因果は人の常
殺したくない。
怪我をさせたくもない。
まともな感性が悲鳴を上げている。その一方で壊れた本能が唸りを止めない。話すだけ無駄なのだ、こいつらには。遂に一線を越えてくれた。罪をかぶった先輩だけでは飽き足らず、たまたま近くに居た諒子にまで手を出しやがった。
それが赤の他人だったなら、俺はここまで怒っていない。社会情勢が不安定である限り治安の悪化は当然の流れ。かつて善人同士であった他人が諍いを起こしても何ら不思議はなく、面倒なだけなので介入しなかっただろう。
諒子は、俺のトモダチだ。
まだ彼女とは、何の思い出も作れていない。厄介ごとに巻き込んで、頼みごとをしてばかり。仮にも学生であるなら、せめて思い出の一つや二つを作っておきたいだろう。俺達には互いに通じ合う部分があった。だからトモダチになれた。互いに互いしかありえないような、そんな関係に。
そんなトモダチに手を出されたら、怒るに決まっているだろう。女性の肩を刺した事に微塵の後悔もない。俺の背中では火だるまから抜け出そうとした諒子が制服を脱いで蹲っている。その奥には先輩も住んでいる。安全ラインを作っているのは俺だ。ここを一歩も動くわけにはいかない。
「ひ、ひい! 警察だ! 誰か警察を呼んでくれ! 危ない奴がいるぞ!」
「あぅ…………血…………! あああああああああああああ…………わた、しの……!」
先輩やマキナのせいで感覚がズレてきているが、普通の人間は肩を刺されただけでも致命傷だ。腕にナイフが刺さった時の正しい対処補は刺さった状態で病院に行く事。下手に抜いても失血するだけだ。俺みたいに部品に生かされている状態でもない限りは、それが賢明。
「…………警察呼んでもいいんだけど。てめえらそれどうやって誤魔化す気だ? この辺放火したの全部てめえらだろうが。もう善意で何とかなったりしねえぞ」
「こゆるちゃんの仇を取る為の正当な手段だ!」
「警察も分かってくれる!」
「十億もあればこの程度の被害幾らでも弁償出来るしな!」
そろそろ、地獄に落ちる覚悟を決めるべきだろうか。
こいつら全員殺して、この場を切り抜ける方が手っ取り早い様な気がしてきた。ああ駄目だ。マキナの価値観が映っている。でもこんな奴らを相手に話し合いなんて時間の無駄だ。もう俺が犯人って自供した事も忘れている。頭がどうかしているとしか思えない。
俺の行動に困惑するこゆらーと立ちはだかる俺とで暫くの膠着状態。すると誰が読んだのか遠くからサイレンの音が聞こえる。間違っても救急車ではない。パトカーだ。いつ誰が呼んだのかは定かではないが、銃を持った警官を相手に仁王立ちは厳しい部分がある。
糸を切れば発砲は止められるが、その間に諒子が狙われる可能性がある以上動けやしない。
俺から見て右の路肩にパトカーが停車。
その直後。上から降ってきた物体によってパトカーは潰れてしまった。
「―――――!」
天に伸びる糸を認識し、反射的に地下室の入り口まで後退。諒子を引っ張って息を潜める。見覚えのある糸に、見覚えのない行動。俺にしてみれば、彼女が到底する筈のない行動が、糸にしっかりと紡がれていた。
「ぐ、うぅぅぅぅ……し、き」
「今は……頼む。じっとしててくれ」
火傷に喘ぐ諒子をそっと背中に追いやって、全神経を聴覚に集中させる。少しでも顔を出せば俺も殺される。そんな予感―――否、確信があった。
「……ああ。何だかよお、気分が良いんだ」
「長い、長い、長い、眠りから目覚めたんだなあ。へっへっへ。あーでもよお、寝起きはどうにも口の中が気持ち悪いんだぁ」
「だ、誰だお前……!」
「お、おまわりさんが! 救急車? 警察!?」
「気持ち悪いと気分が悪くてなあ。ちっと私に殺されてくれよなあ?」
聞き覚えのある声が愉快な笑い声を響かせながらこゆらーににじり寄っていく。鋭利な刃物で肉を裂く音が連続して響き、いくつかの欠片がこちらに吹き飛ばされてくる。それは先程相対していた奴らの上半身であったり腕であったり、或いは足や臓器。
断末魔の叫び声を響かせながら地上ではバッサバッサと切り捨てられ、一方的な殺戮が繰り広げられている。、何が起こっているかを確認したい気持ちはあるが、顔を出せば俺にも同じ末路が待っている。やはり駄目だ。ここで大人しくしているしかない。
「……式宮君。こちらへ」
背後を振り返ると、未紗那先輩が扉を少しだけ開けて手招きをしていた。諒子は既に引っ張られたようだ。俺も外の音に細心の注意を払いながら地下室に退避する。ここには火の手が上がっていないようで、どうも諒子が全てのヘイトを買ってしまったらしい。
