このセカイの裏側で
クデキは炎のような瞳を爛々と輝かせている。好機でもなければ歓迎でもない。憎悪でもなければ敵意でもない。純粋な殺意を焦がして、俺という人間を見つめている。いや、見ているのは俺なのか、俺ではない親友なのではないか。
「……クデキ。俺は月の獣を視た」
「…………! 碧花さんか。成程、お前に教えたのだな、その点については感謝する他あるまい。これでようやく、お前はキカイの何たるかを知った訳だ」
キカイ。機怪。
月を枕にこの星を観測する正体不明の怪物。クデキもマキナもその分身……或いは子機のような存在であり、その力が物理法則に従わないのはそれだけあの怪物が生物にとって規格外な存在という事。だが、人間を観測してくれているお陰で対話は出来る。それで平和的に終わるかどうかはともかく。
「お前を裏切ったからってあの人に手を出すなよ。関係ないんだから」
「そんな事、するものか。あの人は恩人だ。それに……俺が嫌いなのはお前だけだ。人間自体にそれ程の嫌悪感はない。何より裏切りとも思っていない。俺はお前を殺したくてたまらないが、それでも一応話し合いはするべきだと。そういうアドバイスだ」
「アドバイス?」
「お前がそれを知っているなら、隠す必要もないな。俺を殺すのは勝手だが、殺せばどうなるか。今度こそお前は侵略者になる。人の世に馴染まないでは飽き足らず、敵対する事になる。そこで俺の方から提案だ。黙って殺されてくれ」
「断る」
考えるまでもない、即答。何故なら俺は、死にに来た訳ではない。クデキの道理にどんな正当性があっても、それが自己の生存を脅かすなら否定するのみだ。俺達が生きている限り、それは本能として存在する。
「俺が死んだら、マキナはどうする」
「俺が責任を持って止めてやろう。たとえこの身を滅ぼしてもな」
「そうじゃねえよ。俺が死んだら、俺はどうやってアイツの隣に居られるんだ?」
話し合いとは一方が要求を通す場ではない。互いに要求を話し合い、譲歩を引き出す交渉の空間。それらの欠点は、譲る気がないなら無駄な時間を過ごす事だ。俺達は決して分かり合えない。昔の俺とやらを知る兎葵と、今の俺しか知らない諒子やアイツがいがみ合ったように、物の見方からして決定的に違う。
「マキナが危険なんて百も承知だ。でも危険じゃないマキナなんてどうかしてる。アイツはあれでいい。俺はそんなアイツを好きになったんだ」
「…………分からないな。アレを視て、まだそれを言えるのか」
「ああ、言えるよ。むしろ得した気分だ。アイツ自身も知らないような正体を、俺が先に知ったんだから。お陰様でこの自覚は正しいって気づけた。俺は心の底からアイツが好きなんだって」
ゆっくりと距離を縮めていく。いつでもナイフを出せるようにポケットに手をやりながら。クデキとの距離を少しずつ縮めて、今度はこちらから問いを投げてみる。
「俺こそ聞きたいな。お前は人間にそれほど嫌悪はないと言ったけど、じゃあ何で幻影事件なんか起こした? 人間が嫌いじゃなきゃ、やらないだろ」
「それこそニンゲンの思い込みだな。嫌いじゃなければ排除しようと思わない。そんな論理はお前達だけの物だ。特に理由がなくたって排除はするだろう。俺はニンゲンの様々な姿を観測する為に顕現した存在だ」
「人間の様々な姿? いいや、未紗那先輩から聞いたぞ。お前、人間に対して興味がなさそうだったってな。本当に観測したいならどんなに細かくても干渉するべきだ。お前は嘘を吐いている」
「……そうだな。だが今更あれを蒸し返してどうなる。大切なのはミライだ。過去はそれ程重要じゃない。そういう思想がお前を生かしてしまったのは誤算だがな……」
とにもかくにも俺にケチをつけたいらしく、クデキは俺の知らない情報を基にぶつぶつと文句を言っている。だから合わない。お互い、殺したい程憎んでいる。話し合いの余地なんて最初から無かったのだ。
「…………大切なのは未来ね。じゃあ聞くけどお前、俺のクラスメイトを何処にやった? それとマキナの部品も。俺としては、部品だけでも返してくれるならお前を殺す理由はなくなるんだけどな」
