外理にも縋る思い
俺がマキナに頼んだのは、彼女の規定に影響を受けた道具の作成……俗に言えばキカイアイテム。マキナの力を宿した消耗品達だ。間違っても銃火器や化学兵器ではない。ただしそれらよりも圧倒的に殺傷能力が違う。
相手が警察や公安を含めて人海戦術を取ってくるなら、それに対抗するにはアイツの力に頼るしかない。一人二人殺せても全体を通してみれば何てことのない被害だ。むしろ警察が味方をしているならあちらには銃がある。クデキには察知されそうだから使えないだけで、道中では遠慮なく使わせてもらう。
―――最初から頼むんだったよな。
過ぎた話をしても仕方がない。最初からそれが出来ると知っていたら頼っていた。誰かが部品を拾っている可能性もそうだが、マキナは妙な所を考慮していない。自分の力を人間に使わせる事自体不愉快だとは作成中に言っていたが、それのせいもあるか。作ってくれた理由も『有珠希の傍にいるみたいで嬉しい』との事。
大体その発言のせいで俺は寝ぼけが完全に覚めてしまったのだ。早朝からこっぱずかしい事を……
「俺達に近づくなよ」
そう言って俺が取り出したのは発煙筒。背中に壁を張るように置いて前方へと駆け出す。「確保しろ」という声は聞こえたが、誰一人として発煙筒を乗り越えられる人間は居なかった。煙に触れた個所から老化して、機動力が失われたのだ。如何に公安でも科学の原理を超越した理には成す術がない。
「俺が道を開けるから先輩の所へ行け!」
「分かりましたッ」
次に俺が取り出したのは粉末タイプの消火器。パトカー目掛けて吹き付けると鉄の塊は瞬く間に水たまりへと姿を変えてしまった。
「な、何だ!」
「どけ!」
足元に素早く煙を吹きつけて警官を無力化。常軌を逸した吶喊にこゆらーはとうに道を開けていた。果たしてその正体が式宮有珠希だと知ると、顔色を変えて襲い掛かろうとしたが、
「式君!」
諒子から近くの大きな石を投げつけられ、こゆらー達が一斉に転倒する。正確には石を腹に受けた奴に押されただけだが、それでも時間稼ぎになっている。一足先に兎葵が地下室の扉を開けて―――固まっていた。
「兎葵! どうした!?」
「…………ちょっと交代! そのバッグ貸して!」
『距離』で俺の隣までやってくると、半ば強引にバッグをひったくって、ついでに足で俺の背中を押して地下の入り口まで転がしてきた。普通に危ないが、今は安全に下りている場合でもあるまい。危ないと言い出したら警官に歯向かっている事が一番危険だ。
―――何があったんだ?
先輩を連れだせないなんて事はない筈だ。その説得は既に済んでいる。戦う事は出来なくても無抵抗でついてくるくらいは幾らでも。
「う…………ああ……ぐ……!」
先輩の身体を、樹が蝕んでいる。それも普通の樹ではない。毒々しい色を孕んだ枝が谷間の中心から十二本。全身に広がって伸びている。先輩が動けないのは身体を貫いた枝が地面と繋がり、あの人を縫い留めていた。
「先輩!?」
「…………式宮、君」
未紗那先輩はうちの高校の制服を気に入っていたが、樹はそんな事などお構いなしに侵食しており、枝の隙間からは肉が破れた生地が、皮膚の剥がれ落ちた肉が見え隠れしていた。痛みなど感じないと言わんばかりだった強い先輩の面影は何処にもない。涙こそ堪えているが、その痛みは視えた所で理解したくもない。
「ど、どうしたんですか?」
「…………クデキ、さんの規定ですから……どうも操作権は……あちらにあるみたいで」
「………………」
そういえば結々芽の時も、突然操作権が戻って来た。その理由は良く分からないかったし、良く分からないままでも特に問題は無かったからその時は流したのだが……赤い糸は、クデキの干渉を示している。
「……私の……予想ですが。キカイの心臓が……メインスイッチみたいな物。なのかと。だからクデキさんから私の規定を……誤作動させて。もしくは……単に私の身体が耐えられなくなったか」
「……それ、変ですよ。だってアイツの心臓は俺の所に…………」
いや、それはおかしいのではないか? 確かにマキナは足りない部品を補う為に俺から色々と身体のパーツを奪っていた訳だが、真の意味でキカイの部品と代替になれるようなパーツは人類に存在しない。代替というのは恐らく、身体の中で同じような位置にあるくらいの意味合いだ。そうでないならマキナが大幅にパワーダウンしている事の説明がつかない。だから多分そう。
それこそ機械のように。正しい場所にない歯車は回らない。
つまりクデキにとって何でもない場所でも、俺如きを生かすには心臓としての役割を果たせるのだ。問題は……心臓がないマキナに何故糸が繋がっていたのかだが。それは糸を視れば分かる。所有権と操作権は別だったというだけの事だ。
―――え?
