欲しいミライに君はいない
先程まで銃を持っていた人間とカガラさんでは、決定的に違う事がある。それは身体能力だ。糸から先の行動を読み取り一手二手早く動けるのに、今までとは違って俺が防御に徹しているどころか。
「おいおい、そんなんじゃ私は殺せねえぞ?」
成す術もなく殺されているのが現状だ。常軌を逸した『振動』が触れるだけで体を崩壊させるから防御もままならない。攻撃を躱せば空を切る音が増幅されて身体全体に浸透。途端に五感が狂い、神経伝達が滅茶苦茶になり、その間に殺される。戦闘が始まって五分。事実上のゾンビでなければもう何度死んだか分からない。
「ガッカリさせんなよ~。なあ! よお!」
刃に当たらなくても死ぬので、とにかく武器全体の動きを観察しないといけない。既に人海戦術を圧倒的な無法で何とか突破したばかりだ。俺の眼にも限界が来る。
眼ガ、イタイ。
身体の訴えを意識が通して目を瞑る。次の瞬間、首から上の重さが一瞬だけ消えた。
「…………ぐっ。はッ!」
まがりなりにも先輩の相棒を務めていただけはあるか。いや、兆候はあった。あの華奢な身体で狙撃が出来るくらいだ。潜在能力が高くないと、とてもとても反動になんか耐えられないだろう。だが幾ら何でもこれはない。規定込みで、俺が遅れを取っている。
「ほぅらよ!」
正中線に向かって突き出された刃を防御しようと腕を突き出したが何の意味もない。俺の心臓はそのまま貫かれ、彼女の膂力で以て天井まで持ち上げられる。
「あ、が……ご…………」
「私はよお、このまま目覚めなくてもいいと思ったんだぜ」
「…………ぁ?」
「幸せな夢だったぜえ。お前と過ごしてる時間。素性の分からない自分に怯える日々を忘れるようだった。平和って奴さ。私には合わなくても、夢ん中ならそれもありだと思えた。だがお前は口を開けばキカイの事だのみらいしゃなの事だの。夢くらい自由に見させろよなあ!?」
薙刀の穂が下がったかと思うと、今度は勢いよく天井に叩きつけられた。パラパラとコンクリートが剥落し、内部の骨組みがむき出しになる。
「あんまりにも不愉快だからつい起きちまったよお! お前が嫌いすぎて、こっちは頭がどうにかなりそうだ! なあおい! 聞いてんのかよ。聞いてんならとっとと死ねよおおおおおおおおお!」
「ぐっ! ふっ! はぁッ! ごぉ!」
天井にピストンされる身体を、どうにかしようとは思わない。この状況を打破する手段は持ち合わせていないので、何とか口八丁でカガラさんに下ろしてもらわなければ。身体が空っぽで、ある意味助かっている。肺が無事なままなら喋れなくなっていただろう。
「…………何で、ハイドさんを。殺そうとしたん、だ…………?」
「……ああ? 知らねえよそんな奴。一々殺すのに理由なんかあるか。あるのはお前だけだぜ。へっへっへ」
「…………ムカツク。から?」
「良く分かってんじゃねえかあ!」
力任せに身体を投げられ、背中が地面に叩きつけられる。建物全体がグラグラと揺れ、局所的な地震が足元に響いた。未紗那先輩も身体がしょっちゅう欠損して大変だ。『生命』をリンクさせている以上俺が傷を負えば先輩も傷を負い、先輩がそれを治すから俺も回復する。理屈上は無敵だが、先輩にひたすら負担が掛かっているデメリットは無視出来ない。
何とか攻撃を食らわないようにしたいが、駄目だ。根本的な経験が違い過ぎる。俺の性能が低すぎて、傷一つ付けられない。
「しかし、死なないもんだな意外とよ。私は嬉しいぜ。簡単に死なれても困るからな。ほら、立ち上がるまで待ってやるからよお、立ち上がれって。クデキんとこに行くんだろ? じゃあ私を殺さねえとな」
カガラさんが長刀をくるくると振り回しながら俺に近づいてくる。自分の横に穂を突き刺すと、俺の口元に手を置いた。
「……ほら、こんなに近づいてやったんだ。ナイフを突き出すくらいは出来るだろうが。なあ……なあ!」
何か言うよりも前に、破砕機を思わせる振動に顔の半分を崩された。痛みに声を出そうにも、口を押えられていてそれも叶わない。
「…………! …………!」
「その眼、嫌いだなあ私は」
