変わらぬ日常は好きですか
虐待痕など最早擦り傷だ。全身をバラバラにされた死体を見れば誰だってそうなる。ああまさか、糸が凄惨な死体に対するモザイクとして機能するとは思わなかった。それについては初めて感謝したい。死体は見慣れてしまったとは言ったものの、流石にバラバラ死体を見て何のリアクションも起きない訳ではない。
「…………よく、俺の妹だってわかったな諒子。お前は、輪郭が溶けて見えるのに」
「私が教えましたからね」
「先輩が?」
「彼女は死体が気になって訪れただけです。私は……一度訪問した事もありますし、監視対象について調べるのは、当然でしょう」
「……そうですか」
カガラさんは生かされたが、人格を変えられた。
那由香は殺されて、解体されてゴミとして捨てられた。
この違いは何だろうか。そもそも誰が好きこのんで那由香を殺すのか。考えられるのはクデキだ。アイツが何故俺の家に居たかも判明していない。その足元にあったのは両親の死体だ。すると那由香が殺した奴も証拠がない現状はアイツが最有力候補。
そして那由香が殺されるようなら牧寧も危ない。
「……先輩、今日一日、牧寧の事頼めますか?」
「式宮君が守らないのですか? 仮にも妹でしょう?」
「俺は……そりゃ一回帰りますけど、マキナとの約束を守らないと」
「家族よりキカイを取る神経は理解できませんね」
「言い方! ちょっと喧嘩みたいな感じの事しちゃったんで……隣に居ないと、何するか分からないでしょ」
「……喧嘩なんて、まるで人間みたいですね。その気になれば力ずくで服従させる事も出来るのに、一方的に叩き潰すのだって」
「アイツ、そういう気遣いは結構してくれるんですよ。まあちょっと首を絞められましたけど、即死しなきゃ全然。一緒に居るだけで機嫌直してくれるなら全然安いですしね」
先輩は呆れて物も言えないと正にその表情が物語らせている。しかしもう立場は表明した。俺は最後まで、何処まで行ってもアイツの味方だ。人を殺さずともただそれだけで地獄に落ちるようなら上等だ。女の子を悲しませて行く天国は後味ばかり最悪で、行きたくもない。こちらから願い下げだ。
「彼女はどうしますか? 君のご友人でしたよね?」
「勿論連れて帰りますよ。火傷は治っても……ほら、怯えてますから。諒子、立てるか?」
「し、しきくぅん……!」
諒子は身体を震わせながら俺に密着してくる。服をあげた手前仕方ないが、自分に抱き着かれているみたいで変な感覚だ。
「君は上裸ですが、それはよろしいのですか? 季節的にはそれほど問題ないと思いますが……変質者ですよ。私を探す警察に咎められる可能性等は考えないのですか?」
「俺より先にカガラさんを咎めた方が良いと思うんですけどね。その時は頑張って逃げます」
「成程。ではその恰好で家に帰っても、頑張って逃げるのでしょうか」
「………………」
諒子は頭を振って拒絶している。
「……………………という訳なんだ」
「は、はぁ……!? ふ、服をなくした……ですか?」
「いや、うん。悪い。だから急いで帰ってきたみたいな所がある。悪いけど服を持ってきてくれ」
「…………分かりました。所で一つお尋ねしたいのですが、持ってきてくれという事はまたお出かけになるのですか?」
「え」
無茶苦茶な言い分が通ったので油断していたが、妹はこういう所が本当に鋭い。思わずたじろいでしまった俺は、非常に弱い。
「な、那由香を探さないとだし……」
「―――私、確かに兄さんが外で何をしているかは聞いてきませんでした。しかし、せっかく二人きりで暮らしているのにこうも外出が多いと…………流石に悲しいです、ね」
「あ…………」
そうは言いながら服は持ってきてくれる妹。しかしそれを受け取ったら、本格的に俺は取り返しがつかない選択をするのではと、背筋に刃物を突き付けられた気分だ。軽率にこの服を受け取れば―――きっと、良くない事になる。
「………………」
「………………」
「服、持ってきましたよ」
「…………ごめん」
「謝罪するということは、これからもするという事ですか? 私にはその場しのぎの謝罪にしか聞こえません。今、求めているのは言葉ではなく行動です。私は……今日だけでも残ってくれたら、それで全部水に流そうかとも考えていますが」
「……う」
