未知との遭遇
「いいか、その人は気難しいらしいから、余計な事して印象悪くしたら失敗するかもしれない。だから絶対外では大人しくしてろよ!」
「従わなかったら多少嬲ればいいんじゃない?」
「お前マジで…………」
午後一時。マキナを連れて外出したはいいが、こいつがただ一つの不安要素だ。信用も信頼もしているが規格外の常識知らずをどう抑えればいいだろう。物分かりが良い時と悪い時の差が極端だ。あんまり機嫌を損ねても良くないのか。しかし機嫌を取り過ぎると元気いっぱいになって、普段は良いが時には問題になる。
「大体お前、何でそこまでついて来ようとするんだよ」
「だって有珠希、私に体をあげてへろへろじゃない。今度襲われたら死んじゃうんだからね? 嫌がっても、私は付いていくんだから」
「お前はそのへろへろな奴を危うく殺しかけた訳だが、それについて反論は?」
「ねえ有珠希、私達も腕を組みましょう?」
「話聞けよッ」
半ば強引に腕を取られ、互いに腕を交わし合う。たまたま目の前を恋人と思わしき男女が通りがかったからだろうが……誰かがこれを見たとして、俺達を恋人と思うかは別の話だ。ただ居るだけでも異様に目立つ彼女は視線を浴びるには過剰な美しさだが、対する俺は文字通り影が薄い。隣が眩しすぎるせいだ。
「……なあ、マキナ」
「何?」
「………………お前って何を基準に人間を真似するんだ? 呼吸といい、手を繋ぐのは……まあ今に始まった事じゃないけど。実はキカイにもそういう文化があったりするのか? お前にもお母さんとお父さんが居て、手を繋いだ記憶があるとか」
「私、生命体じゃないわ。無から生まれた訳でもないけど、自分が何処で生まれたかも把握してないわね。ただ漠然と感じるのよ。自分の使命だったり、同位体の気配だったり」
「それだよそれ。ずっと気になってた。そういうモンかなってずっと流してたけど、お前といいクデキと言い、どうしてそんなに人間に酷似してるんだ?」
二人が人間でないのは分かっているし、俺を『食べた』時のコイツは確実に人間ではなくなっていた。だが傍から見れば人間だ。隔絶した美貌というのも、人間基準の話。これがまたエイリアンとかであれば話は違うだろう。そもそも居るのかという野暮な話は置いといて。
「……さあ? なんで自分がこの姿になったかなんて考えた事もないわ。有珠希だって自分がどんな合理的な理由があってその顔やスタイルになったかは説明出来ないでしょ? 理由なんて多分ないわ。なるようになっただけ。私達がヒトに近い姿なのはそれこそ、この星にでも聞かないと分からないわね。今は無理よ、部品も戻ってないから」
キカイと関わっていると、何やらとてもスケールの大きな事件に巻き込まれているのだと実感出来る。倒そうとしている相手も正にそんな相手だ。倒さないといけない。殺さないといけない。たとえマキナ以外の全てが変わらなかったとしても、取引の為に、こいつの為に。
首藤碧花の連絡先として示されたのは、今は使われていない名もなき廃墟。
連絡先もへったくれもない様に思えるが、廃墟の中にある電話が繋いでくれるらしい。理屈は良く分からない。別に規定ではないらしいが、規定でないなら一体どんな現象だろう。それともそこにまた別の電話番号でも書かれていて、それを使えば繋がる……みたいな。現実的に考えたらその辺りだ。一度余計なステップを挟む辺り相当慎重である。
『何あの人凄い綺麗……』
『っわ…………』
『どっかのモデルじゃね?』
時間帯と歩く場所が悪いか。今日はいつにも増して人目に晒されており、誰もがマキナに見惚れていた。本人はまるで気にしていないが、一々声が耳に入ってきている都合で俺は物凄く肩身が狭い。何となく距離を取りたくなってきたが、肝心のマキナがそれを許してくれない。