そう言ったと同時に、カガラさんは俺の眼に指を突っ込んで潰した。あれだけ痛みを滲ませていた眼がそれを上回る激痛に耐え兼ね、遂に弾けたのだ。喉が擦り切れんばかりに叫んでもまだ足りない。目を潰されたのはなにぶん初めてで、率直に二度と味わいたくないような苦悶だった。
「だがああああああああああああああああああああああ!!?」
「へっへっへ。いい声だなあ。声は好きだ。それでよお、私の名前を呼んでみろよ。なあしきみやぁ」
くちゅくちゅと回復中の眼窩を掻き回される。何とか左目だけでも回復した時には、彼女は溶いた卵のようになった眼球を指につけてしゃぶっていた。表情にも目つきにもかつての面影は何処にもない。今はひたすらに悪趣味で下劣な殺人鬼。これをカガラさんと認識しろなんて、無理だ。
「…………本名、教えてくれよ。アンタの……本名。篝空逢南じゃないなら……なんだ?」
「さあな。夢を見てる内に忘れちまったよ。仮に覚えてても……不愉快なお前に教えてやる訳ねえだろ。頭沸いてんのか」
「…………そう……か」
本当に知っているなら糸を読めば判明する。それが無い以上、この人は本当に何も知らない。人格がどちらに偏っても、この女性は生涯自分の本名を知る事はないのだ。それを悲しい事とは思わないが―――だから名前を呼んで欲しいのかと思うと、どうしても殺意が鈍る。かといって元に戻すような方法は思いつかない。戦闘中にゴスロリ服を着せるのも不可能だし。
「あーあー! まーた気分が悪くなっちまったよ。もういいや。とっとと死んでくれ。もう二度と眠れねえ。とっとと未練は捨てちまおう。遺言くらいは聞いてやってもいいぜえ? へっへ」
そもそもこの状況をどう抜け出そう。
俺一人では駄目だ。もっと慣れた人が居ないと話にならない。間もなく俺の身体を貫く一撃を躱す事は出来るだろう。だが躱した所でどうにもならない。状況はいつまでも最悪のまま。圧倒的なリーチの差が俺を徹底的に寄せ付けない。
「………………せんぱい」
遺言とされた所で俺は死なない。それでもあえて、これを最期の言葉とするのなら。
「未紗那先輩――――――助けてください」
「―――アイツの名前を呼ぶなああああああああああああああ!」
薙刀の一撃が、俺に届く事はなかった。
「それ以上は、許しませんよ」
未紗那先輩が、足で穂先を踏みつけてくれたから。
「幾ら貴方でも、それは許しません。I₋n」
「………………てめえ。いつか」
肉眼では足首から先が消える速度の蹴りがカガラさんの顎を打ち抜いた。かに思えたが、ギリギリの所で防御が間に合っている。『振動』をまとった薙刀が衝撃を分散して、人体への被害を最小限にしていた。
「せ、先輩…………ほ、本当に助けに……?」
「君の妹に危機を伝えられたので駆け足で上って来ました。戦うのが怖い……それは本当です。今も手が震えそうで、手に持った武器が落ちてしまいそうです」
戦槌のようにデザインされたツルハシと、刃毀れを起こしたサバイバルナイフ。いつかの夜に見た先輩の姿がそのまま、現在に投影されている。彼女の発言も嘘ではないだろう。元々戦えたならこの道中も戦ってくれたらこんなに苦労する事はなかった。
「ですが、それ以上に、君を失うのが恐ろしい。私は暴力の女です。戦う事くらいしか力になれません。それならせめて―――怖くても。君を守る為に力を使いたいのです。キカイに頼れない、今だけでも」
カガラさんに甚振られた傷が回復してきたので、立ち上がる。二対一、有利な状況にはなったが、それでもリーチ差は埋まらない。これで簡単に済むとは思わない。今のカガラさんからは得体のしれない圧力が発せられている。
「……ああ、そうだ。てめえにも殺す理由があったんだった。いいぜ、二人同時で構わねえ。殺してやるよ。なあ、ちょっとは楽しませろよ、私をよお」
「勝算は?」
「ありません。糸を切ろうにも近づけないので」
「そうですか。では私がサポートに徹しますから、まずは君が近づいてください。その後は私が片付けます。丁度私も、身体を何度も破壊されて苛立っていた頃なんです」
カガラさんは薙刀を構えて、憤怒の滲む形相で、未紗那先輩を睨んだ。
「特にてめえは……殺さなきゃな。目障りだと思ってたんだ。欲しい物、全部奪いやがってよ」