家族よりもマキナを取ったが、その家族が牧寧だと話は変わってくる。どちらがより大切なのかという話ではない。どちらも大切で、違う意味で不安で、だから順序なんてつけられない。マキナは何かあったら不機嫌になって多少俺の命が危ういくらいだが、牧寧は純粋に悲しませてしまう。那由香が実は死んでいるなんて、猶更この空気では言い出せない。両親も死んで妹も死んで、更に俺までいなくなれば一人ぼっちだ。
沈黙するしかなかったが、それはそれである種の答えだ。牧寧は悲しそうに口元を緩めて、背中を向けて台所に流れてしまった。
「では、こうしましょう。兄さん、夕食はこちらでお召し上がりください。そうしていただけるなら、今回だけは不問にします」
「こ、今回だけ……?」
「兄さんとの生活を真剣に考えて引っ越したんです。私、何も言わないだけで兄さんが危ない事に首を突っ込んでいるのは知っているんですよ? これでも妹ですから。ですので、危ない事はこれっきりにしてください。お願いします。最初で最後の、妹からのお願いです」
表面上は淡々と言っているのかもしれないが、涙で震える声を隠せていない。心からの悲痛な叫びなのは十分に伝わってきた。そしてこれが妹に出来る最大の譲歩だ。ここまでやって拒絶するようなら、俺は彼女とも縁を切らないといけない。
「……わ、分かった。今回限りにしておくよ」
「信用しますよ。裏切ったら……いえ、兄さんが私を裏切るなんておかしいですね。ある訳ない。絶対、絶対、絶対。そうですよね」
「―――ああ」
服を取って着替える。黒いスウェットだがこの際お洒落はどうでもいい。諒子や先輩には申し訳ないのだが、ほんの少しだけ遅れておこう。
「今から準備をするので、兄さんは待っていて下さい。腕によりをかけて作りますよッ! こゆるちゃんの時は……迷惑かけてしまいましたから」
「迷惑なんて言うなよ。兄妹だろ? 気兼ねなくていいんだよ」
「…………ふふ。そうですか」
しかしどうやら俺の本当の妹は兎葵らしい。だがそれとこれとは話が別だ。妹と接する度にこんな事を考えていたら頭がおかしくなる。クデキを倒したら本当に元の性格とやらに戻るのだろうか。ならば今の俺は? 消えてなくなるのか?
そもそもそれは、俺なのか?
確かにクデキを倒せば問題は解決するかもしれない。けれどもそれで今の『俺』が変わってしまったら、マキナはどう思うだろう。先輩も牧寧も、関係を作ったのは今の俺で……。
「…………」
かみ合わない。クデキを倒せばあらゆる問題が解決すると思っていたのに、新しい問題が生まれてしまった。しかもこの問題には正解がない。何を重要視するかで正解は変わる。今すぐに答えを出すのは難しいし、それをしても得はなさそうだ。
兎葵の想いを軽視すると決めれば、彼女は絶対に協力をやめる。『距離』はクデキ捜索の面でも戦闘の面でも魅力的だ。打算的に聞こえるならその通りで、せめてそれまでは判断をやめよう。
「兄さん? 何を考えていらっしゃるんですか?」
「……いや、本当に俺は駄目な兄貴だなと思ってさ。妹はこんなに出来た奴なのに、俺ときたらやんちゃで」
「自覚があるようでしたら少しでも改善に取り組んでいただけると嬉しいです。まあ……あまり無理はなさらぬよう。私は兄さんが傍にさえ居てくれるなら後はどうでも良くて……末永く、幸せに暮らせれば、何もいらないのです」
…………これで、終わりにするんだ。
そう、クデキを倒せば無暗に外出する必要はなくなる。その結果がどうであっても妹の悩みは解決するのだ。ややこしいのはこれっきりにして―――とにかく、アイツを倒す。ついでに真実とやらも教えてもらって、それでお終いだ。
夕食を待っている間、諒子の着替えにならないかと妹の服を漁ろうとしたが、絶望的にサイズが合わずに断念した。下着なんて論外だ。合う訳がない。俺の服を多めに持っていくしかないだろう。これもサイズは合わないが、小さいよりは大きい方が着られるだけマシというもの。
「兄さん。出来ましたよ?」
「ああ、今行くよ」
トモダチに対して多大な罪悪感を感じながら、俺は束の間の日常―――二人きりの団欒を楽しんだ。
諒子を連れてマキナの家に帰ると、扉の前で兎葵が仁王立ちをして待っていた。
「有珠希さん。ちょっといいですか」
「うおっ。め、珍しいな。何だよ」
「何だよじゃありません。一体何をしたんですか?」
「話が見えなさすぎる。主語を入れてくれ」
「マキナさんがいつにも増して料理を作り過ぎているんです。巨大なケーキとか作り始めてるしもう滅茶苦茶ッ。何があったんですか?」




