伝えたいきもち
一神通の時と言い、月巳には妙な縁がある。マキナが本当に付いてきているのかは微妙だが、アイツに限って車程度の速度を見逃すとは考えにくい。ちゃんと付いてきてはいる筈だ。
―――こういう例外もありなのか?
碧花さんの糸からは何も読み取れないので、会話していて全く負担が掛からない。マキナとはまた違う意味で楽だ。居心地が良いかどうかはまた別の話。こういう言い方は良くないが、黒い糸は気味が悪すぎる。世の中には無色透明だったスーお姉さんといい、こういう人も他に居るのだろうか。
「少し気になっていたのですけれど」
「は、はい」
「結婚生活について興味があるのですか? やけにその辺りを尋ねられたものですから、少々気になってしまいました」
「あー…………興味があるっていうか。仲が良い奴が居るんですよ。そいつもキカイで―――嬉しいんですけどね、好かれてて。アイツの笑顔をもっと見たいからって全部受け入れる俺も俺なんですけど。それもたまに会うから成立してると思うんです。だから四六時中一緒に居る事になったらどうすればいいかなって」
「参考になりましたか?」
「いや…………あんまり」
「そうですか。それにしても式宮さんはその機怪が大好きなのですね」
「え?」
「今は会いに行く関係で、まだ進展してもいないのに同棲した場合について考えているでしょう。それだけ貴方が想っている証拠です。居た場合にどうこうではなく……一緒に居たいのは、他でもない貴方なのでは?」
「…………そうかも、しれないですね」
数少ない味方として。或いは一人の女の子として。俺はアイツの事が好きだ。強さが圧倒的に違くても、守ってあげたいと思っている。或いは狭い部屋の中に閉じ込めて、俺以外の誰にもその輝きを見せたくないと。そんな独占欲が、確かにこの胸にはある。
「…………正直、ちょっと怖いですね」
「怖い?」
「アイツに対してだけはどうも俺は強欲になるみたいで。アイツと距離がある内は誤魔化せますけど、もしこの気持ちを全部ぶちまけたら……嫌われるんじゃないかって。今の所、表面上はお互い好意的で仲良くしてますけど……心の中はどうなってるか分かりませんから」
「………………なら、猶更機怪について知らないとですね。それ次第で、気持ちが固まる事もあるでしょうから」
「……碧花さんはどうしてそんなに詳しいんですか?」
「未礼さんから何も聞かされていないのですか? 私はこの世界に大勢いる特殊な人間の一人。こればかりは、詳しくなければ生業に出来ませんよ」
クールな女性というのは彼女みたいな人の事を言うのだろう。カガラさんはクールぶった能天気なので今まで出会ったどのタイプでもない。話していて凄く安心する。気味は悪いのだが、それはそれとしてこの人からは妙な力強さを感じる。
「碧花さんは世界が混乱しても価値観が揺らがないんですね」
「ん? …………ああ、それ、か。私の平穏な暮らしを邪魔しないなら何でもいいんですよ。部外者ですから、ただ、こればかりは私が特別な訳ではないですよ。それもクデキさんと相対すれば判明するでしょうね」
「この場で教えてくれてもいいじゃないですか。探偵じゃあるまいし」
「証拠を持ち合わせておりません。憶測だけで物事を語って、さもそれが真実であるかの様に振舞うのは如何なものでしょう。知識人が全て真実を語りたがるとも限りません。イデオロギーに基づく場合が殆どです。ですから、直接お確かめ下さい―――そろそろ着きますよ」
車の速度に緩やかなブレーキがかかると、窓の景色に鬱蒼と茂った山道が映りこんだ。現在時刻は昼の十二時。丁度昨日、カガラさんが殺された瞬間に近い。太陽は俺達の真上に広がっているのだろうが、それでも黄泉平山は不気味な程薄暗い。糸に視界を遮断された俺が何を言っても説得力はないのだが、まるで太陽光が通っていない。内側の日当たりは最悪だろう。
