冠情爆発
「諒子」
マキナが強引に兎葵を手伝わせながら料理を作ってくれている最中(兎葵が俺を元気にする為には料理がいいと進言した)、手持無沙汰になった諒子を呼びつけて、話しかけた。
「何だ?」
「正直に答えてくれ。俺は別に怒るつもりじゃないんだ。そもそもそんな体力ないしな。お前も……悪化したのか?」
「………………ああ、うん。悪化したぞ」
「―――やっぱりそうか」
おかしいと思っていた。最初からキカイの所有する部品の数が分かるなら何処かで言い出す筈だ。これまでそんな様子は見られなかったので、悪化はごく最近の話という事になる。それこそマキナが当てにしたのは彼女が視界の違和感について言い出したからではないだろうか。アイツだって同じキカイだ。諒子の視界が何を視ているかくらいは直ぐに見当がつくだろう。
直近のやり取りが馬鹿丸出しなので分かりにくいと思うが、ああ見えてマキナは洞察力に優れている。
「…………一つ聞きたい。俺とマキナから同じ物は見えるか?」
「……何でそんな事を聞くんだ?」
「俺の視界の一部はキカイの部品らしいからな。一部だけ、らしい。どうなんだ?」
「み、見えないぞ。どういう事なん、だ?」
赤い糸を視えさせてしまう『何か』が覆い被さっているのだろうか。俺にはこの辺りの理屈が良く分からない。ハッキリしているのは諒子とは同類ではなかったという事だ。せっかくトモダチになったのに、裏切ったみたいで悲しい。
「……悪い。お前を一人ぼっちにして」
「…………? 良く分からないが、式君が居るから一人じゃない、ぞ。トモダチだし」
「そうか…………なら、いいんだけど。そうだ、悪いんだけど朝食が終わったらお前に頼みたい事がある」
「何でも言ってくれッ!」
「……俺の妹。もう一人下の妹が居るんだけど、昨夜から行方不明になったらしいんだ。俺は探しに行かなかった……アイツが心配だったからな。でも天秤にかかっただけで、妹が心配じゃない訳でもない。俺には他にしなきゃいけない事があるから、お前に頼みたい。出来るか?」
「ま、任せてくれ! 絶対見つかるからなッ」
珍しく鼻息を荒くして諒子は頷いた。しかし呼吸を荒げたせいで立ち眩みを起こしてしまい、彼女はへなへなと俺にのしかかってくる。マキナとはまた違うが、これも今は避けられない。甘んじてクッションになる。
「…………式君。もっと頼ってもいいんだ、ぞ」
「……これでも結構頼りにしてるんだけどな。不満か?」
「式君の、都合の良い女でいいから……もっと、頼りにしてくれたら、って思うんだ」
「俺に都合が良かったら、お前とはトモダチじゃなくなってると思うな」
諒子の背中に手を回して、慰めるように摩る。女心は良く分からない。サンプルがマキナしか存在しないからだろうか。ちょっとおだてたらすぐご機嫌になるポンコツと違って人間は難しい。秋の空なんて、全くなんて的確で理不尽なんだ。
「お前はお前だから良いんだよ諒子。血気盛んな所も、強気なのに弱気な所も、健気な所も、俺は全部好きだぞ。強いて言えば制服姿以外のお前がもっと見たいかな」
「…………ぁうぅぅぅぅぅぅうう」
諒子は顔を真っ赤にしながらベッドから滑り落ちてしまった。それを留める力はない。ただでさえ疲れているのに喋り過ぎた。大人しく料理が出来上がるまで待とう。
―――ハイドさんから無理だったら、もう手立ては残されてないよな。
クデキと接触してしまったのは本当に最悪だ。生き残ったという点ではまだしもカガラさんは連れ攫われるわ、無駄に警戒させてしまうわと損ばかり続いている。あの人を通してメサイア・システムに潜り込めないようならいよいよ先輩からの贈り物に頼るしかない。首藤碧花とはどういう人物なのだろうか。気難しいというのもいまいち具体性がない。どう気難しいかを言ってほしかった。
「有珠希ッ!」
目を開けると、マキナが華のような幾何学模様をちかちかと明滅させながら俺の顔を至近距離で覗き込んでいた―――どころか馬乗りになっていた。身体の前にかかるチェックのエプロンがなんとも可愛らしい。
「重い…………」
「机まで動ける? 運んであげましょうか? それとも口移し?」
「雛鳥か俺は。いいよ口移しとか。どんな食事だよ」
「遠慮しなくていいのに~」
「遠慮とかじゃない。人間はそんな事しないんだ。いやまあ赤ちゃんの世話とかだとあるかもな。でも俺、赤ちゃんじゃないし」
