振り回してくれたこの因果に」
「…………らしくもない交渉などするべきではなかったか。何もかも時間の無駄だったという訳だな。残念だが、決着をつける必要もない」
クデキは自分の胸に指を突き刺すと、ネジでも回すみたいにグリグリと動かして、何かを調節する。最初に異変に気が付いたのは諒子だった。
「な、何だ? 指先から感覚が…………」
「え? ―――クデキさん! やめて!」
「もう遅い」
カチャン。
鍵でも外れるみたいに硬質な音と共に、俺の身体は瞬く間に血の気を失った。
「空気は『毒』。潜伏させるのに時間は掛かったが、終わりだ。これでようやく、有珠は蘇る…………」
「クデキさん!」
「有珠が蘇った後にでも俺を殺せばいい、兎葵。お前にその気があるなら受け入れよう」
「――――――やめてよ! もう兄は死んでるのに! これ以上私からお兄ちゃんを取り上げないで!」
「し…………き…………く」
規定は規定で上書きが出来ない。仮に注射器の中身があったとしても『傷病』で完治は難しいだろう。
「く………………そ…………」
長々と話をしてくれたのはこれが狙いだったか……! つくづく俺という人間も甘い。さっさと決断して行動すれば良いのに、何故話なんか聞いた。無意味にいら立ちをぶつけた。そういう所だ。そういう所を突かれたせいで……俺は負ける。
身体に力が入らない。『意思』の規定のしぶとさは苦痛を長引かせるだけだ。毒の空気が混じった血液が身体中を巡り、体内からこの身体を破壊していく。どうしようもないくらい時間が経って、それでも死ねなかったらどうする。呼吸が出来ない、瞬きが出来ない。身体が石のように固まって、間もなく俺は死体になる。有珠みたいに。
―――マキナ。
俺は帰らないといけないのに。
死んだらなんて、謝ろう。