車内で調べてみたが、確かにこの山は自殺の名所として有名だ。観光名所としての側面もあるという事もなく、ただ単純に人が死ぬ。そんな場所にわざわざ駐車場を用意するのはかつて平和だった時代にも有り得ない。碧花さんは路肩に車を止めて、エンジンを切った。
「さて、私は入りやすそうな場所を探しておきますから、式宮さんはそこでお待ち下さい。今の内に話したい事があるなら、話しておくのも良いでしょうね」
「は、話したい事?」
「先程から付いてきているのでしょう? どうせ中にまでは入ってこないでしょうから、ね」
この人は何でもお見通しか。俺には最後まで気配どころか姿も確認出来なかった。碧花さんが車を降りて山の方面へと歩いていく。後部座席の扉を開けて暫く待っていると、車の真上から垂直にマキナが降ってきた。
「うおおお!?」
まさかその方向から来るとは思わず、驚いて車内に逃げ込んでしまう。まるで勢いを殺す気がなかったのは地面の陥没からもハッキリしている。だからあんなに激しく胸が揺れたのだろう……いや、たまたま視界の中心点がそこだっただけで、深い意味はないが。
「…………有珠希、行っちゃうのね」
「な、何だよ。永遠の別れって訳でもないだろ。後、お前が勝手に避けてるだけで碧花さんは気にしてないぞ。そんなに離れたくないなら―――来ればいいじゃないか」
マキナは満月の瞳を曇らせながら、寂しそうに頭を振った。
「……それは出来ないの」
「…………出来ないなんて、また珍しいな。何でだ?」
「出来ないものは出来ないの! だから……待っててあげる。貴方が戻ってくるまで大人しくするから、戻ったら…………」
「…………?」
「その………………」
マキナにしては歯切れが悪い。何を言われても取り敢えず聞いてから考えるつもりだったが、何となく嫌な予感がしたので彼女を車内に引っ張り込んで、鍵を閉めた。
「な、何で閉じ込めるの!?」
「いや、どうせ鍵こっち側だから閉じ込めてはないけど。そのままにしてたら逃げそうじゃないか。正直気になるから、言ってくれよ」
「……………………な、何でもないわ」
ここまでやっても頑なに口を割らないのは余程伝えたい事があるに違いない。本気で気になってきたので手段は問わない。彼女の手を椅子に押さえつけて顔を近づける。後部座席の中は窮屈ながら何とか馬乗りになって月の瞳をじっと見つめた。
「言えって。いつも思った事は直ぐ口に出すのに今はらしくないぞ」
「…………うぅ」
瞳がぐるぐると渦を巻いている。それはまるでとぐろを巻くかのように軌跡を残し、奥へ奥へと重なっていく。比例して彼女の顔も赤くなっていき、車内は局所的な猛暑に見舞われる。
「ぅぅ………………ああ……………」
眼全体が暗転して、マキナの体から一切の力が抜けた。状況を呑み込みきれなくて俺も気が動転してしまったが、どうもこうも気を失ってしまったようだ。
「……嘘だろ」
ちょっと問い詰めたらこれだ。意味が分からない。何の対策もされていない車内に取り残すのはどうなのかと思ったが、熱源はコイツだ。放っておいて死ぬというのは考えられない。
「起きたら絶対吐かせるからな。覚悟して待ってろよ」
意識を失ったマキナを残し、碧花さんが通ったであろう道を追う。山の手前で、彼女は腕を組んで俺を待っていた。
「はい。では早く登りましょうか」
「え、登るんですか?」
「山は登るものですよ。そう心配なさらずとも、見た目通りの小さな山ですから。時間はかからないし大層な準備も必要ありません。では、行きましょうか」
糸は人物を起点に無機物にも広がる。悪化し続けた視界の末路はそんな終末風景の具現化をしてくれた。碧花さんが特殊という話はしたが、特殊すぎて糸の起点にならないのも考え物だ。
健常な山の景色があまりにも新鮮だったから、涙で視界が滲んでしまって、これは間違いなく転ぶ。