「先輩……治してくれたんですか?」
諒子の身体から火傷が消えている。いつかやった様に規定をリンクさせて反転させたのだろう。代わりに現れたのは上裸なだけの女の子で、泣きそうになりながら先輩の背中に隠れている。このままマキナの家まで連れていくのもおかしいし、この場で裸になっても問題ないのは俺だけだ。服を脱いで諒子に渡すと、彼女は慌てて着用し、その場に蹲ってしまった。
「私の落ち度ですね。何処からか私の位置が漏れたようです。彼女はたまたま居合わせただけですが、私を守っていると勘違いされたのでしょうか」
「……その。さっきの声」
「―――ええ。篝空さん…………ですね」
喋り方が変わっても、その声は間違えられない。幾度となく俺はあの人に助けられて、それなりに付き合ってきた。何処か楽観的で、呑気で、でも頼まれた仕事はきっちりやる真面目な所もあって。ハイドさんは顔だけは良い女と言っていたが、そんな事はない。服装に多少難があるだけで、基本的には気立ての良い女性だ。
そんなあの人からは信じられない言葉の数々を聞いた。今でも信じられないが、先輩からも同じ人物が挙がるならいよいよ間違いない。間違いであってほしかった。
「……カガラさん。俺を守ってクデキさんに殺害されたんですけど。生きててくれたのは嬉しいんですけど、なんか……何で?」
「……式宮君は、本人の服装を見ましたか?」
「いや……巻き込まれると思ったので」
「賢明ですね。以前お話しした事を覚えていますか? あの人の人格は服装ありきで成り立っている仮初……と言っていいかは分かりませんが、あまりにも定着していない。一度は死んだ人間を蘇生出来るなら、人格を排出して新たに人格を植え付ける事くらい可能だと思いませんか?」
素直に喜べないのは、そのせいだ。同じ身体で同じ名前で。でも人格が違うならそれは元に戻ったと言えるのか?
「私を狙ってやってきたというより通り魔的と考える方が自然です。暫く引き籠っていれば帰ってくれると思いますが……クデキさんを殺そうとなったらあの人とも戦わないといけないのですか。君も難儀ですね?」
「え?」
「首藤さんから連絡がありました。あの人は本当に自分で動くのが嫌いなんですね。戦えない私に方法を教えるなんて意地悪です。事情は聴きました。私の代わりに貴方が殺しに行くんですね」
「…………出来ないって思いますか?」
「どうせキカイが手を貸すのでしょう? ならば十分に可能です」
「いや、それが……」
カガラさんが殺された直後にキカイ同士で一戦交えてしまった事を先輩に伝える。マキナありきで戦うには絶対に逃げられない様な場所で戦うしかないが、そんな心当たりはないのだとも。
「…………前言を撤回します。無理ですね」
「一応、俺なりに対策は考えたんですけど…………後、別に一人でやるつもりはなくて。出来れば先輩にも来て欲しいな~なんて」
「戦うのが怖いのに、私は戦力になりますか?」
「案内とかあるじゃないですか。そもそもクデキが何処に居るかも分からないし……支部たくさんあるでしょ? それで本部は外国でしょ? じゃあ何処に居るんだって話で……」
「…………成程。私は案内人という訳ですか。それでしたらまあ……」
「先輩の事は、俺が守ります」
「…………はぁ」
地下室は薄暗い明かりによって頼りない視界が保障されている。だから彼女の表情も普通の人なら全く読み取れないが、赤い糸は先輩の照れ隠しを見抜き、喜んで俺に伝えてくれた。やり取りの間にあるかないか生まれた静寂。先程から会話に割り込もうと頑張っていたらしい諒子の声が小さく聞こえた。
「…………がぅんだ」
「ん? 諒子?」
「違うんだ、式君」
「何が?」
「守ってるって勘違いされた訳じゃない、んだ。私は、そこの袋について聞きたくて―――」
袋というのは、今現在、地下室の隅で大人しくするポリ袋だろう。先輩に事情を尋ねる目配せをすると、肩をすくめながら袋を持ってくる。
「ゴミ袋はダミーと言いましたね。しかし何者かがこのゴミ捨て場に本物のゴミを捨てたようです。それだけならばまだ良いのですが……中身が」
「それを引き取りに行って、外に出たん、だ。そ、そしたら急にアイツらがそれを渡すように言ってきて―――あ、見ちゃ駄目だ! 式君!」
そんな諒子の気遣いも、俺には少し遅かった。袋の縛りを解いて中を覗く。赤い糸が訳もなく伸びている以上、これは死体だ。今更見て動揺する程の物ではない。
「……………………………………………ッ」
式宮那由香でさえ、なければ。