「……早く行くぞ」
「え? どうして?」
「………………………居心地が悪い」
あらゆる人々を起点に広がる糸の数々が紡ぐ終末世界。目の前を満足に認識する事も怪しい現状は、視覚的にも閉塞感を演出してくれている。窮屈な場所で大勢の人間から存在を認められないような言葉を浴びせかけられる―――果たしてそれはどんな拷問か。
マキナが美人で、俺に対して羨ましがるとかであればまだ良かった。問題は美人過ぎるのも考え物という点だ。現実を歪めるかのような輝きは俺という存在を決して認めてくれない。それがまるで、今の人間社会と俺の距離感を表しているみたいで非常に辛い。
―――俺って、何なんだろうな。
何もかも曖昧で、何もかも不明瞭。俺は自分が何者かも良く分からない。
「俺って、誰なんだろうな」
廃墟に近づくにつれて人通りが薄くなっていく。弱音を吐露するように、誰に向けるでもなく呟いた。
「牧寧の兄だと思ってた。俺は平和に普通の生活をしてたんだと思ってた。でも実際は違った。兎葵の兄で、牧寧は単なる妹の友達で、幻影事件に巻き込まれて、、本当の名前は有珠らしい。さっぱり良く分からない。有珠を演じようとしてもさっぱりだ。だってそんな記憶ないんだから。じゃあ俺は何なんだ?」
「…………ニンゲンってつまらない事で悩むのね」
「大雑把なキカイと違って繊細なんだよ。悪かったなつまらなくて」
「貴方は貴方よ。それでいいじゃない。私だって昔の記憶なんかないわ。そもそも存在してたのかも怪しいし。ねえ有珠希、貴方が何者でも、今、確実に貴方は存在して私の傍に居る。私だけの味方なんだから……それじゃ駄目かしら。私にしてみれば記憶も名前もどうでも良いわ。貴方は有珠希で、私は貴方が好きなんだから!」
屈託のない笑顔と共に恥ずかし気もなくそんな事を言う彼女は、太陽のように燦燦と瞳を輝かせていた。人様の悩みをどうでも良いとあしらう無神経さ―――それを差し置いても尚、マキナは純粋に、俺の事を好いている。
それが何だかとても嬉しくて。廃墟につく少し前で立ち止まって、目的地とは違う場所に連れ込んでしまった。
「ちょっと、来い」
具体的に何処に入ったという訳ではない。住宅と住宅の隙間。子供が気づいたら何かにつけて入りたがるような小さな道に入って、彼女を壁に追いやった。
「そういえば朝、キスしたがってたよな」
「え? うん。でも有珠希はけちだから―――」
唇を重ねて、彼女の言葉を断ち切った。
驚いて俺の体に触れようとする手を壁に抑え込んで、キスを続ける。少しして顔を離すと、マキナは顔を真っ赤にして熱に浮いた視線を俺に向けていた。
「な、何―――何なの? なんで泣いて」
今度は脇から腕を入れて、抱きしめるように二度目のキスを交わす。マキナもされるがままとは行かずに手で俺を押しのけようとしたが、まるで力が込められていない。年相応の女の子みたいな力では、俺との距離は作れない。
ああ、なんて不意打ちに弱い奴なんだこいつは。全身の筋肉を強張らせ、指をぎこちなくぴくつかせ、足をピンと伸ばしながら震わせている。兎葵が見ていても関係ない。その言葉が、涙が出る程嬉しかった。
「……強引、なんだから」
「うるさい。望みを叶えてやったんだ。ちょっと気分が変わってそういうつもりになったんだ。分かったら大人しくしてろ。碧花って人との交渉を台無しにしたら怒るからな!」
それとこれとは何の関係もない。無茶苦茶な要求だったが、マキナは満足そうに頷いてくれた。
廃墟にある電話というのは、二階にあるらしい。
その道中、ハイドさんから最後の電話がかかってきた。
『もしもし?』
『調べてやった。一度しか言わねえから良く聞けよ』
『……はい』
『何も分からねえ』
………………は?