「……規定の所在を俺が言うと思うか? それと……クラスメイトだったか。あれは想定外の収穫だったな。まさかあんな事になるとは思わなかった」
「だから―――どうしたかって聞いてんだよ!」
「有珠の為に使った」
悪びれる様子もなくクデキが首を傾げて筋肉の凝りを整えるような動作をした。
「そうだ。伝え忘れていたな。兎葵を呼んでくれ」
「―――アイツは別の階に居るよ。ここには来られない」
「俺が許可する。呼んでくれ」
クデキの首に巻き付いた糸から辛うじて読み取れるのは、敵意の消失。少なくともこいつは、兎葵にだけは何があっても手を出さないのだろう。左眼に向けてジェスチャーで〘こっちに来い〙という合図を送ると、数秒も経たずに兎葵が俺の隣に並んだ。
「な、何ですか? 私が居ても足手まといだと―――」
「兎葵」
心を本能的に落ち着かせるような優しい声は、否応なしに緊迫した雰囲気を塗り替える。彼女が居なければ決して聞けなかったような穏やかな囁き。相手は敵にも拘らず、彼女には棘のある対応をする事さえ許されなかった。
「お前から見て右側。俺から見て左の扉の先に―――有珠が待っている」
「…………え」
兎葵は俺とクデキとを交互に見て、硬直した。俺に目線で尋ねられても、正直分からない。
「会いに行ってやれ……いや、そこで待っていろ。すぐに済む。全て終わる。何もかも元通りになるまで、もうすぐなんだ」
「ど、どういう……え? え?」
「敵意はないみたいだから行ってみろよ。どうもアイツは、お前には努めて手を出さないようにしてるみたいだ。理由は良く分からないけど……とにかく言う事には従った方がいい。マキナと同じキカイだ。急に不機嫌になったら困る」
「………………」
二人から背中を押されても兎葵は困惑しっぱなしだ。この場では一番挙動不審まであるものの、何とか扉の前まで歩いて行って―――開けた瞬間、今までの戸惑いが嘘のように飛び込んでいった。
「…………どういう事だ?」
「あの扉の先には、お前と同じ顔をした者―――有珠が居る。死んで幾年経つだろうか、だがあのキカイと共にいるお前なら、その程度で諦める俺達でないのは分かるだろう?」
まさか、と思考に直感的な電撃が奔る。
俺の察しが特別鋭い訳ではない。だってそれは、毒に侵されたアイツを救う為に俺が実際にやった事だから。
「……………臓器、か」
「そう。お前は有珠を救う為に作られたコピーだ。お前のクラスメイトもそれに近い。有珠が復活する為に必要な器官を、必要な血液を、必要な成分を。幾度も幾度も試して試して試し続けた。だがニンゲンは繊細らしい。どうしてもかみ合わない。無駄骨だった」
人間はキカイみたいに異常ではない。死んで時間が経ったなら死んだままだ。それをこいつは、同じ尺度でよみがえらせようとするあまり、悪戯に犠牲を増やし続けた。クデキの答えは、暗にクラスメイトの全滅を意味している。
彼らは俺のように体内器官を奪うだけ奪われて、適合しないからと放置されたのだ。人間は臓器があまりにも足りないとただただ生存出来ない。俺の場合、部品が身体に残っていたから無事だったというだけで―――
『俺は仕方なくお前にそれをくれてやったが、要らないというならそれもまた仕方がない。返してもらおうか』
本来死んでいる筈の俺が生きていられるのは、クデキの部品のお陰。つまりそれはこの部品に、疑似的な死者蘇生の力がある事を意味している。気になるのは何故『仕方なく』なのかだが、もう話している暇はなさそうだ。
「これ以上は、俺を倒してから聞く事だな。返してもらうぞ、その心臓を」
ナイフを取り出して、突き付けるように構える。
「やっぱり、話し合いなんか無駄だったな」
俺達には、互いに譲れない理由がある。その理由の優劣は客観的に付けられる物ではない。俺達はお互いに自分勝手で、誰か個人の為に、何としてでもお互いを殺したい。兎葵の知る俺と今の俺とが別人でホッとした。
これで俺は、心おきなくマキナの為に戦える。
「お前が居る限り、マキナをずっと困らせる事になる。だから―――俺の為に、消え失せろ」
「…………つべこべ言わずにかかってこい。全力で叩き潰してやる」