「う、動けますか?」
「アガアガガガギギギギギ! あ……ぅぐ…………!」
しかしどうやって動かそう。先輩の身体は固定されていてびくりともしない。これでは表で二人がどんなに頑張ってもじり貧だ。だからといって先輩を置いていく訳にはいかない。クデキの潜む場所へ向かうには碧花さんから情報を受け取った彼女の存在が不可欠だ。
「お、置いて行って……大丈夫……です。首藤さんから受け取った情報は……」
「ちょっと黙ってください! 俺は先輩からその情報を託されるつもりないですよ! 連れて行くのは―――貴方を守る為でもあるんですから!」
「ですが…………このままでは君も………………」
俺は先輩の手と重ねるように繋ぐと、痛みに錯乱しつつある瞳に向けて、柔らかい口調で言った。
「未紗那先輩。俺と『生命』をリンクさせてください」
「…………? そ、そんな事をすれば君まで」
「うるさい! 先輩少しくらい身勝手になったんでしょ? 他人の事ばっかり、たまには自分の身を大事にしてください! 貴方には分からないかもしれませんがねえ! 全身をムシャムシャされる事に比べたらこんなもん何でもないんですよ! ほら早く! 俺なら大丈夫ですから!」
そう。
今の俺なら、大丈夫。
先輩を助ければ、それが打倒クデキに繋がる。身体の奥で未紗那先輩と『生命』が紡がれる。それは当然影響を俺の体に及ぼすという事だが、彼女の体に生えた樹は俺に伝わるどころかその場で枯れ、朽ち果ててしまった。
穴だらけになった身体を修復し、先輩がすっくと立ちあがる。
「…………何が起こったんですか?」
「話は後です。先輩……ついてこられますか?」
「…………サポートくらいはしますね」
「有難うございます」
先輩と手を繋いで地下室を出ると、空になった消火器が捨ててあったので手に取った。表では俺のバッグから懐中電灯を持った諒子と水鉄砲を持った兎葵が奮戦していた。絵面がおかしいと思ったならその通りだが、その実態は『刻』の光と『清浄と汚染』の水。
光に触れた人間は永久に近寄ろうにも巻き戻されて、水を浴びた人間は強制的な身体汚染に体内機能が大幅に低下して身動きが取れなくなる。中には心不全を引き起こして戦うどころではない警官も居た。
「兎葵! 逃げるぞ!」
「はい!」
パァン!
発煙筒から逃れるように回り込んできた公安の一人が躊躇なく拳銃を兎葵に向けて発砲。俺にはそれが分かっていたが、だからと言って身体が動く訳ではない。実際にその銃弾を止めたのは先輩だった。
「……ああもう、最悪!」
『距離』による疑似的なワープは道路を圧縮しているだけなので、他の人間もその恩恵に与る事が出来てしまう。だが一瞬で目の前から消えてしまえば探そうにも選択肢が生まれる。その場から動けない人間もいるし、助けを呼ばれる所まで含めて、引き離すことは十分に可能だ。
その判断が遅れている間に改定を完了させれば、追いつく事など出来ない。
「で! クデキさんは何処に居るんですか! どの建物ですか!?」
荒れた口調で兎葵は尋ねたものの、返事はない。ただ遠くの場所を見遣る先輩の様子が気になって俺も視線に追随すると―――現実的にあり得ないビルが存在していた。以前支部に囚われた事があったが、その時と同じ形だ。メサイア・システムの建物には相違ないだろうが、凍り付いている。表面に薄く霜が張って、窓から駐車場に至っては 陽炎のようにグラグラと揺れていた。俺の視界には、先輩の身体から伸びた糸がビルの最上階まで繋がっている。
「……あれですね」
「『振動』の規定か。だけど妙だな。規定はあくまで基準を弄ってるだけだ。ゼロから振動を起こせる能力って訳じゃない…………いや」
糸は全てを教えてくれる。俺が口に出す前に、先輩が答えてくれた。
「振動が伝わりやすくなっているのでしょう。つまり……あのビルには、クデキさん一人だけでなく、大勢の人間がいるという事です。名目上は私を捕える為、といった所ですか」
そして本命の目的は俺を殺す事だろう。
逃げる様子はない。俺だけが向かってきている事に気づいたか、それともマキナが居ても勝算のある構えなのか。どちらにせよアイツは逃げたりしない。二度はない好機の二度目を提供してやったのだ。人間如きに遅れはとらないと、そう思っているのだろう。
その油断に付け入って、俺がアイツを殺す。