『は?』
心の中と実際の言葉が一致したのは初めてだ。反応も織り込み済みか、ハイドさんは気にしないで続ける。
『部下を使って調べたんだが、マジで情報が何処にもありゃしねえ。だが存在はしてるな。記録の限りじゃクデキとミシャーナしか会った事がないっぽいな。つー訳で人物像に関しちゃてめーで調べな。糸でどうにか解析してくれ』
『…………あの。正直、舐めた口きくなって思ったうえで言うんですけど、最後の連絡なのに無能を晒すのはどうなんですか?』
『おー、本当に舐めてやがるな。だが言いたい事は分かる。俺もこれで終いにするのはケツの座りが悪い。つー訳で、俺も別口で連絡先を調べ上げててめーが今向かった先まで招待してやった。多分、その廃墟の一番奥にでもいるんじゃねえのか』
しれっと監視されている事実が漏れたが、スルーするべきなのだろう。協力出来ないなりに、あの人も俺を心配してくれているのだ。
『有難うございます。無能とか言ってすみませんでした』
『へッ。それが悪口か。残念ながら俺は最初から無能だ。部下が居なきゃ何も出来ねえ。だからてめえが欲しかったんだよシキミヤウズキ。これ以降はクデキがどうにかなるまで連絡はしねえつもりだが……一応監視だけは続けといてやる。幸運を祈るぜ』
電話を切って、ポケットにしまう。一番奥の部屋というと、この廃墟では唯一壁や床が崩壊していない部屋だ。外に直通していないというだけでそこは立派な閉鎖空間。人を待つにはそれだけで十分か。
扉の前まで近づいた所で、すっかり大人しくなったマキナが中に入って初めて口を開いた。
「私、ここで待ってるわ」
「……? 突然どうしたんだ?」
「イヤ~な気配がする。不愉快って訳じゃないんだけど、会うのが躊躇われる……これが気まずいって奴かしら。大丈夫、話し合いが終わるまで干渉もしないし、邪魔が入りそうなら消しておいてあげるから」
本人が望んでいるなら願ったり叶ったりの流れだが、意味が良く分からない。あのマキナをして気まずく思わせるとは、一体どんな人なのだろう。壊れたノブを回して足を踏み入れると、古ぼけたソファに座る女性が、静かに立ち上がった。
「初めまして」
闇を溶かした様な黒髪を腰まで伸ばし。
その瞳は深淵を凝縮したように暗く。
白を基調に黒い彼岸花の刺繍された着物を着た女性は、雰囲気一つとってもマキナとは正反対の人だった。落ち着いていて、何処か淡泊で、煌々と輝くにはあまりにお淑やか。背中合わせに共通しているとすれば、その美貌だ。
アイツが誰よりも目立つ存在感を放っているなら、この人は他のあらゆる存在を塗り潰し、自分だけを残してくる。視線が勝手に行くのがマキナなら、この人は視線を吸い寄せる。薬指に嵌められた指輪を見るに既婚者か。こんな人と結婚出来る男性とはどんな人間なのだろうかと―――俺は畏れ、魅入られた。
糸を視ればその人間の素性が分かる。多少負担がかかろうとその力に変わりはない。この人は確実に人間だ。クデキの様に少なすぎるという事もない。ちゃんと糸が伸びている。視れば少しは人柄や過去が分かるだろうと思ったが、それはかなわない。
この人の糸は、まるで検閲済み文書の様に全てが黒く塗り潰されていて、読み取ろうにも情報が入ってこない。良く見てみると、外の檻に伸びている筈の糸も虚空に繋がっているみたいに宙ぶらりんだ。唯一明らかなのは小指に結ばれた糸の意味くらいで、それが何だ。指輪から読み取れる様な情報に価値なんてない。
「貴方が式宮さんで間違いございませんか?」
「あ………………は、はい。式宮有珠希です。えっと」
「首藤碧花です。宜しくお願いします。今回は私の方から出向かせていただきました。本日はどの様なご用件でしょうか?」
マキナが何を感じ取ったかは分からないが。漠然とその気持ちは共有したい。
この人は。普通の人じゃない。