「有珠希さん。マキナさんはキスの口実が欲しいだけですよー」
厨房に置き去りにされた兎葵がぶっきらぼうにそんなフォローを入れてくる。口実のつけ方が無理やりすぎるな、と思ってしまった。断る度にマキナが不機嫌になっているのは俺でも分かる。む~と獣のような唸り声をあげる彼女はそれはそれで可愛いが、あんまり放置すると後でどんな目に遭うか想像もつかない。
「……………………食事を手伝うくらいだったら、いいぞ。出来るだけ動きたくないし」
「それって口移しと何が違うの?」
「モラルとプライドの問題」
「ニンゲンって分からないな~」
納得しているとは言い難いが、何とかマキナを引き下がらせ、俺達は遅めの朝食にありつくのだった。
『ごめんなさい。俺のせいで』
食事を終えて。小休憩。
俺はベッドの上からハイドさんに電話をかけて、開口一番謝罪の言葉を述べた。台所では兎葵が食器を洗っている最中で、諒子は俺の頼みを聞いて外出中。隣では暇を持て余したマキナが瞳を刃のようにギラつかせながら、ぺたん座りで会話を聞いていた。
『あー…………いや、何も言うな。てめえのせいじゃねえよ。悪いのは運だ』
『……ハイドさんって、カガラさんを結構大事にしてましたよね。そんなんでいいんですか?』
『良くはねえが、てめえを責めて戻ってくる訳でもねえだろ。しかしアイツが居なくなったら俺の裏切りがバレるのも時間の問題か。敵対する理由が出来たから丁度いいっちゃいいんだが……人質にされる可能性があるか』
『はい?』
『俺がアイツを大事にしてるってのは語弊があるが……殺した後に持ち帰ったってのは怪しいな。生き返らせる事が出来んなら、それで俺に対する交渉のカードにしてきたら……悪いが、取り返すまでは支援出来ねえ』
『そこまで大事なんですか?』
『あー…………』
カガラさんの事になるとハイドさんは歯切れが悪い。ここまで隠そうとするのは、かえって未紗那先輩の情報の正しさを証明してしまっている。まだ何か隠しているのだろうか。今、聞いても答えてはくれまい。物事には立場がある。カガラさんを取らせてしまったこの瞬間は、明確にこちらの立場が悪い。
『じゃあ、支援はもう大丈夫です。その代わりと言っちゃなんですけど……首藤碧花についての情報を聞きたいんですよね』
『ああ? 誰だそりゃ…………まあ、それくらいだったらやってやる。I₋nが死体のままっつう可能性もあるしな』
『あ、最後にもう一つだけ。そっちの方で再起不能になった俺のクラスメイトが引き取られたと思うんですけど……どうなりましたか』
『それも知らねえ。俺が関わる前に奴が介入したからな。用件が済んだなら切るぞ』
やはり何か、使用用途がある。
それが分かっただけでも十分だ。お礼を伝えて電話を切った。殺意に張りつめていた隣のキカイは電話を切っただけなのにご機嫌である。
「何処に行くの?」
「メサイア・システムに忍び込む為の唯一の当てを頼りに行く」
「私も行くわ!」
「来るな」
「行くッ!」
「来るな―――ッ?」
俺の抗議は遂に口を塞がれる形で封殺されてしまった。 マキナが俺の上半身に飛びついて、肉体が壊れそうな勢いで抱きしめてきたのだ。
「行くの~!」
「~~~!」
マキナの胸の柔らかさがどうとか言ってる場合ではない。身体がメキメキと悲鳴を上げている。なんて我儘な奴だ。我儘すぎてほとほと呆れてくる。お姫様というかじゃじゃ馬というか狂犬というか。
谷間の中に残る空気を大きく吸って、俺は声の限りを振り絞った。
「分かった! 分かったから! 落ち着け、落ち着けこのポンコツ! 整備不良だお前は!」
快楽よりも先に窒息の恐怖が先んじていた。俺の快い返事にマキナは目を輝かせている。病み上がりから回復したからって限度がある。考えたらやられっぱなしは性に合わないし普通に腹が立ってきたので、何の服を着ようか呑気に構える彼女を押し倒し、頬を引っ張った。
「死ぬかと思ったわこの野郎! 変な顔にしてやる!」
「いたーい!」
「問答無用だこら………………ふ。はは。ほーら変な顔になったざまーみろ!」
「ひどーい有珠希ッ。私の顔を変えるなんて乱暴ね! うふふ!」
「………………頭、おかしいんじゃないの」
兎葵の独り言も空しく、俺達は束の間をじゃれ合って過ごした。首藤碧花が何者かは知らないがマキナを同伴させると碌な事にならない気もする。
けれどまあ、どうでもいい事だ。軽く命の危険に晒されたし。それよりはマシだろう。




